真名を呼ぶ
トルトの体を失ったものの、ようやく炎帝たちの拘束から逃れることができた水天は、あっという間にミアラをさらった。
まだそんな力が残っていたのかと、美玲たちは驚いた。
ミアラは水球に変化した水天囚われ、苦しげにもがいている。
「ミアラ!」
美玲はスピリタス・カテーナを使い、再び水皇と一体化して水球に攻撃した。
「何故だ、ミアラの危機には精霊王が駆けつけるはずでは?!どうしてあらわれない!」
トルトを抱き抱えたまま、ジャニファが悔しげにいう。
『この場にはあやつは来れん。残念だったな』
「どうして?だって、精霊王さんは……」
契約者まであるミアラが名前を呼ばなくても駆けつけると言っていたのに。
かれんは困惑して美玲を見た。
美玲にも何故かわからず首を振る。
『この水は全てを遮断する。精霊王はミアラが危機に陥っていることにすら気づいていないだろう!』
勝ち誇ったように言う水天と、同時にミアラは大きな水泡を吐き苦しげに身をよじった。
「落ち着け、落ち着け……大丈夫、大丈夫、あの水を押し流すの……」
ミアラを助けなきゃ、と、一心同体となった美玲と水皇は全ての力をこめ、三叉の矛の先をミアラを閉ざす水球に向けた。
「──はぁっ!」
矛の先から現れた水流が、水球にぶつかる。
途端にずしりと重い力が押し返してくる。
(足りない……もっと、もっと力が……力がほしい!)
「永倉、俺たちも力を」
『ありがたいけれど、あの水球は水の力でしか押し流せないから……』
市原の申し出を水皇が断る。
「炎帝の炎ならどう?あの水を消せるでしょ?」
「それもダメ、水が熱くなったらミアラが火傷しちゃう!」
かれんのアイデアには美玲が首を振る。
もっと大きな力があれば、あの水球を壊せるはずなのに。
「精霊王……そうだ、やっぱり精霊王だよ美玲!」
『精霊王?ハッ、呼んでみるがいい!だが、あやつの真名を知っていればの話だがな!まあ、この結界を破って来ることなどできるはずがないだろうが』
そういえば、真名なら精霊王から教えられていた。
「真名ならあたしがしってる!絶対喚んでやる!水天、見てなさいよっ!」
と言ったものの、精霊王の真名は長くてすぐには思い出せない。それにミアラの限界も近い。
ここにくる前はあんなにすらすらといえたのに。
「さ……サシェ……サーシャ?あれ、なんだっけ……」
気持ちが焦るとますます思い出せなくなる。
ミアラは精霊王をサシェと呼んでいたのは覚えているが、その後に精霊王から聞いた彼の真名は美玲の記憶からすっぱり抜けていた。
「な、何だっけ……」
気が焦るばかりで思い出せない。
ちゃんと言えるように精霊王が細工してくれたはずなのに、全く思い出せずに「サーシェア、サーシェイ……」と、五十音順に当てはめてみるがどれもピンとこない。
(サージェント……)
その時、聞きなれない女性の声が美玲の頭にこだました。
ミアラのものでも、水皇のものでもない。
少し低めの、よく通る声だ。
「あ、そうだ……!」
それをきっかけに美玲は思い出した。
(真名はきこえないように、ね)
警告に頷き、美玲は声をひそめて呼びかけた。
「お願い、サージェントフリーゲンエーヴィヒカイト!ミアラを助けるために力を貸して!」
『もっと早く喚んで欲しかったものだ』
唸るような声とともに眉間に皺を寄せた精霊王が姿を表した。
『なっ、精霊王……?!まさか、まさか本当に真名をその娘に……!』
『ミレイ、集中せよ、一気に行くぞ!』
慌てる水天には答えず、語りかけてきた精霊王に美玲は頷いた。
もう一度、水天の水球に意識を向けて集中する。
背中に触れた精霊王の手から沢山の力が注がれて来ているのがわかる。
その力を受け、内側で膨らむ水の力はやがて掌から大きな水流を生み出した。
『くっ、おのれ……っ!』
ミアラを閉じ込める水球が、勢い良く、まるで風船のようにだんだんと膨れ上がってくる。
『ぐ……っう……っ!』
苦しそうな水天のうめき声とともに、パァンッ!と水風船が破裂する時のような音がして、ミアラを包む水球が壊れた。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
「ミアラ!」
叫ぶ美玲の隣を精霊王は無言で駆け出した。
『精霊王……そのように真名を軽々しく教えるのはいかがなものかと』
精霊の姿に戻り、肩で荒い息をつく水天には答えず、精霊王は倒れるミアラに駆け寄ると、その身をいたわるように抱きかかえた。
そしてようやく水天に目を向け、不快そうに鼻で笑った。
『何を言う、俺の真名は俺のものだ。どう使うかは俺が決める。水天よ、世の理は全てが貴様の思うように進むわけではないぞ!』
「その通りです!」
キッパリと精霊王が言った時だった。
凛とした女性の声が謁見の間に響いた。
美玲たちが声のした方を見ると、そこには妖精の女王ユンリルが居た。
以前奪われた、彼女の魔力の源でもある蜂蜜色の透き通るように輝く美しい金の髪は、床に着くほどの長さにもどっている。
「女王陛下……!」
ジャニファがトルトを抱いたまま、その場で頭を下げた。
「女王様!」
ユンリルの体力があるうちに解呪が間に合ったのだと四人は嬉しくなって、お互いハイタッチをした。
それと同時に。
「俺たちもいるよ」
「フレイズ!」
懐かしい声に振り向くと、にこやかに片手を上げるフレイズと、その後ろにはベルナールたちが率いる四元騎士団もいる。
その中にはポワンをはじめ、騎士以外の妖精たちの姿も。
みんな顔色も良く元気がみなぎっている様子だ。
宝珠が壊れたので、記憶の書も元に戻ったのだろう。
彼らの視線に敵意はない。
美玲たちは心からホッとして胸を撫で下ろした。
「あなた方のおかげで水天の呪いが解け、私たちは目覚めることができました。妖精一同を代表して、深く感謝を申し上げます」
ユンリルはドレスの裾を掴み、美玲たちに向けて深々と頭を下げた。
「水天、よくも妖精の国を……妖精たちを苦しめてくださいましたね……私たちは、あなたを絶対にゆるしません!」
水天に鋭い視線を向けてユンリルが言うと、四元騎士団が四方に散らばり、水天を囲み武器を構えた。
『何を、こしゃくな……!』
再び水に姿を変えて包囲から逃れようとした水天だったが、その体は突然崩れ始めた。
「水天……様……?」
ミアラが怪訝そうに呟き精霊王を見上げる。
精霊王はゆっくりと首を振った。
『お前の体はもう限界だったのだ。三天がいなくなった今、己の身一つで世界を支えられると本気で思ったか?』
悲しげなミアラを抱きしめながら精霊王が静かな口調で言う。
水天の体から水色に光る粒子が溶け出していくと同時に、次第に薄くなっていく。
『い、いやだ、儂は……儂はまだ消えたくない!世界をあるべき姿に戻していないのに、消えてなるものか!!』
「妖精たちや世界を消そうとしていたくせに、なんだよ……」
志田が呆れたように呟く。
『儂は世界をあるべき姿に戻そうとしただけだ!その目的達成目前で消えたくないだけだ!』
「フロー、あんたいい加減にしなさいよ!」
突然聞こえてきた声に美玲はハッとした。耳元で聞こえた声と同じ女性のものだ。
その場にいた誰もが驚き、声の主を探してあたりをみまわした。
そして、目の前の消えかけている水天は明らかに動揺している。
「あれ……なに、これ……」
いつのまにか美玲の目の前に漂い出した白い小さな光がだんだんと合わさって、人の形を作っていく。