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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の見習いの章
13/87

13. 最初の距離感

「翼くんちょっと待った!」


 席を立とうとした翼の腕を掴み、真琴が真剣な顔で呼び止めた。


「へ? なに?」

「ねえなんで『今井さん』呼びなの? 『迪歩ちゃん』って呼びなよー」

「え……どっちでもいいっていってたし」


 微妙に目をそらした翼に、真琴が顔を寄せて迪歩に聞こえないように声を潜めてささやく。


(この思春期の恥ずかしがり屋さんめ! 呼び方って距離感なのよ? 途中から変えにくいよ? いいの?)

(う……)

(い・い・の?)

(……よ……くないです……)


 その返答に真琴は「よし!」と満足げにうなずくと、翼の腕を離して迪歩のほうへ向き直る。


「迪歩ちゃんも『翼』で良いからね。っていうか翼くん名字で呼ばれるの嫌いだしね」

「へ? あ、はい……」

「別に嫌いじゃないって。呼ばれ慣れてないだけで……」

「はいはい口答えしなーい」


 迪歩には真琴が翼に言ったことは聞こえなかったので、なぜ急に呼び方の話になったのかが分からず面食らう。

 というか、そもそも翼の名字を知らないので呼びようがない。そういえば、今更だが翼からは自己紹介されていないのだ。

 しかも自分の名字を『呼ばれ慣れてない』というのは微妙に訳あり感が漂っており、なおさら尋ねにくい。


「じゃあゆっくり博物館デートしてらっしゃい~」

「まこ……っ」


 ニコニコしながら手を振る真琴に対し、なにか文句を言おうとした翼は、もるもるを顔に押し付けられて口を封じられた。


「まあ気をつけていってらっしゃい。僕はこの後、園田さんのところに用事があるから、何かあったらそっちにきてね」

「……はあ……分かった」


 苦笑する藤岡に、翼は疲れた顔で返事をしながら押し付けられたもるもるをテーブルの上に下ろした。


「じゃあ行きましょう……迪歩さん」

「は、はい!」


 同年代男子から改めて名前で呼ばれると、なんとなくドキッとしてしまう。

 こういう緊張も翼には分かってしまうのだろうか。

 事務所を出て階段を降りながら、迪歩は話を名前からそらそうと視線を泳がせた。


「あの、いきなり大学まで着いて来てもらってすみません……」

「いえ? 九環にいたら、いきなりあちこち行くのなんてしょっちゅうですよ。それに企画展に行きたかったのは本当なので、今井さんが虫大丈夫な人で良かったです」

「……確かに虫系は、人を誘うのをちょっとためらっちゃいますね」


 昆虫、しかもアップの写真が多い――となると、男性女性問わずだめな人はものすごく拒絶反応を示す。迪歩も一応、そういうものが苦手な人の気持ちも理解できるため、基本的にお一人様で楽しんでいるのだ。


「……もしかしてさっき、私が遮っちゃいましたけど、昆虫だからやめようって言おうとしてました?」

「そうですね。自分が気にならないから完全に展示内容のことを忘れてて……人を誘って行くところじゃないなって途中で気付いて」

「忘れててくれてよかったです。トラブルがなければ本当は今日、一人で行くつもりだったので」

「本当に楽しみにしてたんですね……」


 横を歩く迪歩をちらりと見た翼が、思わずという感じでしみじみと言った。

 正直なところ、今本当に鼻歌が出そうなくらい嬉しいのだが、迪歩は由依から、『表情の出力強度が普通の人の三十パーセント程度』などと評されたことがある。つまり、大抵の人から喜怒哀楽が分かってもらえないのだ。

 これは幼い頃からの習い性というべきか――。

 日常生活の中で突然目の前に現れる『お客さん』に驚かせられたり、不意に話しかけられたりしたときにうっかり反応をしてしまうと祖父が不機嫌になるため、できるだけ顔にも声にも出さないように努めて生きていたら感情が表に出にくくなってしまったのだ。

 そんな迪歩の機嫌が分かるとは。

 もしかして本当に鼻歌が出ていただろうか……と考えたところで、そういえば翼は感情が視える人だったと思い出す。


「……ものすごく浮かれてるのが視えちゃいます?」

「あ……すみません、気分の良いものじゃないですよね。基本的に視ないようにしてるんですけど、自分の意志と関係なく視えることもあって……」

「つまり、それだけ私が今浮かれてるんですね……」


 企画展を前に、視ようとしなくても視えてしまうくらいに浮かれている。その能力に対して気分が良い悪いというところよりも、浮かれまくっている自分が恥ずかしい。


「でも私、感情が表情に出なさすぎて怖いっていつも言われるんです。なので、むしろそうやって分かってもらえるほうがありがたいです」

「……そう言ってもらえると少しホッとします」


 ふにゃりと笑った翼は、これまでの大人っぽい印象が薄れて年相応に見えた。やはりその能力のせいで色々と苦労してきたのだろう。

 ぽつぽつと話をしながら歩き、大学の西門から構内へ入る。

 朝からのことがあったので警戒していたのだが、九環からの道中に追いかけてくるような幽霊などは現れなかった。


「貰ったお守りの効果でしょうか」

「それもあると思いますけど、九環の周りはああいうのはあまりいないんですよ」


 翼によると、事務所周辺は魔除けの結界があるため、特に害をなすようなものは入り込みにくいのだという。

 ただし、人にくっついているものはそのまま入り込んでしまうこともあるので、皆無というわけではないらしい。迪歩についていたカエルなどがいい例だろう。


「さて、到着ですが――」


 本来の目的地のテニスコートは博物館からほど近い。博物館に入る前にちらりと覗いてみたがやはりまだ人は集まっていなかった。

 時間的に、目的の二人が揃うまでには、博物館を一周しても少し時間の余裕がありそうだ。

 とりあえず一周してから考えようか、ということで迪歩たちは博物館へ向かった。



***



「はあ……なんで飛んでる虫の翅脈まであんなに綺麗に写せるんだろう……プロってすごい……」


 企画展示室を出たあと、常設展示のほうへ足を運んだが、こちらは二人ともすでに何度か来ているので喋りながらざっと流し見をしていた。

 流し見といっても、迪歩は企画展の興奮が冷めず、ほぼ周りのものは目に入っていなかった。もう、ため息しか出ない。


「ああいうのを見ると、ちゃんとしたカメラ欲しくなりますね。細かいところまで観察できるし」

「スマホで撮って後で調べようと思っても、細かいところが写ってないから種類が同定できなかったりするんですよね……」

「分かります……でもあのレベルだと一枚撮るのにすごい観察して時間かけるんでしょうね」

「結局、撮影技術だけじゃなくて観察力と根気が必要なんですよ……」


 理想的な写真への道のりは遠い。

 そんな風に二人で話をしている後ろを通り過ぎていった女性グループが、ヒソヒソと声を抑えつつ何事かを話しているのがかすかに聞こえた。


「やばい。もしかして芸能人? モデルとか?」

「見たことないけど……インスタとかやってたらフォロワーすごそう」

「恋人同士なのかな」


 翼はやはり目を惹くらしく、改めて周囲を見ると大抵の人がチラチラとこちらに視線を向けている。


(……なのに私が隣にいるせいで、なんだかすごく申し訳ない誤解が生まれそうになってる!!)


 なるべくさり気なく、半歩ほど離れた。

 しかし。

 少し遅れて翼が一歩ほど距離を詰めてくる。


(え、……待って? 偶然だとは思うけど……さっきより近いんですけど)


 また離れるのは不自然だろうか……と迪歩が悩んでいると、翼が迪歩のほうを向いてにっこり微笑んだ。


「そろそろ混んできたから出ましょうか」


 確かに、講義が終わった学生らしき姿がちらほら見え始めている。知り合いに会うと冷やかされそうで面倒である。

 しかも、体調が悪いと言って授業をサボっているのだ。目撃でもされたら週明けに尋問されるかもしれない。


「……そうですね」


 結局博物館を出るまで、自然な距離よりも半歩ほど近い、微妙な距離感のままだった。


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