暗殺騎士vsゴブリン遊撃隊
暗殺騎士とは、正式な騎士ではない。
特別に、身体能力的な才能が高い人間が選ばれ、鷹の目王ショーマスより異能を授かった存在だ。
その動きは、人智を超越する。
壁を、天井を、まるで大地であるが如く駆け、目前から一瞬で死角へと消え、専用の刺突剣で相対するものを忽ちのうちに屠る。
かつて、ショーマスと黒瞳王が戦った際も、暗殺騎士は単騎で敵陣の只中に飛び込み、敵将の首を上げて魔王軍の士気を崩したと言う。
彼らは、ホークウインドに轟く英雄の名でもあり、聞くものの背筋を粟立たせる人外の者の名でもあった。
暗殺騎士ロシュフォール。
鷹の右足地方に派遣された、八名の暗殺騎士の一人である。
その顔は、甲冑に覆われて見えない。
強化皮革と、魔族の骨で作られた甲冑は、強靭で軽い。
縦横無尽に動き回る、暗殺騎士の動きを邪魔しないのだ。
「鷹の尾羽は落とされたというのに、ゴブリンの姿はなし。おかしい」
彼は森の中を疾走する。
そこは大地の上ではない。
木々の上だ。
枝から枝へを、まるで道を走るかのように走る。
「かつての記録では、勝ちに奢った魔族は統率を欠き、町や村を我が物顔で歩き回ったと言う。だが、今回のこれは明らかに違う。必要量だけの略奪を行い、速やかに撤退したようにしか見えない」
一人、誰にともなく呟いているように見える。
だが、彼の肩には一羽の鷹が止まっていた。
ロシュフォールは鷹に話しかけているのだ。
「陛下のご予想は当たっておられる。ゴブリンの背後に、何者かがいる。これは、ただの魔族による反乱ではないこれより、強行偵察に移る。行けっ」
鷹が羽ばたいた。
その足には、小さな巻物が結わえ付けられている。
飛び立つ間にも、巻物には自然と文字が刻まれていく。
ロシュフォールの言葉が記されているのだ。
鷹と別れた暗殺騎士は、猛烈な勢いで鷹の右足地方へと向かう。
目指すのは、かつて盗賊王と仲間たちが、強大な魔族を封じたという山。
ロシュフォールの目は、その地へと向かっているであろう、ゴブリン達が残した痕跡を追っていた。
(集団が移動した形跡。ゴブリンのみであれば残る痕跡も少ないだろうが、森に慣れてない何者かが同道している)
(足跡からして、巨漢ではない。人間……? それに極めて近い体格の者だ。ダンが戦ったらしき場所に、似た足跡が存在した。衰えたとはいえ、剣豪であった男を倒した相手となれば、要注意)
山の周りをぐるりと廻る。
ここから、こと、森や山などに限れば、暗殺騎士の速度は馬よりも速い。
人間を超越した脚力と、あらゆる障害物を無視できる走法で、局地であるほど速くなるのだ。
森を越え、谷に差し掛かる。
(そろそろ、奴らの姿が見える……見えた!)
森から丘へと着地し、着地と同時に疾走する。
今、暗殺騎士が、谷間を移動するゴブリンたちへと襲いかかる。
ほぼ同時に、ゴブリンロードの次女、カーギィは接近する相手に気づいていた。
いや、魔法のメガネ後からで、見えたというのが正しい。
「レルギィ!」
「分かってる!」
レルギィが、棍棒を構えた。
指示された方向には誰もいない。だが、カーギィの言葉を信じ、そちらに武器を向ける。
その瞬間、棍棒に衝撃が走った。
突然、男の姿が現れる。
「!?」
男は驚きの気配を発する。
「暗殺騎士……!!」
カーギィ、レルギィもまた、青ざめた。
動揺したのは、ゴブリンたちも同じである。
(取った!)
暗殺騎士は勝利を確信した。
魔族にまで、己が持つ、恐怖の象徴というイメージが知れ渡っているのだ。
士気を失った敵など、どれだけいようと弱兵に過ぎない。
逆を言えば、どれだけの弱兵であろうと、士気と規律があれば、神兵に抗うことは可能なのである。
「集団戦闘マニュアル三番!!」
奇妙な単語を叫ぶ者がいる。
ゴブリンたちの只中、黒い風変わりな衣装を着た男である。
ロシュフォールは彼を見た瞬間に確信した。
これこそが、ゴブリンの反乱における首魁であると。
そして、男の瞳を見て、一瞬彼の背筋が総毛立った。
その目には、一切の光沢がない。
完全な闇である。
闇の瞳を持つ者など、人間であろうはずがない。
即ち、三十年前にショーマスが手に掛けたという、魔族の王。
「黒瞳王!」
暗殺騎士は標的を確定した。
あの男を討つ。
それこそが、ロシュフォールが最優先ですべき事なのだ。
だが、彼の行く手が阻まれる。
突き立てられたのは槍だ。
四名のホブゴブリンが、黒瞳王の前方で、ロシュフォール目掛けて槍を繰り出す。
「何を……」
ロシュフォールは剣を振り回し、穂先の付け根を切り落とした。
だが、切られてなお、棒が暗殺騎士に突き込まれる。
(何っ!?)
暗殺騎士は慌て、大きく後退した。
後退した分だけ、ホブゴブリンたちが間合いを詰めてくる。
「ええいっ、なんだ。調子が狂う……!」
突き出された棒の先端に足を引っ掛け、ロシュフォールは跳ぶ。
ホブゴブリンの一体の頭を踏みつけ、そのまま折る。
「グギャッ」
「これで一匹……」
「集団戦闘マニュアル三番、徹底!」
そこに、ゴブリンたちが槍を構えて向かってきた。
きっちりと規律が取れた動きである。
着地しかけたロシュフォール目掛けて、穂先が繰り出される。
「くっ!」
それを横飛びに回避するロシュフォール。
その横に、黒瞳王がいた。
「しまっ……!」
何のことは無い。
着地から、逃げ場を塞がれるように槍衾を作られ、逃げ場所へと誘導されたのだ。
黒い魔剣が、暗殺騎士を襲う。
「ぬうっ!!」
ロシュフォールは素早く、地に伏せた。
剣が頭上を通り過ぎる。
切っ先が兜を掠め、まるでチーズを削るように、先端を削ぎ落としていった。
(あれは受けてはならない一撃だ……!)
ロシュフォールはゴブリンたちの足元を、蜥蜴のような動きでくぐり抜ける。
(一時体勢を立て直し……)
「後方、マニュアル三番、前進!」
ゴブリンたちの中から抜けたと思った瞬間には、彼らはロシュフォールを向いていた。
穂先が上を向き、くるりと反転。
立ち上がろうとしたロシュフォールに突き込まれる。
「うおおおおっ!!」
一瞬たりとも、気を休める余裕がない。
避けきれず、幾つかの槍を受けながら、暗殺騎士は全力で飛び退った。
「集団戦闘マニュアル四番!」
ザッとゴブリンの人波が、左右に割れる。
その中心から、黒い剣を持った男が駆け寄ってくる。
黒瞳王自らの突撃だ。
「ええい、舐めるなっ!!」
暗殺騎士は、空いた手を使って、全身に隠し持った飛び道具を抜き打ちに放つ。
これは黒瞳王に体に幾つも当たるが、不思議な衣服が攻撃を阻み、貫くことが出来ない。
(あ、頭しかないのか!!)
慌て、狙いを変えようとする騎士。
その意識の隙間を衝いて、黒瞳王の脇から小さな影が飛び出した。
年若いゴブリンの女である。
手にしているのは、ナイフ。
「ちっ!」
ロシュフォールは黒瞳王の頭を狙うことを諦め、ゴブリンの女を迎撃しようと意識する。
だが、同時に、暗殺騎士目掛けて黒瞳王の剣が迫る。
(この剣を受け止めつつ、ゴブリンを投擲で殺す……! その次に黒瞳王を仕留め)
一瞬の判断であった。
暗殺騎士ゆえの、オートメーション化された殺しの思考。
故に、ロシュフォールは致命的な過ちを冒した。
受け止めようと翳した剣が、黒い魔剣に打たれてガラス細工のように砕け散る。
ほんの少しも、黒瞳王の攻撃を緩めることは出来ていない。
ゴブリンの女は、転倒していた。
足元に、もっと小さな女がいる。それにつまずいたようだ。
ロシュフォールが放った投げナイフは、ゴブリンの女の後ろ髪を掠めていた。
ゴブリンの女は、倒れる寸前にナイフを投げている。
これは、ロシュフォールの腹部に刺さっている。
肉には届いていない。
だが。
黒い魔剣が、ロシュフォールの肩から腹の半ばまで斬り込まれている。
(な)
暗殺騎士は目を剥いた。
(これは、なんだ)
ひんやりとした感覚が、傷口から全身に広がっていく。
ロシュフォールは急速に曖昧になっていく自我の中、自問した。
どこだ。
どこで間違った。
どこで俺は過ちを犯した。
この暗殺騎士が、ゴブリンの群れ如きに。
卓越した個人である暗殺騎士が、ゴブリンの集団を前にして、思考の柔軟さを失った。
それこそが敗因である。
気付く時間など無かった。
かくして、暗殺騎士ロシュフォールは、鷹の右足の城へ戻ることはなかったのである。