三幕~花の墓標~十話「解放」
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明日のエピローグで、三幕終了です。
「飯だ」いつの間にか眠っていたらしい。鎖を引っ張って、身体を起こされた。
隣の檻を気にもしないけどいいのかな。藪蛇になったら嫌だから、俺も視線を向けない。
窓もない牢の中で、昨日の朝食以来の食事だ。何だろう、干し肉と小麦のミルク粥?
男は黙って側で俺が食べ終わるのを待っていた。食器と引き換えに水を渡され、飲むとさっさと離れて行った。
戻って来たと思うと黙ったまま鎖を引かれて、毒の痺れが残って重い身体を引き摺るように進む。
風呂だ! しかも、サウナ。今世で初めて見たよ。こんな状況じゃなきゃ、大喜びするんだけど。
丸洗いされて、最大の恥辱を味わった。イアリロに風呂に入れて貰うなら、今は大歓迎だよ。
一切化粧をされないのは、匂いが嫌なのかな。と思っていたら、甘い香が焚かれ煙が充満した部屋に入れられて、鎖を固定された。ぼうっと待つしかない。
最後まで諦めるつもりはなかったけど、考えることも出来なくなってきた。うわ、麻薬系か。とりとめのない思いが浮かんでは消える。
『ネフライト物語』もまだ完成してないよ。このまま死んだら、リンダに顔向けが出来ないな。イアリロ、クヴァシル、ベスタ、みんな、ごめん。父さん、一目会いたかったな……
身体が熱くなってきた。下腹の奥で暴れ出した何かが、溢れそうに膨れ上がる。東の祠での狂乱を思い出す。もしかしたら、このまま発情期に入るのかな。
頭の中が霧に覆われて身体も動かなくなり、悪夢が始まった。
沢山の影に囲まれて、怖くて辛かった。心で叫んでるけど、声が出ない。狼に噛みつかれたようだけど、痛いより熱い。
お腹から黒く熱いモノが溢れ出す。静まり返った空間で、痛みと苦しみが襲ってきた。
黒いモノが尽きたと思うと、甘い香りが立ち上ぼり、全身の不快感が強まった。
もう耐えられないという時に、ふいに苦痛が消えた。
優しく抱き上げられる。この腕を知っている。もう大丈夫だ。ほっと息を吐いて、眠りに落ちていった。
それからも、夢を見た。イアリロに酷いことをされた?
いや、彼は俺の為にならないことなんて、しない。
ふと目覚めると、イアリロが側で眠っていた。身体が男に戻ってるから、発情期は終わったんだろう。
イアリロはピクリともしない。きっと、凄く急いで追って来てくれたんだな。それで、疲れてるんだ。
抱きしめられたまま、イアリロの顔を見上げてたら、安心したからか、また眠くなってきた。お休みなさい。
鳥が鳴いてる。明るい光をイアリロの影が遮った。
「おはよう、って、もう昼だけど」耳に馴染んだ、優しい柔らかな声。
「イア、リロ……!」なんで、こんなに声が掠れてるんだろ。
学生時代に運動会の応援団長をやらされた時以来かも、っていつの話だよ。一人で脳内ツッコミしながら、イアリロに抱きついた。
首にしがみついて、顔を胸元に擦り付ける。あぁ、イアリロの匂い、感触、温もり。離れて分かったよ、俺にはイアリロが必要だ。幸せに浸る俺の顔を、イアリロの両手が包む。
「愛してるよ」光が斜めに当たって、やっと大好きな笑顔が見えた。綺麗な雫が頬を伝っている。
「俺も。愛してます」そっと頬に口付けて、涙を吸い取った。
女性の身体に戻って、イアリロの恋人として過ごした。幸せだった。首筋には噛み痕が残ってて、イアリロが辛そうに見てたけど、じきに治るよと笑っておいた。
風呂の後に食事を貰っていたら、思い出したようにイアリロが言った。
「今、何処にいるんだい? バーバ・ヤガーの所に帰らなきゃ」
レーシーとチェロヴィク、他のドモヴォーイ達が笑う。
「もうじきブシクに着く。皆、待っているぞ」
首を傾げる俺に、イアリロとレーシーが、俺が拐われてからの事を簡単に説明してくれた。
アマゾネスとのあの道中を考えると、皆がどんなに急いで追って来てくれたのかと、涙が止まらない俺をイアリロが抱きしめる。
「私が泣かせたと怒られるから、一旦、泣き止んでほしいな」割と真剣な声音に、少し笑った。
夕暮れ時に、家が町に到着した。仲間達が町の門の側で待ち構えている。ウロスが到着を伝えてくれたそうだ。
「ルー、無事で良かった」リュドミラに抱きしめられる。今までも、この旅でも心配ばかりかけてごめん。
ゴランに頭を叩かれ、マリーチカに抱きつかれ、レーシーや猪のチェロヴィク、モノケロスに馬達、ウロスにまで、背中を撫でられ、角や頭、しっぽを擦り付けられた。
泣きながら、幸せな一時を過ごした。
そして、もう一つの出会いがあった。集まっていた人混みから、震える声がかかる。
「お父様……」
「エレーナ?」ゴランが、呆然と立ち竦んでいる。
リュドミラがそっと背を押し、二人を道の端に寄せてあげた。
「生きていて、くれたのか……」ゴランは絞り出す様に呟き、泣き出した娘さんを抱きしめる。
バーバ・ヤガーとはここでお別れ。優しい魔女だったけど、本当に臼に乗ってた!
魔除けだよ、と額にキスをくれて、家に入ったと思うと、その家が歩き出した。結構揺れてるけど、中では感じなかったなぁ。
モノケロスが乗れと言うから俺だけ彼に跨がり、側にイアリロが付き添ってくれて、皆で屋敷に向かう。
一昨日の宴には族長の親族や町の有力者も参加していて、薬の過剰摂取で亡くなったそうだ。俺の誘拐とか、これまでのウールブヘジンへの歓待の事とか、色々問題があって調べているらしい。
「イアリロ」星空を見上げながら、呼んだ。二人で寝る前に散歩しようと誘い、庭で座っている。
「なんだい?」背中から抱き込む温もりに、勇気を貰う。
「答えないで聞いて。俺、覚えていられないくらい、酷い目にあったんだと知ってる。例えば、ゴランの娘さん、エレーナと同じ噛み跡があるし」ゴランに抱きしめられた時に、見えちゃったんだ。
「気になんてしません。俺の前世の母親も辛い経験をしてて、何度も夜に飛び起きてました。けど、記憶は薄れていくし、犬に噛まれたみたいなものだからって笑ってた。エレーナも笑えているし、俺だって、イアリロが俺を嫌わないって分かってるから強くなれる。俺達は狼だったけど」俺も笑えた。
「宴の準備の頃から記憶が飛んで、助けてくれたイアリロに酷いことをされた、と認識してるけど、そんな訳ない。イアリロはそんな目に合ったばかりの俺に、酷いことなんてできない。俺に起こった事に、俺より傷ついてる人ですよ」イアリロが震えてる。
「きっと、俺にそうと気付かせちゃいけない理由があるんだって、分かってます。俺が知らない方がいいって。だから、こんな事言っちゃダメだって。でも、イアリロや、周囲の人が傷つくのは嫌なんです」抱きしめる腕に手を添える。
「俺が女の子だったら、また違うのかも。大事に守られて、幸せな夢を見てられるのかもしれない。こんな事言ったら、女の子に怒られそうですけど」
「それに、俺は夢の中で凄く幸せでした。イアリロに本当に酷いことをされたら、俺は絶望して死んじゃうかもしれない。でも俺は喜んでました。イアリロのエッチなとこも、ちょっと意地悪だったり、サドっぽいとこも好きみたい」イアリロも一緒に笑った。
「俺にも、荷物を背負わせて下さいね。いつか、言える時が来たら。全部一人で抱えなくていいです。二人で、皆で幸せになる為に、不幸も一緒に背負わせて欲しい。俺もイアリロを愛してるから」
イアリロは俺を抱きしめたまま、泣いてる。涙を見たことはあるけど、泣き声を聞いたことはなかった。
「ごめんね、私はルーを守らなきゃいけないと思ってた。ルーとは支え合う関係なのにね」少しして、イアリロが話し出した。
「私は今回の事に、凄く怒ってたんだ。色んな事にだけど、ルーを守れなかった自分に対して、最も激昂したよ。でも、皆ができる限りの事をして、必死で私達を助けてくれた。小さな蠍まで、頑張ってくれたよね」イアリロが笑う。
「ルーが許しているなら、私も許すよ。傷は治る。ルーもエレーナも、同じ様な目にあった人々も穢れなく清らかだし、私達が君達を愛しているのには、何も影響しないのだから」
何処かで、悲鳴の様な声がした。見回そうとした時、光が俺とイアリロを包んだ。いや、小さな蠍も光っている。厳かで静かな光。
何が起きているのかは分からないけれど、多幸感に満たされた。
光が薄れて消えた時、小さな女の子がいた。掌に乗るほど小さな子ども。俺を見上げ、自身の身体を見て、首を傾げる。黒髪、浅黒い肌、金茶の目。蠍、なんだろうな。
「名前くれる? 蠍、違う」
「そうだね。ゾーヤ、ではどう? 命という意味らしいよ」
「ゾーヤ。ありがと」ふわっともう一度光って、ゾーヤが優しく笑った。
お読みいただき、ありがとうございます。
明日で一ヶ月、ほぼ毎日の投稿で、何とか三幕を終了できました。ご覧くださった皆様に、深くお礼申し上げます。
とりあえず、明日のエピローグまで、お楽しみ頂けますように……




