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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の見習いの章
16/87

16. 暗示

 いつも迪歩が大学への行き帰りで通るのは車道を挟んで反対側の歩道だったため、その建物は遠目にしか見たことがなかった。

 遠目には潰れているようにしか見えなかったその店は、店の前に立ってみても、やっぱり潰れているようにしか見えなかった。


(……これで、毎日営業中……?)


 ガラスの嵌った引き戸には古く色あせた雑誌の広告が貼ってあって、その隙間からは薄暗い店内がぼんやりと見える。

 ガラスは曇りガラスなどではなく、もとは透明だったと思しき――つまり、汚い。土埃やら何やらの汚れがこびりついたガラスに、消えかけた文字で『文園堂(ぶんえんどう)』と書かれているのがかろうじて読み取れる。


「……ここ、本当に入っていいんですか」

「あはは……気持ちは分かりますけど、本当に営業してるんですよ、これで」


 苦笑しつつ翼が引き戸の引き手に片手をかけ、引く――が、ガツンと音がしただけで動かなかった。

 鍵が閉まっているのだろうか。やっぱり入れないのでは。

 迪歩がそわそわしていると、翼は引き手に両手をかけ、今度は力いっぱい引いた。


 ガガガッ


 引き戸は始めだけ大きな音を立てたが、その後なめらかに……とは言い難いが、それなりにスムーズに開いた。


「すみません、ここ、建付けがものすごく悪いんです。普通に開く時もあるんですけど……。どうぞ」

「普通に開く()もあるって……開かないほうが多いんですか?」

「そうですね……五回に四回はまともに開きません。でも、直したら客が入って来るから嫌だっていうのが店主の言い分です」

「……独特な感性の方ですね」


 苦笑いした翼に促され、迪歩は店内に足を踏み入れる。

 背の高い本棚の並ぶ店内は薄暗いのだが、意外にも外見から想像していたほどかび臭さや埃っぽさはなかった。

 棚には様々な本が整然と並べられており、見たところ埃を被ることもなくきちんと清掃が行き届いていた。

 ――だが、やはり客の姿はない。


「こっちです。足元気をつけてくださいね」


 店の奥のほうで手招きする翼についていくと、無人のカウンターの上に『奥にいます。大声で呼んでください。』という札が置いてあった。

 九環の事務所といい、ここといい、防犯についてどう考えているのかが非常に気になるところだ。

 翼はそこで声をかけるわけではなく、カウンターの横を通り過ぎ、隅にある引き戸ガラリと開いた。そしてそのまま入っていってしまう。

 不法侵入しているような気分でビクビクしながら迪歩も続く。引き戸の向こうは通路になっており、まっすぐ突き当りに扉が一つ見えた。建物自体の大きさから考えて、あちらは店の裏口なのかもしれない。

 そして、通路の途中には他に扉が二つあり、扉に挟まれた真ん中が上へと続く階段になっていた。


「店主の園田さんはだいたいここにいるんです」

「はあ……」


 翼が二つある扉のうち、店舗側の一方をノックすると、しばらくして中からかすかに「どうぞ」と男の声が聞こえた。

 翼の後ろから恐る恐る中を覗くと、部屋はすぐ手前に靴を脱ぐ場所がある小上がりの和室になっており、畳の上には藤岡ともう一人、おそらく店主の園田であろう男性が座っているのが見えた。


「園田さんお邪魔します。――迪歩さん、あの人が園田さんです」

「あの……お邪魔します」

「やあ翼くんに迪歩ちゃん。おつかれぇ」


 迪歩が声をかけると、座椅子にだらりと凭れた藤岡がその体勢のまま首だけ巡らせて迪歩のほうを向き、気の抜けた声を出した。見る人間のほうまで一気に気が抜ける光景だ。

 もう一人の、店主の園田は壁際に設置されたパソコンの画面を見たまま、ちらりとも迪歩を見ずに「ああ」と少し頷いた。

 声の感じからすると廸歩の父親くらいの年齢だろうか。ちなみにパソコンはトリプルディスプレイで、画面上にはたくさんウインドウが開いていた。古書店主というよりデイトレーダーのような雰囲気である。


「文園堂はねえ、実店舗じゃなくてネットでの古書取引をメインにしてるんだ。だからここにはほぼお客さんが来ないし、店主も置物みたいなものだと思って無視していいよー」


 廸歩の疑問を察したのか、藤岡が説明してくれる。

 その最後の言葉に反応した園田が手元にあった新聞を丸め、振り返りもせずに藤岡の頭をポコンと叩いた。

 「いてっ」と叩かれた藤岡がヘラヘラ笑う。

 それからやっと座椅子に凭れていた体を起こし、近くにあった座布団を自分の脇に引き寄せた。


「よし、じゃあ早速だけど~。迪歩ちゃん、ちょっとここに座ってくれるかな?」


 藤岡が自分の真横に置いた座布団を叩く。


「……え」


 そこに座れと簡単に言うが……ものすごく距離が近い。

 しかし、わざわざ言うからには何か理由があるのだろう。迪歩は靴を脱いで畳の上に上がり、言われたとおりに座布団の側に行った。――が、やっぱり近い。座ることができないまま、立ちすくむ。

 だが藤岡はそんな迪歩を見上げ、「まっすぐこっち向いて座ってー」と付け加えた。


(いやいやいやいや?)


 その距離はもう、『近くに座る』というよりも、いっそ『向かい合って密着』の距離ではないだろうか。


祐清(ゆうせい)お前、ちゃんと説明しないと。それじゃただのセクハラだぞ」


 固まった廸歩を哀れんだのか、園田が助け舟を出してくれる。


「え? ああそっか、ごめんね。ちょっと確認したいことがあってさ、迪歩ちゃんの目を見せてほしいんだ」

「め?……ですか?」

「うん、そう。お目々」


 説明――のつもりなのだろうか。それではさっぱり分からない。

 まあ、分かったところで男性免疫がゼロの廸歩にとっては何の安心材料にもならないわけだが。

 でもきっと必要なことなのだ……と、自分に言い聞かせて、指示通り座布団に座る。

 するとすぐに、「ちょっと失礼」と、藤岡の顔がぐっと近づいてきた。しかも、肩と顎に手をそえられている。


(うーわー! むりー! ちかいー!)


「んー、ああ、やっぱりかぁ」

「ふえ?」


 顔を覗き込んだまま、藤岡がぼそりとつぶやく。

 そういえば彼の目を初めて見た気がする。いつもフードと長い前髪で隠れていたので、これまで見たことがなかったのだ。


(っていうか声……声が近い。もうゆるして……)


「祐清さん……迪歩さんが泣きそうだよ」


 翼の声でやっと藤岡の手と顔が離れたので、その隙に迪歩は座布団ごとススッと距離を取る。頬に手を当てるとやっぱり熱い。

 さっきの状態も恥ずかしかったが、藤岡のほうは全く気にしていない様子なのに自分ばかりが真っ赤になっているのがまた恥ずかしい。


「翼くんの言うとおりだったよ。いつからだろう、見落としてた。……あ、迪歩ちゃんごめんね?」

「……いいえ……」

「それでね」


 ごめんと言ったものの、まったくごめんとは思っていない調子で藤岡が話を続ける。


「迪歩ちゃん、君は呪術による暗示をかけられています。マインドコントロールってやつだ。さっき翼くんが連絡くれたんだけどさ、多分大塚って人物が犯人だろうね」


 藤岡の言葉に、迪歩は目をパチクリと瞬かせる。


「あんじ……?」

「思考阻害だねえ。大塚君の言動について疑いや不快感を抱けないようにされてる。悪質だ」


 どうやらここに来る前に、翼が『廸歩が暗示にかかっている』と藤岡に伝えていたらしい。


(……あくしつ?)


 藤岡が珍しく不快そうに眉をひそめて言うのを、廸歩はこてりと首をかしげて不思議な気持ちで見ていた。

 心のどこかで何か大事な言葉が浮かんでくるような気がするのだが、一体それが何なのかは分からなかった。


 ――気持ちがザワザワする。そういえば何度かこんなことがあった……あったっけ?


(そんなことない。だって大塚くんは安全だから。――でも、落ち着かないのはどうしてだろう?)


「さて、それじゃあ解除しようか。でも、暗示をかけた人物は分かってもかけたトリガーが分かんないから力業になるなぁ」

「……トリガー?」

「暗示を発動するための引き金さ。呪術による暗示の場合は持ち物や場所なんかに呪文を刻み込んでおいて、トリガーとなる言葉を唱える……多いのは名前だね。それで相手の精神や体を縛るんだ」


 藤岡が廸歩に向けて引き金を引いて銃を打つようなジェスチャをしてみせる。


「……いろいろと理解を超えているんですけど……えーと、力業で解除ってどうするんですか? 犯人を殴る?」

「うん、物理攻撃はしません。……本来なら呪術による暗示っていうものは、かけた方法を調べて、段階を踏んで解くものなんだ。でも力業っていうのは、その段階を踏まずに魔力で無理やり術式を灼き切るんだ」

「術式を、灼き切る」

「そ。当然無理やりだから、暗示をかけた犯人にも、かけられた人にも負担がある。……っていっても、迪歩ちゃんのほうは護符があるから危険はないよ」


 説明しながら藤岡は横に置かれていたプリンターからコピー用紙を一枚抜き取り、テーブルの上に置いた。

 そしてテーブルに転がっていたボールペンを手にして、いくつもの図形をがりがりと描きあげた。今回の図形は、名刺の裏に描かれていた魔方陣よりもだいぶシンプルで、どことなく東洋風に見える。


「……このあいだ戴いた名刺もそうですけど、ペンとか紙とか、そんなに適当でいいんですか?……殴り書きだし」

「うん? うーん、結局のところ、術式が合ってればいいんだから大丈夫なんだよ」


 なるほど、そういうものなのか……と廸歩が納得しかけたところに、「いやいや」と翼が呆れたように付け足す。


「普通は無理ですよ。祐清さんは規格外なんです」

「えー、そうかなぁ。……まあまあ、それはさておきこれで術式はOK。迪歩ちゃん、ここに左手を置いてね」


 廸歩が言われるままに描かれた図形の上に手を置くと、藤岡がその上に自分の手を重ねて置いた。


(ちょっ……!?……!!)


 手の甲に伝わってくるぬくもりに、思わず手を引っ込めそうになるが、なんとか耐える。これは必要なこと……これは必要なこと……と、心の中で再び自分に言い聞かせる。


(いっそ意識をそらして夕飯の献立でも考える? あ、でも意識をそらしちゃ駄目なのかな……)


 ノウマクサンマンダバザラダン、センダンマカロシャ……


 藤岡が静かな声で呪文のようなものを唱えはじめた。

 聞き覚えのある言葉の並びに、廸歩の大混乱だった頭の中が少し落ち着く。

 これは確か不動明王の真言だ。

 前に本で読んだことがあった。記憶が正しければ、悪霊退散や戦勝祈願のために唱えるものだったはずだ。


 ウンタラタカンマン


 バチンッ!!


 強い静電気のような衝撃が手に走って、廸歩は「わ!」と声を上げて思わず手を引いた。図形に触れていた手のひらがピリピリするが、特に赤くなったり傷ができたりはしていなかった。


「よし、ちゃんと手応えがあったから暗示は解けたはずだ。犯人のほうはちょっと痛い目にあってるはず……って言っても、かけられてたのは危害を加えるような強い術ってわけじゃあないから、せいぜい軽く殴られたくらいのものだろうけど。……迪歩ちゃん、気分はどう?」

「気分ですか……最悪です」

「おっと、具合悪い? 大丈夫?」

「いえ、こう……大塚くんを、殴りたい気持ちでいっぱいです」

「ああ……そういう『最悪』ね」


 藤岡がいつものほにゃんとした調子で笑うので廸歩の肩から力が抜ける。

 さっきの静電気のような衝撃の後、廸歩の頭の中にかかっていたモヤが急速に薄れていった。

 そもそも、モヤがかかっていたこと自体もうまく認識できないようにされていたようで、暗示が解けて初めて自分の中にモヤがあったことに気付けたのだ。

 廸歩が大塚について何か考えようとするたび、何の脈絡もなく『この人は安全』という言葉が浮かんできていたのは暗示の影響だったわけだ。

 モヤが晴れて、正常に考えられるようになっても、気持ちがザワザワするのにその正体が分からないという『他人によって自分の思考を邪魔される』嫌な感覚がはっきりと残っている。


 ――つまり、大塚は許さん。


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