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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の章
53/87

53.槐の嫁

「……もしかしてこの鍵が移動の引き金ですか」


 椅子に座っていたのに、急に椅子のない場所に放り出され、ヒェッと息をのみながらも何とか尻もちをつくことだけは回避した廸歩は、呻くように目の前の人物に言った。


「あれ、説明してなかった?」

「……はい……」


 芙遊(ふゆ)は「あらぁ……それはごめんなさいね」と、頬に手を当てて眉を寄せた。そういう仕草は廸歩の記憶にある『ふゆさん』そのものだった。


「ここはどこだ?(えんじゅ)の嫁と同じ甘いにおいがする」


 鼻をひくひくさせ、あたりを見回しながら槐が不思議そうな声を出した。

 廸歩と一緒に槐も飛ばされてきていた。

 テーブルの上にいた槐は空中に放り出されたのだが、こちらは見事にスタッと着地していた。


「ここは迷い家(まよいが)よ。私は迷い家の管理人の芙遊。その狐が槐ね……ちょっと偉い人からあなたの保護を頼まれたのよ」

「まよいがって、あの山の中にあるっていう?」


 廸歩が聞き返すと、芙遊はしまった! という顔をした。


「あらら、それも説明してなかったわ。……えーと、二人まとめて説明します」

「……お願いします」


 槐は特に話を聞くつもりがないのか、芙遊と廸歩の顔を交互に見て「同じ顔だ」と呟いた。


「だが槐の嫁のほうが慎みがあって優しそうな顔だ。芙遊はすぐ怒り出しそうだ」

「……何この毛玉……毛皮にされたいの?……え、廸歩ちゃんこんなのの嫁になるつもりなの?」


 芙遊がものすごく嫌そうな顔で「考え直しなさい」と詰め寄ってくるので廸歩は慌てて頭を振った。


「こんなのというのはあれですが、嫁になるつもりはありませんしもうお断りしてます」

「良かった、遠慮なく毛皮が剥げるわね。同意なき婚姻なんて絶対にぶち壊してあげるから」


 にこぉ……と微笑む芙遊は本当に毛皮を剥ぎかねない空気を醸し出している。


「は……はあ……いや、毛皮は剥がないでください……」

「望まない婚姻なんてものは芙遊にとっての地雷原だからなぁ」

「あ、(たすく)さん……」


 声のほうに目を向けると、木の根元にうずくまってとろとろと眠たそうに目を細めている佑がいた。見ているだけでこちらまで眠たくなってくる。

 相変わらずこの場所は明るい日差しがさしているが、現実――というのが適切なのかは不明だが――では丑三つ時くらいの深夜である。廸歩だっていい加減横になって休みたい頃合いだ。

 事務所の面々だってそろそろ休みたいだろう――急に廸歩が消えたあと、向こうはどうなったのだろうか。


「とりあえずミチホが知りたいのは、『ここはなんなのか』『なぜ呼ばれたのか』『札幌で何が起こっていたのか』『この後どうするのか』の四つくらいか」

「そう! そうです」


 このままでは埒が明かないと判断したらしく、くああ、とあくびをした佑が進行役を買って出た。


「ここはさっき芙遊が言ったように、迷い家だ。その名の通り、迷った者がここにたどり着き、休息を得てそれぞれのあるべき場所に戻っていくための、いわば休憩所だな」


 佑の説明に迪歩は頷く。迷い家の民話を聞いたことがあるのでそこまではなんとなく分かる。


「迷い人は物の怪や獣、霊魂や人間……まあ何でもありだ。そして迷い家の役割は『迷い人を補助する』というもので、基本的には迷い込んでこなければこちらからは手出しできない」

「さっきそう言っていましたね」

「うむ……さっきミチホを迷子の娘のところへ飛ばしたのは、『迷い人を補助』というのを拡大解釈して無理やり送り込んだんだ」

「拡大解釈、というと?」

「迷い家にやってきたミチホという迷い人が、迷いから抜け出すために自分に縁のある人間を助けるのを補助する。という体裁だ」

「体裁なんですね……」


 なにかをするために体裁を整えるというのは、神や物の怪の世界だというのになんだか妙に人間じみているように感じる。


「ここでは体裁や約束は何よりも重んじられる。それがなければ好き勝手出来てしまうからな……札幌の狐のように」


 佑はちらりと槐のほうに視線を向けた。

 その視線を受けた槐は「その狸の言う通りだ」と頷いた。


「そこの芙遊は神やら大物妖怪やらになぜか気に入られやすくてな。札幌周辺を管轄している龍神、つまり土地神とも茶飲み友達なのだ」

「……茶飲み友達」

「まあその方は元々白露様の友人だったんだが。――で、その龍神が狐の大規模妖術計画を知って、何とかしたいという相談をしてきた」


(土地神が、ふゆさんに相談……)


 なんだかとんでもない話を聞いているような気がする。


「……のだが、狐はあくまで人間の世界で計画を動かしていたからな、こちらからは手出しできなかった。大きな妖術が発動してしまえばこちらと人間の世界両方に影響が出るから、その後なら動けるのだが。――そうなってしまうと現在進行形で使い捨ての駒にされている槐があまりに哀れだという話だった」

「……影響が出ることが明らかなくらいのおおごとなのに、妖術を事前に止めるっていうのはだめなんですか?」


 首を傾げた迪歩に、佑はふるふると首を振った。

 佑が首を振ると体ごとふるふるしてしまうのがかわいらしい。


「だめだ。逆に、小さい手出しなら目こぼしされることもあるが、そこまで大規模なものになると異界への干渉になってしまう。前例を作ると際限なくなってしまうからな」

「なんか……日本のお役所って感じですね……」

「人と神の世界、両方を立ててうまくやっていこうと思えばそんなものだ」

「はあ……で、それで人の世界の私を呼んだってことですね」

「そうだ。折よく芙遊の縁者であるミチホが札幌にいたし、解決する能力もあったからな」

「ありましたかね、解決する能力……人が用意した護符と、白露様からもらった花のおかげですし……」


 酔っ払いから槐を剥がしたのは藤岡が用意した護符だし、槐を救ったのは白露がくれた花だ。迪歩でなくとも良かったような気がする。


「槐の嫁、槐が依り代から追い出されたのは依り代が嫁のお陰でほぼ行動不能になったからだ。あのとき見せられた札はそこまで強いものじゃなかったからな」

「ちなみに白露が渡した花は誰だって効果があるわけじゃないわ。私と縁のある廸歩ちゃんだからよ?」


 廸歩がしょんぼりとしていると、槐と芙遊が口をはさんできた。


「じゃ……じゃあ、おじさんの骨を折っちゃったのは不必要な暴力というわけじゃなかったんですね……?」

「それはもう少し手加減してもよかったかもしれない」

「うっ……おじさんごめんなさい……」


 やっぱりやりすぎだったんだ……と落ち込む廸歩の足に槐がすり寄る。


「あの人間が叩きのめされたのは槐が依り代に選んだからだ。泥酔して道路に転がってたからちょうどいいと思った。槐の罪だから槐の嫁が気に病むことではない」

「えんじゅさんありがとう……でも嫁ではないです……」

「槐は嫁の名前を知らない」

「あ、廸歩です」

「『みちほ』」


 槐が口に出した瞬間、また額のあたりでパチン、という軽い衝撃が走った。


「あら廸歩ちゃん……」

「へ?」

「契約が完了した。槐はみちほの守護獣となった」

「は? 契約?」


 額を押さえたまま、廸歩はぽかんとする。 

 守護獣、とは。


「妖力を持った獣と結ぶ契約だな。使役ではないから強制力こそないが、離れていても呼び出すことができる」


 口を開けたまま固まる廸歩に、佑が説明してくれる。


「まあ、特に損はない契約だから大丈夫よ。槐だって呼ばれても行きたくなければ行かないこともできるし、自由を奪うわけじゃないから気にすることはないわ」

「そうだな。ミチホは特に芙遊と同じように物の怪やら何やらを寄せるからな。守護獣がいれば多少緩和されるだろう」

「え、それはありがたいです」

「でも、そんなに簡単に物の怪に名前を教えちゃだめよ、廸歩ちゃん」

「あ……はい……気を付けます」


 名前に関して本日二回目の注意である。さすがに不注意すぎる……なんてダメな人間なんだろう……と、本日何回目かのしょんぼりに陥った廸歩を、佑が下から見上げる。


「ミチホ、眠いんじゃないのか? 前に見た時よりも目がしょぼしょぼしているぞ」

「あ……そういえば眠いです……深夜ですし……」


 自覚すると一気に睡魔が襲ってきた。体がグラグラしている気もする。


「あらまあ大変。じゃあ最後に……槐はほとぼりが冷めるまで迷い家で預かるわ。ここなら槐を気にかけている龍神も顔を出すしね。札幌の大規模妖術に関しては、現状では槐以外にそこまでの術を使える狐はいないという話だからじきに諦めるでしょう。諦めなかったらまた廸歩ちゃんの力を借りるかもしれないけど……」

「ぜひ諦めていただきたいです……」

「そうね。あとは鍵のことだけど、お互い自由に行き来できるわけじゃないの。こっちが呼んで、廸歩ちゃんが鍵を使ったら道が繋がるのよ」

「こっちから行きたいと思ってもいけないってことですか?」

「ええ。あくまでこちらから召喚して、廸歩ちゃんが応えるの。きっとその時になったらなんとなくわかるはずよ」

「はあ……」

「ああ、廸歩ちゃんもう寝かかってる……」

「そりゃあ何回も異界に移動するというだけでも消耗するからな。このあたりが潮時だろう」


 残念だけどそうね、という芙遊の声が現実だったのか夢だったのか、もう分からなかった。

 廸歩の意識はゆっくりと水に沈むように落ちていき、次に目を開いた時には九環の事務所に戻っていた。

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