19. 平田小乃葉の述懐
はじめに彼を好きになったのは私だった。
どっちが先かなんて関係ないのはもちろん分かってるけど。
どうして私じゃないのって何度も思った。でも、当然だよね、と何度も泣いた。
私の入ったサークルはすごくゆるいテニスサークルで、みんな仲がよくって、そんな中でいつも中心にいたのは貴島さんだった。
サークルのひとつ上の先輩。
すごくかっこよくて、明るくて、優しくて、そして全然私なんかには釣り合わない素敵な人だった。
想ったところで叶わないって知りながら片思いをしていた。
告白なんてもちろん、分不相応な恋心を誰かに気づかれることすらも怖くて、ずっと気持ちに蓋をしていた。
そして彼はある日、たまたま私にくっついてコートに来て遊んでいた瑠璃に一目惚れをした。
彼に頼まれて瑠璃との橋渡しをした。
彼に応援の言葉をかけ、戸惑う瑠璃の背中を押した。
だって!
瑠璃はすごく可愛い。可愛くて、優しくて、友達に好かれていて、ちょっと抜けているところが庇護欲をそそるような、まさに愛すべき女の子だ。
だから、そんなふたりが付き合うのは当然。
一人で何度も泣いたけど、付き合い始めた二人には笑顔で祝福の言葉をかけることができた。それが一年生の初夏の頃。
だから、分不相応な恋はもうおしまい。
大塚くんのことが気になり始めたのがいつだったのか、よく覚えていない。
彼の存在を認識したのは一年生の後期の途中。始めは授業でよく会うなって思っていただけ。
だけど、いつからか気が付くと私は彼の姿を目で追うようになっていた。
そして同時に、彼が瑠璃を見つめてるってことに気が付いた。
その頃の瑠璃はあんまり貴島さんとうまくいってないみたいだった。
瑠璃は可愛い。そして、ちょっと無自覚に異性を惹きつけるところがある。
だから貴島さんは不安だったんじゃないかと思う。
貴島さんの束縛がどんどんきつくなって、瑠璃はだんだん沈んだ表情を見せることが増えた。
冬も深くなった頃、ついに瑠璃は貴島さんに別れを告げた。
「応援してくれたのに、ごめんね」って瑠璃は泣きながら私に言った。
二年生になって、私は大塚くんとよく会うようになった。
グループで出かけて、その途中で二人だけで歩いたり、話をしたり、そういうことが増えた。
初めて二人きりで出かけたのは映画館。
二人とも同じ映画シリーズが好きで話が盛り上がって、シリーズの最新作を観に行った。
私はすごく嬉しくて、浮かれていた。いま彼の隣にいるのは瑠璃じゃなくて私なんだって、ちょっとした優越感すら抱いていた。
その帰り道、私は他でもない、彼の言葉でどん底に叩き落されるなんて思いもせずに。
瑠璃は、貴島さんと別れる前から大塚くんと二人きりで出かけたり、大塚くんの部屋へ行ったりしていたんだと知った。
また、瑠璃。
彼は瑠璃と何度かこういうふうに遊びに行ったりしていて、「付き合ってるんだと勘違いしてたんだ」って恥ずかしそうに言った。
「彼氏がいるの、知らなくてさ。俺は一人で浮かれてたけど、瑠璃ちゃんには遊びだったのかもね」
「でも別れたって聞いたから、俺にもチャンスあるのかなぁ」
なにそれ。
冷水を浴びせられたような、って、こういうことを言うんだろうなって頭のどこかで冷静な声がした。
(でも瑠璃って、そういう子じゃないんじゃない?)
かすかな違和感が脳裏をよぎったけど、怒りと悲しみで塗りつぶされてしまった。
どうして。
どうして、どうして、
あなたは、また、私から奪うの。
大塚くんの目は、今でも私を通り越して瑠璃を映している。
どうして!?
「瑠璃も不安だったんですよ……追いかけて欲しいんだって言ってました。自分のことだけ見ていて欲しいって試してるんです。――あ、これ、私が教えたっていうのは内緒ですよ? 瑠璃に怒られちゃう。……けど、二人に幸せになってほしいから」
だから私は、貴島さんに嘘をついた。
「先輩ってかっこいいから、横にいると見栄えが良いって理由で付き合ってたんだって。先輩、それ知って本当はずっと苦しんでたみたい。でも好きだから我慢してたって……なのに、捨ててもしつこくつきまとってきて邪魔って。どんだけ私のこと好きなのって、瑠璃、笑ってたの……」
だから私は、クラスの女子に嘘をついた。
「貴島さんには瑠璃が困ってるって伝えたよ。それにクラスのみんなには瑠璃が悪いわけじゃないよって何度も言ったんだけど……瑠璃、モテるから男子が口挟んでかばったりして、なおさら反感買っちゃったみたいで……」
瑠璃の味方の顔をして寄り添って、心の中で嗤った。
みんな面白いくらいすんなり信じてくれた。
貴島さんに付きまとわれて、女子の中で孤立して、貴島さんと付き合ってたときみたいにまた瑠璃はどんどんと追い詰められていった。
でも瑠璃は誰のことも責めなかった。
そんなところも私の苛立ちを加速させた。
そんな頃、沈んだ顔ばかりしていた瑠璃がまた明るい顔を見せるようになった。
別の学部で、同じ地元出身の友達とよく一緒にいるようになったからだ。
これまでもたまに話題に出ていたから私も存在は知っていたけど、今まではそれほど一緒に行動したりはしていなかった子だ。
初めて会った今井さんは、とても落ち着いて静かな雰囲気の美人だった。
可愛らしい瑠璃とはだいぶタイプが違ったけど、すごく仲が良くて、彼女の隣にいる瑠璃はよく笑っていた。
そういえば瑠璃が彼女のことを話題にするときは、いつも彼女を褒める内容だったな……と思い出す。
「自慢の友達なの」と、嬉しそうに笑っていた瑠璃。
なんだかものすごく腹が立った。
瑠璃みたいな子とずっと友達でいるの、辛い。
私みたいに普通の人間は何もかも取られちゃうから。
でも今井さんはきれいで、瑠璃の横に当然みたいな顔して並んで立っていられる。
それに今井さんはあんまり表情が変わらないけど、時々瑠璃に対してだけはとても無防備な笑顔を見せることがある。
笑い合っている二人はどう見ても親友同士で、
私が嘘にまみれてそれでも必死にしがみついてきた瑠璃の友達の座には、最初から私の居場所なんてなかったんだって思い知った。
『だって小乃葉ちゃんは瑠璃ちゃんの引き立て役だから』
――誰の声?ううん、そんなことはどうでもいい。そう、私は引き立て役でしかないんだから。
私が好きになった二人の心を手に入れた瑠璃が、
貴島さんと付き合いながら大塚くんの気持ちを弄んだ瑠璃が、
私の一番の親友でいてくれない瑠璃が、
許せなかった。
でも……本当に許せないのは瑠璃じゃなくて、そんな風に醜く他人を憎む私自身だった。
本当は分かってた。
瑠璃が人の心を弄ぶような人間じゃないこと。
本当はなんとなく気づいていた。
大塚くんが嘘をついてること。
――そうだ、気づいていた。
大塚君が嘘を……嘘?……うそ? ええと、なんだっけ……。
『その先は考えたらだめ』
――そう、ちがう、嘘をついてたのは私だ。
瑠璃はきっと私の嘘に薄々気づいている。なのに彼女は私を責めてくれないのだ。
貴島さんのこと、あんなに悩みながらもちゃんと話し合おうとしていた。悪く言ったことなんて一度もなかった。
理不尽に責めるクラスの子達の言葉に傷ついてたのに、分かってもらえるように頑張るよと笑っていた。
私は瑠璃を引きずり落としてやりたいって思ってたのに、彼女はそれでも胸を張って立っている。
自分との違いを見せつけられて、眩しすぎて深く憎んだ。
こんなにどろどろの感情で憎まずにいられない、自分の惨めさを思い知らされる。
ひどい。全部持ってるくせに。
だから瑠璃を呪った。
あんなにきれいな人を、こんなに醜く呪わずにいられない。
瑠璃のせい。ひどい。ひどい。
……なんて醜い、なんて惨めで、無様な私。
だから私は、私を、一番許せないんだ。




