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朝は目覚めぬクロードと同じ寝台で起きる。
「おはようございます、あなた。今日はお義父様に帳簿の見方を習う予定です。何も知らない世間知らずには務まらないとあなたは笑うでしょう」
行ってまいります、と声を掛けてサラは寝室を出た。
正直クロードには恨み言を言いたい気分だったが、やめた。
サラが嫌がることよりも、愛情を向ける素ぶりをした方がクロードは悲しい顔をしたのを思い出したからだ。
義父は優しく、時に厳しくサラを指導した。
最初に仕事をしないかと持ち掛けられた際に一度謝罪があったきり、クロードの話しを義父はしなかった。
昼になるとサラはクロードの元に戻り、身体の位置を変える。下女と共にやっていたが力が足りず、男の使用人を雇い入れた。
食事をすり潰したサラサラのものを身体を起こしたクロードに舐めさせ、水分を含ませたガーゼを口に当てる。
クロードの寝室で食事を取りながら、サラはクロードに話し掛ける。
「午後からは宿の仕入れの商談に付いて行く事になりました。あなたがどんな方たちと関わっていたのか知れる良い機会になると思います。とても楽しみです」
サラは食事を終えると、クロードを真上から無表情に見下ろす。
綺麗な顔でただ眠る夫は頼りなく見えた。
行ってまいります、と声を掛けて退出した。
夜遅くサラは一日の仕事をなんとか熟し、帰宅した。
矢張り眠ったままの夫と晩餐を共にし、入浴を済ませて寝台に入った。
「あなた、私今日の商談でお会いした方に酷く同情されたんです。でも、私は目覚めると信じておりますと伝えたら目を逸らされました。早くあなたの樺色の瞳が見たいわ」
夫を無表情に見つめながらサラは言った。
周囲の人間に痛ましいと言わん顔をされるとサラは非常に満たされた。
籠の鳥だった以前よりも酷く酔っていくような感覚に、サラはのめり込んでいった。
★
サラが目覚めぬクロードとの生活が始まって、半年が過ぎようとしていた。
「やあ、久しぶりだね。クロードは相変わらずかい?」
宿屋のフロントで雑事をしているサラに男は声を掛けた。
「ジャン様、ようこそおいでくださりました」
サラが挨拶をすると、フロントにいた男性従業員が慌ててバックヤードに向かった。
すると、程無くして義父が現れる。
「ジャン・カバルス様、申し訳ありませんがお引き取りください」
義父は挨拶も無く、怒りを込めた目でジャンを睨め付けた。
ジャンは首をすくめて宿屋を出た。
去り際にサラに一瞥をくれてから。
「カバルスめ!お前の所為でクロードはっ……。海辺に住む我らが岩礁地帯に船を向けるなどあり得ないのに」
義父は吐き捨てるようにそう言って去って行った。
サラは確かに、と思う。
クロードが投げ出された辺りは岩が多く、船で立ち入るには非常に危ない場所だ。
この海辺の宿屋町に住む人間が自ら危険を冒して行くとは思えない。
サラはその日一日、その事を考えていた。
★
義父はどうやらジャンを疑っているようだ。
あの日、屋敷に来る前にジャンはクロードに船を出すように強請ったが、クロードは首を振って断っていたのを宿屋の従業員が見ていたそうだ。
しかし、午後になってクロードが渋々船の準備をするように言われ、準備した従業員が居た。
それを義父はジャンが計画的にクロードを嵌めたのではと怪しんでいるようだった。
ジャンがクロードをこんな状態にしたとして、一体何が目的だったのだろうか。
サラには分からなかった。
あの時のジャンの一瞥はなんだったのだろうか。
暗く澱んだ瞳の奥には熱のようなものを感じたのは気の所為だろうか。
サラには何も分からない。
サラが夕方屋敷の前に辿り着くと、門の前にはジャンが居た。
「やあ、随分遅かったね」
サラは怯みながらも、答える。
「夫の代わりを務める為には沢山学ばなければならない事がありますので」
「君には似合わないよ、サラ。クロードはまだ目覚めないんだろう?」
仄暗い横顔を夕陽に照らされたジャンは陰鬱そうに微笑していた。
「今まで夫には大変甘やかされておりました。ですので、夫を助けられる今の生活も気に入っております」
ジャンは砂利を踏みしめ、一歩サラに近寄った。
「君はクロードを愛していないだろう?」
ジャンはまた一歩サラに近寄る。
「いいえ、私は夫を愛しております」
サラは後退りそうになる足を踏ん張ってジャンを見つめる。
「本当かな?愛してくれる人なら誰でも良く思っていると思ったが」
勘違いかな?とジャンは笑った。
「クロードがね、言っていたんだよ?サラはそうだとね。だからいいじゃないか、私でも」
サラは一瞬考えてから口にする。
「私は夫を愛しています。ですので、ジャン様では駄目なのです」




