異変に気づく魔導王
「おかしいネ……?」
「どうなさったのですか?」
ここは魔法王国グリフォンスの最奥。
金と紅に染められた、中華様式の城、“獅鷲御殿”。
魔導王ツァオドゥは玉座に座するでもなく、城の最上階にある自室から、広大な森林を眺めるのが常であった。
ベランダに据えられた椅子に腰掛け、果実酒を楽しんでいた彼女が、不意に発した言葉が、先のものである。
彼女の横に控えていた、エルフの若き長ゼフィードは、この王の言葉への疑問を口にしたのであった。
「ゼフィード。戦場における、我が軍の魔法生物の損耗度合いはどうネ?」
「はい。合成生物群の一個連隊を派遣し、その残存割合は二割。およそ八割が失われた事になります。恐るべし、錬金術師の石人形めと言えましょう」
魔導王は、その端正な顔をしかめた。
彼女は、錬金術師こと、鋼鉄王が大嫌いなのだ。
「あのでぶのヨイショはいらないネ。私が問題にしているのは、魔法生物がそれだけ破壊されたというのに、戦場が綺麗すぎやしないか、ということヨ」
「戦場が……ですか」
それには思い至っていなかったようで、ゼフィードがポカンとする。
「ゼフィード、お前、戦場の観察を怠っていたか? 魔法生物の管理は大事。それを操作する魔導師たちの指揮も大事ヨ。けど、戦いはどこで起こってる? 戦場から目を離したら、足を掬われるネ」
切れ長の目が、エルフをじろりと睨んだ。
ゼフィードの背を、冷や汗が伝う。
この女魔導師は、遥か過去の戦いにおいてエルフ一族と事を構え、初戦でこそ敗れたものの、エルフが使用する精霊魔法のシステムを戦う度に解析し、三度目の会戦からは常に完封勝利を続けた存在だ。
魔導王ツァオドゥ。
勇者と六人の仲間たちの一人であり、正しくは魔導師ではなく、魔法使い。
学ぶ機会さえあれば、全ての魔法を行使する能力を持った女性である。
ツァオドゥは、かつて仲間であった宿敵、鋼鉄王ゲンナーとの戦争の中、鋼鉄王のみならぬ戦場に跳梁する何者かに気づき、観察していたというのだろうか。
この観察力、油断をしないという精神がエルフという種族に対する勝利を彼女に与えたのであろう。
「調査をさせるネ。ゲンナーは、あちらから侵略してくるということが少ない男ヨ。この戦争再開も、あの男の仕業とは思えないネ」
「現場の暴走であろうという分析が上がっていますが」
「誰が好き好んで、あの石人形どもとやりあおうと思うネ? 戦う度に強化され、魔法への防御力を上げていく化け物どもと。あの男の力を高めないためには、戦わない事が最良ネ。それは兵士たちこそ分かっているはずヨ」
「なるほど……」
そこでツァオドゥは立ち上がり、手を叩いた。
「はい、行動する! 城にいる私が分かるのは、目で見た情報だけヨ。現場に行ってこそ見える事実は、動かなければ分からないネ。こうしている間にも、何者かは私たちを利用して何かを企んでいるに違いないヨ!」
「はっ!」
ゼフィードは王に一礼し、その場を去る。
彼が伝えるまでもなく、ツァオドゥの言葉は魔法王国の重鎮全ての耳に届いており、即座に実行されることとなった。
グリフォンスが探るは、戦場にて怪しげな動きをする一団。
それが一体何者なのか。
「ま、どうせ、誰なのかは分かっているけどネ。本当に、あの黒瞳王……。食えない奴ネ……」
そして、戦場へ派遣された魔導王の部隊。
彼らは、とんでもないものと遭遇することになった。
「なんだ、あれは」
派遣されたのは、エルフ数名を核とする、高い魔法的素養を持つメンバーである。
単純な魔法ならば無詠唱で。
その他、精霊魔法に戦闘魔法、魔導王が考案した増幅魔法までを使用できる。
さらに、彼らの護衛として魔法生物の巨人が付き従う。
一本足に、巨大な単眼。
頭から直接手足が生えたような異形のそれは、フンババと呼ばれる魔法王国でも最強格の魔法生物。
そんな、万全の準備をしてやって来た彼らの前に、その異形のゴーレムはいた。
一見して、人間より一回り大きい程度のサイズ。
ゴーレムとしては小柄でスリム。
漆黒で金属質の外装に、赤いラインが走っている。
角つきの頭部にある、一つ目が、赤く輝いた。
『なんと。戦場跡で試運転をしようと思ったら、敵が現れるとは』
『黒瞳王様、あれ、魔法王国の強いやつ。なんでここ来たか、分からない』
『ほうほう』
小柄なゴーレムは、より大柄な一つ目のゴーレムとぼそぼそ会話をしている。
知性を持つゴーレムだというのだろうか?
いや、それは考えにくい。
鋼鉄王は意思を持ったゴーレムの作成に成功している。
だが、それらは皆、彼の趣味なのか女性の姿をしており、メイド服に酷似した装甲を纏っていた。
こんな無骨な外観ではない。
それに、目前のゴーレム達の動きは、実に人間味あふれるものだった。
『ではちょうどいい。実証試験をやってしまおう』
『黒瞳王様気をつける! こいつら、今まで戦場にいた魔法生物より、ずっと強い!』
『なるほど。特にあの一つ目の一本足が要警戒のようだ』
「くっ、何をぺちゃくちゃと……! やれ!」
魔法王国側の部隊は、隊長の命令に従って魔法の詠唱を開始する。
『よし、ガイテガ、オルシュ、例の戦法で行くぞ』
『分かった! ジェットなんとか!』
巨体のゴーレムが、二体で走り出した。
その脚部から猛烈な風が吹き出し、滑るように地面を駆けてくる。
「は、速い!? 止めろ、フンババ!!」
『もがぁーっ!』
全身頭のような魔法生物、フンババが雄叫びを上げた。
一本足で高らかに飛び上がりながら、向かってくる二体に襲いかかる。
その時、二体のゴーレムが縦一列に並んだ。
『黒瞳王様! 俺、踏み台になる!』
『良かろう!』
影から現れたのは、小柄な角つきゴーレムである。
それが大柄な個体の体を駆け上がり、疾走の勢いを得て跳躍した。
その腰に据えられた装甲が展開し、内部から漆黒の魔剣が取り出される。
『よし、姿勢制御。行くぞ。剣王流、上段の太刀……せいっ!』
角つきは空中で、体勢を立て直し、まるで地上を疾駆するかのような動きでフンババへ肉薄した。
『もがあっ!!』
フンババの口から溢れ出す炎。
触れたものを病魔に冒し、その生命を奪うカースド・フレイムである。
だが、これを……振り下ろされた漆黒の剣が断ち切った。
『むっ、タイミングを逸した!』
角つきが叫ぶ。
彼は空中で、フンババに激突した。
魔法生物とゴーレムが、空中から絡み合いながら落下してくる。
フンババは、太い腕で、まとわりつくゴーレムを引き剥がそうと掴みかかる。
だが、ゴーレムは離れようとも、抵抗しようとも考えていない。
手にした剣を振り上げ、密着したフンババ目掛けて叩きつけた。
『もがあ!?』
下手なゴーレムの外皮よりも、遥かに堅牢なフンババの皮。
それが、容易く打ち破られる。
落下までの間に、三度。
単純な動きで、角つきは黒い剣を叩きつけた。
切っ先は突き刺さり、フンババの肉をえぐる。
『もがああああっ!!』
叫びながら、魔法生物は地面に叩きつけられた。
落下の衝撃は、ゴーレムも受けているはずである。
だが、彼はそれを気にした様子も無くフンババに馬乗りになると、一つ目目掛けて剣を叩きつけた。
構えも型も、あったものではない。
ただただ、刃を相手に叩き込む。それだけを意図した単純な動きだ。
だからこそ、効く。
フンババの巨体が一度大きく痙攣すると、動かなくなった。
その頃には、魔導師たちと大柄なゴーレムが接触している。
放たれた魔法の中を、猛烈な速度でかいくぐったゴーレム二体。
『オオオオオオオオオ!!』
『ウオオオオオオオオ!!』
雄叫びを上げながら、魔導師たちを蹂躙していく。
「馬鹿な……! あ、あの抗魔力、ただのゴーレムではない! まるで、魔法と戦うことをあらかじめ想定したような……」
部隊の長が狼狽しながら呟いた。
それに応じたのは、フンババを倒した角つき。
『いかにも。表面装甲に、魔法生物から抽出した塗装を施してある。諸君ら魔法王国の魔法と同質の属性を持つ塗装だ。幾分か、君たちの魔法を軽減する効果があるようだ。実証は成功となる。喜ばしい』
角つきは告げながら、剣を振り上げた。
剣王流の構え。
「お、お前は……お前は何なのだ……!!」
『答える必要はあるまい。実証試験への協力、感謝する。では……ッ!』
振り下ろされた黒い剣が、長を真っ向から叩き切った。
魔法王国の部隊は、ついに戻らず。
しかしこの日を境に、魔導王ツァオドゥは新たな命令を下すのだった。
即ち。
『魔族の王国ダークアイを、殲滅せよ』と。