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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の章
37/87

37. タイサンボク

 リィン、と風鈴の音がする。


 気が付くと、廸歩(みちほ)は見覚えのない建物の前に立っていた。

 建物も庭もきれいに手入れされており、立派な和風のお屋敷だが、人のいるような気配はまったくしない。

 周囲はぐるりと木に囲まれており、近隣にほかの建物がある様子はない。林の中に屋敷が一軒だけポツンと建っているのだ。

 庭にはタイサンボクが大輪の白い花をほころばせて甘い香りを漂わせている。


(ここ、どこだろう)


 記憶の中をたどってみてもこんなお屋敷に見覚えはなかったし、今自分がここに立っている理由もわからない。

 ここに来るまでに通った道をたどれば人のいる場所につくかもしれない、と思って後ろを振り返ってみても道らしきものはなく、ただ林があるだけだった。


(多分これは夢だろうな)


 廸歩は夢を覚えていたり、夢の中で自由に動いたりできるタイプではないので、夢であると自分で認識できるのは珍しい。

 ならば、せっかくだから歩き回ってみよう。

 そう決めて庭のほうへ足を向けた。

 立派なお屋敷に興味はあったが、夢の中であろうと勝手に建物内に入るのは気が引けたからである。 


「……」


 ヒイラギ、クチナシ、沈丁花……みかんの木。

 庭木を見ながら歩いているとどこかから話し声が聞こえた気がして、廸歩はギクリと顔を上げた。

 誰もいないのかと思っていたが、奥のほうにいたらしい。

 別に悪いことはしていないのだが、敷地内に入り込んでしまったのはまずかっただろうか。


(玄関のほうに戻るべき? それとも、ひとまず身を隠して相手の出方を窺ってからのほうが……)


 廸歩が足を止めて迷っている間に、がらりと戸の開く音がした。――意外と近くだ。裏口があるのか、縁側の窓を開けたのだろう。


「では、出直すよ」


 男の声が聞こえた。そして草を踏む音が聞こえはじめる。

 先程の声の雰囲気からして中高年の男性ではないかと思うのだが、聞こえる足音は、てとてとてと……とやけに軽い。

 廸歩が困惑している間にも足音はどんどん近づいてきて、やがて目の前――というよりも足下――に一羽の鳥が現れた。

 

「カルガモ……?」

「おや、もう用事は済んだのかい?」


 鴨だ。人に良く慣れている。ペットだろうか。

 だが、食用や愛玩用で飼育されているアイガモではなく、よく湖などで見かける野鳥のカルガモである。

 野鳥であっても、飼育許可を取れば一応飼育はできるが……。

 いや、そうじゃない。いくら人に慣れたペットであろうと、鴨は人語を話さない。

 しかしカルガモは混乱する迪歩に構わず、流暢に言葉を続けた。


「ん? おやおや、お嬢ちゃんは……」

「おや、誰か来たと思ったら迪歩じゃないか」


 喋る鴨に気を取られているところに、突然真後ろから若い男の声が聞こえた。


「……」

「驚かせようと思ったのに驚かなかったな」


 いきなり名前を呼ばれて驚きのあまり一瞬固まったものの、持ち前の無表情のおかげで伝わらなかったらしい。

 振り返ると、中性的な美青年が立っていた。年の頃は廸歩と同じか、少し上くらいだろうか。若い男のように見えるが、漂う雰囲気がだいぶ人間離れしているので、ヒトではなさそうだ――と、ちらりと思う。

 本能的に「ここから逃げ出したい」とおののく気持ちと、その姿が見られることに歓喜する気持ちが自分の中でごちゃまぜになっている。


(私とは次元が違う。畏れ敬う対象……っていう感じ)


 さすがにここまで強烈な印象の相手ならば一度見たら忘れないはずだが、あいにくと全く見覚えがない。

 だが、そういえばここは夢の中だ。鴨が喋ろうが、ヒトでなかろうが、あちらがこちらのことを知っていようがおかしくはないのだ。


 「♪~♪、 ♪~」


 遠くからアラームの音が聞こえる。多分そろそろ目が覚めるのだ。


「ああ、少し待ちなさい」


 廸歩が目覚めることを感じ取ったらしい青年が、すっと手を伸ばして低いところにあったタイサンボクの花を一つもぎ取った。


「手を」


 そして動けずにいる廸歩の手を取り、手のひらにふわりとその花を置いた。両手を覆うほど大きな花だ。


「あの、これは……」

「ないよりはまし程度だが、これが君を守るだろう。今度はゆっくり遊びにおいで」


 にこりと優しく微笑む、その青年の姿も、鴨も、屋敷も、光の中に消えた。



***



 薄暗い部屋の中、手探りでスマホを探り当てて鳴り続けるアラームを止める。

 変な夢を見た。心臓がバクバクしている。

 見た夢など、いつもだったら起きた瞬間にほぼ忘れてしまうのに、今日の夢は細部まで思い出せる。――手のひらに載せられた花の感触まで。

 しかし両手を見てみても、当然そこに花など載っていなかった。

 

 カーテンを開けると夏の日差しが差し込んできて、迪歩は顔をしかめる。

 迪歩が九谷(くたに)環境調査(株)、通称『九環(きゅうかん)』にアルバイトとして出入りするようになって、一ヶ月。

 九環は表向きは水質調査や大気調査などの環境調査会社なのだが、実は調査は調査でも、主に行っているのは心霊現象の調査である。

 なんとなく流れでアルバイトをすることになったものの、心霊現象の調査業務ってそんなに何件も舞い込むものなのかなぁ……と思っていたのが一ヶ月前。

 だがいざ蓋を開けてみれば、とんでもなく忙しい――とまではいかないが、藤岡が「常に人手不足」と言っていたのが頷ける程度には忙しそうだった。

 要は、競合他社がほとんどないので依頼が集中するのだ。


「暑……」


 廸歩がアルバイトを始めた頃はまだ涼しさの残る初夏だったものの、今は七月。季節はすっかり夏だ。

 夏といっても、蒸し風呂のような迪歩の地元とは違い、札幌は気温も湿度も低いため非常に過ごしやすい。……しかし、人間というのは良くも悪くも環境に適応するもので、札幌二年目の迪歩はすっかり暑さに弱くなっていた。おそらくもう本州の夏には耐えられないと半ば本気で思っている。


 ――そしてここで1つ深刻な問題がある。


 札幌は夏が過ごしやすいがゆえに、恐ろしいことに賃貸にはたいていエアコンが付いていない。つまり、いくら過ごしやすいとはいえ気温の上がる日中は自宅にいると暑いのだ。

 ……というわけで、迪歩はエアコン目当てに大学へ行き、放課後は九環に入りびたる生活をしていた。当然、休日であれば朝から九環だ。


「おー、迪歩ちゃんやっほー」

「おはようございます」


 事務所に入るなり、ソファにひっくり返って雑誌を読んでいた与田(よだ)に声をかけられた。

 与田龍太郎(よだりゅうたろう)。茶髪でお調子者、翼とよくじゃれている……というか一方的に翼を構いすぎてよくキレられている。藤岡の大学時代の後輩らしい。

 そして事務所が散らかっているのは大体この人の仕業だ。今もソファ周辺にゴミが散らかっている。

 本日は日曜日なので本来九環はお休みなのだが、夏場は基本的に休日でも人が多い。理由はみんな迪歩と同じく事務所の冷房目当てだ。

 特に与田は朝も夜も大体ここにいる。ここにいないのは文句を言いながら外で仕事をするときと近所のコンビニに行くときくらい。

 事務所なら散らかしても誰かが片付けてくれるというのも理由の1つらしい。彼の自宅は足の踏み場がないそうだ。


 そんな本日の事務所内人口は五名。

 迪歩、与田、真琴(+もるもる)、翼、そしてもうひとり、真柴浩一(ましばこういち)


 真柴はメガネが似合う穏やかな雰囲気の男性である。

 よく一緒に行動している与田と同じくらいの年齢(与田は二十六歳だそうだ)だと思っていたのに、中学生の娘が二人いるというのでびっくりして年齢を聞いたら四十三歳だったという驚異の若見え。そして子煩悩でスマホの背景画像が娘たちの小学校時代の写真である。

 ――それを知らなかった頃の迪歩が、その画面をちらりと見たときに「幼女趣味……?」と思ったのは内緒だ。

 彼は三年前まで学習塾の講師として大学受験対策講座を担当していたそうで、時間があるときに翼の勉強を見ている。

 なぜ塾講師からこんな職業に……と聞いたところ、勤めていた学習塾が潰れたとき、元教え子の紹介で九環を知ってこちらへ来たそうだ。

 塾講師にこの会社を紹介する教え子というのもなかなか謎の存在だが、「塾や学校ってそういう話には事欠かないからね。特に受験生を相手にしてると色々ね……」ということなので色々あったらしい。

 迪歩の通う大学も、どこそこに自殺した学生が()()とかいう話を――真偽はともかく――よく聞くので、まあそういうことだろう。


 本日迪歩は事務所で涼みつつ、藤岡から教わった能力制御や魔除け方法のおさらいをして過ごしていた。

 真琴は読書、翼は勉強、真柴は報告書をまとめながらたまに翼の勉強を見ている。与田はソファにうつ伏せたまましばらく動いていないので、多分寝ている。


「じゃあもるもる先生、お願いします」

「きゅ」


 さて、魔除け方法のおさらいだ。

 練習に付き合ってくれるのはモルモット型精霊のもるもるである。

 もるもるがちょこちょことミーティングテーブル上を廸歩に向かって歩いてくる。そのもるもると自分の間に視えない壁があるイメージをしながら、空中に指で横にまっすぐ線を引く。


「ぷ」


 歩いていたもるもるが見えない壁に阻まれて足を止めた。これは成功。


「お、迪歩ちゃんうまくなったねー」

「ありがとうございます。……まだ成功率七割くらいですけどね」


 真琴は褒めてくれるが、まだ失敗することも多い。

 今練習しているのは霊的なものと自分の間に線を引いて近づけないようにする、という簡単な結界術だ。失敗してもるもるが迪歩の手元まで来たらおやつを与えるシステムになっているので、手伝ってくれているもるもるの士気は非常に高い。


「きゅっ」


 見えない壁に手をついて立ち上がっていたもるもるが、壁が消えたことで支えを失って前方にペションと倒れる。今の所、結界の維持時間は十から二十秒程度。藤岡だと一分くらいは保つらしい。ただし、逆に言うと熟練してもそのくらいなので、あくまでも緊急回避のための術なのである。


 藤岡の話では、迪歩は非常に霊的なものを引きつけやすい体質らしい。

 幽霊から物の怪まで、有害無害を問わず引きつけてしまうため、危険なものからは自力で身を守る必要がある。

 今の所は藤岡が用意したお守りのコインを常に三枚持ち歩いているのだが、あまりに霊に好かれすぎて週イチペースでコインを一枚、二枚砕いたりへし折ったりしてしまい、さすがの藤岡も乾いた笑いを漏らしていた。

 そのため、せめてこの簡易結界くらいは十割打率で成功させないと危なすぎて現場デビューはできないと言われている。


「もるもる先生、もう一回お願いします」

「ぷ!」


 と、その時、ブブブブ、と数回連続してスマホのバイブが鳴動した。

 迪歩は自分のスマホ画面をチェックするが特に着信はなし。


「あ、俺のだ」


 翼が脇においていたスマホを手に取り、画面を開いて動きを止める。


「……なんだこれ」

「どうした?」


 そばにいた真柴が聞くと、翼が自分のスマホの画面を見せた。それを見た真柴は首を傾げる。


「これ、送信者は知り合いか?」

「クラスのSNSグループだけど、見覚えはないな……誰かのサブアカかな」

「私も見ていい?」


 真琴と迪歩も画面を見せてもらう。

 そこにはどこかの交差点の写真と、続けて一言。


『byakko-san:おつげです』

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