第五話
夢を見ている。
今の自分が夢の中に居るのだと直ぐに理解できた。
とてもリアルで、何処かもの悲しい夢だ。
『・・・』
夢の中の私に女性が話し掛けてきている。
顔は良く見えないが、金髪の美しい人だとは分かる。
ボロボロの汚れた服で、綺麗な金色の髪をくすませた女性は、私の両肩を掴んで何か言っていた。
何も判らない私は、ただ一度頷くしか無かった。
『・・・』
女性は軽く微笑むと、一度私の頭を撫でて、それから私を強く抱き締めた。
力はそれ程強くない筈なのに、万力で締め付けられる様な錯覚を覚えるほどに強く感じる。
『ヨーティア・・・』
私を呼んだのは分かった。
だがそれ以外には何も判らない。
女性は私から手を離して立ち上がった。
それから私に背を向けて歩き出してしまう。
私は、その背中をただ見送る事しか出来なかった。
「ティア!」
「・・・ハンスさん」
眼を覚ますと、目の前にハンスさんがいた。
心配そうに見詰めてくるハンスさんを不思議に思っていると、目許が涙で濡れているのに気が付いた。
どうやら、私は泣いていた様だ。
「大丈夫かい?」
「え、ええ・・・はい。大丈夫です」
目許を拭って答えると、ハンスさんは軽く頭を撫でてテントの外に出た。
「・・・」
あの夢が何だったのか、この身体に残っている記憶が見せた物だったのか、何なのかは確かな事は分からない。
だが、とても悲しい事だったと言うのは良く分かる。
きっと、あの女性は私の母親なのだと思う。
この髪と同じ金色の髪の、白い肌の女性は、顔は良く思い出せなくても、何処か悲しそうだった。
「・・・着替えよう」
少し惚けてしまったが、意を決して着替える事にする。
機能までと同じ服を手早く着込んで、それから荷物を準備してテントから這い出る。
「おはようございます」
「おはようございます・・・」
テントから出ると、一番に挨拶をしてくれたのはナジームさんだった。
「はい。朝ご飯」
そう言ってナジームさんは昨日の残りを温めた物を出してくれる。
「ありがとう御座います」
礼を言って受け取ると、ナジームさんは微笑んで返してくれて、それから出発の準備を始めた。
どうやら私は寝坊してしまった様だ。
迷惑を掛けてしまった。
そう思って、私はお粥を手早く食べ進める。
「ゆっくりで良いよ」
馬車に荷物を載せながら、ハンスさんが言って笑う。
そんな事を言われても、ゆっくり等はしていられる訳が無い。
私は出来る限り急いで朝食を流し込んだ。
「ごちそうさまでした」
食べ終わる頃には既に出発の準備は整っていた。
何ともはや、旅に慣れている方々は、無駄が無い事で、この分では私がいてもいなくても変わらなかったのでは無いだろうか。
「さあ行こう。夜までにはラクサスに入れるだろう」
ラクサスと言うのが港町の名前だ。
予定では日暮れ前にはラクサスに入って一泊知って、それから海路でアンゲイル公国と言う国のフィオルと言う港に入るそうだ。
アンゲイル公国はハンスさんの国のアウレリア王国の友邦の1つで、海運が発達した沿岸国だそうだ。
海鮮料理と内陸で造られる白ワインが名産の温暖な国で、フィオルと言う港は、公国の中でも一二を争うほど港町で、海軍の拠点でもある。
今回はフィオルから来ている商船に便乗して公国に向かう事に成っている。
「今日の夜は、何処かのお店で美味しいものでも食べようか」
隣のハンスさんがそう言って笑う。
美味しい物と言われると、それだけで心が弾む。
港町と言う位なのだから、新鮮な魚介類が食べれるかもしれない。
そう思うと、痛む尻で馬車に乗るのも耐えられる物だ。
「嬉しそうですね」
あからさまに機嫌の良くなった私を見て、ナジームさんが笑う。
そう言われると少し気恥ずかしくなって、私は意識して表情を元に戻そうとして、佇まいを直す。
その様子もまた、ハンスさん達には壺に入ったのか、一層に笑顔で此方を見てきた。
雨が降り出してきた。
時刻は午後2時を少し過ぎた辺り。
急に空を厚い雲が覆って暗くなり、程なくして雨粒の大きな強い雨が打ち付けた。
「・・・」
雨の中進み続ける馬車の中は、不思議と静まり返っていて、ハンスさんも普段の笑顔がなりを潜めている。
何か様子のおかしい物を感じた私は、ふと、ジミーさんの方を見つめる。
何故そうしたのかは自分にも分からなかったが、だが、その時はそうした方が良い気がしたのだ。
「っ!!」
突然馬車が止まった。
馬の嘶きと共に荒っぽく止まった馬車の中、私はよろけて転びそうになった。
「大丈夫か」
そんな私をジミーさんが助けてくれて、彼はぶっきら棒に言う。
「ありがとう御座います」
礼を言うと、ジミーさんは直ぐに私から手を離して馬車の外に飛び出していく。
「ヨーティア」
ハンスさんが私に声を掛けてくる。
何時になく険しい様子で呼び掛けてきて、顔を近づけて言った。
「何があっても外には出るな。分かったな?」
「はい」
萎縮してしまいながら、それでも何とか返事を返すと、ハンスさんは一度笑いかけてくれて、それから馬車の外に出る。
ナジームさんも同じ様に外に出て行って、私は一人残された。
「・・・」
静かに一人でいると、雨音も相まって一層に孤独感を助長して寂しくなってくる。
気温も低くなった所為か、何処か物寂しくて、胸の奥の方まで寒くて凍えそうだ。
「・・・何が?」
一瞬、好奇心に負けて馬車の外を見てしまおうかと邪な思いが芽生えた。
ゆっくりと馬車の外の方に移動してそっと首を出そうとした時、物々しい大きな音が耳を劈いた。
「っ!?」
驚いて尻餅を着いてしまった。
何かが爆発した様な音で、それは映画などで聞いた事のあるような爆音で、だが、今のは何とも言えない迫力が有った。
直後、数回の破裂音が続いた。
所謂銃声の様な音が、一度二度と鳴る度に、心臓が跳ね上がる思いがする。
「ヨーティア!!」
ナジームさんが馬車の扉を開けて入って来た。
「来い!!」
剣呑な表情のナジームさんに、私は逆らう気も、疑問も抱かずに従って外に飛び出す。
馬車の側面の扉から外に出て、ナジームさんに抱き付くようにすると、途端に大粒の雨粒が背中や頭を打ち付ける。
「ナジーム!彼女を頼んだ!!」
そう言うハンスさんは、馬車の後部側に張り付くように身を隠していて、右手には拳銃を持っている。
反対側の車両の前側では、同じくジミーさんとニールさんがそれぞれ銃のような物を構えていて、火縄銃の様なそれを、時折馬車に隠れながら反対側へ向けて引き金を引いている。
まるで映画の中のアクションシーンの様な状況に、頭が着いていかない。
「ヨーティア!!」
ナジームさんが両手で包む様に頬を挟んで真っ直ぐに見詰めてきた。
「着いてこい。良いな?」
頷くしか無かった。
とても何かを言う様な余裕は無く。
ただただ頷いて恭順を示すしか無かった。
「よし」
一瞬、笑顔を見せてから立ち上がったナジームさんは私の右手を確りと握り、左右に目を凝らしてから正面の林に向かって走り出した。
ナジームさんに引っ張られて私も懸命に脚を動かして走る。
私達が走り出した途端、離れていく背後の馬車では、一斉にハンスさん達が銃を撃って見えない相手に怒号を飛ばしていた。
「コッチだ・・・!」
声を押し殺した様な、しかし、強い口調のナジームさんの声に引かれて林に入ると、もう、馬車の姿は見えなくなって、ずんずんと進むナジームさんに従って走ると、喧騒も聞こえなくなった。
「大丈夫ですか?」
アレから暫く走った先で、大きな栗の木を見付けた私とナジームさんは、一端脚を止めた。
元々体力の無い身体故に、脚を止めた瞬間に服の汚れるのも厭わずに木の根本に座り込んで、荒くなった息を整える。
「コレを」
ナジームさんは私に革製の水筒を手渡して呑むように進めてくれた。
「どうも・・・」
受け取った私は、水筒に口を当てて勢い良く水を飲む。
疲れた身体に染み渡る様に、水分が身体を駆け巡り、僅かながらも力が湧いてくる。
体育でマラソンをした時の何倍も疲れた気のする私にとって、水筒の水は正に救いだった。
「少し休んだら移動しましょう」
「・・・コレから・・・如何するんですか?」
息を整えながら質問する。
ナジームさんは周囲を見回しながら答えてくれる。
「予定通りに港に向かいます。着いたら直ぐに知り合いの船に行きましょう」
「ハンスさん達は?」
「最悪の場合、置いていきます」
何の気なしに答えたナジームさんに、思わず非難の言葉を浴びせ掛けそうになるが、すんでの所で言葉が詰まった。
良く見ればナジームさんは拳を握って振るわせていって、爪が掌に食い込んでいる。
私なんかよりもよっぽど付き合いの長いであろうナジームさんは、それでも本心を殺して私を護ってくれようとしているのだ。
そんなナジームさんに、私が言える事など何も無かった。
「・・・」
「・・・3時間も歩けば着くはずです」
予定では、あと2時間馬車で行けば着くはずだった。
ナジームさんは道を逸れて真っ直ぐに突っ切れば直ぐに着くと言い、今から急げば日暮れ前には乗船できる。
そうすれば強引にでも出港できると言った。
「歩けますか?」
見下ろして手を差し伸べるナジームさんに、私は笑って頷いて、ナジームさんの手を取って立ち上がる。
そして、雨の降る森の中を、ナジームさんに手を引かれながら歩き出した。