くっ殺せ……ブヒ!
「ブヒーッ! ブヒヒーッ!」
「ヒャッハー! 追い込め追い込め!」
森の中を駆ける足音。
馬のいななきが響き渡る。
追われる者はぜいぜいと息を吐きながら、しかし必死に逃げる。
「そっちに逃げたぜーっ!」
「逃がすなあ!」
「全くよう、手間を掛けさせてくれるぜ……!」
「ねえ、早くして! わたくし、あなたが挙げるオークの首級が見たいわ!」
追うのは人間。
逃げるのはオーク。
一人のオークを、複数の騎馬が追う形である。
これはオーク狩り。
騎士王国ガルグイユに伝わる、由緒正しきスポーツだ。
「ブヒーッ、ブヒヒーッ」
言葉を発することも無く、ただ恐怖に怯えながら、オークは逃げる。
この後を追い、弩を射掛け、罠を仕掛け、オークを足止め。
そして捕まえたオークを見事に狩る。
これぞ健全なる騎士の誉れ。
戦なきこの世界において、ともすれば武力の象徴である騎士は無用の長物となる。
だが、ガルグイユにおける騎士とは、特権階級そのものであった。
彼らは自らの立場を守るため、民衆からの反感を抑えるために、せっせとオーク狩りに勤しんだ。
実績を作り、民にとって騎士は必要であると見せつけるのだ。
「そおら、そっちに逃げたぞ!」
「ハハハ、今回のオークは生きがいいな!」
「そりゃあそうだ。奴らの族長の血筋だってメスを使ってるんだからな。いやあ、こいつを取り上げたら、オーク共の抵抗が凄いこと凄いこと。家畜の分際でなあ」
「おいおい黙っとけ! 民衆はオークが家畜になってるなんて知らないんだからよ」
「おっと、魔法が解けちまうところだったな!」
談笑しながら、慣れた手綱さばきで馬を走らせる騎士。
どれほどオークが必死に逃げようと、この森は騎士たちのための狩場である。
必ず、この森の中でオークは仕留められるようになっている。
「ブ、ブヒーッ!!」
オークの悲鳴が響き渡った。
仕掛けられていたトラバサミで、足を挟まれたのだ。
「よっしゃ、罠に掛かった!」
「手こずらせてくれたなあ。今回の狩りもこれで終わりだ」
「おい、誰の罠だ?」
「私だ」
「素敵!」
騎士たちの他に、観客である令嬢などもこの狩りを楽しんでいる。
騎馬と、観覧を楽しむ一団が、オークの元へとやって来た。
「ブッ、ブヒ、ブッ」
必死に罠を解こうとするオーク。
だが、トラバサミは強く彼女の足を噛み、離れようとしない。
ついに、オークは騎士たちに囲まれてしまった。
彼らは見栄えのする、機能的には疑問が残る部分鎧に身を包み、弩と短剣のみを装備していた。
狩りのための武装である。
「くっ……」
オークが口を開いた。
「くっ、殺せ……ブヒ!」
「おい、まだこいつ、人の言葉が喋れるのか!」
「流石は族長の血筋だな。ひっそりと言葉を受け継いできたんだろうよ」
「ただのブタの化け物のくせにな。何百年も人間に飼われて、族長の尊厳もクソもねえだろうに」
ゲラゲラと騎士たちが笑った。
彼らは目の前のオークに夢中だ。
今からこのオークを、正義の名の下に倒す。
こうしてまた、騎士は偉大なる正義を遂げ、騎士王国ガルグイユの平和に貢献したことになるのだ。
だからこそ、騎士は気づかない。
背後で赤く光る二つの輝きに。
「ご主人様。女性をああも嘲弄する賊が如き者共が騎士を名乗ることに、不肖このセーラは耐えきれないのですが」
「うむ。もう少しだ。もう少しで、後続も攻撃範囲に入ろう。一人でも逃してはならないぞセーラ。後少し。ステーイ、ステイ」
「むむむむーっ!!」
「あっ、いかん」
我慢できずに、小さな陰が茂みから飛び出した。
「なんだ!?」
騎士たちが驚き、音のした方向に目をやる。
そこには、カサカサと走る巨大な黒い昆虫がいた。
「うわあっ!! あ、あれはなんだ!?」
「化け物みたいな虫だ!」
「ちっくしょう、俺たちの正義の邪魔をしやがって!」
何人かが、黒い昆虫めがけて馬を走らせた。
だが、ここで昆虫は驚くべき動きを見せる。
逃げるのではなく、猛烈な勢いで馬に向かって走ってきたのだ。
それは体を縦にすると、片側の足だけで馬の間を駆け抜けた。
「ゴキちゃん、ゴー!!」
昆虫の真上に、突然緑の肌の少女が姿を現す。
「今たすけるからね!!」
「ブヒ!?」
オークが驚きに目を見開く。
彼女は、その緑の肌の種族を見たことはない。
だが、その存在を知っていた。
それは、ガルグイユにおいて、ずっと昔に滅ぼされてしまったはずの種族だからだ。
彼らはオークと肩を並べて、人間と戦ったという。
彼らの名はゴブリン。
そして、オークを救うために手を伸ばすのは、ゴブリンの姫ジュギィ。
「行ってしまったか。だが、こうなれば予定は変更だ。私は後方の一団を殲滅する。騎士は任せたぞセーラ」
「了解しましたご主人さま。騎士を騙る賊共を滅する機会を譲ってくださったこと、感謝いたします」
赤い双眸が輝きを放つ。
騎士たちは、ジュギィの登場に驚き、再び馬を巡らせようとしていた。
「なんだあの緑のモンスター!?」
「魔族か? ほら、最近黒瞳王がまた出たって話じゃねえか」
「はあ、ホークウインドから出てこれなかった魔王がまた出たって? 大げさなんだよ」
「そうそう。ガルグイユには、スタニック様と無敵の“陣形”があるからな」
ガサリと茂みが鳴った。
それと同時に、しゅごごごごごご、という音がして何かが空に上っていく。
「!?」
騎士たちが動きを止める。
頭上に飛んでいった轟音が大変気になるが、それよりも無視できない感覚があった。
すぐ側に何者かがいる。
彼らは躊躇なく、弩を構えた。
「誰だ!」
「魔族の仲間だろうぜ! 殺せ!」
弩はすぐに放たれた。
それらは茂みに飛び込み……何か硬いものに当たる音がして、突き刺さること無く地面に落ちた。
「なにっ!?」
「性根の底まで賊のようですね。貴方がたが騎士を名乗ることは許されません。騎士という存在そのものに対する冒涜です」
静かな怒りを滲ませる声。
茂みから立ち上がるのは、金髪をボブカットにした女性だった。
両目は赤く輝きを放っており、その身を漆黒のメイド服に包んでいる。
「……メイド……?」
「いや待て! メイドが背中から鉄の腕を生やして、そこに盾を二つ構えているわけねえだろう!」
「こいつは魔族だ!」
弩の次弾を装填。
実戦経験はない騎士たちだったが、それでも訓練が体を動かす。
ただ、彼女を相手にするには、騎士たちの動きはあまりにも訓練に特化しすぎていた。
「ご無礼」
メイドのスカートが展開し、飛び出すのは手のひらに収まる黒い塊。
銃と呼ばれるそれを、彼女は二丁握りしめた。
抜き打ちでの連射。
凄まじい射撃音が響いた。
「あばっ、あばばばばばばばばっ!?」
騎士が一人、文字通り蜂の巣になって倒れた。
馬がパニック状態に陥る。
「なっ、なっ、なんっ……!!」
「化け物め! 死ねっ!」
再び放たれる弩。
だが、その時には盾が射出される矢に向けられている。
硬質な音を立てて矢が弾かれた。
「ご無礼……など貴方がたには無用でしたね。ではこの言葉を贈りましょう。行ってらっしゃいませ!!」
踊るように、銃を放つメイド。
「ウグワーッ!?」
全身を穴だらけにされた騎士が落馬する。
最後に残った騎士は、「ひぃーっ!!」と叫んで逃げようとした。
「敵に背中を向けるなど!!」
メイドの背に装着された腕が、盾を投げた。
投擲された盾は騎士にぶち当たり、彼を馬から落とす。
「ギエーッ」
落馬しながらも、必死に這いずる騎士。
彼の耳には、少し離れた場所から響く掃射音、あるいは響いては消えていく悲鳴が聞こえていた。
「なん……なん……なんだって言うんだよぉ……!」
「敵情視察のつもりでした。ご主人様は慈悲深いお方です。貴方がたが万が一、魔族との共存をできる騎士道精神に溢れた方々であったら……戦いの前に話し合いをと。そう仰っておられたのです。それは鋼鉄王に作られた私の気持ちでもございました。ですが……貴方がたは見事に、私の思いと……何よりもご主人様の下さったチャンスを踏みにじってしまわれたのです。よって」
騎士の後頭部に、硬いものが当たる。
「これは宣戦布告となりました。では、ごきげんよう」
鋼鉄のメイド、セーラ。
彼女の銃弾が、騎士の脳天をえぐり取った。
「助けたよー!」
「ブ、ブヒー!?」
「全部やってしまったか。情報収集ができないな」
遠隔操作型高性能ゴーレム、ゴキちゃんの足音と、ジュギィの声。
そしてオークの声が聞こえる。
どうやら彼女の主も戻ってきたようだった。
オーク狩りに出かけたはずの、騎士と貴族の一団が帰ってこなかった。
これは、長く平和を保っていた騎士王国ガルグイユにとっての大事件として、瞬く間に国中に知れ渡った。
帰ってこなかった者たちの死体はどこにも無く、ガルグイユは彼らの捜索にかなりのコストを掛けることになったのである。
それが騎士王スタニックの耳に入るには、まだ時間がかかるのであった。