44. トマトとほうれん草
どうしてこうなった。
今の迪歩の状況を一言で表すならこの言葉しかない。
なぜ自分は、ややロリータ系の(略)ファッションで、椿兄妹とテーブルを囲んでいるのだろう。しかも隣に座っているのは男装している妹である。
しかし、チカが何故か会食を強行したのは彼女なりの理由があるらしい。
彼女は迪歩のような見鬼ではないが、視えたり引き寄せたりしない代わりに妙に勘の鋭いところがあるのだ。
これまでの経験上、彼女が『必要』と強く主張するものは必ず巡り巡って重要な意味を持ってくる。だから今回もそれだとは思う。のだが……。
白いブラウスを着せられているのに、連れてこられたのはトマト料理メインのイタリアンバル。
メニューの大半がトマトソースを使用している。
詰んだ。いやがらせだろうか。
「チカ、着替えたい」
「だめー。諦めなよ。可愛いって」
「いや、だってこの服……」
「そうですよ、すごく似合ってると思います!」
「……ありがとうございます」
明らかに面白がっているチカの、向かいに座る詩織が一生懸命褒めてくれる。悪意なく、気を遣ってくれている感じが胸に刺さる。
言動がしっかりしているので大人びて見えるが、彼女は今中学生のはずだ。
(中学生に気を使われる私って……)
情けなさにうなだれて席に体を沈ませる。
そして、注文用の端末を使って気になったメニューを端から頼んでいくチカと、その注文数の多さに恐れをなしてやんわり止めようとする椿兄妹の攻防を眺めた。しばらく静観していたのだが、特に詩織がひどく困っているようだったので、迪歩はチカの持っていた端末を取り上げてストップをかけた。
量的にも、金額的にも、普通の人からしたらすでに恐怖の注文数になっている。
「とりあえずそこでストップ。でも詩織ちゃん、大丈夫です。この人すごい食べるから。支払いもチカだし」
「いや、ちゃんと払うよ。割り勘でいい」
迪歩の言葉に翼が慌ててそう言うが、迪歩は首を振った。
「割り勘とかバカバカしくなるくらい食べるから気にしないで。チカ、どうせ叔父さんからもお小遣い貰ってるんでしょ?」
「うん。大会で二位だったからご褒美に貰った」
ニッとチカが笑った。
起業した会社が軌道に乗っている叔父はチカを金銭的に甘やかし過ぎる傾向にある。今度釘を刺しておこう……と密かに誓う。
その辺の事情を知る由もない椿兄妹からしたら、チカの金銭感覚はちょっと信じられないレベルかも知れない。高校生が何らかの大会で二位になってお小遣い――といっても、こういうお店で爆食するとなったら結構な金額だ。
「大会って、何の大会ですか?」
「空手ー。で、叔父さんが格闘技マニアで、大会で勝つとお小遣いくれるんです。だから今だいぶリッチなんだ~」
「二位って……もしや全国?」
「そう」
「え、めちゃくちゃすごいじゃないですか!」
「えへへ、ありがとう~。でもまあ言っちゃえばそういうあぶく銭みたいなものだから、そういうお小遣いはいつもチホのところでパァッと使うことにしてるんだ」
あぶく銭という言い方は違う気もするが。それにしても、廸歩のところでわざと使っているというのは初耳だった。
「……そうなの?」
「そうだよ。皆なにかしてあげたいって思っててもチホ全然帰ってこないし。叔父さんたちだってそういう意味もあっていつも多めにくれてるんだよ」
「あー、それはすみません……」
ふゆの守護の件もあるし、そろそろ一度帰るべきかもしれない。――が、祖父の顔を思い出して胃の辺りが痛くなる。
思わず眉間にシワを寄せた迪歩に、考えていることが分かったらしいチカが苦笑いを浮かべた。
「まあとにかく食べよう。チホってば普段ろくなもの食べてないんだからちゃんと栄養摂りな?」
「迪歩さん、ちゃんと食べてないの?」
「食べてますよ? お米も野菜も……」
「米とじゃがいもとか、豆腐とじゃがいもとかじゃん。赤や緑のものを食べなさい」
「迪歩さん……」
翼が困った子を見るような目を向けてくる。
そういえば彼は両親の再婚前、いつも家で料理をしていたと言っていたし母親は看護師だ。きっと栄養バランスにも気を遣っていたのだろう。
「う……じゃあトマトとほうれん草も食べるようにします……」
「……そういうことじゃなくて」
***
その後、チカと翼、更に最近授業で栄養バランスについて習ったという詩織も加わって、バランスの取れた食生活について滔々とお説教されながらバランス良くまんべんなく料理を摂取させられた。
「お腹いっぱいなのに食べた気がしない……」
店から出て迪歩がボソッと愚痴ると、隣にいた翼が苦笑する。
「ごめん、流石に口出しせずにはいられなかった。――迪歩さん食が細いなとは思ってたけど、さすがに心配になるレベルなんだもん」
「すみません……」
しょんぼりと肩を落とし、迪歩は前を歩く二人に視線を向けた。
詩織とチカはファッション関係で話が合ったらしく、仲良く話しながら前の方を歩いている。
「そういえば聞いた? お告げのあった場所で自転車事故があったって」
前の二人にこちらの会話は聞こえないとは思うが、少し声を潜めた。
「うん。祐清さんから連絡きた。俺も詩織ちゃんも写真の場所に近づかないようにって」
「二人共お告げ受けてるもんね……」
「俺はなんとかなるかもしれないけど、詩織ちゃんは心配だからね。今日も夕方から一人で買い物に行こうとするから無理やりついてきたんだけどさ」
「まあ、お告げがなくても普通に暗くなったら一人歩きは心配だね」
「そう。でも、ついてきたおかげで迪歩さんのそういう格好見られたし、ラッキーだった」
そういう格好。
栄養バランスとりつつ、白いブラウスを汚さないように食事するのに必死で失念してたのだが、今の自分は微ロリファッションだ。
「うっ……ちょっと忘れてた……こういう可愛い服、私には似合わないのに……」
普段はチカがクローゼットに詰め込んだ服の中からなるべく地味なものを引っ張り出して組み合わせて着ているので、レモンイエローという明るい色だけでも抵抗がある。ペチコートでボリュームを付けたひらひらのスカートも落ち着かない。
「似合うし、可愛いよ」
独り言のようにつぶやかれたその言葉に思わず隣を見上げると、つい、と顔ごと目をそらされた。
「……からかってますか?」
「……からかってないです。今日の服似合ってるし、俺は普段の格好だって可愛いと思ってるし迪歩さんはいつだって可愛いよ」
顔はこちらに向けてくれたものの、やはり微妙に目はそらしたまま畳み掛けるように続ける。
一瞬ポカン、として、一拍置いてからやっと頭の中に意味が入ってきた。
ガッと血が体中を巡りだし、心臓がバクバクしているのが分かる。
いきなり血が巡ったせいで頭がクラリとした上に、足元をちゃんと見ていなかったので段差に引っかかって少しよろけてしまう。
あ、と思った次の瞬間には翼に腕を掴まれて支えられていた。
当たり前といえば当たり前だが、手の大きさも、力の強さも男性のものだ。
(今が、夜で良かった……)
多分今の迪歩は、ちょっと人に見せられないくらい真っ赤になっているはずだ。
「大丈夫?」
「ごめ……大丈夫……えと、お世辞でも普段褒められ慣れてないので……」
今度は迪歩が目をそらし、しどろもどろになって言葉を探す。
そんな迪歩の様子に、翼は気が抜けたように苦笑した。
「お世辞じゃないよ……迪歩さんは褒められてないんじゃなくて、褒められても気付いてないか、自分でなかったことにして忘れちゃうんじゃないかな」
「そん……なこと、ないと思う……よ?」
「うーん、受け手の自己評価上げるところからかぁ……」
火照った顔をなんとか冷まそうと努力を続けていた迪歩の耳に、道のりが長そうだなぁ……という翼のため息は届かなかった。




