二幕 旅の仲間 五話「恩義」
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赤い夕日が沈み、静かな夜が訪れた。
結界の中で暮らす獣達の気配は慎ましく、その鳴き声もおとなしやかだ。結界の外で何かが起きているとは、想像もできないほど。
軽い食事と寝支度をしてから、イアリロが再び話し始めた。
「母は父と私達と、本当に幸せそうに過ごしていたよ。いつも笑っていた。記憶の抜け落ち、出生時の事や名前についてもモコシらと話して、色んな誤解が解消できたらしい。欠けた記憶は、私に伝えられるよう、白虎達から貰って補いたいと言っていたそうだ」イアリロは優しい笑顔だけど、過去形なんだ。
「私が五歳になった時に、母は君の父のジャービスに会う為に西の祠へ向かった。母も私達も、短い旅だと思っていた」俺の顔が強ばっていたんだろう。イアリロに抱き寄せられ、頭を撫でられる。
そのままで続きを聞く事になった。
「ちょうどその頃、君の母のペネロペが妨害者に謀られ、自身とジャービスの命に関わる契約を結んでしまう。それを知らずにジャービスはペネロペと絆を結び、卵を産んだその力は半減した」
「妨害者が操る人間達が迫っていた時に、母が到着した。その説得に人間達が応じ、襲撃は阻止された。しかし、亜神にあたる私達にとって、契約は絶対だ。契約の不履行には代償が必要で、母は自身の命を代償とし、ジャービスとペネロペにも会わずに逝った」
言葉が出なかった。イアリロの母の自己犠牲に、何を返せばいいのか。リンダの幸せな半生を奪ったのは、俺の両親だった。俺は混乱していた。リンダの息子の胸に抱かれて、俺が泣いちゃ駄目だと思ったけど、涙が止まらなかった。
「母が亡くなったと感じ、西へ飛び立とうとした私をリュドミラが止めた。黄龍に使者が来るのを待てと伝えられたと。その使者がドラガンだよ。バスク地方でクエレブレと呼ばれる竜なんだ。母に恩を受けたから返したかった、と言って母の輝石を届けてくれた。そのまま、教官として居てくれている」
「母は、自身が十分な引き継ぎを受けなかったこと、親に育てられなかったことで、自分も周囲も、余計に悩み苦しんだと思っていた。万が一の時にどうするかは、事細かに私に伝えていた。私は母の輝石を吸収し、彼女の最期とその思いを知った」
「母は生まれてくる次代の白虎・君を、ジャービスに会わせてあげたかった。母は親代わりのジャービスが大好きだったよ。彼は母の初恋の人だし、母は彼に深い恩と情を感じていた」イアリロは微笑んで言う。
「母は複雑な人でね、もの凄い嫉妬を抱え、苦しんでいた。彼女は死の間際になって初めて、その軛から解放されたんだよ。死を受け入れた母は、私達家族への愛情と謝罪と共に、自身の死が君のせいではないと伝えてほしい、君のことを託したい、と願っていた」泣き続ける俺の頭を、イアリロも撫で続ける。
「私は君を愛している。多分、君に会うずっと前からね。でも、会いに行けなかったのは、君の成人まで待てという父やドラガンの厳命と、次兄のことがあったからなんだ。兄は母が好きだった。父が断れば、自分の妻になってほしいと申し込んでいた程らしい。今でも母の死と君の存在を受け入れられないんだ。彼を愛する家族もいるのに」イアリロが、ため息を吐いた。彼には珍しい、憂い顔だった。
「あ、あと、言っておかないといけない。君の守り石だけど、まだ吸収できない筈だし、万が一できても、しちゃいけないよ。黄龍の指示とジャービスからの伝言もあった。必ず身につけて、持っておくように、と。何か役割があるようなんだ」
そうだ、話の中で、輝石を吸収したら記憶が継承できるって言ってた。でも、ダメなのか。守り石をぎゅっと握った。俺は、あなたを倒したくなんてない。あなたを取り返す為に、強くなりたいんだ。眠っている父に、伝わってほしいと願った。
「長い話で、疲れただろう。少し、散歩でもしようか」イアリロの言葉に頷く。顔も洗いたいしね。
外では満天の星空の筈だ。泉の上を見れば。ユグドラシルの影で空の大半が真っ黒で、残りも林が迫っているから、僅かしか見えないけど。
泉では、人魚達が岩に座って空を眺めていた。近づく気配に振り返った中には、お昼に脅かされた顔もあった。
クスクスと笑われながら、そそくさと泣き顔を洗って離れた。
少し離れてから、イアリロが言う。
「彼女達はルサールカと言って、幼い頃に亡くなったり、水難で弔って貰えなかった魂がなる、水の精だそうだ」そうなんだ。イタズラ好きでよく笑ってるけど、過去が辛かったからなのかな。
「でも、春から夏にかけては、田や畑に水がないと困るから、村人達に守り神として迎えられるんだ。そういうお祭りもあるよ」なるほど、神様や精霊も出稼ぎ? レンタル? するのか。
聞いた事がある、と思い出して、ちょっと話の続きを待ったけど、イアリロは何か考えて黙っていた。
ゆっくり歩いて、小屋に戻った。
寝床に入るとイアリロが、昨日のマッサージの続きをしようと言う。
「経絡がきちんと流れるまで、一週間くらいは毎日続けようね」って。でもなぁ……
「今日はやめておきませんか?」だって、真面目な話をした後で、あれはないと思うんだ。
「でも、経絡が通らないと、魔法が使えないよ? 今日の相手も手強かったし、早く問題を解決しておきたいんだ。せっかく通った経絡だけど、流れが悪いうちは、すぐに詰まっちゃうし」
イアリロに口で勝てる日は、来ないだろうな。
マッサージを受けて、また居たたまれない思いをした。
でも、魔力の巡りが良くなるからか、温かく眠れる気もする…… 慣らされてるだけかもしれないけど。
鳥の囀りが聞こえる。肌に触れる空気で少しずつ気温が下がっているのが分かり、冬の足音が感じられる。便利な前世とは違う、厳しい冬が来る。
イアリロより早く目覚めるのは珍しい。しっかりと抱きしめられた腕の中で、彼を起こさないよう、動かないように気を付けて、彼を見つめる。
俺はリンダの命と引き換えに生まれた。
父が眠って俺を待てるのも、俺がクヴァシルやベスタ達に愛されてのんびり育ってきたのも、リンダやイアリロ達のおかげだ。
俺を認められない、イアリロのお兄さんの方が普通だよな。
イアリロは東の守護者で、族長の息子で、兵団の一員だ。彼には役割がある。
今の俺は、彼に頼りきってる。早く強くなって、自分の役割を果たさないといけない。
『ネフライト物語』の記録が中断してるけど、早く続けないと。いつ何が起きるか、分からないものな。
アイオライトでの話も、先だと思わずに、早く話そう。昨日の話を聞いて、後回しにしちゃいけないと実感した。事前に防げる事もあるかもしれないんだから。
「ね?」ん? あぁ、起きたのか。目の前に美形が迫ってる。
「おはようごさいます?」なんで怒ってるんだ?
「キスしてくれるのを待ってたんだけど」え? まぁ、いいか。
ちゅ、と軽くキスすると、引き寄せられて、深いキスを返された。待ってた意味あるの?
外に出ると、霧雨のような細かな雨が降っている。
「イアリロ様」昨日教わった、名前を呼んじゃいけない、家の精の一人だ。
「大きな小屋にお食事を用意します。彼らが湯あみしているのを待つ間に、お二人もいかがですか?」
顔を見合わせたけど、とりあえず頷く。
「ありがとう、では頼む」
「二人共、朝から湯あみなんて、珍しいね」
「あぁ、訓練してたのかもしれない」え?この雨の中で?
「ドラガンの話が出ただろう。彼は天候にも何事にも関わらず、毎日訓練を欠かさない……いや、頼むから、ルーは真似しないでくれ。私もしないから」
突然、朝から湯あみになったが、たまには良かった、ことにする。朝食は美味しく食べられそうだ。
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