ホークウインド戦争
王都より出発した一団は、途中の都市にて兵力を増やし、一路、中央の鷹の腹平原へ。
ここより、軍を二つに分けて鷹の右足地方と、鷹の翼地方へと向かう。
「ウートルド、魔眼光が来るぞ。気をつけて進め」
「はい。陛下もお達者で」
「今生の別れのような事を言うやつだな」
鷹の翼へ向かうのは、鷹の目王ショーマス自らが率いる一団である。
さらに、鷹の翼を前後から挟むように、海からの勢力が向かう。
船には、鋼鉄王が作り上げた大砲が搭載されている。
これで、鷹の翼を削り取るつもりなのだ。
この戦いが始まる前までに、ウートルドを除く全ての暗殺騎士を失ったショーマス。
しかし、彼の傍らには剣を携えた若者が続いている。
「陛下はこの先に、黒瞳王めがいると確信なさっておられるのですか?」
「そうだとも。今回出現した黒瞳王は、今までに記録されている連中とは明らかに違う。表に出てくることなく、策略を張り巡らせ、我が国を内部から蚕食した。魔王……と呼ぶには些かスケールの小さな奴だが、警戒すべきは奴の慎重さだな。今まで、奴はほとんど、我々に尻尾を掴ませるような事を行っていない」
「なるほど……。唯一の手がかりというのは、私の父の切り傷ですか」
「唯一と言う訳では無いがな。ダンには惜しいことをした」
気が入っていない返答を返すショーマス。
彼にとって、剣に長けているだけの男など、何の価値も無いのである。
「彼を殺したのは黒瞳王だ。魔王軍に剣を使うものなどいない。いるとすれば、より上位種の魔族だろう。ゴブリン、あるいは単眼鬼の欠片とダークエルフ。どれも剣を使うものではなく、お前が見た限りにおいては剣王流の太刀筋だったのだろ?」
「はい。あれは間違いなく、剣王流袈裟懸けの太刀。最も初めに学ぶことになる“技”です。だが、あれほど初歩的な技を父が受けるとは……」
「剣王流とやらの技を盗み取ったのだろうよ。そして不意を討つなり、相手の意識を逸らすなりしてダンを手に掛けた。許すまじき卑怯さだ」
「ええ、そうあれば、許すことはできません……!!」
「そうだな。では、お前の標的は黒瞳王だ。だから、おれにこうして同行させている。頼りにしているぞ? ……で、本当にいいのか? 暗殺騎士の力を断ってしまって」
「私の力は私だけのものです。与えられた力で、仇と戦うつもりはありません。それに……これは、孤独な父を救えなかった私の償いでもあるのです」
「そうか。お前の選択であればどうこうは言わない。だが、死者は何も言わんぞ? ただそこに彼らがいたという事実があるだけだ。彼らの思いを勝手に想像するのは、生者の勝手でしかない」
それだけ告げると、ショーマスは歩みを進めていった。
寿命というものから解放され、長い時を行き続ける七王。
その一人であるショーマスには、一般的に語られるような死生観など無かった。
あらゆる人間は、自分を置いて通り過ぎていく者。
そこに見出す価値は、利用できる者か、出来ないものかしか無い。
途中、ゴブリンの襲撃なども予想されたが何もない。
考えてみれば、ゴブリンはつい先日まで、三十年前の戦以降は数を減らすばかりの状況だった。
黒瞳王の登場で勢いを盛り返したとは言え、その数は人間よりもずっと少ない。
「包囲は完了か?」
「はっ、完了しました。海側にも船を配置してあります」
鷹の翼地方に集結したショーマスの軍勢。
ここから岩山に聳える城までは、険しい山道を行かねばならない。
軍勢は細く長くなり、途中から攻められやすくなるだろう。
「使い捨てになるが……即席の暗殺騎士を作るか」
ショーマスは五名の兵士を無作為に選択し、彼らに暗殺騎士としての力を授けた。
ウートルドは生きているし、ロシュフォールとガグは死亡前に力を回収できていない。
数年も経てば、再び暗殺騎士を作り出す力は回復するだろう。
だが、今、その猶予はない。
ショーマスに命じられた即席の暗殺騎士達が、山肌を駆ける。
重力を無視したかのように、絶壁を足場とし、谷を飛び越え、これから進む道に潜む伏兵を探る。
「ギッ!?」
案の定潜んでいたゴブリン達。
彼らは、慌てたように甲高く鳴いた。
これを見て、暗殺騎士となった兵士はにやける。
「いやがったぜ! そら、この授かった力で魔族どもを蹴散らしてくれる!」
腰にぶら下げた手斧を抜き、ゴブリン目掛けて投げつける。
一人のゴブリンは、それで頭を割られて倒れる。
慌て、魔族は暗殺騎士に石を投げつけるが、そんなものに当たる訳がない。
兵士は岩場をまるで平地のように飛び回り、飛礫を次々と回避した。
同じような事が、あちこちで起こっている。
ゴブリン達の高周波が、谷間に響き渡った。
ショーマスはこれを聞きながら、頬を歪める。
「これは、聞き取れんな。反響しているだけならいいが、複数が重なり合っている」
「いやな予感がします」
鷹の目王の横で、若い剣士が呟いた。
「おれが遣わした騎士どもは仕事をしているようだが、どうだ? このまま進める状況か」
一瞬、鷹の目王は考える。
そして、命令を下した。
「そこから、そこまで。行け」
兵士達が歩き出す。
ある程度進んだところで、突如山肌が崩れ始めた。
パラパラと石が降ってきたかと思えば、続いて一抱えもあるような岩が幾つも崖を下ってくる。
「う、うわあーっ!」
「崖崩れだあー!」
ショーマスが遣わした第一波は、その半ばを潰され、ほうほうの体で戻ってきた。
「ショーマス様、無理です! ここはとても通れない!」
「やはり海から……!」
「いや」
鷹の目王は目を細めた。
「あんなぱらぱらとした崖崩れで、おれ達を殺せるか? なんなら、一度に崩して生き埋めにするか、谷を封じてしまえばいい。何故それをやらん? ……簡単な事だ。黒瞳王は、おれに城までたどり着いて欲しいのよ。奴の狙いは身を守ることではなく、攻めること。この谷の待ち伏せそのものが、数で劣る魔族共の攻め手というわけだ」
「お、王よ、それでは……!」
「行け」
鷹の目王は人の話を聞かない。
そもそも、王国に存在する全ての者が、自らと対等な人間であるとは、露程も思っていないからだ。
「しかし……」
反論をしようとした兵士。
その額を、ショーマスは指先で突いた。
「スティールする価値が無いんだよな」
何かを抜き取り、その辺りの地面にポイッと捨てる。
それは兵士の自律意思である。
「行け」
「はっ」
鷹の目王は周囲を見回した。
先遣隊とする兵士を無作為に選び、意思を奪い、先に進ませる。
人数は目減りするが、問題ではない。
「黒瞳王め、姑息な手を使ってくる。だが、おれの手勢は幾らでもいるぞ。そして、こいつらを削りきったところでおれには届かん。先代のようにお前の背中から一突きにしてやろう」
仕掛けられた罠に、次々と兵士を潰されながらも、そうして確保された安全な道を鷹の目王は行く。
あるいは、暗殺騎士達が罠を破壊し、待ち伏せしているゴブリンを排除する。
やがて、途中から妨害は無くなり、鷹の目王の軍勢は谷を抜けたのだった。
眼前に空間が広がり、鷹の翼の山城が見える。
正しくは、その成れの果てだ。
「おう、こいつは……」
「なんともひどい姿になったものですね……」
ショーマスが伴う剣士までも、顔をしかめた。
崩れかかった岩山は、あちこちから鋭い木の枝が突き出し、あるいは絶壁になるまで削り込まれ、歪に変化していた。
その上にあったはずの鷹の翼城は、雑多な枯れ木や岩で破損箇所を補修され、城というよりは巨大な掘っ立て小屋であった。
少なくとも、建築に関するセンスがゼロであることは間違いない。
「ありゃひどいな。とても、まともな感覚の奴が建てたとは思えん。だが、だからこそ厄介だ」
「そうなんですか? 私にはすぐに崩れそうに見えるんですが」
「この戦いの間、持てばいいという考えなんだろう。それに、あれの内部の構造が想像出来るか? 俺には出来ん」
「そう言えば……!」
ショーマスの言葉に、剣士は顔を引き締めた。
「大砲を引き連れて谷は通れんだろう。海側からではあの城を視認できない。だから大砲も打ち込めないだろう。おれ達は、このでたらめな岩山を登り、あんな城に攻め込まねばならんという訳だ。はははは、黒瞳王め。本当に性格の悪い奴だ! だが、いいな。いいぞ。これは最高の暇つぶしだ……。三十年待った甲斐があった……!!」
山城からは、ゴブリン達が顔を出す。
構えられるのは、原始的な弓矢や投石機である。
対して、ショーマス軍もまた戦闘態勢に入る。
後にホークウインド戦争と呼ばれる戦いの、端緒が開かれたのである。