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九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員  作者:
見習い調査員の見習いの章
1/87

1. ふゆ、という人

 今井迪歩(みちほ)が五歳の冬、祖父の姉――廸歩にとって大叔母となる今井ふゆが、新潟の田舎町にある今井家の離れでその一生を終えた。


 ふゆはその生涯で一度も結婚することはなくひとり身を貫いていた。

 本人がそれを望んだからなのか、それとも縁がなかったのかはよく分からない。

 ただ、彼女は子供の頃に神隠しに遭っていた。

 ――だから縁談がまとまらなかったのだ、と、ふゆの葬儀の席で近所の年寄り達が話していたのを廸歩はぼんやりと聞いていた。


 人口の少ない田舎にあっては、たとえ被害者であったとしても普通と違うことは忌避される対象となってしまう。

 まして、少女が数日間行方をくらませていたなどというセンセーショナルな事件である。ふゆの行方不明の理由が超常的なものであれ、人為的な犯罪であれ、どちらにせよ彼女はすでに汚れた人間として扱われた。そして集落内ではそんな彼女の生家である今井家自体が問題のある家として扱われた。

 その影響でふゆの弟の春孝(はるたか)――つまり廸歩の祖父は、学校、就職、縁組……と、あらゆる場面でたいそう苦労をしたらしい。

 そんなこんなで、春孝とふゆの姉弟関係はすこぶる悪かった。


 ふゆは家の裏山にある離れに一人で暮らしており、迪歩を含む家族の暮らす母家へ顔を出すことは全くなかった。そのため、ふゆと迪歩が初めて会ったのは、迪歩が二歳になった頃だった。

 もちろん、廸歩は自分自身ではその頃のことをよく覚えていないので、母から聞いた話になるが、ふゆと会う前の廸歩はしょっちゅう熱を出して寝込んでいたそうだ。

 あまりにも寝込んでばかりいるので、周りの大人たちからは「この子はあまり長く生きないだろう」とひそかに言われていたくらいに。


 それでも、春孝にとって廸歩は初孫であったため、初めは何くれと気にかけてくれていた。――だが、その態度が硬化するのにそれほど時間はかからなかった。

 なにせ廸歩ときたら、言葉を喋る前には何もない虚空を見つめて泣き、喋るようになってからは「おばけがいる」「おいかけてくる」とおかしなことばかり言いながら泣いて、そして熱を出して寝込むという有様。

 ふゆの神隠し事件の影響で超常現象アレルギーになっていた春孝にとって、そんな廸歩は腫物以外の何者でもなかったのだろう。



***



 その日、廸歩の母は熱を出してぐずる娘を抱きかかえたまま、ぼんやりと家の外を歩いていた。

 ――春孝は朝から機嫌が悪くて、廸歩のぐずる声を聞いたら怒り出すに違いない。

 そう思うと家の中には居づらくて、彼女はなんとなく足の向くまま歩き、そしてふと気がつくと、普段は近寄らないようにしていた離れの庭に入ってしまっていた。

 そこは春孝から近づいてはいけないと強く戒められていた場所であったが、その時、彼女は「迪歩を連れてそちらへ行かなければならない気がした」のだそうだ。


 そこは昔、今井家の誰かが「庵が欲しい」と言って建てた建物だったらしい。

 庵を目指しただけあって母屋から少し離れた木々の合間にあるそこは、外の喧騒が届かないような静かで緑の濃い場所だった。

 

 ふゆは、その離れの縁側にひとり座って本を読んでいた。

 母と、その腕の中に抱かれてぐずる娘の姿を見つけたふゆは「あらまあ大変」とすぐに駆け寄ってきた。

 そして、彼女は何の迷いもなく両手でそっと迪歩の手を取ると、その小さな手のひらで迪歩自身の耳を塞ぐように覆った。


「誰かの音に惑わされず、あなたの命の音を聞きなさい」


 ふゆが耳元でそっとささやくと、それまで眉間にしわを寄せていた迪歩の呼吸はゆっくりと落ち着いてゆき、そして、穏やかな表情で眠りについた。


 母は勝手に庭へ入ったことを詫び、改めてきちんとお礼に来ると申し出たのだが、ふゆはゆっくりとかぶりを振り、自分が関わったことを知ったら春孝は怒るだろうから、内緒にしておきなさい。ただ廸歩がまた苦しむようなことがあればこっそり連れてきて、と言ったそうだ。


 だから、自分で自由に歩けるようになった迪歩はふゆのところへこっそり通っていたけれど、それは母と廸歩、ふゆの三人だけの秘密だった。こっそり廸歩の母からの差し入れを持っていったりすることもあった。


 そんな三人のひそやかな交流は、ふゆが亡くなるまで続いていた。



「あら廸歩ちゃん、今日も来たのね」

「うん。この鳥がはなれてくれないの」

「そうだねえ、廸歩ちゃんは『お客さん』に好かれちゃうからねえ」


 迪歩が自分の肩に止まった真っ黒な小鳥を見せると、ふゆは「困ったわねぇ」と小鳥を指でつついた。

 つつかれた小鳥は煙のように形を崩し、空気に溶けるように消えてしまう。


「あら、あの子はちょっとだけ迪歩ちゃんのそばにいたかっただけみたいね」


 ふゆは普通の人には見えないもの、おそらく幽霊とか物の怪とか、そういうものを『お客さん』と呼んでいた。

 ただし、この『お客さん』が視えることは人に話してはいけない、というのがふゆと迪歩の間で交わした約束だった。

 ふゆは『お客さん』を視て、時に言葉をかわし、さらにそれらを追い払う力も持っていた。

 そんな彼女によれば、迪歩は『お客さん』にとても好かれる体質で、普通の人よりも『お客さん』が寄ってきやすく『(さわ)りを受けやすい』のだそうだ。そのため廸歩は大体週に二、三度は『お客さん』問題で離れへと通っていた。


 ――まあ、秘密だの何だのといっても所詮狭い敷地の中のことなので、迪歩がふゆに懐いて頻繁に通っていたことなど、おそらく春孝も知っていたはずだ。

 それでも、迪歩が口を滑らせたり見つかったりさえしなければ咎められることはなかった。春孝自身も自分の姉に対して、憎しみだけでは説明できない複雑な感情を持っていたのだろう。



 それが決定的に変わってしまったのはふゆが亡くなってからだった。

 彼女は、毎日灰色にくすんだ空から雪ばかりが降り落ちてくる冬の、珍しくきれいに晴れた日の朝に、縁側の柱にもたれたまま眠るように静かに亡くなっていた。


 ……でも実は、彼女の遺骨は今井家の墓に入っていない。


 墓に入れてもらえなかったのではなく、入れることができなかったのだ。

 なぜなら、ふゆの骨は破片や灰のひと欠片すらも、文字通り塵一つ遺さずこの世から消えてしまったからだ。

 火葬場の火力調節などの問題があったとしても、普通ならば骨が全く残らないということはまずないはずで、これは明らかに異常な出来事であった。

 お骨拾いの場にいたのは火葬場の職員と近しい親族のみであったため、この出来事は春孝によって箝口令が敷かれた。


 この火葬の一件以来、今井家ではふゆの存在自体が完全なるタブーになってしまったのだった。


 ふゆのいない今井家は迪歩にとっては居心地のいい場所ではなかったため(と言っても、決して彼女の存命中から居心地が良かったわけではないのだが)、迪歩は何の迷いもなく地元の新潟を離れ、興味のある研究をしている先生が在籍する北海道の大学へ進学した。それから一度も実家に帰っていない。


 その期間、大体一年とちょっと。

 迪歩は十九歳、現在は札幌にある大学の二年生になった。


 そして今、迪歩は『お客さん』に襲われていた。

 助けてくれるふゆはもういないのに。

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