48. 縁を持ったことを不運と思って
リィン、と風鈴の音がする。
この音、つい最近どこかで聞いたな……と頭の片隅で思う。
風がさやさやと木の葉を揺らす音がして、土と、青臭い緑の匂いの合間に甘い花の香りが混じっている。
「やっと繋がった!」
ぼんやりとした意識の中に、やけに嬉しそうな女性の声が響く。
「間に合いそうね、良かった」
「これがミチホか。芙遊と似て……いや、似てないな」
「あら、似てない?」
「芙遊は性格の悪さが人相に浮き出ているからな。ミチホはそうでもない」
ボフッと鈍い音がしてキィッと動物の悲鳴のような鳴き声がした。
迪歩が恐る恐る閉じていた目を開くと、今は夜だというのに眩しい陽の光が降り注いでいた。
「え……」
迪歩は、前に夢で見た、鴨と青年がいた古い屋敷の前に再び立っていた。
そして鴨と青年の代わりに、今回は同い年くらいの女性が一人立っていた。
その女性はなぜかクッションを頭上に振りかぶった形で動きを止めており、足元には狸が転がって「乱暴者め!」と喚いている。
彼女は、迪歩とよく似た顔をしていた。
――コホン
小さく咳払いした女性はクッションを後ろに投げ捨て、迪歩ににっこり微笑んだ。
彼女は迪歩とよく似た顔であるのだが、確かにさっきの……おそらく狸の言った通り、性格の違いが出ているらしくその笑顔は迪歩よりも華やかに見えた。
「迪歩ちゃん、久しぶりね。ずっと会いたかったんだけど、今の私は人間の世界からは切り離されてるせいで、こっちから呼びかけるのはちょっと大変でね」
「えーと、あの……もしかして、ふゆさん……?」
「ええ!……そうね、この年齢の姿で迪歩ちゃんと会うのは初めてだもんね。私は芙遊。元人間で、今は龍神白露の眷属であり、妻よ。……で、この茶色い毛玉は同じく眷属の佑。この毛玉の名前は覚えなくてもいいわ」
まさか、そんな、と思いつつ確認をすると、女性はあっさり頷いた。
ふゆさん。
――『元』、人間。
毛玉……もとい狸の佑は乱れた毛をつくろいながらウゥと唸った。
「そういうことを言うからお前は邪悪な顔なんだ」
「あら佑、知ってる?今、人間の世界ではジビエっていう野生動物の肉料理が流行っているのよ。狸も需要があるかもしれないわ」
ニヤニヤ笑いながら佑を見下ろす芙遊。佑は毛を逆立て、尻尾を地面に叩きつけている。
(なんか……なんか……私の知ってるふゆさんと違う……)
「……でも狸肉は臭みを取るのに手間がかかる割に旨味が少ないってことで需要は低いみたいですよ」
「そんな情報はいらん! ミチホも芙遊と同類か!」
「あはははは」
迪歩は『だからジビエブームでも狸は狙われにくいですよ』というつもりで付け足したのだが、佑はなおさらキーキーと怒り、芙遊は腹を抱えて笑い出した。
「ははは――はぁ、お腹痛い。まあ佑の肉のことはどうでもいいのよ。実は今あんまり時間がなくてね、来てもらって早々で悪いのだけど手伝ってほしいの」
「手伝い、ですか?」
「敬語なのがちょっと寂しいわ……ええと、今、そっちで白狐を名乗っていたずらをして回ってるのがいるでしょう?」
「びゃっこさん?」
「そう。アレを止めたいの……正確に言うとアレは道具として利用されてるだけだからその上の奴ね。だんだん妖術が暴走してきて、今は死者が出る寸前なのよ」
確かに、被害がエスカレートしているのではないか、という話をしたばかりだ。
今日の立体駐車場だってチカが止めていなければ被害者は飛び降りていただろう。四階建ての屋上から飛び降りれば助かる見込みは限りなく低い。その前に与田が止めた階段からの転落だって非常に危険だったはず。
「『アレ』っていうのは本当に白狐さんなんですか?」
白狐さんは稲荷神社のお狐様、つまり神様の使いである。それなのにイタズラでこんなことをするのだろうか。
神様の世界と人間の世界だと考え方が違うということは往々にしてありそうだが……そう思って首を傾げた迪歩に、佑が頭を振る。
「違う。あいつは白狐の名前を借りているだけのただの狐だ。名を『槐』という」
「ええ、細かい事情は今は割愛するけど、札幌辺りを住処にしてる狐の年寄りどもが大規模妖術を使おうとしてるの。――狐どもからしたら、人間にこの恨みを晴らさでおくべきか~って感じらしいんだけど、今ってそういう時代じゃないでしょ? 届出も出てないし出したって受理されないもの」
「と……届出?」
物の怪の世界にも時代……はあるか。
それよりも、妖術を使うのに届出が必要になるような口ぶりだが、一体誰がどこで受理するのだろうか。
「そのへんも今度説明するわ。今の札幌は、大きな妖術を使うために槐っていう若い狐が実行犯として駆け回って、小さな術を使って土地に楔を打ってる最中なの。既にいくつかはそっちの人達が阻止してるから、楔を打ち終わっても術は発動しない可能性が高いんだけど……」
芙遊はそう言って、憂いをおびた表情で片手を自分の頬にあてた。
「不完全な形で変なふうに発動しても困るし、それに実行犯にされてる槐が、術を祓われた反動やなんかでだいぶ妖気に当てられちゃっててね……助けてあげたいけど基本こっちからはそっちに手出しできないのよ。だから、私と縁のある迪歩ちゃんに代わりに動いてもらいたい! ということで今ここに呼びました」
時間がないというだけあって、芙遊は早口で一気に情報を詰め込んでくる。
迪歩の頭の中はハテナマークで溢れそうだ。
(ええと結論としては、術の完成前に実行犯のえんじゅという狐を止めろということ?……それはこちらとしても、止めたいのはやまやまだけど)
「……つまり、私はどうすれば?」
「まさに今ね、女の子が一人術に捕まってるのよ。迪歩ちゃんも知ってる子」
「捕まって……知ってる子!?」
「そうなの。でね、この間縁を作っておいてもらったから、迷い家の管理人の権限で縁を繋いで迪歩ちゃんをその女の子のいる所へ送ります。だから後はこう……いい感じに頑張って?」
「え、送る?……いい感じ?……すみません、状況がよく分からないんですけど」
「芙遊はこういう奴だ。縁を持ったことを不運と思って諦めろ」
はははっと佑が乾いた笑いをこぼす。この様子だといつもこの調子で芙遊に振り回されているのだろう。
「ええ……」
「大丈夫、なんとかなるわ」
「そんな無責任な」
「いざとなったら白露が守ってくれるわ」
「でも手出しできないってさっき……」
「はーい、じゃあ頑張ってきてね!」
迪歩が反論を言い切らないうちに芙遊に肩をぽんと叩かれる。
次の瞬間、空中に放り出されたような感覚に襲われた。
浮遊しているような、墜落しているような、そんな感覚がごちゃごちゃに襲ってきて自分の上下が分からなくなる。
「っ!!」
そして、迷い家の庭から迪歩の姿がかき消え、後にはやりきった顔の芙遊と渋面の佑だけが残された。
「……かわいそうに、急いでるとはいえ、ミチホはどう見ても混乱していたぞ。芙遊、お前嫌われるんじゃないか」
「え、迪歩ちゃんに嫌われるのは嫌だわ……ここはもう、次に来た時に狸鍋でもてなすしかないわね」
「お前という奴は……」
上下が分からない状態から、急に一方向への重力がかかる。
続いて両足が地面についた感覚――ふらついて倒れそうになるのを、たたらを踏んでなんとか踏みとどまった。
ぐるんぐるんと回る視界を、まばたきを繰り返すことでなんとか落ち着かせる。
「今度はどこなの。ここ……」
街灯に照らされた、見た感じ印象では住宅街である。薄暗いのも手伝ってはっきりとは分からないが、迪歩には見覚えのない場所だ。
周囲の住宅の窓にはポツポツと明かりが灯っているものの、人の気配は全くなく、しん、と静まり返っている。
この土地勘もない、人もいない場所で、術に捕まっているという『この間縁を作った女の子』なる人物をいい感じに頑張って探し、なおかつ『えんじゅ』も助けなければならない。
(……知ってる。これ、世の中の人は無理ゲーって呼ぶやつ)
術に捕まっているというのがどういう状態なのかもわからない。せめてもう少しヒントが欲しかった。
だが、放り出されてしまった以上、動かねば何もできない。
なんとなくこっちかな? という方向に向かって足を一歩踏み出し――
「いったぁ……」
足裏に小石が刺さった。
そういえば、自室から急に飛ばされてきた迪歩は裸足である。アスファルトの微かな温みが肌に直接伝わってくる。
服装は部屋着にしているパイル地のワンピースとショートパンツ。――部屋着だからと油断して、首元のダルダルになったTシャツではなかったのはせめてもの救いだ。
「でもふゆさん……できれば靴を履かせて欲しかった……」
途方に暮れた迪歩の呻きに、答える声はなかった。




