【第8話 妖精ポワン】
「ナイト様!あなたは何をしているんですか?!」
突然市原をたしなめる甲高い声が耳に入り、美玲は我に返った。
振り返ると入り口には、淡いピンクの花びらのようなドレスに身を包んだ小さな女の子がたっていた。
ツインテールに結ばれた少し癖のある栗色の髪と、鮮やかな青い瞳が人形のように愛らしい。
市原は責められていることを気にせず、ベッド脇の椅子に座ったまま少女の方を向いた。
「いいじゃないかよ別に。同じクラスの仲間なんだし」
「そういう問題じゃありません!寝ている女の子の部屋に無断で入るなど……!」
ワナワナと言うその言葉に、美玲のほおが赤くなった。
そういえば起きたら市原がベッドサイドにいた。もしかして寝顔を見られていたかもしれない。
「えーと、この人は、保健室の先生?」
照れ隠しで市原にたずねると、思い切りバカにした様子で言葉が返ってきた。
「永倉、お前こんなちっこいのが先生に見えるのか?」
見えない。やっぱりそうだよね、といって美玲は頰をかいた。
「まぁ、お目覚めですか!ミレイ様!!」
少女は興奮した様子で途中椅子に座る市原を突き飛ばし、美玲の傍へと蝶の羽を広げて飛んだきた。
大人びた口調の彼女だが、背丈はミレイの胸のあたりまでしかなく、学年で言えば一年生くらいの小さな女の子だ。
少女がにっこりと微笑み会釈すると髪留めのリボンが揺れた。
「初めまして。私は撫子の妖精ポワンともうします」
ポワン、と名乗った少女はスカートの裾を持ち、お姫様がするようなお辞儀をした。
「ど、どうも初めまして……永倉美玲です」
しどろもどろに返すと、ポワンは足首の包帯の交換をしに来たのだと言って、手際よく作業に取り掛かった。
「あぁ、もう大丈夫ですね。手当が早かったおかげです」
見ると、あの時まであった痣はきれいになくなっていた。
包帯はもう必要ないと判断したのか、ポワンは新しい包帯を巻かずに、銀色のトレーに戻した。それから厳しい口調で市原の肩を叩いた。
「ほらナイトさま、いきますよ!」
「何で。俺は別に居たっていいだろ?」
「いいえ、ミレイ様はもう少し休まなければならないんです!」
言うだけではダメだと思ったのか、ポワンは市原の腕とシャツの裾を掴み、腰を低くして全体重をかけて引っ張り始めた。
だがどんなにポワンが踏ん張っても、市原はベッド脇の椅子から立ち上がろうとはしない。
ポワンの顔がまっ赤になっても、市原の重い腰は上がらなかった。
「ナイト様!いい加減にしてください!ミレイ様は大変な思いをなさったので、お疲れなのですよ」
今度は両手の力だけではなく、羽を懸命に羽ばたかせながら引っ張った。
高いものなのであろうそのスポーツブランドのシャツは、袖と裾が洗濯しすぎてくたびれたもののように伸びて変形してしまっている。
だが、当の市原は袖と裾が伸びるのも気にせず、涼しげな顔をして楽しそうに抵抗をしている。
力を精一杯使っているのだろうポワンは、さらに顔を真っ赤にしている。
自分が止めないとまずい、と美玲は慌てて両者の間に入り、ポワンの手を取った。
「いいよ、ポワン。ありがとう。少し二人で話したいから、いい?」
ポワンは渋々という様子であったが、やっと市原の服から手を離した。
力が弱かったおかげだろうか。引っ張り続けられていた服は思ったよりも変形していなかった。
「では、わたしはミレイ様がお目覚めになられたことを、トルト様におしらせしてまいりますので、失礼いたします」
少し乱れた髪を手ぐしで整えてから、また丁寧にお辞儀をしてポワンは部屋を出て行った。
静かになった部屋で二人きりになり、少し気まずい。
美玲はふと考えた。なぜ自分たちだけがここにいるのだろうか。
市原がいるのなら、かれんと志田はどうしたのだろう。
「市原、そういえばかれんは?一緒に歩いていたよね?」
「久瀬?いや、しらねぇ。俺は一人だった。お前こそ、志田はどうしたんだよ」
市原も同じことを考えていたようで、二人して眉をひそめた。二人の間に重たい
沈黙と不安が広がる。
知らない世界に市原と二人きり…学年中の女子を敵に回すようなことが起きていて、さらに親友から一生恨まれかねないことになっている。
「うちらだけがいるなんておかしいとおもう……。だって四人で一緒に居たし、うちら二人だけ知らないとこに来るなんて信じられない」
そうでないと、いろいろ困る。いろいろと。
「だよな。俺もそう思う」
市原は深いため息をついている。また、市原と二人きりという状況の他に、美玲は自分が遭遇した危険なことに、かれんもあっていないかの方も気になっていた。
(かれんもフレイズが助けてくれているのかな……大丈夫かな……)
美玲はそんな気分を紛らわそうと、そわそわとベッドと窓辺を往復し始めた。
「永倉、とりあえず落ち着こう。ほら、水」
市原は大きな机の上に水差しとコップを見つけ、注いで美玲に渡した。
ベッドサイドに座って美玲はコップに口をつけた。
家で飲む水道水とは違い、ほのかな甘みがある、さらりとした舌触りの水だ。
喉が渇いていた美玲はそれを一気に飲み干し、空になったコップにまた水を注ぐ。
三杯ほど飲むと、やっと満足した美玲はコップを置いた。
「ポワンがここの偉い人に合わせてくれるみたいだからさ。それから考えようぜ」
「うん……」
自分より冷静な人物がいると、安心する。
美玲はとにかく相手が市原だろうが、この知らない世界に一人じゃなくてよかったと心から思った。
そこへ、扉をノックする音がして、「どうぞ」と言うとポワンが入ってきた。
「ミレイ様、ナイト様、トルト様のところへご案内します」