47. 鍵
気絶した少女は揺すっても起きなかった。
しかし与田によれば呼吸は安定しているしおそらく術の影響だろう……ということでとりあえず屋上から下に降ろし、車の後部座席に横たわらせて少し様子見をすることになった。
少女をおぶって下に降りた与田は、彼女を車に乗せた後すぐに「術の痕跡を確認する」と言って再び屋上へ戻っていった。下に残った迪歩はチカから事情聴取だ。
「えっとね、この子がちょっとコンビニ行ってくるって言うから待ってたんだけど、全然戻ってこなかったから皆で探してたんだ。……で、たまたまここの立駐の階段登ってくところを見つけて追いかけたんだけど」
チカは階段を登っていく彼女を追いかけながら何度も呼びかけたのだが、彼女はうつろな目のまま反応せず登っていってしまった。
そして、屋上につくなり柵を乗り越えようとし始めたのだ。
チカは慌てて引っ張って止めようとしたが予想外に強い力で振り払われてしまったので、やむを得ず頸部圧迫で気絶させたらしい。
「そんで、ひとまずここから降ろさなきゃ~って思ってたところに人の声が聞こえて、下見たらチホがいたの。私ひとりじゃ流石に降ろせなかったから助かったわ」
ハムスター経由でもるもるにチカたちの姿を確認してもらったところ、別空間に入っていった女の子二人は確かにチカとその友人のことだったらしい。
つまり、被害に合うはずだった友人をチカが引き止めたことになるのだが、そのチカがなぜ別空間に入れたのかは分からない。チカ自身も「ただ追いかけただけ」という認識だった。
「ていうか、ほんとに起きないけど大丈夫かな。絞め技なんて普段使わないからやりすぎちゃったかもしれない……」
術の影響で起きないというのは一応伝えてあるが、やはり不安なのだろう。
チカがしょんぼりしながら後部座席に横たわる友達の頬をペチペチと軽く叩くものの、彼女のまぶたは開かなかった。
「特になにも残ってなかった。綺麗サッパリ」
そこへ、屋上を確認してきた与田が戻ってきた。何故か彼の頭の上に乗っかっているハムスターもそれに頷く。
とりあえず、この場所のお告げはクリアしたということらしい。
「……迪歩ちゃん、なんで上見てんの?……もしかして俺の頭の上になんかいる?」
「ハムスターがいますね」
「くそ、人を勝手に乗り物にしたな」
もるもるの眷属のハムスターは一時的になら周囲の人に姿を見せることができるらしいのだが、通常時は一部の視える人にしか視えない。
迪歩は基本的に常時視えるので、与田が分かっていて乗っけているのかと思っていたのだが……どうも視えないモードのまま勝手に乗っかっているらしい。ハムスターはくつろいだ様子であくびをした後、くっと伸びをする。かわいい。
「あの、与田さん、でしたっけ……この子、いつになったら術とやらが解けるんでしょうか」
チカが友達の頬を突きながら与田を見上げる。
今日の彼女の服装コンセプトは『避暑地のお嬢様』なので、そうやって上目遣いに見上げる仕草は非常に可憐に見える。
若干与田がデレデレしているように見えるのは気のせいではないだろう。
「んじゃあ、妹ちゃんちょっとそこどいてくれる? お友達起こすからさ」
「あ、はい」
チカが場所を開けた後部座席のドア前に膝を突いた与田が、ポケットから透明な液体の入った小瓶を取り出す。そしてその液体を指につけ、少女の額になにかの文字のような図形を書き始めた。
「その液体、何ですか」
「ん? 水。ふつーの水道水」
首を傾げた迪歩に、与田は振り向くことなく答えた。
「水道水?」
「本当はなんかオキヨメした水とかのがカッコついていいんだろうけど、いちいち用意してらんないからさ」
「なんか藤岡さんもそんなノリでしたけど、そういうのって格好がつくつかないの問題なんですか?」
「まー、厳密には違うんだろうけど、これでも効果がないわけじゃないんだよね。それなら手軽な方がいいしょ」
「確かに……」
与田は迪歩の質問に軽く答えながら図形を書き終えると、呪文のような聞き慣れない言葉をいくつかつぶやいた。
その言葉が終わると同時に、水で書いた図形が一瞬で蒸発して消えた。
直後、固く閉ざされていた少女のまぶたが少し震え、身動ぎした。
「う……ぅ?……あれ?」
「与田さんすごい! 美奈、大丈夫? 痛いとこない?」
「え、痛いとこ? え? え? この人達は? あれ、私……なんか夢見てた?」
目覚めた少女(美奈というらしい)は体を起こすと戸惑ったように周りをキョロキョロと見回した。
「美奈、急にいなくなったんだよ。やっと見つけたと思ったら例のお告げの駐車場に入っていっちゃうし、しかも飛び降りようとして大変だったんだよ」
「は? 飛び降り?……え、待って待って、よく思い出せないんだけど……てかここ『おつげ』の写真のとこじゃん!? 私自分でここ来たの!?」
「そうだよ」
「こわ! なにそれ怖!! それに飛び降りってマジで!?……ええ……もしかしてまた引っ張られたりしちゃうの? ちょ……チカ私の腕掴んどいて? また勝手に歩いてったら殴って止めてっ!?」
状況を把握するにつれて勢いを増す美奈のマシンガントークに、「女子高生の勢い怖えぇ……」とつぶやきながら与田が迪歩の隣に避難してきた。
おそらく恐怖と混乱からハイになっている美奈の背中をチカが擦りながら「どうどう」と声をかけている。暴れ馬扱いである。
「あの、多分もう大丈夫です。今まで『おつげ』の場所で二回以上被害にあった人はいませんから」
横から迪歩が声をかけると、美奈はぽかんとした顔で迪歩を見上げ――
「え? 誰この美人。ちょっとチカに似てる?」
「え、ほんと? 初めて似てるって言われた~。あの人ウチの姉です」
「は? 美人姉妹かよ! はじめましてチカの友達の美奈です!!」
「あ……はじめまして、妹がお世話になってま……」
「丁寧! チカとタイプ違う!」
「それはよく言われる~」
でしょ!? とチカと美奈が笑う。それを見ながら迪歩はジリッと後ろに下がって、与田にだけ聞こえる声でつぶやいた。
「……女子高生の勢いこっわ……」
「だよな……」
***
自分の体が勝手に飛び降りをしようとした、という超常現象を、美奈は話のネタに使えるとあっさり受け入れた。さすがはチカの友人である。
そして、まだ間に合うからライブへ行くと美奈が言い出したため、女子高生二人を車でライブハウスまで送り、九環の事務所に戻ったのは十九時過ぎだった。
出かけたのは十七時ごろだったので、なんだかんだ二時間近く彼女たちの相手をしていたのだ。
「めっちゃ疲れた……」
事務所に戻るなり、与田はふらふらといつもの定位置へと向かっていった。
「すみません、うちの妹とその友人が……」
「お疲れー。与田くん女子高生と触れ合えて喜んでるかと思ったのに、意外」
「あれは女子高生っていうよりマシンガンだよ……」
真琴の言葉に遠い目で返事をする与田の頭の上からハムスターが飛び降り、もるもるの前で挨拶をするように片手を上げて姿を消した。命じられていた役目が済んだので自分の住処へ帰ったらしい。
「迪歩ちゃんの妹さんに会ったんでしょ? どんな子?」
「すげえ美人。なんか儚げな雰囲気なのに割と性格がワイルドだよな?」
「ああ、今日の性格は素に近かったですね。あの子、見た目も性格も日替わりでコロコロ変わるので……」
え? と、迪歩の言葉に真琴と与田が固まる。
「日替わり?」
「はい。昨日は男の子の格好をしてましたし。――翼くんが会ってるので聞いてみるといいですよ。ああでも昨日も性格はほぼ素でしたね」
「性格も変わるの?」
「ロールプレイングというか、その日のファッションに寄せるので……ゴテゴテの黒ロリのときなんかは『漆黒の宴がなんちゃら~』みたいなことばっかり言って会話が成り立たなくなっちゃうので困るんですけど」
「やっぱ女子高生怖えぇ……」
ドン引きしている与田に迪歩は苦笑する。
「今日のあの二人は特殊事例だと思いますけど……それよりも、なんでチカはあの場所に入れたんでしょうね。もるもる、なにか分かります?」
「ぷくぷく……」
「よく分かんないって。もしかしたら迪歩ちゃんが守護を受けてたみたいに妹さんも守られてるのかもね」
「ああ、それはあるかもしれないですね……」
ふゆとチカの間に交流はほとんどないが、姉妹を二人共守っていたと考えても不思議はない。というか、むしろそのほうが自然だ。
「しっかし、特に決定的な対処法もないまま、判明してるお告げはあと二つ……犯人の目的も分からずじまいってことか」
与田のつぶやきに全員がため息を吐く。外はもう真っ暗になっていた。
***
チカが道歩の部屋に帰ってきたのは二十二時を過ぎた頃だった。
まるで飛び降りのことなどなかったかのようにご機嫌な様子で帰ってきた妹に、迪歩は再びため息を吐いた。
「ため息吐くと幸せが逃げるよ?」
「ため息はストレス緩和に効果的なんです。友達の……美奈さんだっけ、あの後様子おかしいとかいうことはなかった?」
「特に気になるようなことはなかったなぁ……本当に、自分で歩いてったことは覚えてないみたいだったよ。昨日のお守り画像を保存してなかったから、これからしばらく壁紙にしとくって言ってたよ」
――そう。
画像が届いていても、表示してくれないと意味がないのだ。この後の二件の被害者がちゃんと活用してくれることを願うばかりである。
「チカは怪我とかしてないの? ヒールのある靴で走ったでしょ?」
「そんなやわじゃないって。ヒールは折れたけどね……あ、そうだ」
話しながらなにかを思い出したらしく、チカはおもむろに自分の鞄の中をあさり始めた。しばらく漁って「これこれ」と取りだしたのは一本の古い鍵だった。
「チホにあげる。失くさないように財布に入れてたんだけど、なんかすっかり忘れててさ。ヒールくっつけるために接着剤買った時に財布から出てきて思い出した」
「……これ、何の鍵?」
「多分昔壊されたウチの離れの鍵だと思う。なんか急にチホに渡さなきゃって思ったんだよね」
「ふゆさんの……」
渡された鍵はところどころ錆びついている。何の変哲もない金属の鍵である。
「これ貰うのはいいけど……どうしたらいいの?」
「え……分かんない……」
チカが困った顔をする。だが、そんな顔をされても迪歩だって困る。まあ、いつもの勘だとは思うので一応受け取っておく。
「とりあえずお風呂入ってきなよ。疲れたでしょ」
「うん、そうするー」
チカが風呂場に向かうのを脇目に、迪歩は鍵を改めてじっくり観察する。
離れは元々倉庫だった場所を人が暮らせるように作り変えたらしいので、普通の住宅用の鍵とは少し違う形だ。
頑張ればレトロなアンティーク風だと言えなくもない。
何気なく電気の光にかざしてみると、どこからともなくふわっと甘い花の香がした。
「ねえチホ、シャンプーがなくなりそうだけど……あれ?」
チカが風呂場から出てきた時、部屋の中に迪歩の姿はなかった。




