5. 壊れた守護
目の前のその男性は、一言で言うと胡散臭い風体だった。
真っ黒なパーカーにデニムパンツ。パーカーのフードを目深にかぶっている上に前髪が長くて完全に目が隠れている。これで前が見えているのだろうか。
夜道で後ろからついてきていたら思わず交番までダッシュしてしまうかもしれない。そんなレベルの不審者ぶりだ。
正直なところ、普段の迪歩だったら絶対に関わり合いにならないように避けるタイプである。
「今まであなたを守っていたのは産土神に関係するものだったんだろうねぇ。だから産土……ああ、生まれた土地ね。そこから長く離れていたことで守護が弱まって、そこに強いやつがドーンときて完全に崩壊しちゃったって感じだね」
「崩壊……?」
いきなりなにを言っているのだろうか。迪歩がそう思って瞬きしている間にも、目の前の男は言葉を続けていく。
「守護が付けられたのがだいぶ昔みたいだから~、そろそろ耐用年数の限界だった~ってのもありそうだけどね」
「耐用年数って……」
「守護にだって有効期限みたいなものはあるんだよ。なにが守護してくれるのか、なにを代償としたのか、その他にも術式を成立させるための諸々の条件で変わってくるけどねぇ」
代償、という言葉にふとふゆの面影が脳裏をよぎる。
大叔母のふゆが亡くなった後、廸歩は何故かあれだけ悩まされていた幽霊のようなものにまとわりつかれることも、障りを受けることもなくなっていた。
実際、前回あの小乃葉の霊と会った時も眩暈程度で済んでいる。
(やっぱり、ふゆさんが、私になにかの守護を施していた……?)
代償としてふゆ自身の『体』を使って。だから、火葬のあとになにも残らなかったのではないか?
根拠などなにもなかったが、幼い頃からなんとなくそんなふうに考えていた。
迪歩を守るために――迪歩のせいで、ふゆは消えてしまったのではないのだろうか、と。
「代償か……」
道歩の口から漏れたつぶやきに、男は少し首を傾げた。
「心当たりがあるの?」
「……いえ」
「そっか、心当たりあるのかぁ。まあ知らない人間に何もかも話すのは良くないからね~」
「……」
なんとも気の抜ける喋り方だが、この男はふゆと同様に『お客さん』――つまり幽霊を祓える人間のようだ。
彼は、顔を上げることも声を出すこともできなかった迪歩を、背中を叩いただけで治してしまった。
一体彼がなにをしたのかは分からないが、それによって文字通り憑き物が落ちたようにスッと楽になったのは間違いない。
なんだかよく分からないが、お礼を言わねば――と思ったところに、彼が突然語りだしたのが前述の「産土神云々」という話である。
見た目もやばいけど話の内容もやばい。
祖父の影響により、オカルティックな話からは全力で距離を取り、たとえ視えて聞こえていようとも『視えない・聞こえない』を貫いて生きてきた迪歩としては、ものすごく、本当に関わりたくない相手である。
(で……でも、ふゆさん以外で初めて会った、『視える』人……)
関わりたくないのと同時に、彼に対して興味を持ってしまっているのも否めない。
やばい人から逃げ出したい気持ちと、もっと話をしたいという好奇心との戦いは、短時間の葛藤ののち、後者の勝利で決着した。
「……その守護というのは、生まれた土地に戻れば回復するものなんですか?」
「いやぁ、多分さっきのあなたの様子を見るに、もう完全に壊れてると思うよ。戻っても無駄じゃないかなぁ」
「……そうですか」
地元を嫌って戻らなかったせいで、こんなことになるとは……。
その守護の耐用年数がどのくらいだったのかは謎だが、きちんと里帰りしていればもう少しの間はああいうものから守ってもらえたかもしれない。
それに、今まで守ってくれていたものがなくなってしまったということは、今後はああいうものと自力で立ち向かわなければならないということになる。
(そんなこと……できるわけが)
「立てる?」
「あ、すみません……」
地面に座ったまま途方に暮れている迪歩に、フードの男が手を差し伸べてくれたのでありがたく掴まって立たせてもらう。
少し足が震えるが、怪我や痛みはない。
フードの男はそんな迪歩を見てなにを思ったのか、パーカーのポケットから小さな紙とペンを取り出すと、サラサラとペンを走らせた。
「はい、お守りあげる。ちょっと今時間なくて間に合わせの簡単なやつだけど」
スッと差し出された名刺サイズの紙にはいわゆる魔方陣が描かれていた。
あまりにも自然に差し出されたためつい素直に受け取ってしまった迪歩は、自分の手の中にあるその紙に視線を落とした。
ボールペンで描かれた魔方陣は短時間で描かれた割にきれいなまんまるで、その円の中には複雑な模様が描き込まれていた。
「困ったら裏の住所を訪ねておいで~」
「裏?」
そう言われ、持っていた紙をひっくり返して裏を見てみると印刷された文字が並んでいた。
名刺サイズの紙――と思ったら、名刺そのものの裏だったらしい。
会社名は『九谷環境調査株式会社』、そして『調査員 藤岡 祐清』とある。
「藤岡……スケキヨ?」
「そう来たかー……犬神家の一族じゃなくって『ゆうせい』と読みます」
「はあ……」
九谷環境調査株式会社。住所は廸歩の通う大学から比較的近かった。
その他に書かれている情報は、電話番号、営業時間:月~金 10:00-18:00、業務内容:環境調査全般。
……業務内容がざっくりし過ぎではないだろうか。
「あ、そこに書いてある電話番号はかけても通じないです。営業時間もあってないようなもんなんで~、まあ都合のいい時に来てねぇ」
「……は?」
「じゃあね~」
「え!?」
言っていることの意味が分からなくてぽかんと口を開けた廸歩には構わず、フードの男、改め藤岡は手をひらひら振って足早に去っていってしまった。時間がないと言っていたのは本当らしい。
しかし……通じない電話番号が書かれている名刺とはなんなのか。というかそもそも、この会社は実在するのだろうか。
(もしかしてからかわれた……?)
名刺を持ったまま迪歩が立ち尽くしていると、カーディガンのポケットに入れていたスマホがチカチカ光った。
画面に表示されていたのは瑠璃からのSNSメッセージだった。
『RURI:バイト終わりがちょっと伸びて20:30になっちゃった><』
『迪歩:了解です』
『RURI:ごめんねー><お願いします!』