侵入、鷹の右足城
人の側が何もしていなかったという訳ではない。
この土地を治めるドルフ辺境伯は、ショーマスの使いとして、ディオコスモで行われた数々の戦闘に参加してきた猛者である。
戦争というもののやり方は知っている。
攻める側になったことも、守る側になったこともある。
だが、敵としたのはあくまで軍隊。
動きを見せず、浸透してくる相手との戦い方は知らない。
「ロシュフォール卿も帰ってこない……。おい、まだ何も見つからないのか?」
「はっ。周辺村落を調査してはいるのですが、奴ら、異常な程に慎重で狩りを行った形跡すらなく。村には、倉庫から食料が奪われた跡もありません。本当に、何の動きも気配も感じられず……」
「撤退したということか……? 引き続き、警戒を密にせよ」
「はっ」
彼に仕える騎士たちを、この二週間の間フル回転させている。
だが、何の成果も掴めてはいない。
騎士と、それに仕える兵士たちの緊張感も薄れつつある。
かかる糧食と金も馬鹿にできるものではない。
それに、兵士たちが森や村を常に歩き回っていることに、いい顔をしない民衆は多い。
常に領主に監視されているような気分になるのだ。
領主側と民衆の間に、溝が生まれつつあった。
例えば、村人たちの倉庫から、僅かな麦や干し肉が消えていても、報告しない程度には仲が悪い。
子どもたちが、緑色の小人が村を見て回っていた事に気づいても、親が兵士たちに伝えない程度には。
些細な話の積み重ねだが、それが致命的な事になる。
火の手が上がった。
乾燥の後、積み上げられた麦の束が炎を上げている。
村人たちは慌てた。
近くに火を置かないことは常識である。
子どもたちには火種を与えていない。
ならば、何故火が?
「続け! 黒瞳王サマ、支援する!」
緑の肌の小人達が駆け抜ける。
手にしているのは、出血毒を塗られた刃物。
それを、手近な家畜に浅く突き刺していく。
毒は、耐えきれないほどの激しい痛みを呼ぶ。
家畜たちが暴れだした。
あるいは、小人達は松明を持って走り回る。
古くなった家に火を付け、家畜の飼料たる干し草を燃やす。
村人たちは、慌てて火を消すための水を取りに走る。
あるいは、燃え上がる建物の周囲の建造物を破壊しようと行動する。
故に、彼らは気付かなかった。
麦を満載した荷車が、一台消えていることに。
「村が燃えてるってよ」
「マジか!? ゴブリンか何かじゃないのか! でも、奴らが火を使うとか聞いたこと無いんだけど……」
辺境伯の城を守る兵士たちは、ここから動くことが出来ない。
下級の兵士が知れる情報も少ない。
彼らはじりじりとしながら、推測を繰り返すばかりである。
そこに荷馬車がやって来た。
「おおい、止まれ止まれ。そうか、今日が上納品の日だったな」
「村はどうなってる?」
「うむ。麦がみんな燃えてしまうのではと思って、上納する分だけでも持ってきたのです」
馬を御すのは、村人の夫婦である。
共にフードを深く被り、うつむいている。
夫の側が、無愛想な声で告げた。
妙に発音がハキハキし、はっきりしている。
だが、剥き出しになった手は人肌の色をしているし、妻の方は夫にべったりでいちゃいちゃしている。
「そうかそうか。まあ、夫婦揃ってこっちの仕事をしてりゃ、火消しに駆り出される事も無いもんな」
兵士は扉の中に合図をする。
すると、大きな扉がゆっくりと開いていった。
そこから、騎士が顔を出す。
「念のために、検分を……」
言い掛けた時だ。
「────!!」
妻の側が俯いたまま、何か叫んだ。
人の耳には聞こえない、高周波の叫び。
これと同時に、荷台に積まれていた麦が跳ね上がった。
中から、ゴブリン達が飛び出してくる。
「何っ!!」
慌て、身構える騎士。
騎士の目の前には、農夫の男がいた。
だぶっとした服装の袖から、また別の真っ黒な服が見えている。
懐から抜き放つのは、黒い魔剣。
抜かれて、そのまま抜き打ちに放たれるのではない。
一旦、正眼に構えられた。
「はっ!? け、剣王流?」
それが、教本に描かれた基礎の通り、真っ直ぐ騎士に伸びる。
「このっ……!」
慌てて盾を構えた騎士。
その盾が、真っ向から割られた。盾を構えた腕が断ち切られる。
「…………!!」
黒い剣が、彼を両断した。
「行くぞ」
「さっすがルーザックサマ!」
農夫の妻を装っていたのは、ゴブリンロードのレルギィ。
衣装を脱ぎ捨て、革鎧姿をあらわにする。
手にした棍棒が、兵士二人を叩き潰していた。
「ギィ!」
「ギッ!」
ゴブリン達が、どんどんと城の中に侵入していく。
彼らは、出血毒と、ゾンビ毒の二つの毒を塗りつけた短剣を持つ。
全ての馬を行動不能にし、使用人たちを倒す。
兵士や騎士は、ルーザックとレルギィが各個撃破である。
さらに、開けっ放しの扉からホブゴブリン三名も飛び込んできた。
三人で一人の兵士を相手取り、確実に倒すスタイルである。
「城の見取り図を手に入れられなかった事が残念だが」
「カーギィと単眼鬼が透視してましたからね! 私、覚えてます!」
レルギィがルーザックを先導した。
階段を駆け上がっていく。
騒ぎを聞きつけて現れるのは、武装も半端な騎士たち。
これを、片っ端から棍棒で殴り倒していくのだ。
オーガに匹敵すると言われる彼女の膂力である。
いきなりの事態に浮足立った兵士や騎士が、太刀打ちできるものではない。
次々に、彼らは打ち倒されていく。
あるいは、背後から来るものはルーザックが的確に仕留める。
階下では、ホブゴブリンとゴブリンが連携し、戦っている。
彼らの動きは迅速だった。
迎え撃とうにも、騎士や兵士の半ばは、城外へでかけてしまっている。
手が足りない。
手が足りないところに、各個撃破で着実に頭数を減らされていく。
「ルーザックサマ、ここ!」
レルギィが目的となる部屋を見つけた。
扉を蹴破ろうとして、そこをルーザックに止められた。
「慎重に行こう」
ルーザックは正規なやり方でドアを開けようとする。
鍵が掛かっている。
彼はこれを確認した後、魔剣でドアを破壊し始めた。
まずは一箇所に切りつけ、そこから下に切りつけ、今度は横に。
ドアをくり抜くように、的確に破壊していく。
向こうに誰かが待ち伏せしているとしても、対処できる程度の速度だ。
こんな悠長な事をしていれば、騎士や兵士は駆けつけてくるだろう。
それを相手取るのがレルギィの仕事だ。
棍棒と、騎士から奪った剣を振り回して威嚇する。
「よし、これで扉はくり抜いた。行ってくる」
「気をつけてね!」
レルギィがウィンクした。
ルーザックはこれを、大変微妙な表情で受け止めると、ものも言わずに部屋の中に入っていく。
「お前が……魔族の首魁か」
「いかにも」
部屋の中には、騎士が二名と、地位が高い男が二人。
一人はドルフ辺境伯。もう一人は、ルーザックが見知った男だった。
鷹の尾羽砦の騎士爵、ガント。
彼は驚きに目を見開き、ルーザックを見据える。
「ルーザック、ま、まさかお前が魔族だったとは……! それに、その漆黒の瞳……! まさか……」
「黒瞳王。それが私の役職だ」
ルーザックが剣を構えた。
騎士たちが、室内の貴人を守るように前に出る。
その瞬間である。
彼らの背後、窓ガラスに異様な物が映った。
『なあるほどな。これなら魔眼光はいらぬという訳か! わはは、手加減して勝てるというのは楽でいいな!』
しわがれ声を上げて笑いながら、人の胴体程もある巨大な眼球が、窓を破って飛び込んできたのだ。
「なっ!?」
ルーザックを除く、誰も反応できない。
ガントが目玉に弾かれて、壁まで吹き飛ばされた。
この隙に、ルーザックが騎士の一人を斬り捨てる。
「!!」
慌てて戦闘態勢になった騎士に、ルーザックは真っ向から斬りつける。
黒瞳王の剣を受けてはならない。
剣も盾も、何もかも切断するからだ。
それを知らぬ騎士は、攻撃を防ごうとして叩き切られた。
悠然と振り返るルーザック。
「黒瞳王……」
ドルフは呻いた。
だが、かつて強者として慣らした身。
おめおめこのままやられる訳には行かない。
ドルフが抜いたのは、僅かに光を放つ魔剣。
ルーザックの剣に及ぶべくも無いが、それでも魔力を宿した強力な剣である。
「このままやらせはせんぞ……! せめて、お前の腕一本でも持っていく……!」
「決死の覚悟という訳か。その気持ちに付き合うつもりはない。サイク」
『おうおう!』
巨大な眼球が、ルーザックの肩越しに浮かび、その瞳孔をカッと開いた。
すると、室内全体を凄まじい輝きが満たす。
「ぐわっ!!」
ドルフは一瞬目を伏せた。
目がくらみ、何も見えない。
この隙に、ルーザックはテーブルをドルフ目掛けて蹴った。
巨大なテーブルがひしゃげながら、部屋の主にぶつかる。
「ぐほおっ!」
魔剣はテーブルに突き刺さり、ドルフの体をそこに固定する。
ルーザックは慎重に魔剣を避けつつ、テーブルを破れた窓まで押し込んでいった。
「な、何っ! これは……凄まじい力……!」
「私が倒れては、今後の業務遂行に差し障りがある。あなたはこのように、リスクの低い方法で排除させてもらおう」
黒瞳王は事務的にそう告げるとテーブルを窓の外へと押し出した。
ドルフ辺境伯ごとである。
「あっ……あ──────」
声が、落下していった。
「へ、辺境伯!! おのれ……!」
ガントが体勢を立て直す。
だが、彼には単眼鬼が迫っていた。
目玉だけになろうと、そして何の魔力を使わずとも、この上位魔族はただの騎士を叩き潰す程度のことは、造作もなくやってみせる。
後をサイクに任せ、ルーザックは扉を出た。
濃厚な血の匂いが漂っている。
あちこちで、人の叫ぶ声がしていたが、それも段々と減っていく。
「さて、これから掃除と……外に出ている騎士たちも排除せねばな。それから……そろそろ盗賊王が気付いてもおかしくない」
既に、ルーザックの頭は次の計画に移っているのであった。