第八話
正面の海上に船が見えた。
「メリス王国の軍艦です!!」
見張りの船員が大声で伝える。
それを聞いたレッドさんは、懐から単眼鏡を取り出して覗き込んだ。
「・・・何だってメリスが・・・おいハンス!!」
レッドさんがハンスさんを呼んだ。
ハンスさんは頭を掻いて気まずそうにレッドさんの側に行って、何やら話し始める。
暫くハンスさんとレッドさんが話していると、急にレッドさんがハンスさんの頭を軽く叩いた。
「何が・・・?」
「・・・」
ナジームさんに向けて聞いてみるが、ナジームさんは何も答えなかった。
「野郎共!!何時も通りだ!!落ち着いていけ!!」
レッドさんが声を張ると、直ぐに威勢の良い船員達が返して、機敏に船の上を行き来する。
「戦闘旗が揚がったぞ!!」
ここからでも見えるが、相手の船のマストの一番高い位置に、青地の旗が翻った。
「!!」
その瞬間に船上に緊張が走り、直ぐに船員達の動きが変わる。
「取り舵一杯!!」
レッドさんの号令の直ぐ後、船は右に傾き始めた。
右前から吹いていた風が今度は右のやや後から吹く様な形に成ると、船は一気に速度を増す。
対して、敵の船も同じ様に此方を追い掛けて舵を切り、速度を増して距離を詰め始めていた。
「拙いですね」
ナジームさんが呟いた。
ハンスさんも険しい表情で頷く。
私は良くは分からないで居るのだが、そこにレッドさんが近づいてくる。
ノシノシと言う様な足取りでゆっくりと近づいてきて、それからハンスさんに話し掛ける。
「緊急事態だ分かるな?」
厳つい顔でレッドさんが言う。
「提督の判断にお任せしますよ」
ハンスさんは直ぐに返事を返す。
その短い言葉の遣り取りを終えると直ぐ、レッドさんは直ぐに船首の方を向いた。
そして、大きく息を吸い込んで、怒鳴る様に声を上げる。
「戦闘旗掲揚!!」
その瞬間に歓声が上がった。
全ての船員達が、有らん限りに声を張り上げて、笑みを浮かべた。
そんな賑やかな船上でレッドさんは指示を出す。
「戦闘用意!!右舷砲撃戦用意!!海兵隊は直ちに右舷に集合しろ!!」
マストに大きな旗が揚がった。
上半分がオレンジ色で下半分が白い旗には、紋章の様な物と蛇が描かれている。
その旗が掲揚されると、船員達はより一層に喜ん出声を上げた。
それと同時に、船の中から少し変わった雰囲気の男達が出てくる。
白いタイトなズボンに濃い青の丈の短いコートを着ていて、頭には映画で見た海賊の被っている様な帽子を被っている。
そして、その男達は全員がライフルを持っていた。
良く見ると男達の顔には見覚えがある。
「あの人達って・・・」
あの酒場に居た酔っ払いの男達だった。
船に乗ってからは見掛けないと思っていたが、軍服の様な物を着ている彼らは、正しくあの時の酔っ払いだった。
ただ、今の彼らの表情は精悍に引き締められていて、あの夜の様なだらしなさは一切感じない。
「彼らは海兵隊です」
「海兵隊?」
「海軍内の白兵戦専門の部隊で、海上戦の時にはああして銃を使って敵の兵士を狙い、接舷すれば勇敢に斬り込んで行く戦闘部隊です」
「他にも陸上では力を持たない海軍の港を守り、時には敵地に上陸して戦うのも任務の一つ。アンゲイルの持つ最強の陸上戦力だ」
ナジームさんとハンスさんが海兵隊の説明をしてくれた。
と言うか、知り合いの商船と聞いていたのだが、どう考えても商船で無い気がしてきた。
軍人は乗っているし、大砲はあるし、どう考えても商船じゃ無い。
そんな風に思っていると、ハンスさんが察して話してくれる。
「実はね・・・彼、レッド提督はアンゲイル公国海軍の少将でね。まあ、今回は私達の作戦に協力すると言う事で、商船に擬装して私達を送ってくれているんだよ」
少将と言えば結構偉いのでは無いだろうか。
そんな人が、何故船長をしているのだろうかと思う。
「普段は艦隊の総司令をやっているんですが・・・まあ、机仕事が嫌だって言って、勝手に参加してしまったんです」
ナジームさんが脱力して説明した。
確かに、レッドさんは活き活きした様子で、声を張り上げている。
「帆を全部張れ!!」
レッドさんが言うと、全てのマストが帆を張りだした。
それから、更に舵が左に切られて、船は完全に追い風に入る。
真後ろから追い風を受けた船は、一気に速力を増して、波を切って海原を疾走した。
だが、背後に迫る船の姿は一向に小さくは成らず、むしろ徐々に大きくなっている。
「敵艦発砲!!」
見張りの船員が叫んだ。
その少し後に、船の直ぐ横の海面を砲弾が叩いて大きな水柱が上がる。
「っ!!」
砲声が後で鳴る度に、身体が反応して一瞬硬直する。
そんな私の隣の二人は、涼しい顔で悠然と佇んでいた。
「・・・怖く無いんですか?」
そう聞くと、ハンスさんは私の方に顔を向けて微笑んだ。
「慣れているからね」
そうハンスさんは言って正面を向いた。
つられてハンスさんと同じ方を向くと、視線の先ではレッドさんが嬉々として指示を飛ばしているのが見えた。
「距離200!!」
既に背後の船の姿は船の上の人の姿がハッキリと見えるまでになっている。
相手の船は此方の船よりも一回り以上も大きな物で、本当に大丈夫なのかと心配になった。
そんな私の不安を他所に、レッドさんは振り返って笑みを浮かべ、それから船首に向かって指示を飛ばす。
「右舷錨を降ろせ!!」
良くは分からないが、錨とは船を止めておくための物なのではないだろうか。
逃げているのに錨を降ろすのはどう言う事なのかと思っていると、指示通りに錨が投げ下ろされた。
「掴まれぇえええ!!!」
レッドさんが叫んだ。
すると、直ぐにハンスさんとナジームさんの二人が私の身体を抑えた。
「えっ!?」
衝撃が走ってから身体が前につんのめった。
二人に支えられていなければ間違いなく転んでいただろう。
何かに打つかった様な強い衝撃で、速度を出していた船は直ぐに止まって、前のめりになりながら右に曲がり出す。
真面に立っていられない様な状態で有るにも関わらず、自然と向いた視線の先のレッドさんは、微動だにせずに立ち続けている。
「!!」
船は大きく右に傾き、顔を上げれば水面が見えるほどだった。
踏ん張って声を出すことも出来ない状況は、暫くすると船が真横を向いて元に戻る。
レッドさんが声を上げた。
「右舷!!砲撃始め!!」
「右舷!!砲撃始め!!・・・撃てぇっ!!!」
右舷の一人が、レッドさんの言った事を復唱して叫び、その後に号令を発した。
次の瞬間、爆音が耳を劈いて閃光が網膜を焼いた。
「描上げ!!面舵急げ!!」
爆音は合計で八回鳴った。
その後にレッドさんの指示が再び響いて、今度は船は左に僅かに傾きながら右に曲がり出す。
同時に帆の傾きが変わって、張り出されていた帆も畳まれていく。
船首付近では落とした錨を、男達が力一杯に引き上げていき、船は右正面に敵船を臨んで進み出した。
「左舷砲撃用意!!急げ!!」
右舷から移動した船員達が、左舷御大砲を準備しだした。
大砲は一度巨大な綿棒の様な物を押し込まれて掃除された後、紙の包みと鉄球が砲口から奥に詰められる。
「海兵隊射撃開始!!」
号令と共に海兵隊の人達がライフルを構えて引き金を引いた。
「大佐!!」
「遅れました!申し訳ありません!!」
同じタイミングでジミーさんとニールさんが慌てた様子で船室から飛び出してくる。
二人とも顔色が少し良くなっているが、それでも本調子と言う感じでは無い。
それでも、手にはライフルを持っていて、戦うつもりのようだ。
「二人とも大丈夫か?」
ハンスさんが二人に体調を聞いた。
「問題ありません」
「大丈夫です」
二人は姿勢を正して答える。
「なら海兵隊の指揮下に入れ。慣れないだろうが経験になる」
「「はっ!!」」
敬礼をした二人は、海兵達に混じって戦いに参加した。
「大丈夫なんですか?」
心配になってハンスさんに確かめると、直ぐに答えが返ってくる。
「問題ないよ。二人とも優秀だからね」
そう言うハンスさんの表情には、心配は微塵も無いようだった。
「・・・」
相手の船の方はと言えば、先程の砲撃が当たった部分が大きく抉れて船首が酷く損傷している様に見える。
ここからも見える船員達は慌ただしく動き回っていて、ライフルを構えた人達が見えた。
「ビビるなよ!!奴等に海の戦いを教えてやれ!!」
敵の船は目の前に迫っている。
このまま行けば打つかると言う距離でも、レッドさんは逃げようとはせずに檄を飛ばす。
その声に励まされた船員や海兵達も、全く動じずに相手を睨み続けた。
そうしていると、相手の方が舵を切ってそれ始める。
それを見るや、レッドさんは喜色満面で叫んだ。
「海兵!!左舷に移れ!!左舷秒を投げろ!!」
今度は左側の錨が投げ落とされた。
「面舵一杯!!急げ!!」
操舵手が舵輪を目一杯に回して力一杯に押さえ付ける。
すると、落とされた錨が海面の岩を掴んで、再び船は大きな動揺に見舞われて、前のめりになりながらスライドする様に右に向き始めた。
「っ!!」
先程よりも強い衝撃に転びそうになるが、レッドさんはやはり動じずに立ち続けた。
そして、船は相手の船の直ぐ右に着けて同じ方向を向く。
「撃て!!」
船員が言ったか、レッドさんが言ったか、どちらが早かったのかも分からないが、声が上がった瞬間に、けたたましい爆音と共に砲弾が砲口から吐き出されて、敵の船に叩き付けられて、木造の船体を破壊する。
「取り舵!!このまま叩き付けてやれ!!」
今度は舵が左に切られた。
船は徐々に左に進み始め、先程船の側面を砲撃で抉られた相手の船に、勢い良く打つかった。
「良いぞ!!海兵隊俺に続け!!」
私がとうとう耐えきれずに床にへたり込むように倒れ込む。
直ぐにナジームさんに助け起こされたが、余りの衝撃に少し足下が覚束無くなって縋り付いた。
私がそんな風になっている間に、レッドさんは腰の刀を抜いた。
そして、いの一番に相手の船に乗り込んでいって斬り込む。
後に続いた海兵隊とニールさん、ジミーさん達が乗り込む前にライフルを撃って、続々と乗り込んでいく。
それから僅かに数分後、相手の船に乗り込んだレッドさんたちが歓声を上げて、マストの先から相手の旗を引きずり下ろした。