51. 事情聴取
「じゃあ迪歩ちゃんは、大叔母さんに概要だけ聞かされてここに放り込まれたと」
「そうです。それまで自宅にいたのでこんな格好です……」
芙遊の関わってくる細かい話はぼかして、詩織と合流してからの流れを藤岡と翼にざっと説明した。
芙遊のことについては分からないことだらけだというのもあるが、何よりも超常的すぎるので詩織のいないところで話したほうがいいだろうと思ったからだ。
「とりあえずこの酔っ払いのおじさんは警察に引き渡しだな……。酔っ払って怪我とかで処理してもらうから。大筋では嘘じゃないし」
酔っ払って――狐に体を乗っ取られて中学生を襲って大学生にバキバキにされて――怪我をした。
(確かにものすごく乱暴な大筋では嘘じゃないけど)
大型トラックにでもはねられたくらいのダメージだ。警察相手にそんな簡単な説明で通るのだろうか。
「狐は動けないようにして九環に連行するけど……おじさんをあんまり放置して死んじゃったら大変だから、先に知り合いの刑事呼んじゃうね」
「刑事さんの知り合いがいるんですね……」
「うん。さすがにこれ、普通に通報したら捜査入っちゃうもん」
「デスヨネ……」
知り合いの刑事に頼んで、有耶無耶にしてもらうらしい。
藤岡は慣れた様子なので、きっとこの商売はそういうこともままあるのだろう――が、迪歩はしょぼんと肩を落とす。
「こっちは僕が適当に処理しておくから、翼くんは妹さんをお家に送ってあげなよ。で、迪歩ちゃんは病院行きだから車で待ってて。翼くんのうちの近くに停めてるから、一緒に連れてってもらって」
「はい」
藤岡の指示に迪歩はしおしおとうなずく。と、詩織が迪歩の袖をクイクイと引っ張った。
「迪歩さん、靴……サイズが合わなければサンダルもあるし、服も貸すからうちに寄ってください! 足の傷も明るいところで確認したほうがいいから」
「え、いえ……」
「ああ、そうだね。病院行くにしても着替えたほうがいいよ」
藤岡にもそう言われ、改めて自分の格好を見下ろす。
破れた部屋着のワンピースに、膝上までのショートパンツから覗いている足はあちこち赤くなっている。――確かにこれは、明るいところに行くなら着替えたほうが良さそうだ。
「う……じゃあ、すみません、貸してもらえますか」
「もちろんです。……そうだ、迪歩さん裸足だし、翼さん抱っこしてあげたら?」
「ん?……了解。廸歩さん、ちょっとごめんね?」
「えっ」
詩織の言葉に翼が一瞬動きを止め、すぐに廸歩に向かってニッコリとほほ笑んだ。そして――
「ぎゃっ」
突然の浮遊感に、お世辞にも可愛いとは言えない悲鳴が廸歩の口から飛び出す。
背中と膝の下に腕を回され……つまり俗にいうお姫様抱っこである。
ロマンチックな響きだが、人を運ぶには非常に安定性に欠ける体勢。
「廸歩さん、夜遅いから静かに。あと暴れられると危ないから」
「で!……でも……ちょ、歩けるから……!」
「じゃあ祐清さん後お願い」
「OK~」
止めてくれないかと一縷の望みをかけて藤岡を見るが、彼は廸歩のすがるような視線を完全に無視してスマホを片手に手を振った。
知り合いの刑事に電話をかけるのだろう。
――結局そのまま詩織が先導するように歩き始め、翼がその後について歩き始めてしまう。
呻きながら、せめて翼の負担にならないように上体を寄せ首に腕を回す。
あくまで体重を分散させているだけなのだが、これはものすごく甘えてくっついているように見えて、非常に恥ずかしい。
(人通りがなくてよかった……多分、人通りがあったら翼くんもこんなことはしなかっただろうけど……)
椿家は両親の再婚後に新築したというだけあって、ボロボロの廸歩が入るのはちょっと躊躇われるようなとてもきれいな一軒家だった。
ポーチを通り抜け、玄関を入ったところでやっと降ろしてもらう。
広い玄関にはおしゃれなベンチが置いてあり、廸歩にそこに腰掛けるよう言うと、詩織はタオルを取りに家の奥へ駆けていった。
「翼くんありがとう……重かったでしょう」
「別に重くないよ。むしろもうちょっとちゃんと食べたほうがいい」
「……あ、でも今日は与田さんがごはん連れてってくれたからちゃんと食べたよ」
「……与田さんと?」
ちゃんと食べましたよ、という報告をしたはずなのに、翼はあからさまに面白くなさそうな声を出した。なにかまずいことを言ったのだろうか、と不安になって見上げると、彼はすねたような顔でじっと廸歩を見つめていた。
「翼くん?」
彼は廸歩の呼びかけには答えず、そっと手を伸ばすと、乱れていた迪歩の髪を指で梳いた。抱きかかえられたときに乱れたのだろう。梳いた髪を耳にかける。
耳に手が触れるのがくすぐったくて、迪歩は反射的に目を閉じた。
――すぐに手を離すのかと思ったのに、少ししても彼の手は廸歩の頬に添えられたままだった。
「?」
目を開けて、翼を見上げる。
それでもなにも言わない彼から目をそらすことができずに少しの間見つめ合っていると、ぱたぱたと詩織が廊下を戻ってくる音が聞こえた。――と、同時に翼がぱっと手を離した。
「お湯も持ってきたから一旦ここで足を洗っちゃいましょう」
「……あっ、はい!」
「じゃあ俺、ちょっと祐清さんの方見てくる」
詩織がお湯の入った桶を廸歩の足元に置く間に、翼はいつも通りの声でそう告げるとさっさと外に出ていってしまった。
(……キスされるかと思った)
いや、まさか、そんなわけがない。そう思いながらも心臓がどうしようもなくバクバクしていた。
そんなふうに廸歩の心中が荒れ狂っていても、詩織はそれに気付いている様子はない。このときばかりは本気で自分が表情の乏しい人間でよかったと思った。
「廸歩さん、タオルここ置いておきます」
「ありがとうございます」
「改めて明るいところで見ると細かい傷がありますね。どうせ着替えるのであれば、ざっとシャワーして全身チェックしたほうがいいと思います」
詩織の言う通り、明るいところで見るとあちこちが赤くなっているのが目立つ。といっても、痛みの感じからして大した傷はないだろう。
だが、服を借りるなら確かに先に汚れや血を落としてからの方がいい。
「んん……でも、さすがにシャワーまでお借りするのは。それに、夜中だからご家族の迷惑になりますし」
「お母さんは今日は夜勤なのでいませんし、お父さんは小説書いてるんですけど、今は締め切り前で防音室にこもってるので問題なしです」
「防音室……があるんですね、お家に」
小説家。防音室。
単語から漂うハイソサエティーな匂いに、迪歩はなおさら怯む。だが、詩織は構わず廊下を歩いていってしまう。
「音がすると集中できないとかで。お風呂場こっちなので、どうぞ」
「ああ……う、すみません……では、お邪魔します」
***
結局詩織の押しに負けてシャワーを借り、服とサンダルを貸してもらい、一息ついたところで藤岡と翼が戻ってきた。
狐は木の箱に入れられて車の後部座席に載せられていた。動けないように箱に術をかけて封じているのだそうだ。
そして、詩織に見送られて椿家を出たのはすでに日付の変わった後だった。
途中で夜間救急のお世話になりつつ、事務所へ向かう。
夜間救急については、噛まれたわけではなくひっかかれただけだしそんなに急がなくてもいい、と主張したのだが、藤岡と翼に笑顔で「いいから行きなさい」とすごまれてしぶしぶ診察を受けたのだった。
「さて、じゃあ洗いざらいしゃべってもらおうか~」
「なんか私、取り調べされる犯人みたいですね」
事務所のミーティングテーブルの真ん中には狐の入った箱が置かれ、もるもるがその上であくびをしている。
廸歩の向かいに藤岡と与田、近くのデスクの椅子に翼が座り、ドラマで見たことのある取り調べのような配置になっている。
もるもるが『狐を封じたのでこれ以上の被害はしばらく起こらないだろう』と判断したため、真琴は「寝る……」と言い残してソファで横になっている。
「大叔母さんと会ったって言ってたけど、前の生霊のときに言ってた『離れ』に行ったってことかな?」
藤岡に聞かれ、廸歩は首を振った。
「いえ……そことは別の、知らない場所です。林の中にある大きなお屋敷で、そこに、私と同じくらいの年齢のふゆさんと、しゃべる狸がいて」
「しゃべる狸」
「すごい流暢にしゃべってました。ふゆさんとその狸は龍神白露の眷属なんだそうです。……それで、自分たちは基本的に人の世界から切り離されていて手出しができないから、代わりに動いて欲しいって言われたんです」
「動いて欲しいっていうのは具体的には?」
うーん、と迪歩は首をひねる。
具体的とは、言っても芙遊からは具体的な説明を受けていないのだ。
「今、人間に恨みを持っている札幌周辺の狐が、大規模な妖術を使おうとして小さな術で準備をしている最中で……でも、だんだん術が暴走してきて死者が出そうだし、その実行犯をやらされてる、白狐さんを名乗っている若い狐も妖気にあてられてしまっているので助けてくれと」
時間がないから、と一気に詰め込まれた情報を手繰り寄せながら話す。
「それで、今ちょうど女の子が術に捕まってるから時間がない、後で説明する……女の子とはこの間縁を作ったから、それを繋いで女の子のいる場所に送る……あとはいい感じにがんばれって言われて、気が付いたらあの路地に放り出されてました」
まとめてみると、本当に情報がない。
前に座っている藤岡と与田も苦笑いを浮かべている。
「えーと……それは……大変だったんだね……その女の子が翼くんの妹さんってことかぁ」
「そうですね。縁を作ったっていうのは、うちの妹が翼くんと詩織さんを食事に誘ったときのことだと思います。……ウチの妹、オラクル体質なんです。あのとき妙にこだわって一緒に行きたがってたから、多分なにか感じ取ってたんだと」
「なるほど。一緒に食事をとることを『縁』とする考え方は昔からあるね。……で、後で説明するってことは、また呼ばれるってことだね」
「だと思います……いつどこで呼ばれるか分かりませんけど」
「授業中とかじゃないといいな」
「与田さん、嫌なこと言わないでください……」
授業中に姿を消すなんてことになったらさすがにまずい。
だがあの若いふゆはだいぶ大雑把な印象で、絶対ないとは言い切れない気がして頭が痛くなる。
『縁を持ったことを不運と思って諦めろ』という佑の言葉が脳裏によみがえって、廸歩は頭を抱えた。




