夏休みに妖精の国を救いました!⑩
美玲を送り出した三人は、パーティー会場でそれぞれ食べ物を食べたり、精霊や妖精たちと話をしたりして過ごしていた。
女王ユンリルから英雄だと紹介されてしまったので、みな一目見ようとやってくるのだ。
そのおかげで忙しかった市原は、失恋の悲しみに浸る間もなかったのは幸いだった。
「あっ!……二人とも会えたみたいだね」
突然、かれんが嬉しそうに言うので、なんのことかわからなかった志田は市原と顔を見合わせた。
「え?何?」
「ほら、あそこ」
志田に聞かれ、かれんが指差した先にはダンスを踊る美玲とフレイズの姿があった。
「よかったね……美玲」
音楽に合わせて踊る二人とも幸せそうで、告白が成功したと知ったかれんはうっとりとため息をついた。
「ちょっと、久瀬……」
「あっ……」
志田に小突かれ、かれんは市原が美玲のことを好きだというのを思い出し、しまった、口を手で押さえた。
「……」
一方で市原は、美玲とフレイズから視線を外せなくなっていた。
美玲の背中を押したのは市原だ。
なのに、いざ二人の幸せそうな様子を目の当たりにすると、胸が苦しくて、心が痛くてたまらなかった。
「なあ、志田たちは踊ってこなくていいのか?」
市原がぽつりと呟き、二人を見ないままで尋ねる。
「え?いや俺たちは……」
「う、うん、別に……踊り方も知らないし、ねえ」
二人して視線を合わせ、頷きあう。
どうやら二人は失恋した市原に気を遣っているようで、そのことに市原は頭を掻いた。
「俺に気を使わなくってもいいから、せっかくだし行ってこいよ」
正直今はものすごく惨めで悲しくて、市原は一人になりたい気分だった。
「でもケーキがまだトレーに……」
かれんはそう言いながらも、パーティー会場が気になるようで、チラチラと見ている。
「久瀬、そんなの後でいいだろ」
市原は呆れて言う。
せっかくのパーティーだ。楽しまなくてはもったいないのに。
「おや、皆さんは踊らないのです?」
声をかけられ三人が振り向くと、そこにいたのは。
「グリルさん、ジルビアさん」
火部隊隊長のグリルと地部隊隊長のジルビアだった。
パーティーだと言うのに甲冑を見にまとった二人は、トレーにたくさんの料理を乗せながら、不思議そうに三人をみている。
「うわぁ、かっこいいですね、その格好!」
「ありがとうなのです。これは四元騎士団各部隊隊長の正装なのです」
かれんに褒められ、ジルビアは表情はあまり変わらないものの、嬉しそうな声音で言った。
「まあ俺としてはジルの可愛いドレス姿も見たいところだがな!」
「人前で……しかも護衛任務中に何を言ってるのです。グリルさんは全く……」
呆れたように言うジルビアだが、その口角が微かに上がっているから満更でもなさそうだ。
「ジルビアさんたちは踊らないんですか?」
かれんが首を傾げて聞くと、グリルは山盛りのトレーを三人に見せた。
「俺たちはご馳走を食いにきたようなもんだからな!」
「たくさんありすぎるので手分けして取り、半分こするのですよ」
ふふん、と得意げにジルビアも言う。
それから、ジルビアとグリルはふと真面目な顔をした。
「皆さまには感謝しているのです。記憶の書を書き換えられていた我々を止めてくださった。もしあのまま操られていたらと思うと……」
「君たちの力がなければ今頃世界は全て消え、何もなくなっていた。このパーティは俺たちからの礼なのだ。だからご馳走を堪能してほしいし、妖精のダンスもぜひ体験してほしい」
ジルビアとグリルがそう言うと、市原は志田とかれんを振り返った。
「な?ほら、だから二人とも行ってこいって」
そう言って市原はグイグイと二人の背を押し、ダンス会場へと送り出した。
その時、視線の端に美玲たちを見つけてしまい、市原は唇を引き結んだ。
「ナイト君、あなたもなのです」
「え?」
「我々としても、君にもぜひ妖精の国の踊りを楽しんでもらいたいのだよ」
グリルとジルビアが示したさきに市原が視線を動かすと、市原の方へポワンが向かってくるのが見えた。
妖精と精霊たちは、時期女王が通りやすいようにと自然と道を開けたので、市原まで真っ直ぐ通り道がのびている。
その表情はどこか緊張しているような、いつものポワンからは想像もつかないくらい固いものだった。
「ナイト様、ポワンと踊っていただけますか?」
やがてたどり着いたポワンは、市原より頭ひとつ低い背筋を伸ばし、市原をまっすぐに見上げて言った。
「いや……俺は……踊りなんてできないし……」
その視線から逃げるようにして、市原はグラスを手に取ろうとポワンに背を向けた。
失恋した今は、とてもじゃないけどそんな気分にはなれない。
あんなに幸せそうな美玲の姿を見てしまった市原の気分はどん底だった。
市原の気持ちを知ってか、ポワンは控えめに、そして少し困ったように微笑んだ。
「大丈夫ですわ。妖精の国のダンスは音楽に身を任せ、体を動かすだけですもの」
「……ごめん俺、今はできない……」
俯く市原の手を取って、ポワンはその顔を覗き込んだ。
「え、何……っ?」
驚いて後退る市原に、ポワンはすがるように身を乗り出し市原の手を自分の頬に当てた。
「ナイト様、あなたに想いを寄せるものがここにいることを、どうか知っていただきたいのです」
「ポワン?」
どう言う意味かわからなくて首を傾げる市原に、ポワンは俯いて呟く。
「いまのナイト様には……難しいのかも知れませんけれど……」
ポワンは市原が美玲のこと好きだと知っている。
それでも。
「無理を承知でお願いいたします。どうかナイト様の時間を、ほんの少しだけポワンにお貸しください」
顔を上げてまっすぐに見つめてくるポワンに市原は困惑して、グリルとジルビアを見た。
だが二人は何も言わずにただ頷いただけだった。
どうか、ポワンの願いをかなえてほしいというように。
市原は唇を引き結んだ。
「わかったよ……でも俺本当にダンスなんて……」
「大丈夫ですわ」
ポワンに手を引かれ、市原もダンス会場に入る。
時期女王が連れてきたパートナーは誰かと、その会場にいる誰もが二人に注目をしている。
そこには美玲たちの姿も見える。
「今はポワンだけを見ていてください。今のナイト様のパートナーは私なのですから」
「あ、う、うん」
注目の中、不安に思った市原だったが、ポワンが伸ばした手を取った。
「妖精の音楽は、自然にステップを誘うのです。だから大丈夫」
ポワンの言う通り、市原の体は流れる音楽に合わせて動き、ポワンをリードしていく。
音楽がゆったりしたものではなく、アップテンポなものだったのもよかったのだろう。
市原の沈んだ心はだんだんと軽くなっていく。
「俺、妖精の国にきて、ポワンに会えてよかったよ」
踊りながら妖精の国にきたばかりの頃からを思い出して、市原はしみじみと言う。
「ポワンもですわ」
妖精の国に四人の中で一番先に一人で着いた市原。
彼の世話を主に見てくれたのがポワンだ。
好奇心旺盛な市原は城のあちこちをうろつき、何度かポワンに注意されてばかりだった。
でもポワンがいてくれたから、市原は一人でも不安に思うことなく、妖精の国で他の三人を待つことができた。
「俺のそばにいてくれてありがとうな、ポワン」
感謝を告げると、ポワンは少し驚いた顔をしてから頬を染めて微笑んだ。
やがて曲が終わる。
その頃にはもう、市原の心はまだ少しの痛みはあるけれど、だいぶ軽くなっていた。
「踊り、誘ってくれてありがとう。やっぱり楽しかったわ」
「こちらこそ踊ってくださりありがとうございました。良い思い出になりましたわ」
そして離れ難いように、ポワンはゆっくりと市原から手を離し、礼を言う。
だが市原を見上げたポワンの水色の目は潤んでいた。
「どうしたんだよ、ポワン……」
なぜポワンが泣いているのかわからなかった市原は、どうしたらいいかわからず慌てた。
そんな市原にポワンは微笑み、涙を拭ってから決意のこもった力強い表情を作る。
「ナイト様、ポワンは立派な女王になるとあなたに誓いますわ。そして、必ず人の世界と妖精の世界も繋いで見せます。どれくらいの時間がかかるかわかりませんけれど……」
大切なものが、まるでそこにあるように胸に手を当ててポワンは言う。
「でも必ずあなたに会いにいきます、必ず。その時に聞いて欲しいことがたくさんあるのです」
「聞いて欲しいことってなんだよ、今言えばいいじゃん」
首を傾げる市原にポワンはクスクスと笑う。
「いいえ、それは私が女王になる時に伝えるともう決めておりますので。それまで大切に取っておきます」
それはポワンにとって、市原に必ずまた会えるようにという願掛けみたいなもの。
「なんだよそれ……気になるじゃんか」
すねる市原に微笑み、ポワンはお辞儀をした。
「それでは、ポワンは失礼致します。素敵なお時間をありがとうございました」
そうしてグリルとジルビアを伴い、ポワンは女王ユンリルの元へと戻っていった。
「風の英雄様、次は私と踊ってくださいませ!」
「いんや、オラと!」
「アタクシも!」
市原は妖精と精霊たちにあっという間に囲まれ、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。
その後、市原だけでなく美玲たちもそれぞれかわるがわる一緒に踊りたがる妖精と精霊たちの相手をすることになり、翌日筋肉痛に悩まされることになるのだった。
「もうよろしいのですか?まだ時間は……」
早足で歩くポワンの後ろからジルビアが遠慮がちに声をかける。
「はい。ポワンは満足です」
「それなら良いのですが……」
「ポワン様、お腹は空いていませんか?ケーキ召し上がります?フルーツ飴もありますよ」
グリルも気を使って料理を載せたトレーからフルーツ飴を差し出して言う。
「ちょっと、グリルさん、今そう言うところじゃないですよ」
「そ、そうか……」
ジルビアに責められたグリルはしょんぼりとしてフルーツ飴を食べた。
「しかも結局自分が食べてるじゃないですか」
呆れたように言うジルビアに、ポワンはクスクスと笑う。
「良いのです、ジルビア。気を使ってくれてありがとう、グリル。ポワンは……今は、あの手の温かさを覚えていたいのです……」
愛おしそうに、市原と繋いでいた手に頬擦りをして余韻に浸りながらポワンが言う。
「この手の感覚を、今は忘れたくありません」
「ポワン様……」
ジルビアはポワンの様子に胸を痛めつつも、ムードも何もない、隣でフルーツ飴を齧るグリルを、「いい加減にたべるのをやめろ」と、こっそり小突いた。
そんな二人を微笑ましく見つめて、ポワンは空を見上げた。
「さて、ポワンはポワンの仕事をするのです。トルト様の元へ行きましょう。……明日から忙しくなりますよ、二人とも。無事にナイトさまたちを元の世界にお帰ししなければなりませんから」
「はい」
「承知しました!」
二人は頷き、急ぎ城に戻るポワンの後を追った。