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料理的印象

 雪かきという作業は北国の生活につきもので、これは積雪で固まった雪をスコップで切り出し運ぶという単純なものだが腕がとにかく疲れる。


 冬は氷点下の風が吹き荒れる海が近い街で行われるこの作業は常に霜焼けを伴う。顔ももれなく痛くなるこの労役は、少年の頃の僕の役目であった。

 これは1男4女をこさえた挙句、『司法書士試験の勉強をしたいから離婚してくれ』と母に言って丸め込み、養育費すら払わずにとんずらをした父のしわ寄せでもあった。

 そして雪かきを含む全ての理不尽は『男なんだからこれくらいしなさい』という呪文で正当化された。


 全ての元凶である父は昭和が終わる前年、僕が10歳の時にとんずらするぎりぎりまでは、子供達の前では旺盛な家族サービス精神を示し、焼き鮭の骨をカリカリに焼いたり、どこから仕入れたのか鳥のハツという当時は謎であった物体をから揚げにしたり、塩ラーメンのスープに牛乳を入れて豚骨ラーメンになると主張したりと、とにかく奇行を繰り返していたが、10歳だった僕はそんな父のもたらす味覚、日常とどこか平行にずれたような体験が楽しくて、彼の存在を永遠のように思っていたのだが現実はそんな事はなく、その年の秋に彼は消えた。


 父は僕が生まれる以前から行っていた不貞を日記にしたため、かつ僕達家族が残った家に置いていくという、中々にナチュラルな鬼畜っぷりを示す男だったが、それでも子供たちの前ではとんずらの直前まで、父としての振る舞いを続けた。

 この惰性なのか愛情なのか真相は永遠に謎な擬態の一環として、とんずらをする年の1月、子供たちの冬休みに、彼はカローラを運転して、車に備え付けのオーディオからお気に入りの演歌を大音量で響かせて、僕と姉2人と妹2人をスキー場に連れていった。

 

 僕はこのスキー場という世界に愛情めいた物を感じていたのだが、これは父のもたらした錯覚であった。

というのも、父は僕をスキーという形で常にもてなしてくれたからである。

 まずミニスキーを僕に装着させて、内股であるように指示し、肩を包むように器用に10歳までの毎年の僕を誘導し、ゆるりゆるりと斜面を滑る。

 僕は父を独占しているという感覚と、ゆるゆると僕達の前方から後方に流れ上がっていく白銀の世界の煌きに、幸福感を覚えたのであった。

 同時に、母に我を争うようにすがりつく妹たち、並んで滑る姉たちに僕は優越を覚えていたのであった。


 そして迎えた次の冬……父のとんずらは至る所に影響。クリスマスにはケーキはなく、僕らは鳥の足ではなくチャーシューの塊を喰らった。サンタはもちろん来ない。

 だが年を越した三賀日の最終日前夜、母はスキーに行こうと言っていそいそと準備を始めた。姉たちは顔を見合わせ、妹たちを引き連れて、母の手伝いを始めた。

 僕も加わろうとしたが、あんたは男なんだから雪かきをして、と命じられ、僕は従った。まず車庫の前の雪を除いた。車庫には母が中古でローンを組んだ車があった。

 車種は分からない。その夏に母が電柱にぶつけて潰してしまったからだ。これは彼女を責めるべきではない。なんせ、彼女は離婚前までは無免許だったのだ。

 祖母にお金を借りて、彼女は自動車学校に通い、免許を取り、そしてこの車で僕ら5人の子供達をスキー場に運んだ。


 毎年と変わらない白銀の斜面で、妹たちは母にじゃれるように遊び、姉たちはスキー板でゆらゆらと、妹たちは豪快にそりを2人乗りして遊び始めた。

 僕だけが孤独で、そして変化に対応できないでいた。父の庇護の無い雪の斜面は厳しく、登ることすらままならず、やっと登っていざ滑ろうとすると、生命に危機を覚えるレベルでスキー板は暴走し、あっという間にすっ転ぶ。姉のアドバイスで内股をこれでもかと踏ん張ってよろよろと進むとスキー板が交差し、やはりどてんと転ぶ。

 敗北感。徒労。だが運動の汗と共に体力は奪われ、何故ここにいるのか。世界はこんなに厳しかったのかと現実を思い知った昼。

 家族でカップラーメンを食べた。離婚直後の家庭にしては珍しい大奮発で、1人1個が割り当てられた。

僕達はゲレンデに臨む売店の建物の横で、そのスープをすすった。

 茶色く熱くしょっぱい液体は舌を焼傷させたし、口蓋の表面を覆う粘膜を爛れさせた。が、その塩気は、塩気がからんだ旨みと熱さは、湯気と共に僕の視界を狭めさせ、色々な全てを忘れさせた。


 あれから31年の時間が経ったが、あの時ほどに特別な味のカップラーメンを、僕は食べた事がない。ちなみにスキーは苦手なままだ。


 母は年老いて免許の返納も迫っているが、今年も孫達をスキー場に連れていった。スキーを忌避する僕だが、来年は駆り出される事になるかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 良い思い出話でした。きれいにまとまっていました。
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