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【第1話 友達をむかえに】

 じわじわと照る太陽の光で、道路に陽炎が立っている蒸し暑い夏の朝。


 まだ朝の9時だというのに、蝉たちは元気に大合唱をしている。


 永倉美玲は麦わら帽を脱ぎ、手の甲で額の汗をぬぐった。それからまた帽子をかぶり、手で顔を仰ぐ。


 扇風機やエアコンには程遠いが、それでも気休め程度の涼を取ることはできる。

 

 あくまでも、気分の問題だが。


 美玲は黙々と灼熱のアスファルトの上を歩き続けた。


 今日は美玲が通う詩葉しるば小学校のクラスの花壇に、友人の久瀬かれんと水をやる当番になっている。


 これから美玲はかれんの家に彼女を迎えに行き、小学校へむかうのだ。


 かれんの家は学校までの通学路の途中に建っている。柔らかなベージュの壁を持つ洋風の家で、最近建てたばかりの新しい家だ。


 自分の背より少し大きなレンガの門についているインターフォンを押し、しばらく待つと玄関の扉が開いた。


 顔を出したのは、長い黒髪を頭の天辺から二 つに分け、それぞれを三つ編みにした、目鼻立のはっきりした可愛らしい少女だ。


 彼女が友人の久瀬かれんだ。


 しかしその表情は少し困っているようにも見える。


「おはよ、かれん。今日も暑いね〜」


「そんなことより美玲、早く入って!」


 美玲の到着を待ちわびていたのか、かれんは美玲を家の中に引っ張り込んだ。そして驚く美玲の前に二着のワンピースを突き出した。


 一つは裾の部分がフリルで飾られた可愛らしいピンクのもので、もう一つは左の方から腰にかけて、小さなとりどりの花がプリントされている、水色のものだ。


「これとこれと、今私が着ているこれ、どの服がいいと思う?」


  今かれんが着ているのは淡い黄色のキャミソールと、黒いデニム地のミニスカートだ。


 どれも花壇に水遣りをする服装にふさわしいとは思えないが、とりあえずあたり障りのない言葉を返しておく。


「かれんは何を着ても似合うから、選ぶのは大変だよね」


「えー、そんなことないよ!美玲も……えーと……」


 だんだんと小さくなるかれんの声に美玲は苦笑した。


 美玲が今着ている服は、鉢巻を巻いたタコの絵と「TAKO」という文字が中央にでかでかとプリントされた白地のTシャツに、何回も着すぎて色落ちしたデニムのサブリナパンツだ。


 お世辞にもお洒落と言えるものではない。


「まぁ、あたしは汚れてもいいのを着てきたからね」


「そうだよね、服、汚れるかもしれないよね」


 花に水をやるときに、ホースについた泥が跳ねて服を汚すかもしれないと考えた美玲は、着古した服を着てきたのだ。


 確かにかれんの格好は可愛いが、今日は夏休みの学校へ水遣りに行くだけの日だ。おしゃれをする必要は果たしてあるのだろうか。


 誰か知っている友人に合うかもしれないが、まだ午前9時だ。こんな朝早くから好き好んで休みの学校に来る人などいないと美玲は思う。


「花に水をやるだけだから、そんなに汚れないと思うけど…」

「うん…」


 だがこれから違う服に着替えられるのは堪ったものではない。かれんが着替え終わるのを待っていたら昼になってしまうだろう。


 美玲は慌ててかれんを褒めにかかった。

 

 褒めて褒めて、褒め尽くす作戦だ。


「でもかれんがきている服、とっても可愛いよ。なんか高校生のお姉さんみたいで」


「そう?」


「うん、あたしはすっごくいいと思う。ね、その格好が一番いいよ!」


「かわいい」と「大人っぽい」を連呼すると、かれんの表情がだんだんと明るくなっていく。


 もう一押しだ。


「うーん、じゃあこれでいこうかな」


 ようやく決心のついたかれんは、用が済んだ二着を抱えると階段をバタバタと駆け上がっていった。


 それと入れ違いに、廊下の奥に下がった暖簾を分け、困った顔をしたかれんの母親が出てきた。


 セミロングの髪を明るい茶色に染め、緩めのパーマをかけている。かれんとそっくりの目鼻立のはっきりした美人だ。


「ごめんなさいね、美玲ちゃん。私がその服で行きなさいって言っても聞かなくて。学校に行くときなんか前の日の夜から選んで、朝になってまた違う服にしようか悩んでいるのよ。本当にもう、困っちゃうわ」


「は、はぁ……」


「まさか好きな子でもいるのかしら。美玲ちゃん、何か知らない?」


「さ、さぁ……」


「もう、お母さんやめてよ!美玲、行こう!」


「はい、気をつけて行ってらっしゃい」


 すごい勢いで階段を駆け下りてきたかれんに腕を掴まれ、美玲は外へと引っ張りだされた。


 乱暴な音を立てて玄関は閉められ、顔を真っ赤にしたかれんに引っ張られながら後ろ向きに走ることになってしまっている。


「かれん、ちょっと、危ないから止まって!」


 麦藁帽子はあたまからはずれ、ゴムが首の位置まで下がってしまっている。


 やっとの事でかれんが止まり、ようやく美玲は一息ついて帽子をかぶりなおした。


「美玲、言ってないよね?お母さんに……」


「え?なんのこと?」


「市原君のことだよ!」


 かれんが思いを寄せているのは、同じクラスの市原騎士。


 騎士とかいて「ないと」と読む珍しい名前で、そんな名前に負けないくらいの爽やかなルックスと、ひょうきんでおおらかな人柄に男女問わず人気があった。


「言ってないよ。言う暇なかったもん。かれん、すごい勢いで出てきたし。」


「絶対言わないでよ。いったら絶交だからね!」


「言わないよ」


 それからかれんの、自分が市原のことをどれだけ好きかという話が始まった。


 かれんは美玲がライバルじゃないと知っているので、その口はマシンガンのように止まることはない。


 正直言うと、それも美玲にとってはどうでもいいことだったが、好きな人がいて毎日楽しそうなかれんをすこし羨ましく思っていた。


 やがて学校のグラウンドに近づくにつれ、かれんはそわそわとし始めた。


「ねね、市原くんいるかな?」


「さぁ、どうだろうねー」


 それよりも暑すぎる。美玲としてはさっさと水遣りを終わらせ、家に帰って麦茶でも飲みたい気分だ。


「この格好、やっぱり変じゃない?市原くんいたらどうしよう…ねえ、やっぱり着替えてこようかな。髪、ボサボサじゃない?」


「変じゃないから。ね?かれん、大丈夫だから、行こう」


 汗のにおいを気にして、シャワーを浴びに帰ろうかと家へ引き返しかけたかれんを引きとめ、美玲は校門をくぐった。


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