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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の見習いの章
28/87

28. 幕間:猫のいる喫茶店(翼視点)

翼視点で本編より少し前の話です。

この次からふゆさんのお話を少し挟んで、廸歩の話に戻ります。

 コーヒー好きの友人、上田が通っている喫茶店にたまに一緒についていくことがあった。

 頻度としては月に二、三回。本当に気が向いたらついていく程度。

 翼自身は特にコーヒーが好きなわけではない。ただ、その店にはいつも一匹の猫がいたので、その猫が目当てで通っていた。


 店の名前は「モカ」。

 オーナーの愛猫の名前を店名にしたのだと上田が言っていた。

 店のカウンターに猫の『モカ』の写真が何枚も貼ってあるが、どれも色あせて時代を感じさせる。写真の隅に記された日付はもう二十年以上昔のもので、被写体の猫がすでにこの世にいないことを伝えていた。

 ――でも。

 いつも店内をうろついている猫はその写真(モカ)と全く同じ姿をしていた。

 そして、翼が知っている範囲では自分以外の誰にもその姿は見えていなかった。

 たまに、気配を感じるのか、(モカ)がそばを通ったときに不思議そうな顔でキョロキョロと周りを見回す人がいるな、という程度。

 オーナーの愛猫が、愛着のあるこの店から離れられずにいるのだろう、と翼は思っている。


 (モカ)がよくいる場所はカウンターの上で、オーナーの姿がよく見える位置。

 (モカ)がオーナーからとても大事にされていて、そして(モカ)もオーナーのことが大好きなのだとわかる、その光景を眺めるのが好きだった。


 翼は無類の動物好きだが、今まで一度もペットを飼ったことがなかった。

 父を早くに亡くし、看護師として働く母は、勤務時間が長くて十分な世話をしてあげられないという理由でペットを飼うことに反対した。翼も母に負担がかかることは望んでいなかったので我慢した。

 母が再婚した今は在宅で仕事をしている義父がいる――のだが、彼は見事なまでの動物アレルギー体質だったため、結局家でペットを飼うという夢は未だに果たされずにいる。


 触れ合うことこそできないが、自宅に毛を持ち帰ってしまう恐れがない、実体を持たない(モカ)は九環のもるもるに次ぐ理想の動物だった。


「新しいバイトの人がすげえ美人なんだよ!」


 その日教室に入ると、朝から友人たちがモカに入った新しいアルバイトの話でざわついていた。

 上田曰く『クールビューティー』だという。

 美人だけど笑わない。そして話しかけても最低限の返事しかしない。ただ所作が非常に綺麗で丁寧だ、ということで常連のお年寄りにも好評なのだと熱く語られた。


「へえ……」


 あまり興味がなくて生返事をする翼に、友人たちが信じられないものを見るような目を向けた。


「もうちょっと興味持てよ。お前健全な男子高生だろ?」

「モテるやつは美人アルバイトぐらいでは浮つかないってことか……!?」

「もしかして年齢が不満か? 熟女か? 幼女か?……さては彼女ができたのか?」

「彼女といえば翼、昨日一年のかわいい子に告られたんだって? OKしたの?」


 それを言われて翼は顔を顰める。

 確かに昨日、帰ろうとしていたところを呼び止められて交際を申し込まれた。――が、そのとき周りに人はいなかった……はずである。


「……どこ情報だよそれ」

「本人が告白するって意気込んでたって部活の後輩が言ってた」


 漏洩元が本人か……断ったことも話題になってそうだな……。

 翼はうんざりした気分になる。


「一度も話したことないし名前も知らなかった相手に告白されたって、OKするわけないじゃんか」

「うわ俺もそんなこと言ってみてぇー!!」

「まあそうだよな。名前も知らないレベルだとちょっと怖いな」

「え? でもその子ってさー……」


 その一年のかわいい子は、どうも入学時に美少女が入ってきたと話題になっていた人物で、学内ではそれなりに有名人だったらしい。

 その日以降、『古原(こはら)先輩』は『○○さん(高橋?広崎?よく覚えていない)』を振った人物として一年の間で噂になっていると聞かされ、『古原先輩』こと翼はまたうんざりしたのだ。


 それから何日かしてモカに行くと、確かに美人のバイトの人がいた。

 が、現状一年女子を振ったせいでの噂の的になっている翼としては、正直女性に関わりたくない。ただ(モカ)を見て癒やされたい一心で上田についてきたのだ。


 ――しかし、その日の(モカ)はいつもと少し様子が違った。

 新しいバイトに興味津々らしく、なにかとちょっかいをかけていたのだ。

 始めは、幽霊でも新しいものは珍しいんだな……となんとなく見ていた翼だが、しばらく見ていると違和感を覚えるようになった。


 バイトの人がテーブルを拭いていると、その布巾に(モカ)がじゃれつく。

 じゃれつくと言っても実体があるわけではないので、爪が引っかかったりはしない。通常だったらそのままテーブルを拭き上げておしまい……のはずなのに、彼女はふと手を止め、困ったように少し首を傾げた。

 そして指でテーブルの端を軽くとんとんと叩いて、その動きに(モカ)が気を取られた隙に素早く布巾を持ち上げた。


(今の、完全に視えてるよな……?)


 それからなんとなくそのバイトの人の動きを気にするようになった。

 彼女はカウンター上の(モカ)お気に入りの場所には絶対に物を置かない。なにかが置いてあるときはさり気なくどける。

 手が空くとわざと(モカ)の側ではたきを振ってじゃれつかせたりする。


 それでも翼は店に通う頻度を上げることも、自分から声をかけることもしなかった。だから、彼女が本当に視える人なのか本人に確認することはできなかった。それどころか、彼女の名前すら知らないまま時間だけが過ぎていった。


「今井さん、ちょっとおいで」

「何でしょうか」

「はい、口開けて」


 オーナーがバイトの人――今井さんというらしい――を呼び寄せ、その口にさっとなにかを放り込む。


「美味しいジャム貰ったから作ってみたんだけど、どう?」

「おいひいです」

「今井さんは美味しそうに食べてくれるから作りがいあるわぁ」


 いつもの淡々とした表情が嘘みたいに、花がほころぶように幸せそうに笑ったその笑顔が、一瞬で脳裏に焼き付いてしまった。

 そのあとお客さんに呼ばれ、すぐにいつもの彼女に戻ってしまったことが残念でならない一方で、その笑顔が他の人達の目に入らなくて良かった、と考えた自分に戸惑った。


 その淡すぎる片思いはあっけなく終わった。

 次に翼がモカへ行ったとき、『今井さん』はすでにバイトを辞めていたからだ。

 代わりに、前からいたにぎやかな由依が戻ってきていた。

 そもそも、彼女が夏休みにサークルで行ったアスレチックではしゃぎすぎて骨折して、治るまでの間の代役を引き受けていたのが『今井さん』だったらしい。


 カウンター上の(モカ)お気に入りの場所には洗い終わったカップが並べられていた。




 なんとなく、めったに会えない『視える人』だから惹かれたのだと思っていた。それは単なるシンパシーであって、本物の恋愛感情ではないのだと。


 でも違う。それもないわけじゃないけど。

 自分の大事にしたいものを、同じように大事にしてくれる人だったから好きになったんだ。

 人を好きになるというのはこういうことなのか、と初めて思い知った。


 結局の所、翼が知っている彼女の情報は、現バイトである由依の大学の友達の『今井さん』という名前だけ。

 もちろん由依に聞けば色々知ることはできるが、もし自分が『今井さん』の立場で、全然知らない人間に自分の情報を探られていたら嫌だろうな……と思う。

 彼女のほうは、たまにしか来ない客の一人でしかない翼のことなど覚えていないだろうし。


 ここで思い切れない自分の、この片思いが実ることはないんだろうな。


 翼は自嘲気味に考え、ふと自分に告白してきた一年女子のことを思い出す。

 相手に認識されていなくても告白するというのはものすごく勇気のいる行動だ。――なのに、自分はその一年女子の名前を覚えてすらいない。

 勇気を持って行動した人に対してそれはとても不誠実で、酷く残酷なことだと、初めて思った。


(気持ちに応えられなくても、せめて名前くらいは覚えておくべきだよな)


 まあ後悔したところで今更な話ではある。

 『今井さん』に話しかけて覚えてもらう努力をしなかったことも含めて。



 季節が巡って、二年だった翼は三年になり、元『一年女子』の()橋とは委員会で一緒になって、ちゃんと名前を覚えた。

 モカには今でもやはり月二、三回行っているが、『今井さん』に会えたことは一度もなかった。夜の時間帯にたまに来ることがあるらしいのだが、義父が『夕食は家族一緒に食べたい派』のため、基本的に夕方で帰ることにしている翼は時間が合わないのだ。


 今日の午前で前期の中間考査が終わって、午後は休み。

 クラスの有志は集まって遊びにいく相談をしており、翼も誘われたが断った。

 テスト期間中は九環に顔を出していなかったので圧倒的もるもる不足だ。もるもるを補給し、ついでに祐清(ゆうせい)がいたら昼飯をたかる。

 そう決意して、翼は九環へ向かった。


 これで真琴が休みでもるもるがいなかったら泣けるな……などと考えつつ、ビルの扉を開くと普段人気のないエレベーターホールに人が立っていた。しかも、弱い霊を色々とくっつけて。

 立っていた人はドアの開く音に驚いたのか、肩をはねさせ、恐る恐るという様子で振り向いた。


 振り返ったその人物の顔を見た翼は、一瞬固まった。


 ――なんで、ここにこの人が。


「あれ、モカの……」


 翼がなんとか声を絞り出すと、それを聞いた彼女はちょっと首を傾げて記憶を探るように視線を上に向けた。そしてすぐに思い当たったらしく翼に視線を戻した。


「確か、上田くんのお友達ですね」

「!……はい。えっと、九環になにか御用ですか?」


 まさか彼女が自分のことを覚えているとは思わなかった。

 上田の友人として彼女の記憶に残っていたことがものすごく嬉しい一方で、彼女が上田の名前をちゃんと覚えていることが面白くないという複雑な気分だった。


「キュウカン……?」

「九谷環境、の九と環で略して九環なんです」

「ああ、なるほど。……えーと、私、こちらの藤岡さんという方に名刺を頂いていて。ご相談したいことがあって伺いました」

「祐清さんのお客さん……そっか」


 祐清は軽い霊障なら簡単に祓ってしまったりするのだが、わざわざ九環を紹介したということは、彼女が結構重い部類のトラブルを抱えているということだろう。


「え?」

「いえ……どうぞ、二階なんで。ああその前に」


 翼が『今井さん』の左肩の上に手を伸ばして一閃すると、彼女の体にまとわり付いていた霊がほろほろと落ちていった。


「……なにか、付いていましたか?」

「小さいゴミが。……っと、失礼しました」


 おそらく彼女自身もまとわり付いていたものに気付いていたのだろう。それらが消えたことにも気付いたはずだが、彼女がそれを表情に出すことはなかった。

 そして不思議そうにじっと翼を見つめる彼女との距離の近さに、翼は動揺して大きく後ろに下がった。


(……やばい、滅茶苦茶可愛い……)


 祓うために近づく必要があったとはいえ、もう会えないと思っていた片思い相手が文字通り目と鼻の先にいたことに心臓が大騒ぎしている。

 本来ならば来客なのだからエレベーターを使うように案内するべきなのだろうが、そのエレベーターはたまに動かないことがある。

 判断基準はわからないが、社長の九谷(くたに)が決めた基準でもるもるが選別しているらしい。とはいえ、翼が同行していれば止まることはないだろう。……が。


「そのエレベーター、たまに止まるんで階段からどうぞ」

「とま……るんですか」

「なんか建物と相性が悪いみたいですね。壊れてはいないらしいんですけど」


(……エレベーターみたいな狭い密室で二人きりとか、俺の心臓が止まる)


 そんなどうしようもない理由を胸に秘め、翼は階段を使うことにする。二階ならエレベーターよりも階段のほうが早いし、と心の中で言い訳しつつ階段を登り、事務所に入った。

 だが、事務所の中はもぬけの殻だった。


「あれ……すみません、今誰もいないみたいですね」

「ちょうどお昼だからタイミング悪かったですね……」


 出直します、と続けそうな雰囲気を感じ取って翼は慌てて彼女の言葉を遮った。


「多分すぐ戻ってきます。お茶入れますね」

「あっ、お気遣いなく……」

「本当は俺が飲みたいんで付き合ってください」


 ニコリと笑ってさっさとお茶を準備しにいく。

 彼女が出直したとしても、次のときに自分が事務所にいるとは限らない。そのまま依頼が終了してしまえば、またもう一度偶然会うことなどまずないだろう。それだけは嫌だった。


「……」


 グラスに麦茶を入れて戻り、応接テーブルに座るよう勧めよう……とした翼は、その場所が荒れ放題なことに気づく。思わず舌打ちしそうになりつつ、ミーティング用のテーブルの上にグラスを置いた。


「……ソファのほうは荒らされてるので、こっちへどうぞ」


 どう考えても与田(よだ)の仕業だ。

 他のメンツは割ときっちりしているのでちゃんと整理整頓をする。しかし、社長の九谷と与田はそういうものと無縁なのだ。九谷が出張中の今、ここまで散らかして放置する犯人は与田しかいない。後で文句を言わなければ。


「お茶、ありがとうございます」


 麦茶を手にした彼女が表情を和らげてそう言った。

 それを目にしただけで『まあ散らかってても別にいいか……』と許せる気持ちになるくらい、恋とは人を変えるらしい。

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