第六話
ラクサスの街に辿り着いたのは夕暮れの直前の事だ。
服の裾は泥で汚れ、所々が枝に引っ搔かれて破れ解れ、髪は雨に濡れてボサボサに荒れ果てた。
長く雨に打たれた所為か、身体が酷く冷えて指先が固まってしまっている。
「何処かの宿に入りましょう。・・・その前に服もどうにかしなければ」
今の私の服は水気を切らない雑巾の様な有様に成っていて、このままでは宿に入れてくれるのかも怪しい。
ナジームさんの方も汚れが目立ち、全身濡れ鼠の状態ではあるのだが、不思議と、私とは違って様になっているから不思議だ。
果たしてコレが顔面偏差値の違いかと思っていると、ナジームさんに手を握られた。
「コッチです」
少し足早にナジームさんは私の手を引いて歩き始める。
大きなナジームさんの手に包まれた右手が、じんわりと温まって心地が良い。
そう思っていると、一軒の店の前で立ち止まった。
「もし!」
ナジームさんは既に店じまいをしている所に声を掛けた。
だが、店側からは何も反応は返らず、それでもナジームさんは構わずに声を掛け続けて、更に扉を叩き始めた。
「一体何だ?」
漸く店の奥から不機嫌そうな声色の中年の女性が顔を出した。
「彼女に服を見繕って欲しい」
ナジームさんは店主の顔を見るなりに、全く物怖じする事も無く。
口早に要件を伝えた。
「・・・アンタ、東方の人間かい?」
「・・・そうだ」
「ちっ・・・金は?」
何だか妙なくらいに店主の態度が悪い。
だが、ナジームさんもそんな店主の態度を気にも止めずに、懐から硬貨を数枚を取り出して渡す。
「・・・入りな」
店主は渡された硬貨を訝しげに眺めてから、渋々と店に入る様に言って中に入る。
「行きましょう」
ナジームさんは私の方に向いて中に入るように促す。
無言で頷いてナジームさんに従った私は、後に続いて店内に入る。
「あんま汚すなよ」
そう言われると泥だらけのままで入るのが申し訳なく、気休めだろうと思いつつも、服のスカートの裾を持ち上げて歩く。
指して広くない店の中には所狭しと服が掛けられている。
品物を汚さない様に気を付けて見て回り、その中からサイズの合いそうな物を適当に見繕って手に取った。
「それで宜しいのですか?」
「はい」
取り敢えず今来ている様な服を一式選んだ。
それからナジームさんが店主と交渉して、店の奥で着替える事の承諾を得て、私は案内された先で服を着替える。
靴だけはそのままはき続ける事に成り、脱いだ汚れた服は、店の方で引き取って貰える事に成った。
「お世話になりました」
店を出る時に礼を言うと、店主は鼻息を噴かしてさっさと出て行けと身振りする。
背を向ける店主に、もう一度お辞儀をして店を出た。
「ナジームさんは着替えないんですか?」
気になって尋ねると、ナジームさんは笑って首を振る。
「私に服を売ってくれる様な店はありません」
少し寂しそうな、何処か諦めた様な表情に、私はそれ以上は何も言えなくなった。
「さあ、何処かで宿を取りましょう」
そう言って、ナジームさんは再び私の手を取って歩き出す。
暗さを増した街の中、家の窓から光が漏れる通を歩いていると、騒がしく光と音楽の漏れる場所があった。
どうやら飲み屋のようだ。
夜の街と言うのは不思議な雰囲気を持っている。
男達は酒場に屯して歌い笑い、女達は着飾って流し目で街頭に立つ。
イメージ的には正にアウトローな感じのする光景だ。
「・・・」
酒場の側を通り掛かった時、何とも言えない良い匂いが鼻先を掠める。
それと同時に私の胃が大きく声を上げて、何か食わせろと主張した。
「・・・」
「・・・何か食べますか」
少し気まずそうにナジームさんが提案し、私は顔が熱くなるのを感じながら頷いた。
「何を食べますか?」
酒場に入って適当な席に着くと、ナジームさんが聞いてきた。
メニューに何があるのかが良く分からない私は、取り敢えず近くを通り掛かった店員に声を掛ける。
「すいません」
「はい?」
「この店のオススメはありますか?」
「・・・あ~・・・ソーセージの盛り合わせとマッシュポテトか?」
「じゃあ、それで」
と言う様な感じで注文をすると、店員は礼も言わずにとっととカウンターの奥に下がった。
日本を基準に考えるとかなり酷い対応の様な気がするが、所と時代が変わればこんな物だろう。
「・・・騒がしいですね」
店の中には様々な人がいるが、その中でも兎に角騒がしいのは店の半分を占領している集団だ。
全員が髪を短く刈り込んでいる若い男達は、浴びるほどに酒をかっ喰らって騒いでいる。
「うん?何だお嬢さん?」
気になってみていると、一人の男と目が合ってしまった。
そうすると男は両手にジョッキを持って近づいてきて声を掛けてくる。
凄まじい汗と潮と酒の臭いに思わず、鼻を摘まみたくなるが、流石にそれは無礼だろうと我慢した。
「すいません。何でもありません」
さっさと終わらせようと謝ってみるが、男は尚も絡んでくる。
「なんだ?一緒に愉しもうや」
好い加減に男はしつこく、しまいには私の肩に手を置いてくるとナジームさんが男に食ってかかる。
「そろそろしつこいぞ」
ナジームさんが男を睨むと、男も少し怯んで後退る。
だが、男は直ぐに勢いを盛り返してナジームさんに語気も荒く挑む。
「んだぁ?羊臭い東方野郎は引っ込んでろや?、ああぁ?」
良く見るとこの酔っ払いも含めて男達はかなりガタイが良い。
胸板は厚く、二の腕も男らしく逞しい。
手や顔に傷が目立って厳めしく、正に荒くれ者と言った様な風体だが、酔っているにも関わらず体幹が確りとして重心が深い。
何となく、身のこなしや体勢が自衛官の様だと思った。
「今・・・何と言った?」
ナジームさんが雰囲気が変わった。
普段の穏やかな様子とは打って変わって、まるで触れる物を切り裂く刀の様な様子で、男に言う。
男の方も引っ込みが付かないのか、怯まずに顔を突き合わせてナジームさんに言った。
「ああ?耳も遠いのか?この羊野郎」
「・・・貴様ぁ・・・っ!!」
剣呑な表情のナジームさんは立ち上がって威圧する。
ナジームさんも良く見ればそこそこに体格が良く、背丈はそれ程でも無いが背中の盛り上がりと腰回りの筋肉が良く発達していて、実際よりも大きく見える。
「・・・」
「・・・」
ナジームさんと男が睨み合うと、周囲で見ていた人も興奮してはやし立てる。
「・・・」
私は如何する事も出来ずに見守っているしかなかった。
最早、殴り合い一歩手前と言う雰囲気の中、突然、酒場に一人の人物が走り込んで来た、
「っ!!」
その場にいた全員が一斉に入ってきた男の方を向いて、緊張が走る。
「ハンス大佐が来たぞ!!」
飛び込んできた人が叫んだ。
その瞬間、酒場にいた男達が一斉に声を上げて外に飛び出して行く。
私はハンスと言う名前に反応してナジームさんを見た。
ナジームさんも直ぐに私の方を見て、私達は揃って店を出る。
それから、私達は先を走る男達の後を追って街の入り口に向かうと、そこでは集団の中心で泥塗れのハンスさんが笑っていた。
「ハンスさん!」
私は声を上げて人混みをかき分けた。
そして、ハンスさんに飛び付く。
「ティア・・・」
「ハンスさん」
ハンスさんは無事で、ジミーさんも、ニールさんも何事も無く帰ってきた。
私はその事が嬉しくて仕方が無い。
たったの三日足らずの付き合いでしか無いのに、それでもとても嬉しい。
「そろそろ良いか?」
後から声を掛けられた。
私は途端に気恥ずかしくなってハンスさんから離れて横に並ぶと、一人の長身の男が目に映る。
「久し振りだなハンス」
「お久し振りですレッド提督」