フローとカラン
謁見の間に集った、その場にいた誰もが、その小さな光の動きを見守っていた。
やがて小さな光ははっきりとした人の姿を表した。
女性の中でも長身なその人は、濃緑の髪を後ろでハーフアップに緩く束ね、不揃いな前髪からのぞく、キリリとした眉と水色の大きな瞳が印象的な、とても綺麗な女性だ。
ただし驚いたのは彼女の姿は半透明で、後ろの景色が透けて見えていることだ。
「ゆ、幽霊……?」
怖いもののはずなのに、美玲たちは全く恐怖を感じなかった。
かれんは少し不思議そうにしていたが、幽霊というよりも精霊たちに近い雰囲気が感じられたからだろう。
怖がるそぶりは見せない。
『カ……カランか?まさか、いやどうして……ここに……だってキミはずっと前に……』
挙動不審な水天の問いかけに、カランと呼ばれた女性は不機嫌そうに姿勢を崩し腕を組んだ。
「どうしてって、ウチはずっとアンタのそばにいたんだけど?忘れたの?人間のウチは死ぬけど、魂はあなたに渡した水精霊石の中にいるよって言ったのに……」
それはきっと、風天から受け取った水天の耳飾りのことだろう。
彼女は体を失ってから今まで、気が遠くなるような長い間ずっと水天のそばにいたのだ。
でも長い間そばにいたのに、悲しみに暮れた水天はいつしかそのことを忘れてしまったようだ。
彼女を前にした水天は、それまでの大騒ぎが嘘のように、途端にしおらしくなっている。
「ごめんなさい」
そんな水天を放って、カランは水天を囲むユンリルたちに向けて頭を下げた。
「彼がこのようなことをしたのは、彼を……フローを置いて逝ったウチにも責任があると思うのです。ウチがいなくなるまえに、ちゃんと言い聞かせておかないといけなかった……」
『カ、カラン……!』
何を言う、と慌てた水天に構わず、カランは言葉を続ける。
「彼は思い込みが激しい性格だってわかっていたのに……水皇から水天になったのだから、水精霊の長として、きっと乗り越えてくれると思ったうちの認識が甘かったです。彼のしたことは謝って済むことじゃないけれど、ウチには謝ることしかできません……本当にごめんなさい」
そう言ってカランは、消えかけて半透明になっている水天の頭を押さえて一緒に下げさせた。
半透明な彼女だが、精霊の水天には触れられるのだろう。
二人に頭を下げられた妖精たちは近くにいるもの同士互いに顔を見合わせ、困ったような顔をしている。
「頭を上げてください……あの、あなたは一体……?」
ユンリルがおずおずと訊ねる。
大方の見当はついているけれど、本人に聞きたい。
その場の誰もが思っていることだ。
「そうでした、名乗りもせず申し訳ありません。はじめまして、ウチの名前はカラン。ここにいる水天の初代巫女です」
その名を聞いて、その場にいた美玲たち以外の全員が息を呑んだ。
水天の初代巫女カラン。
それは妖精界と精霊界では知らないものはいない女性の名前だ。
そして彼女はミアラの父方の先祖の一人だ。
よくみると、ミアラにもどこかカランの面影があるような気がする。
美玲はドキドキしながら口を開いた。
「あの、お姉さんですよね、さっきあたしを助けてくれたの……」
「助けた?何かあったの?」
美玲の言葉にかれんが驚いて訊ねてくる。
「あ、うん。あのね……」
「お嬢ちゃん」
美玲はかれんに説明しようとしたが、カランは人差し指を唇に当てて精霊王へ向け、水色の瞳を少し動かしてから首を振って微笑んだ。
精霊王の真名をカランが知ってることをここで言うのはまずい、ということだ。
精霊王の真名を、彼が意図しない形でカランが知ってしまったと言うことを知れば、精霊王を悩ませてしまう。
「美玲?」
「あ、うん、あのー、さっきミアラを助けるときに手伝ってもらったんだ──……」
美玲はあははと頭をかきながらいう。
嘘ではない。ざっくり言っただけ。
『俺は気にせんぞ、カランよ案ずるな。その身では我を使役などできぬだろう。それに、お陰でミアラを助けられたのだ』
耳ざとい精霊王が察したのかそう言うと、カランは頭を下げた。
カランははるか昔に肉体を失い、長い間精霊石の中にいて、精霊と同じような存在になった。
精霊は精霊を使役することはできない。
だから、彼女に真名を知られても大きな問題ではないのだろう。
「そう言っていただけると……精霊王、感謝いたします」
『よい。こちらこそ礼を言う。ありがとう』
精霊王の謝意にカランはまた頭を下げる。
そんな彼女におずおずと水天が口を開いた。
戦っているときはあんなに大きく、怖く見えたのに、今は小さな一人のおじいさんにしか見えなくて、美玲たちは複雑な顔をして見合わせた。
『カラン、なぜ今頃……どうして今まで現れてくれなかったのだ……そばに居たなら、どうして……』
顔を覆い、かぶりを振って、水天は振り絞るように言う。
「フロー……アンタ本当に忘れてしまったのね」
『な、何を……?』
悲しげなカランの声に水天は動揺し顔をあげた。
「ウチがまたアンタの前に姿を表すのは、アンタが水天の役目を終える時だって、ウチの最期の時に約束したのに」
『……!』
水天は思い出したのか、驚いた顔で、だが返す言葉もなく立ち尽くしている。
「ウチは精霊じゃないからさ、そんな簡単に姿を表すことはできないの。だから長い時間をかけて力をためていたの」
それを教えたのは水天自身なのに。
「それも忘れてしまったのね……」
『……すまない……』
カランはため息を一つついて、重い口を開いた。
「あのさ、アンタが異種族間の恋愛を否定すると、ウチとのことも否定してるみたいですごく悲しいんだよね……」
『カラン!儂はそんなつもりは……』
「アンタは……フローはウチと一緒にいたのが不幸だったのかなって、そんなふうに思っていたのかな、ウチがそんなふうに思わせてしまったのかなって……」
『ち、違う!キミと共にいた時間は幸せだった!幸せだったからこそ……だからこそ、離れてしまったことが辛かったのだ……だから、儂は……』
水天は道を誤ってしまった。
片翼を失ったものは、みんな自分と同じ気持ちだろうと思い込んでいた。
本当はカランはずっとそばにいたのに、そのことさえ忘れて、悲しみにだけひたすら身を置き、突き進んだ結果がこれだ。
「だからウチは風天様に頼んでこの子たちを呼び戻してもらったの。この子たちならアンタを止めてくれるって思ってね」
『キミが……』
「ウチの思った通りだった。お嬢ちゃんたちはアンタを止めて、三界の危機を救ってくれた」
カランは本当によかった、と安堵の表情で言う。
「多分アンタは今の今まで、耳飾りを無くしたことにも気づいていなかったんでしょうね」
水天はハッとして自分の耳を押さえ、そこにあるものがないことにようやく気づき、うなだれた。
「確かに私たちの時の流れは違います。命ある限り、離れる時必ず来る。でも…だからこそ……」
ユンリルが隣に立つバライダルへ視線を向けると、バライダルはうなずいて、言葉をつづけた。
『我らは共にいる時間を大切に過ごして行きたいのです。その後、どちらかが先立ったのちも、お互いが大切に思った世界を守っていける希望にするために』
微笑み、寄り添う二人の姿を見て、水天は何を思っているのだろうか、と美玲はじっと、水天を見つめた。