引き継がれる力
水天の姿はかなり薄くなり、表情も良く見えないけれど、口をつぐんだその端は震えている。
「……ねえ、水天も、本当はそうだったんじゃないの?大切な記憶を忘れたなんて、そんなこと……ないよね?」
美玲はうつむいたままの水天に声をかけた。
『ああそうだ、忘れてなど……だが、そうだった……儂は……』
ようやく気づいたらしい、水天の顔が後悔に歪む。
『今の今まで悲しみに囚われ、振り回されて……大切なキミのことも忘れ、思い出さえも……儂は……三天もないがしろにして……私はどうしようもない、本当にどうしようもない大馬鹿ものだ……』
後悔に涙を流す水天に、カランは呆れたように笑い、うずくまる水天の肩に手を置いた。
「大馬鹿どころじゃないわよ全く……どんだけ三界をめちゃくちゃにしたと思ってんのよ……人間の世界とは完全に分離させちゃうし……でも、アンタが思っているより、三界のみんなは強いってことね」
カランは微笑んで言う。
そうでなかったら今頃この場に三界全ての命はなかった。
『私は……三界の終わりを見届けたかった。それぞれが幸せに、悲しみもなく過ごす世界を作りたかった……でもそれは間違いだったのだな……』
水天の目論見通りにうまく行けば全て消えて新しい世界が構築されていたはずなのに世界は消えず、今もある。
『……カラン』
水天はカランを見上げた。
カランは厳しい表情で首を振った。
「アンタにできることは、自分の間違いを認めて、潔く後進に道を譲ることよ」
『そうだな……儂はもう行かねばならぬな……』
水天に残された時間はもう残り少ない。
今は自分がどれだけ周りから見えてるのかもう分からないくらいなのだ。
「大丈夫、ウチも一緒にいくから」
カランは水天の手をぎゅっと握った。
「だって一緒にいくために、ウチはあの石の中でずっとアンタを待っていたんだもの……」
『カラン……』
「さあフロー、時間がないわ、早くしないと」
『うむ……水皇よ、ここへ』
カランに急かされて水天は目をこすってからうなずく。
スピリタス・カテーナを解き、水天に呼ばれた水皇は、目を凝らさなければ見えないほど薄くなった水天の元へ向かう。
美玲はその姿をじっと見つめていた。
何かの罠だろうかと身が得たが、予想に反して水天はそのようなそぶりは見せなかった。
『この力を……儂の持つ力の全てを貴様に託そう。次代の水天となる水皇よ』
水天が水皇へ手を伸ばすと、青い光の球が水皇の中に入って行った。
『それと……儂は……すべて自分の思うようにできると驕っていた……今更遅いだろうが、未だ戻らぬ全てを元に返そう』
パチンと水天が指を弾いた。
すると、ジャニファを青く光る球が覆った。
「ジャニファさん!」
かれんは驚き、何が起こったのかと悲鳴を上げた。
「ーーっ!」
『待てカレン。大丈夫だ』
とっさに魔法を使おうとしたが、炎帝がそれを止めた。
その光がきえると、ジャニファの髪はトルトと同じ金色になり、その毛先は肩までだったものが床につくほど伸びて。
背中の羽根も黒い羽根から変化し、それは眩しいほど輝いて、光の粉を振りまいている。
「これは……この姿は……!」
ジャニファは驚き、自分の髪を手ですいた。
失われたはずの髪が戻り、背中の羽根も懐かしいものになっている。
「あれがジャニファさんの本当の姿……とてもきれい……!」
ようやく落ち着いたかれんはうっとりとため息をつく。
「ん……?」
その時、ジャニファの膝で眠っていたトルトは眉間に皺を寄せ、身を捩って目を開いた。
「お姉様!」
身を起こしたトルトは驚きに口を抑え、涙を溢れさせた。
「あなたは……ジャニファ?ジャニファなのね!その羽根は……!」
「はい、水天が全て返してくれました!女王陛下の御髪と、それから私の羽根と髪を!」
「そう……そうなの……」
操られていたとはいえ、妹と女王の魔力を奪った罪悪感があったトルトは心底嬉しそうに頷いた。
『トルトよ』
「……っ」
水天の声にトルトはビクリと身をこわばらせた。
トルトは恐怖から水天を直視できない。
長い間自分を支配してきた水天を目の端でみるトルトの目には恐怖が滲んでいる。
そんなトルトの手をジャニファは強く握り、もう片方の手でいつでも守れるよう密かに魔力を貯めた。
「大丈夫ですお姉様、私がついています」
ジャニファの言葉にトルトは小さくうなずいた。
『すまなかった』
頭を下げる水天の謝罪に何を思ったか、そのこわばった表情からはよみとれない。
トルトは大きく息を吐いて震える声で言った。
「私はもう、惑わされません。絶対に……!」
『フ……それがいい……』
奪ったものを全て戻し、いよいよ力が底についた水天の姿は薄くなっていく。
目を凝らしても見えなくなるほどに。
「水天様」
『ミアラ……お前にも色々……すまなかったな』
「私たち、幸せになりますわ。もう幸せですけれど、今以上に」
水天に見せつけるようにして、ミアラは精霊王に腕を絡ませて言った。
『そうか……精霊王』
強気なミアラに苦笑したのか、少し笑みが混ざった声で精霊王に言う。
『何だ』
『儂が言うまでもないだろうが、ミアラを頼むぞ……』
『当たり前だ。安心してさっさと消えろ』
突き放すような精霊王の言葉に、フ、と少し笑い、それきりもう水天の声は聞こえなくなってしまった。
もう本当に消えたのだろう。
「お嬢ちゃんたち、ありがとうね。君たちのおかげで、彼も正気を取り戻せた」
「カランさん……」
胸の前で手を組んで言うカランの体も段々と薄くなっていく。
「ありがとう……」
その言葉を残してカランの姿も消えてしまった。
シンと静まり返った謁見の間。
水天が消えたため、戦闘の危険はないと炎帝たちも判断したのか、かれんたちもスピリタス・カテーナを解いた。
あたりを見回すと、激しい戦いの後のせいで瓦礫だらけだ。
「まあ、よかったな、なんとかなって」
大きく息を吐いて、美玲以外の三人もスピリタス・カテーナを解き、ようやく終わったと市原が言う。
「そうだね……」
でもほんの少し、なぜか寂しさが胸に残る。
どうしてこんなに寂しいのかわからなくて、美玲は胸に手を当てた。
見上げても目を凝らしても、耳を澄ましてもカランと水天の声は聞こえない。
先に水天が消えてしまったけれど、あの二人はまた出会えただろうか。
ずっと離れていたと思っていた二人だけど、実はすぐ近くにいて、長い間すれ違っていた。
でもそれもようやく終わるというのに、水天は力を全て返して先に消えてしまった。
カランはなんのことはないと言っていたけれど、やはり気掛かりではある。
「どうしたの、美玲」
かれんが美玲の様子を気遣って声をかけた。
「あの二人、今度はちゃんと一緒にいられるのかなって、そう思ったんだ」
「大丈夫だろ。あのカランさんなら」
「そうそう、少し時間が空いたって水天を見つけられそうだし」
市原と志田は笑って言う。
「今度は離れないで欲しいね」
またすれ違って三界が危機に晒されたらたまったものではない。
「たしかに、仲良くして欲しいね」
美玲はカランと水天を想像してクスクスと笑った。