見学、盗賊王の軍勢
「敵を知らねばならないな。私は盗賊王の兵士を見に行くが、ついてくる者はあるか」
ルーザックが宣言すると、ゴブリンたち全員が手を上げた。
かくして、集団行動を行うことになったのである。
ルーザックにとっては、ディオコスモに来て初めての人間の里。
彼は、まだ自分は人間であるような気がしているため、どこか気楽な気持ちの見学だった。
行動を起こす時間帯は、早朝。
「ゴブリン、光を浴びる。食べる、少なくて済む」
「光合成のようだ」
ジュギィの言葉を受けて、感心するルーザック。
人間の姿が無いことを確認し、日差しの下に出たゴブリンたちは、ルーザックの感想通りに光をいっぱいに浴び始める。
「道理で肌が緑色……」
ジュギィが地面に寝そべり、陽光を受けて気持ち良さそうに身じろぎする。
ルーザックはこれを見て考えた。
郷に入らば郷に従えと言うではないか。
彼もまた、大真面目な顔をしてジュギィの隣に、仰向けに寝た。
手足を揃えて不動の姿勢である。
「ちょっ、あんた、何やって、ぶふっ」
堪らず、アリーシャが吹き出した。
これに対して、ルーザックはあくまで真剣である。
「共に光合成をしなければ、ゴブリンの気持ちは分かるまい。彼らの視点に立って、今後の問題点をあぶりだすためには、現場感覚が重要なんだ」
言っていることは分かる。
だが、アリーシャにとって、ルーザックの姿勢はそれを通り越して面白すぎるものであったらしい。
しばらく、小さな先代黒瞳王はげらげらと笑い転げた。
どれだけ、そのようにして日向ぼっこしていたことであろうか。
ゴブリンのうちの一人が起き上がった。
「ギッ」
「分かった」
ジュギィが何か報告を受けたようで、起き上がる。
彼女は、未だ真面目な顔をして寝そべるルーザックに跪くと、報告を始めた。
「人間、来る。馬、乗ってる。盗賊王の兵士。強い」
「報告ご苦労。では隠れるぞ」
ルーザックの命令に、ゴブリンは一斉に動き出した。
茂みの中に潜んで体勢を低くすると、ゴブリンの肌色は木々に混じって外からは見えづらくなる。
ルーザックの黒いスーツも、闇に溶け込んでいる。
彼らは息を殺し、敵の到着を待った。
ややもすると、馬が駆ける音が聞こえてくる。
「そら、逃げろ逃げろ!」
「ははは! 遅いぞ! ゴブリンってのはそんなに足が遅いのか!?」
声から察するに、ゴブリンを追っているようだ。
必死に逃げるゴブリンが一人。
後ろには、馬に乗った軽装の兵士たち。手には細い槍を持っていた。
「ギィーッ」
逃げようとするゴブリンは、そろそろ限界のようだ。
緑の頭を青黒くして、ぜいぜいと喘いでいる。
時折、兵士たちからは狙いの甘い投石や、投げ縄が飛ぶ。
ゴブリンはこれを背中に受け、悲鳴を上げながら逃げるのだ。
「おいおい、もうダメなのか? せっかく見つけたゴブリンだ! もう少し楽しませてくれよ!」
「俺たちもな、敵がいなくなって腕が鈍ってるんだ! あーあ、三十年前の戦争、俺がもっと早く生まれてりゃ参加できたのになあ」
「おーい、そろそろ時間だ。さっさと仕留めて戻るぞ」
兵士たちが、槍を構えた。
この追いかけっこを終わらせるつもりなのである。
「馬に対して効果的な攻撃の手段は?」
ルーザックが囁き声で尋ねる。
ジュギィはこれに、「ロープ。足を引っ掛ける。置き石、簡単な罠、転ばせる。矢、弱い。馬、鎧、刺さらない」簡略だが、的確な返答。
「敵の伏兵はいるか?」
「馬の音、三つ。人間、三人だけ。隠れてたら分からない。ごめん……」
「いや、充分だ。ではデータを取りに行こう。援護を頼む。通じなくていいから、矢を射掛けてくれ」
ルーザックは打って出る事を宣言した。
この言葉に、ジュギィは、そして他のゴブリンたちは驚きを覚える。
ゴブリンは社会的な生き物だ。
同じ群れのゴブリンをいたわり、守る気持ちを持っている。
だが、そのゴブリンを助けることで、群れ全体がより大きな危険に晒される場合は別だ。
彼らは、危地にある同胞を、容易く見捨てる。
だからこそ、この状況でゴブリンを救うような動きをするルーザックは、信じられない存在だった。
裏を返せば、彼らゴブリンは、人間に負け、狩られることに慣れてしまっていたと言えよう。
「現地スタッフの信頼を得なければ、俺のプロジェクトの第一歩目も踏み出せまい」
「ルーちん、プロジェクトって?」
「魔神から請け負った俺の仕事だ。大目標は世界征服。中目標は盗賊王の撃破。そして小目標は、目の前のゴブリンの救出」
「いいね!」
ルーザックが、わざと大きく茂みを揺らしながら現れる。
これを見て、ゴブリンは驚愕して足をもつれさせ、転倒した。
だが、もっと驚いたのは兵士たちである。
慌てて馬を制したので、馬は嘶きながら前足を振り上げた。
そこへ、ゴブリンたちの矢が飛ぶ。
十三名のゴブリンである。
大した数の矢ではない。
だが、兵士たちはゴブリンに伏兵が存在すると認識した。
そのうちの一人は、馬から転げ落ちる。
「な、なんだと!! 何だ、お前は!」
誰何する兵士を無視して、ルーザックは転げ落ちた兵士に向って一直線に動く。
そして剣を構え、一瞬考える。
(殺人は……いいのだろうか。そもそも人を殺すことが罪とされるのは、これを許可することで共同体の維持が困難になるからで……俺はそもそも人の側ではないので、ならば人を殺しても罪にはならない、と。よし、理論武装完了)
一瞬で自分を納得させ、魔剣を倒れた兵士に振り下ろした。
剣の素人であるルーザックが、倒れた兵とは言え、そう簡単に切り裂けるものではない。
ということで、剣の重量を遣って頭部を殴打することにする。
魔王となった彼の膂力と、ヨロイボアの装甲を貫くほどの剣の硬度、そして重量。
これらが合わさった結果、兵士の首は哀れ、音を立ててへし折れた。
ルーザックは立ち止まらず、そのまま通過して振り返った。
「お、お前はーっ!!」
残る二名の兵士から、再びの誰何。
「黒瞳王ルーザックだ。ホブゴブリン、奴らを落とせ」
命令と共に、ルーザックは走った。
「ギギィッ!」
茂みから、二人のホブゴブリンが飛び出した。
手にした槍を、突き出し、馬上の兵士を狙う。
兵士たちはそれに反応しようとするが、背後からはルーザックが駆け寄ってくる。
さらに、まだゴブリンの矢は放たれてくる。
兵士たちに、意識の集中を許さない。
「くそっ、くそおーっ!!」
兵士が槍を振り回し、周囲を牽制した。
ホブゴブリンはこれに武器を弾かれ、後退する。
その瞬間、腰溜めに剣を構えたルーザックが、馬の尻目掛けて突撃した。
馬は反射的に、後足で彼を蹴り飛ばそうとする。
その足を真っ向から切り裂き、剣は尻に突き刺さった。
馬が嘶く。
傾ぐ。
「うおおあっ!」
馬が倒れ、兵士も地に落ちた。
「く、くそっ!」
残る兵士は、逃げようと手綱を操る。
「ふんっ!」
底を目掛けて、ルーザックは拾った石を投げつけた。
素人の投擲だ。当たるものではない。
そもそも、投擲のフォームができていない。
石は兵士を狙ったがそこまで届かず、馬の腹に当たった。
鈍い音がする。
ノーコンでも、魔王の力で投げられた石である。
痛みのあまり、馬が跳ね上がった。
「うわあっ!?」
兵士はこれを御しきれない。
そこに、ホブゴブリンが襲い掛かった。
槍の一本が馬を刺し貫く。
もう一本は、兵士の革鎧を貫通し、脇腹に。
この隙に、ルーザックは剣をゆっくりと馬から引き抜き、落馬した兵士の足に振り下ろす。
「ぐおおっ」
折れる音がした。
これで彼は逃げられない。
次に、ルーザックはホブゴブリンたちが足止めしている兵士に向かう。
「情報を得る口は一つある。無事な馬も一頭いる。……あとはいらないな」
事務的に判断した。
馬は引き倒され、兵士は首を折られた。
後は、何もかも、森の中に引きずり込むだけである。
「尋問は私がやろう。君たちは兵士の死体から、鎧と衣服を剥ぎ取っておいてくれ。武器はこちらで使うから、壊さずに並べておくこと」
「分かった」
ジュギィはうんうんと頷いた。
「黒瞳王様、ギール」
彼女は小さい声で、小さくバンザイをする。
これに、ゴブリンたちも倣った。
「よせやい」
ルーザックが照れる。
褒められ慣れていない。
「いやいや、ルーちん大したもんだよ。ヨロイボアといい、こいつら兵士といい、なんでそう肝っ玉据わってるの」
「うむ。いいか。俺は今責任者なのだ。つまり、労働に対する裁量権と部下の人事権を持っている。これまで俺が見てきた、ダメな上司たちはこれを持ちながら、責任回避と部下への仕事の押し付けをするのだ。そんな上司があるか? いや、ない。俺は、もっとこう、背中を見せられる上司になって、あいつらが間違っていたことを体現したいんだ」
「ゴメン、言ってる意味わかんない」
JKには理解されなかった。
だが、ルーザックはそんなことではめげない。
兵士に対して尋問を開始した。
「訊きたいことがある」
「お、お前が黒瞳王だと!? 三十年前にショーマス陛下が退治したはずだ!! その名を名乗る賊か! どうして、ゴブリンなどとつるんでいる! お前は……」
「うーん」
ルーザックは難しい顔をした。
「これでは尋問できない。なんとかならないか、アリーシャ、ジュギィ」
「あ、それならね、気持ちよくなっちゃうキノコがこの辺に生えてるから、それを使って……」
「理性を麻痺させて情報を引き出すんだな。いいぞ。ちょっと記憶しておこう。そのうち、尋問マニュアルを作らないとな。紙が必要だ……」
やがて、採取されてきたキノコで気持ちよくなった兵士。
彼が所属する組織の情報を、洗いざらい引き出されるのであった。