神様と人類学者との対話
人類学者「こんなところに神様がいるとは」
神様「こんなところで、驚きましたか?でも、神様はどこにでもいますよ。」
人類学者「どこにでも、いるんですか?」
神様「神社やお寺、教会、道ばたのお地蔵様、道祖神、その他、多くの彫刻や像、絵画、サインが、すべて、神様の化身、アイコンなのですよ。」
人類学者「まあ、そのように解釈する人類学者は、たしかに、いますけど。」
神様「先祖を敬ったり、仏様や神様を敬うのは、先祖や仏様、神様が偉いので、敬うのです。人間は、下等な猿や類人猿を神様のように、敬うことなどできません。」
人類学者「別に、猿や類猿人を敬っているわけではないとおもいますが。」
神様「では、誰を、何を人は敬い、祀っているのですか?」
人類学者「祖先とか、英雄とか、宗教を切り開いた人とか、その人たちが言い出した神様とかですかね。」
神様「とりあえず、人間の歴史としてわかっているのは、数千年か、1万年程度で、それ以前のことは、よくわからないということになっているので、あまり、昔のことを、あれこれ言っても、空想、妄想と言われてしまうので、最近のことを中心に話を進めたいと思うが。」
人類学者「お手柔らかにお願いします。」
神様「インドのお釈迦様は、お悟りになって、この世界の実相をこの世にお示しなったように思います
が、いかがでしょうか」
人類学者「仏教は、宗教としてよく出来ています。最高の出来の宗教でしょう。」
神様「そう来ますか?宗教であって、世界の実相を解明した、物理学、天文学、人間学、人間の生や死に関する科学とは、ほど遠い、空想の世界だと。」
人類学者「宗教は科学ではありませんので、仏教が物理学、科学や天文学を解明しているようには、思いませんが。」
神様「インドのお釈迦様は、空想の世界を、みんなに教えたということなのでしょうか?」
人類学者「人間の生き方を導くために、とても、すばらしい教えだと思いますが、地球や宇宙を解明したわけではないと思います。」
神様「では、話をキリスト教のイエス様の話にしようかな。彼の行動は、聖書にいろいろ書かれているが、神様をいろいろ対話し、たくさんの奇跡を起こしたとかかれているが、どうかな?」
人類学者「イエス様もとても、偉い人だと思います。その思想、宗教は、2000年にわたり、何十億人、何百億人に影響をあたえました。ところが、その奇跡や復活が問題なのです。」
神様「イエス様が行った奇跡や復活が問題だと?それは、どうしてかな?」
人類学者「現代物理学が証明していることは、世界は法則の通りに動いているので、その法則を破るような奇跡は起きないのです。もし、ここに石があり。この石を投げると、物理の法則によって、ある場所に飛んで行きます。それは、物理法則で、説明できます。だから、プロ野球のピッチャーは、たくさんの練習をして、自分の意図する場所に、ボールを投げることができます。ところが、そのボールを人の意のままに動かせたら、スポーツやゲームが成り立ちません。つまり、奇跡などというものは、起こせないし、起きないのです。人が、何の手段をもたずに、水の上など歩くとこはできないのです。もちろん、いろいろ準備すればマジックショーのように、水の上を歩いたり、空を飛んだりできますが、それは、そう出来るようにたくさんの準備をして行うのです。」
神様「もし、大宇宙を統括する偉大な神がいて、その神が、イエス様に力を貸して、いろいろな奇跡をおこさせたと考えることはできないかな?」
人類学者「いろいろな前提を変えてしまう条件を持ち込まれたら、なんでも起きてしまいますよ。とりあえずというべきなのかもしれませんが、現代科学、物理学は、自然の法則以外な力をこの世界に導入できないと考えています。この宇宙の法則をこえる力があるなら、この地球をもっと、平和で豊かにしたらいいじゃありませんか。」
神様「では、話をすこし変えてみようかな。ここに大きな神社があるが、何を祀っているのか?」
人類学者「たぶん、こちらは天照大明神で、あちらは、菅原道真だね。」
神様「どうして、神話に登場する神様や死んでしまった人間を祀ったりするんだろうね。」
人類学者「これらの神社やお寺には、生きている人間の願いを叶えたり、災害や事故から守ってくれる力があると、信じられているからですね。ほら、たくさんのお守りが売られています。お寺や神社のビジネスですね。」
神様「あっさり、お寺や神社のビジネスと切って捨てましたね。」
人類学者「まあ、それで、安心できるのなら、安い買い物です。」
神様「神社やお寺には、人間を災害から守ったり、願いを叶える力がないと。」
人類学者「たぶん、ないと思います。」
神様「ここに、願いがかなったというたくさんの絵馬が奉納されていますが?」
人類学者「本人の努力の結果でしょう。このような場所で、自分の願いをしっかり確認できたので、それに邁進したという結果が出たという効果があったと思います。」
神様「別に、神社やお寺にそのような力があったわけではないと。」
神様「ところで、人類学者殿、この対話の後はどうするつもりかな。」
人類学者「ちょうど、都心で出てきたし、このあと妻と待ち合わせて、デパートで、買い物をして、楽しい夕食会でもしようかな。」
神様「それは、現代物理学で、計算できる行動かな?」
人類学者「それは、誰にも計算できません。一応、私は予定を組みましたが、突然、何が起きるかの誰にも予測できません。」
神様「およ!。すると、奇跡が起きる可能性も否定できないと。」
人類学者「否定はできませんが、たぶん、奇跡など起きないのが通例です。」
神様「もしかすると、キリスト教のパウロに起きたダマスコの回心が、あなたの上にも起きるかもしれませんね。」
人類学者「脅かさないでください。私は、妻とのささやかな幸せを大事にしんたいんですから。」
神様「脅かしてすまん。たぶん、なにも起きないだろう。ところで、投げられた野球のボールは、見ている周りの人の意思で、自由に、変更できないといったね。たしかに、ボールは生き物でもないし、鳥でもないのだから、自由に勝って飛んでいくことはできない。人類学者よ。君は、これから、奥さんとデパートにいくわけだ。すると、いろんなものと見て歩き、いろんなものを買い、そして、おいしいものを食べる。」
人類学者「うらやましいでしょう」
神様「幸せいっぱいで、うらやましいぞ。ところで、人間はどうして、野球のボールのように、決まられた場所に行かないで、自由にいろいろ歩き回れるのだろうか。宇宙の物理法則に従っていないようだが。」
人類学者「それは、人間は自由意志で、自分の肉体を動かして、自由に行動できるです。」
神様「それこそ、物理法則に従わない、奇跡の連続ではないか。」
人類学者「そうきましたか?自由意志で行動していますが、物理法則の元で、行動しているので、瞬間移動や空を飛んだりできません。」
神様「では、自由意志は、瞬間移動や時空の超越など自由自在なので、奇跡ですか?」
人類学者「そこまで、飛躍しますか?確かに、精神や心、魂は、物理学の制約をうけません。」
神様「それらは、どこにあるのかな?」
人類学者「そんなこと知りません。急がないと妻との待ち合わせに遅れてしまうので、これで失礼します。」
神様「いそがしいやつだ。行ってしまったぞ。」