25. 見習い調査員
「実はさっきまで和人くんと会っててさ」
「一人で!?」
和人くん、とは貴島のことだ。呪いの影響がなくなって謝罪してきたとはいえ、元ストーカーと二人きりで会うというのは危険すぎる。
「チホは別件で忙しそうだったし、入口のとこのカフェなら人目も多いから良いかなって……。大丈夫。本当に謝られて、今後は近づかないって約束しただけ」
「……まあ、結果的になにもなかったなら良いけど……だけど」
「まぁまぁ。でね、和人くん去年の秋くらいからちょっと様子が変だったんだ。でもさっき会ったら、なんかすっかり元通りになっててね」
「元通り?」
「だから大丈夫じゃないかな」
そう言って、瑠璃は翼にニコッと微笑みかけた。
「ちなみに彼に残ってほしいっていったのはそっちが本題でぇ」
「?」
瑠璃から急にふられて翼が首を傾げる。
「和人くんってば、割と本気でチホのこと狙ってたから、帰り道一人の時に鉢合わせしたら危ないなって思っててね。私も小乃葉も家近いけど、チホはちょっと歩くでしょ?」
「……?……話の流れが分かんないんだけど」
狙っている? 危ない? なぜ急に廸歩の名が出てくる?
瑠璃に近づくのを邪魔してたからか?
と言っても、迪歩が瑠璃と一緒にいるときに貴島が姿を見せたことは一度もないため、迪歩が直接邪魔したことはないのだが。
「えーとつまり、『元通りの』和人くんってさ……私に他の男と話するなって言っておきながら、自分は何人も女の子口説いてたくらい女癖悪いの。……チホって自分のことになるとメッチャクチャ鈍いから、ほっとかないほうが良いと思う」
と、後半は翼に向けて言った。
翼は「あー、たしかに……」となにか納得しているのだが、一体なにを納得したのだろうか。
どうやらこの場で、迪歩だけが理解できていないらしい。そんな廸歩に、小乃葉は残念な子を見るような目を向けた。
「……ねえ、もしかして今井さんって無自覚なの……?」
「無自覚っていうか……チホは自己肯定力が地獄のように低いの。まあそうなっちゃった理由も分かるんだけど」
瑠璃の言う『そうなっちゃった理由』はおそらく迪歩の祖父のことを指しているのだろう。迪歩の祖父は、博愛主義の瑠璃にとって数少ない『嫌いな人間』である。
「今井さん、すごいモテそうだけど……口説かれたりしたことないの?」
小乃葉の言葉に迪歩は頭を振る。
「ないです……モテたこともない。いつも怖いとか近寄りがたいとか言われてたし」
迪歩自身も、自分が他人よりもかなり卑屈なことは一応自覚がある。
そして、そんな卑屈な人間が他人から好かれるはずがない、と思っているので更に卑屈になる……というデフレ・スパイラルに陥っているのだ。
瑠璃が迪歩の祖父を嫌っている理由は、迪歩の卑屈さの原因が祖父の言動に端を発しているからだ。
「あのね、田舎の子供には、チホみたいに小さい頃から美人で物静かで頭が良くて表情が全然変わんない女の子をうまく褒めるスキルなんてないの。うまく褒められないから怖いとか近寄りがたいとか言ってたんだよ。高嶺の花ってやつ」
「ああー、たしかに今井さんってちょっと近寄りがたい雰囲気はあるよね。話してみると全然そんなことないんだけど。美味しいもの食べてるときめちゃくちゃ幸せそうな顔して可愛いし」
小乃葉の言葉に瑠璃と翼が頷く。昨日の食堂の『餌付け』のことを言っているようだ。
「……なんかバカにされてる気がする……要は貴島さんには近づくなってことね?」
「うん。バカにはしてないけど気をつけて。チホはそっち系鈍いからね」
むー、としながら言った迪歩の言葉に瑠璃がウンウンと頷く。
別に迪歩は男女の恋愛の機微に鈍いわけではない。単純にそれが自分に向くと思っていないだけで。
――しかし、息を吸うように女性を口説くのが通常運転だという貴島はいかがなものか。
そんな相手と付き合っていて悪口を言わなかったという瑠璃の精神力は見上げたものがあるが、そこに付け込まれて、もっとタチの悪い男に引っかからないように祈るばかりである。
***
今まで警戒対象だった小乃葉は味方になり、貴島も通常運転。――クラス女子とのやり取りに関しては外野の口出しする領域ではないので、瑠璃と小乃葉で頑張ってもらうしかない。
最後に残った問題は、大塚がなにを目的として、結局だれになにをやったのかを全て明らかにすること。そして今後繰り返させないこと、である。
ここからは呪いの話になるため藤岡の領分だ。
早速「友達になった記念にカラオケへ行く」という瑠璃と小乃葉の二人と別れ、迪歩と翼は九環の事務所へ向かった。
九環は土日が基本的に休日なので、今日事務所にいたのは藤岡だけだった。
真琴は出勤しておらず、彼女のペットの――と言って良いのか疑問ではあるが――もるもるもいないので翼は非常に残念そうにしていた。
藤岡にこれまでの顛末を報告すると、「じゃあ大塚くんの今後の対応は僕が引き取るよ」と、いともたやすく言い切った。
「具体的にどうするんですか?」
「ひとまず話をしてみるつもりだよ~。動機を話してくれるかどうかは分かんないけど、具体的になにをやったかは強制的にでも聞き出します。――あと、呪詛や暗示を使ったらちょーっと痛い目に遭っちゃう術式を組んで、今後は彼がこういうことをできないようにするよ」
「痛い目って……どんな?」
「それはその時のお楽しみ」
語尾にハートが付きそうなくらい、にっこりと楽しそうな藤岡が逆に怖い。
(『強制的に』なんていう不穏なワードも混じってるし……)
廸歩だって大塚に対して思うところはあるし、彼の自業自得ではあるが、痛い目のレベルが再起不能レベルじゃないと良いね……と少しだけ思った。
「……大塚くんって、拝み屋さん? 呪術師? ……なんて呼ぶかは分かんないですけど、そういう筋の人なんですかね?……普通の人はこんな事できないですよね」
迪歩の疑問に藤岡は「そうそう」と書類を見せてくれる。
そこには大塚辰徳という民俗学研究者の研究経歴が記されていた。著書や論文のタイトルには『呪い』というような文字が多く並んでいる。
「痛い目にあってもらう術を組むために、ちょっとだけ大塚くんのことを調べさせてもらったんだけどねぇ……彼のおじいさん、地方に伝わる呪いや呪術の研究をしていた民俗学の学者だったんだよね」
「呪いや呪術の研究……ですか」
「そ。おじいさんはもう亡くなってるんだけど、どうも蔵にその研究資料がたくさん残っていたらしい。大塚くんは多分そこから独学で呪術を習得したんだろうねぇ」
「独学で呪術……やり方が分かれば、実際にできるものなんですか?」
それならば、その資料は非常に危険なのではないだろうか。
学者ということは論文発表などですでに表に出ていそうな気もするが。
「普通はやり方が分かったからって簡単にできるものではないよ。彼自身にそういう才能があったってことだろうねえ。まあでも、周りの人たちにたちにかけて回ってる理由は分からないけどね」
「あの男の場合、やってみたらできたから人で試してみた、みたいな感じだろ」
不快感を隠さずに言う翼に、藤岡が笑う。
「ずいぶん嫌ってるねえ。……そういえば翼くんは初めから大塚くんを得体が知れない人だって言ってたね」
「うん」
「そんなに特殊だったの? 彼の感情は」
「……普通の人だとさ、落ち着いてるときでもなんとなく機嫌がいいとかイライラしてるとか、多少の感情の揺れがあるんだよ。でも、あの男は表情がコロコロ変わるくせに内面は常に一定っていうか……揺れがなさすぎて。ずっと冷静に周りを観察してる、みたいな」
迪歩の目からは普通に人懐っこい感じにしか見えなかったが、感情が視える翼にはその人懐っこさと冷静さとのギャップが気味悪く映ったようだ。
「嫌いな理由、それだけじゃなさそうだけどねぇ?」
「……」
笑顔の藤岡を、翼は露骨に無視する。
どうも他にも理由があるようだが、あまり触れてほしくないらしい。
「ふふふ、まあ何にせよ呪いなんてのは、やり方が分かって、それでできたとしても気軽に手を出して良い領域じゃないんだよね」
そこで藤岡は少しだけ表情を――相変わらず口元しか見えないが――引き締めた。
「今回はだれも怪我しなかったから良いけど、それはたまたま運が良かっただけだ。次はたまたまだれかが命を落とすなんてことだって起こりうるんだからね。……実際、結果的に無事だったとはいえ迪歩ちゃんは危険な目に何回か遭ってる。彼にはちゃんとそれを理解してほしいんだよね~」
たとえ大塚が瑠璃や小乃葉に恨みを抱いていたとしても、相手を追い詰めたり傷つけたりしていい理由にはならない。しかも、呪詛という方法に頼った結果、彼女たちの周囲の人にも影響が出てしまっている。
加えて、今回の『最終的に怪我人が出ていない』という結果が、逆に今後の大塚の行動をエスカレートさせる可能性だってある。
そういうこともあって、同じことを繰り返さないように言い含めておかなければならないのだ。
「ああ、迪歩ちゃん。もしも大塚くんと会うことがあっても二人きりにはならないようにね~。呪いだの、暗示だのが使えないとなったら、物理的な暴力を振るってくる可能性だってあるんだから」
「了解です」
迪歩にかかっていた暗示は藤岡が無理やり壊したので、その反動が大塚に返っているはずだ。それを逆恨みされている可能性はなくもない。
「……で、バイトのことなんだけど」
今回は迪歩自身が手伝うことを条件に、そしてバイトお試し期間という名目で、今回は無料で依頼を受けてもらっている。昨日事務所で雇用契約書にサインしているため、今後は正式にバイト扱いということになる。
――ただ、藤岡は視えるだけでも貴重だと誘ってくれているが、本当に役に立てるのかはやはり疑問だ。
「迪歩ちゃん、僕が思ってたよりも吸引力が強いから、何よりもまず護法を覚えてもらうところからだね。護符だけだとちょっと心配だし、日常生活にも支障が出るレベルだと現場仕事は危険すぎるしね」
「吸引力……」
そんな、掃除機みたいに。
「とりあえず護符なしでも日常生活を送れるレベルを目指そう。目下の仕事は基本的に真琴ちゃんの補助かな~」
「はい。……でも、私……引き寄せちゃうだけなのに本当に役に立つんでしょうか」
藤岡は迪歩の言葉に肩をすくめる。
「昨日も言ったけど、引き寄せるっていうのはかなり貴重な才能だよぉ。それに加えて、今回一番重要な呪いの浄化も、平田さんの暗示解くのも、迪歩ちゃん自身が自力でやってのけてるんだからね?」
「で、でも私が浄化したっていっても、事前に準備してもらって、翼くんにも手伝ってもらってるわけですし。たまたまうまくいっただけじゃないですか」
廸歩の反論に、藤岡が頭を抑えて天を仰いだ。
「もー、迪歩ちゃん、随所随所で自己評価低がすぎるってば~。そもそも普通は場を整えようとも、翼くんが補助しようとも、呪いやら生霊やらと話し合って浄化なんてできないからね? すごいことなんだよ?」
「はあ……」
「んんん、いまいち表情が読めないけど分かってない感じだね!」
『普通は』と言われてもピンとこない。視えるというのがそもそも『普通』ではないのだ。
首をひねる迪歩に、藤岡と翼が顔を見合わせて苦笑した。
「まあ何にせよ歓迎するよ。ようこそ九環へ~」
「迪歩さん、よろしく」
「……よろしくおねがいします」
こうして、今井廸歩は九谷環境調査株式会社の見習い調査員となったのだ。




