10. もるもるはかく語りき その2
「あの、私最近までああいう……幽霊みたいなのは視たことなかったんです。小さい生き物……物の怪? みたいなのはよく見てたんですけど……。それって昨日壊れちゃったっていう守護となにか関係あるんでしょうか」
迪歩の言葉に、藤岡が少し意外そうな顔をした。
「ん、見たことなかった?……まあ、視えるものには相性もあるけど……でも今は視えるんだ?」
「そうですね……今日は大学の講義室の学生の中に、普通におかしな人たちが混じってましたし……昨日も同じ講義室で授業受けましたけど、その時は視えませんでした。もちろんその前も」
「うーん、昨日僕があの場所に行った時にはもう迪歩ちゃんの加護は壊されてて、残滓しか視えなかったんだ。だから元々どういう形で守られていたかはよくわかんないんだよねえ……」
そこへ突然、もるもるがキュッキュと声を上げ始めた。
迪歩がびっくりしてもるもるの方を見ると、真琴がもるもるの鳴き声に対して「え! 本当!?」と会話を始めた。
「神様の加護なんだって。もるもるによれば迪歩ちゃんのご家族が神様の縁者なんだってさ」
「……家族が神様?」
「の、縁者ね」
「ええ、すごいなぁ……」
(……って、みなさんなんか普通にもるもるが発言したということに疑問を抱いていないようなんですが……?)
戸惑う迪歩をよそに、藤岡はそのままもるもる(を抱っこした真琴)といくつか言葉をかわした後、迪歩の方へ向き直った。
「迪歩ちゃん、昨日話をした時に守護の『代償』になにか心当たりがあったみたいだけど、そのへんの話を詳しく聞いてもいい?」
「……えと……はい……」
祖父が言うところの『荒唐無稽な妄想の』話を他人にするのは、心理的な抵抗が大きくて心臓がバクバクする。
だが、ここにいる三人(+一匹)は真面目に聞いてくれるようなので覚悟を決める。
「……私は、守護の代償は私の大叔母ではないかと思ってるんです」
それまで迪歩を追いかけ回してきた『お客さん』がぱったりと寄ってこなくなったのはふゆの葬儀の後からだった。
そしてふゆの体が消えてしまったのはその葬儀の時。つまり、彼女の体は迪歩を守る代償としてどこかへ持っていかれてしまったのだと当時五歳の迪歩は考えたのだ。
「キッキュッ、プイッ」
「その大叔母さん……名前は、ふゆ? が土地神に嫁入りしたんだって。生き物が神格に上がるのに肉体は捨てる必要があるから、不要になった肉体を守護の基礎にしたんだろう……というのがもるもるの意見」
真琴がもるもるの言葉を翻訳してくれる。迪歩はふゆという名前は出さなかったのだが、言い当てられてしまった。
「確かに大叔母の名前は『ふゆ』ですけど……ええと……色々確認したい点があるんですが、まず……もるもるさんは何者なんですか……?」
完全にキャパオーバーである。
ふゆが嫁入りとか神格に上がったとかいうのも非常に気になるのだが、まず何よりも『もるもる』の正体が謎過ぎる。
迪歩の疑問に、飼い主の真琴がうーんと唸った。
「もるもるは精霊なのよ。神道だと自然霊とかになるのかな……うーんと、神様一歩手前だけど、肉体を捨ててないから神格には上がってない? ……いや、神格に上がらない代わりに肉体を持ってる?」
「まあほとんど神様みたいなものなんだよね。真琴ちゃんはもるもる専属巫女みたいな感じで、もるもるの言葉を聞くことができるんだよ。ちょっと在り方は違うけど、迪歩ちゃんのおうちで暮らしてた頃の『ふゆさん』と似た感じじゃないかな」
真琴にもうまく説明できないらしく、藤岡が補足してくれた。
だが、ふゆともるもるが似た感じと言われても。
だいぶ人間離れした雰囲気のある人だったが、ふゆは人間だった……はずである。
(……いや、ちょっと自信がなくなってきた)
ふゆとの思い出は、二歳~五歳という幼い頃のものなのでほとんど忘れてしまったが、いくつか印象に残っているやり取りはある。二人だけの内緒の約束をした話は特に。
『ふゆさんはひとりで寂しくないの? 旦那さんや子供がいないからかわいそうな人なのよってとなりのおばさんが言ってた』
今思うと大分ひどい陰口を本人に伝えてしまったのだと後悔ひとしおだが、幼い頃の迪歩は純粋にふゆが寂しくないか心配になって聞いてしまったのだ。
そんな迪歩にふゆはいつものようにふんわりと微笑んだ。
『私の大切なひとはこちら側にはいないの。でもいつもそばにいるから平気なのよ』
そう言って、「内緒よ?」と唇に指を当ててしーっというポーズをした。
……てっきり『すでに亡くなっているけどいつも私の心の中にいるわ』的な意味だと思っていたのだが、『こちら側』とは、あの世とこの世ではなくて人間界と神界のような次元の話だった……?
「ふゆさんが、神様の奥さんに……」
ええー。
ふゆが『大切なひと』と一緒になれたというならそれは非常に喜ばしいことではあるが、予想の範疇を大きく超えていた。
迪歩が呆然としている間にももるもるの話は進んでいく。
「迪歩ちゃんって、そのふゆさんと似てたりする? 見た目とか雰囲気とか」
「……あ、なんか見た目は似ているらしいです。あんまりにも似ていて祖父に疎まれてるくらいなので……」
「疎まれてる?」
ショックを受けていたので言わなくていいことまで言ってしまった。
祖父は迪歩の姿を見るたび、顔をしかめたり機嫌が悪くなったりする。それは迪歩の姿が若い頃のふゆによく似ているせいらしい。
迪歩自身は幼い頃からずっとそういうものだという意識が強くて、祖父の態度に特別怒りも悲しみも感じないのだが、瑠璃や妹の迪花などはそのことに対して非常に腹を立てているため、うっかり話題に出すと宥めるのが大変なのだ。
そのため、普段は基本的に祖父の話はしないことにしているのだが、つい口が滑ってしまった。
「あっ、えーと……祖父とふゆさんはちょっと折り合いが悪かったもので……」
「迪歩ちゃんも色々苦労してるのね……まあ、迪歩ちゃんはそのふゆさんとよく似てるから土地の自然霊とかの助力を得やすいらしいのね。だから地元にいる間は強固な守りを受けてたのよ」
真琴は迪歩の言葉から色々察したらしく、話を戻した。
『視える』ことが原因で苦労するのは皆共通なのだろう。
「迪歩ちゃんの言う『お客さん』とか『小さいなにか』とかっていうのは自然霊のことね。自然の中のなんかこう……霊的な力? が集まって形を作ったみたいな。それ自体に悪意は殆どないものなの。……それに対して、最近視るようになったっていう幽霊は思念体で、どうしたって未練とか悪意とかの負の感情と切り離せないものなのよね」
つまり、カエルたちは特に害がない『自然霊』で、小乃葉の霊や朝の交差点にいた人は負の感情を持った『幽霊』なのだ。
「えーと……まとめると、自然霊は危険性が低いから『近づけるけど手は出せない』、幽霊は危険なので『そもそも近づけない』っていうシステムの守護だったってこと……で、合ってる? もるもる」
真琴がもるもるに確認すると、もるもるが「ぷ!」と頷く。
今まで迪歩が幽霊を見たことなかったのは、それらが迪歩に近づけないように守護が遠ざけてくれていたからなのだ。
だが、助力してくれていた土地の自然霊から長く離れていたせいでその守護が弱まってしまっていた。
そこに強い攻撃を受け、守護が完全に壊れた……それが昨日の夜の出来事。
そして、今日はその守護が機能していないので幽霊も自然霊も大入り満員なのだ。
「私……地元から出ちゃいけなかったんですね……」
しょぼん、とつぶいた迪歩に藤岡が肩をすくめる。
「いやいや、昨日も言ったけど、どこにいたとしてもいずれ限界は来ていたと思うよ。それにそんな理由で外に出るのを制限されるなんて面白くないでしょ? 子供の頃の迪歩ちゃんは自分で身を守れなかっただろうけど、今は身を守る方法を学べるわけだしね」
「身を守る方法?……九字をきったりとか祝詞とかを唱えたりですか?」
「うん。そういうのも方法の一つだね……そこで提案なんだけどさ、迪歩ちゃん、ここでバイトをしない?」
「へ?」
にっこり笑った――フードと前髪で隠れて見えないので声の調子からの推測だが――藤岡の提案に迪歩は思わず首をかしげる。
なぜ……この流れでバイト?




