23. 見つめ合う
昨夜、文園堂から車で直接マンションへ送られ、そのまま疲れて眠ってしまった迪歩の家には相変わらず食料がカップ麺くらいしかなかった。
そしてやっぱり朝からカップ麺を食べる気にはならなかったため、またコンビニに寄ることにして、早めに家を出る。追加された護符の効果なのか、今回は邪魔が入ることなくスムーズにコンビニで食料を調達できた。
だから――というわけではないが、だいぶ早めに到着してしまった。
待ち合わせ場所で時間を確認すると、八時半どころか八時までまだまだ余裕がある。さすがに二人ともまだ来ていない。
(どこで食べようかな)
今日は朝からぽかぽかといい天気だ。学生会館などへ行けば室内で椅子に座って食べることもできるが、せっかくだから外で食べたい。
博物館の側にある池のほとりのベンチは空いてるかな、と足を伸ばした。
池のほとりには小さな子を連れた親子や犬の散歩中の人の姿がポツポツと見える。近隣住人が朝の散歩をしていることが多いので、割りとベンチの競争率は高い――が、強は運良く空いていたのでいそいそと座る。
青く晴れた空と心地よい風、緑に囲まれた池に、散歩をする人々――
平和そのものといった光景なのだが、小乃葉が儀式をした林はこの池の向こう側なのである。それを考えるとちょっとだけ微妙な気持ちになる。
(蛇かあ……)
誰かを呪うために生き物を殺す、というのは生き物好きの迪歩には理解し難い。そこまで人を憎んだことがないのだと言われればそれまでだが、では、大塚はなぜそこまで瑠璃を憎んだのだろう。
廸歩の知っている瑠璃は、基本的に明るくて優しくて、博愛主義者。
世の中にはそういうタイプが嫌いな人もいるだろうが、かといって、そんなに強い不快感を抱かれることも少ないだろう。
瑠璃のことが好きすぎて可愛さ余って憎さ百倍……というのならあるかもしれない。しかし、大塚が瑠璃に向けている感情は『無関心』だと翼は言っていた。
(結局なにをしたいのかが分かんないんだよね)
自分も暗示をかけられていたというのもあって、大塚の目的が見えないのが非常に気持ち悪い。
結果的に呪いは瑠璃には届かず、小乃葉が抱え込んで止めていたので、実は最大の被害者は小乃葉と言えなくもない。だから、実は大塚の真のターゲットは小乃葉で、この展開を見越して仕組まれた――。
……というのは回りくどすぎるし不確定要素が多すぎるので無理がある。
「……おいし」
そんなことよりも買ってきたパンがちょうど焼きたてだった。ふわふわしていて美味しい。暖かい日差しに平和な景色にふわふわのパンなんて、もう最強ではないだろうか。
いや、目的だ。呪術の目的が分からないと。
……ところでこの新発売のパンはおいしすぎるのでまたリピしないといけない。
***
博物館前に戻るとすでに翼が来ていた。さすが美少年は入り口の柱にもたれてスマホ画面を見ているだけでも絵になるのがすごい。
迪歩が小走りで駆け寄ると、それに気付いた翼が顔を上げた。
「迪歩さん、おはようございます」
「おはようございます。早い時間からすみません……私も平田さんも家が近いので、ちゃんと考えてなくって」
そう、今朝起きてから気がついたのだが、大学徒歩十分圏内に住んでる迪歩や小乃葉と違って、翼は家の場所によってはかなり朝早く家を出ないといけないのだ。
市内の高校に通っていて、九環でアルバイトしているのでそこまで遠くはないとは思うが、それでも配慮が足りなかったと迪歩は朝から反省していた。
「家からは高校よりもこっちのほうが近いくらいなんで問題ないです。……それと迪歩さん、俺に敬語使わなくていいですよ。俺が受験に失敗しなければ迪歩さんが先輩になるんだし」
「そ……れを言うなら翼くんは私のバイトの先輩です。……そしたら、お互い敬語なし、でどうですか?」
迪歩の提案に、翼は一瞬動きを止めた。そして少し照れたように笑って「……分かった。じゃあそれで」と返事をした。
翼は、藤岡や真琴、園田にも比較的砕けた言葉を使うのに、迪歩にだけ丁寧な敬語を使うところが実は気になっていたのだ。
知り合って浅い外部の人間だから仕方ない……と思いつつも寂しいものがあった。
「翼くんって他の人達には敬語使わないし、私だけちょっと仲間はずれみたいだなって思ってたから、嬉しい」
「……そうですか」
早速敬語に戻ってしまった上に、顔をそらされてしまった。
(も、もしかして私、人間関係の距離の詰め方がおかしい?)
ほぼ初対面のくせに厚かましいやつだと思われたのかもしれない。しょんぼりとしつつ、この流れで無言になってしまうのが耐えられないので必死に話題を探す。
「そ、そうだ、昨日、貴島さんから謝罪のメールが来たって瑠璃が言ってまし……言ってた。……タイミング的には呪いの蛇が消えたあとだけど、蛇が消えたから影響が消えたってことかな」
「……多分そうだと思う。例のクラスの人達も、今頃なんでそんなに青柳さんを非難してたのか分かんなくなってると思うよ」
「なら、もう儀式の場所を確認しなくてもいいの?」
「いや、それは一応確認しないと……」
「おはよう、遅れてごめんなさい」
と、そこに小乃葉がやって来た。彼女は遅れたと言ったが、まだ約束の時間にはなっていないので迪歩たちが早かっただけである。
さて、まずは小乃葉に暗示が残っているか確認をしてもらわないと……と考えたところで、ふと昨日の藤岡の確認方法を思い出した。あの、近距離で目をじっと覗き込まれるやつだ。
(あれを翼くんが平田さんにするのか……)
二人が見つめ合う――と考えて、廸歩の胸の奥が少しだけモヤッとする。
「ああ、暗示解けてますね。呪いの気配もないし、もう問題ないと思います」
「え!?」
モヤッとしていたのに、サラッと翼がそんなことを言ったので迪歩は思わず声をあげて驚く。
その反応に翼が首を傾げ、そして翼の言葉に安堵の息を吐いた小乃葉もびっくりした顔で迪歩を見た。
「迪歩さんどうしたの?」
「そんなにすぐ分かるの? だって藤岡さんは……」
翼はさっき軽く挨拶と自己紹介をしたくらいで、小乃葉に近づいてすらいないのだ。廸歩の言いたいことが分かったらしく、翼は思案顔で少しだけ首を傾げた。
「んー、祐清さんと俺が見てるのは別の物なんだ……と思う。祐清さんは情報量がものすごく多いからじっくり精査しないといけないんだって」
「ああ、見えすぎるってそういう……」
色々見えて情報量が多いので、目に映る物を絞るための近距離ということだろう。
なるほど、と頷いた廸歩の脇で、小乃葉はびっくりした顔のまま固まっていた。
「あっ……、平田さんごめんね、問題があったわけじゃないです」
「……良かった……なんかとんでもないことになってるのかと……」
長いため息を吐いた小乃葉は少し涙目になっていた。彼女にしてみれば、自分にかかった暗示やかけた呪いがまだ生きているか否かは重大な問題なのだ。
(ま……全く別のこと考えてました……ごめんなさい……)
第一、自分はそんなことでモヤモヤするような立場ではないというのに。
軽く頭を振って頭の中を切り替える。
「そしたら平田さん、例の場所を教えてもらえます? あの辺りだよね?」
廸歩が池の向こう側辺りを指さして聞くと、小乃葉はコクリと頷く。
「そう。建物裏の道から林に入って、五十メートルくらい行ったところかな……あのときは春先だったからもう少し見通しが良かったんだけど」
研究棟裏へ移動して、林を通り抜ける小道の途中で小乃葉が指を指した方向は、一応立入禁止区画ではないものの、背の高い草が茂っていて少し歩くのに苦労しそうな場所だった。
「木を見たら分かるかもしれない……けど、分かんないかもしれないです。曖昧でごめんね」
「いえ、探すの得意な人がいるので大体の方向が分かれば大丈夫です」
翼はそう言いながらその場所の写真をとった。その得意な人に後で調べてもらうらしい。
「翼くん、さっき話が途中になったけど、儀式の場所を確認してなにをするの? 呪いはもうないんだよね?」
消えたからそれで終わり、ではないのだろうか。
廸歩の個人的な意見としては、蛇の遺体がまだ転がったままになっているならきちんと弔ってあげたいというのはあるが。
「呪いはもうないけど、呪いに使った場所や物のケガレは残ってるからちゃんと清めておくんだ」
「ケガレ? って、榊の枝振ったりお塩撒いたりして払うやつ?」
「うん。ケガレには諸説あるけど、神道だと罪を犯すことや不浄に触れることで発生したり伝染したりするって言われてる。今回の場合なら蛇っていう生き物を殺すのが『罪』で、その遺体や血が『不浄』。罪によってケガレた場所で、ケガレた不浄のものを使って呪詛を実行することで呪いをブーストする、って感じだね」
「そのケガレは放っておくと危ないの?」
「場所によっては自然にきれいになってたりすることもあるけど、ほっとくと良くないものが寄って来易くなるからね」
「へえ……」
「本当に専門家なんだね……」
小乃葉が感心したようにつぶやいて、翼は「師匠の受け売りですよ」と少し困ったように笑った。
師匠とは藤岡のことだろう。自称魔術オタクの彼は、迪歩の暗示を解いた時には仏教の真言を使っていたし、今のケガレの話は神道である。……やはりよく分からない人だ。
「まあこれで、暗示が解けてるのも儀式場所も確認も確認できたので、こっち側の話は終了ですね」
そう言って翼は改めて小乃葉を見た。
「大塚、さんにはなるべく関わらないようにしてください。相手を警戒してれいば暗示は効きにくいので、そんなに心配はないと思いますけど」
大塚を呼び捨てにしそうになる翼。本当に嫌いらしい。
その言葉を聞いた小乃葉は躊躇うように視線をさまよわせ、一度きつくまぶたを閉じたあと、覚悟を決めたようにまっすぐ迪歩を見た。
「はい。……よし、ちゃんと瑠璃に謝る。……今井さんごめんね、もうちょっと付き合ってくれる?」
小乃葉の視線を受け止めて、廸歩は微笑む。
「もちろんです」




