姉の意地
ジャニファの危機に真っ先に駆けつけたカレンに少し遅れて美玲も追いついた。
「ミアラ、大丈夫?」
「私は大丈夫よ。それよりジャニファ様が」
かれんはミアラに絡む水の糸を炎で蒸発させ、すぐにジャニファも解放するが、ジャニファはそのまま力なく床にペタンと座ってしまった。
「ジャニファさん、ジャニファさんしっかりして!」
「……」
かれんはジャニファの肩を強く揺すって声をかけるが、反応はない。
「ジャニファさん……」
『貴様ら三天に勝ったのか?はは、なかなかやるじゃないか』
大袈裟に拍手をして、どこか小馬鹿にしたように水天が笑う。
四人はイラッとしたが、そんな挑発に乗っている場合ではないとおもい、ぐっと堪えた。
「お前、言っていたよな。トルトを乗っ取った時すぐにトルトは消えたって。結構前だけど俺は覚えてるぞ」
『はて、儂はそんなことを言ったか……?』
こめかみのあたりを人差し指でトントンとしながら言う志田に、水天はニヤニヤしたまま首を傾げる。
「とぼけるな!俺も覚えてるぞ!」
市原が水天を指差しながら言う。
志田と市原は、ジャニファを庇うように水天の前に立ちはだかった。
「そうだ、そう、だった……」
光柱の間で聞いた言葉をジャニファは思い出していた。
“少し体を借りただけですよ。まあ、借りた時にはもう、消えてしまいましたけど”
今とは口調が違ったのは、他の妖精に怪しまれないよう、トルトの性格と口調をコピーしたからだったのだろう。
ジャニファは怒りに体を震わせ、拳を握って水天を睨みつけた。
「お前はお姉様の弱った心につけいって利用したんだ!そのうえ、そのうえ私を疎んでいたなどよくもまあ、デタラメをペラペラと並べられたものだ!!」
一気にまくしたてたジャニファは肩で息をつく。
怒りを込めた視線は水天から外さずに。
『ほう、あくまで姉を信じるか。健気なことだ』
そんな視線を気にすることなく水天は言う。
ジャニファはかれんの手を借りて立ち上がり、自分の気持ちを落ち着かせようと大きく息を吐いた。
「もしお前の言うことが……正しくて……お姉様が私を嫌っていたって、どう思っていたっていい!どんなお姉様でも私は……私はお姉様が大好きだから……!」
『大好きだと?嫉妬に駆られ、お前が手に入れた記録官の地位を欲し、あげくのはてに禁を破ったこの姉をか?』
大笑いする水天に向け、ジャニファは短剣を向ける。
トルトの体を傷つけたくなかったが、その体を取り戻すためだ。
ジャニファはキッと水天を睨みつけた。
「どんなお姉様でも、私の大切なお姉様にかわりはない!水天、お姉様の体を返返してもらうぞ!!豪雷撃!!」
ジャニファが高らかに唱え、短剣を掲げると、水天に雷の雨が降り注いだ。
『四天の一柱たる我にそんなものきかぬわ!』
ニヤリと笑ってガードを張ろうとした水天だったのだが。
『……なっ……ギャァアアアアア!!』
「当たった?!」
美玲たちは驚きに目を見開いた。
なぜか水天はガードを張れず、雷の雨をその身に受け悲鳴を上げた。
その場に崩れ落ちた水天に駆け寄ろうとしたジャニファだったが、それをぐっと堪えて水天の様子を伺う。
「ジャニファ……」
「お姉様!」
雷鳴が鳴り止み、聞こえてきた絞り出すようなか細いトルトの声に、ジャニファだけでなく、美玲たちもハッとした。
「トルト様は消えていなかったんですわ!」
ミアラの言葉に、ジャニファは弾かれたようにトルトに駆け寄り、助けおこした。
「お姉様、お姉様ですよね?!」
水天の演技かもしれないと言う可能性は捨てられなかったが、止められなかった。
トルトであってくれ、と願うように問いかけるジャニファに、こくん、と頷きトルトは口を開いた。
「あなたの……雷のおかげで、ようやく……浮上できた……私が水天を抑えているうちに、杖、を……はやく!」
水天に攻撃が当たったのも、内部でトルトが水天を押さえつけたためだったのだろう。
トルトは震える手でジャニファにむけて杖を握る手を伸ばすが……。
『渡さぬ!渡させぬぞ!お前は妹を、妖精の国を裏切ったのだ!!今更……っ!』
水天の怒りがこもった声と共にトルトの腕が氷に包まれ、杖を離せなくなる。
「黙れ水天!お姉様は裏切ってなどいない!お前がそそのかし操ったんだ!」
しかし水天が自由にできたのは言葉だけで、トルトの体を支配し直すことはできなかったようだ。
しわがれた声に次いで、トルトの声が口をついて出てくる。
「いいえ……いいえジャニファ……水天の言う通りよ……」
「お姉様、なにを!」
固唾を飲んでみまもっていた美玲たちは顔を見合わせた。
「私、あなたに嫉妬したの。記録官に選ばれたあなたに。水天にはその気持ちを利用されたんだわ……私が全て悪いの」
震える声で涙を流しながらトルトが語る。
「ジャニファ、私は……浅ましい考えで妖精の国を……いえ、三界を混乱させてしまった……自分が恥ずかしく、許せないわ……」
「お姉様……」
「もし逆の立場でも、あなたは水天の誘惑には乗らなかったでしょうね……」
ジャニファは唇を噛んだ。
確かにそうかもしれない。
ジャニファは別に記録管になりたかったわけではない。
ただ姉と居たくて、姉の隣に立ちたくてがむしゃらに突き進んだだけだった。
でも。
「私が……お姉様を追いかけたから……」
ジャニファが記録官の試験を受けなければ、トルトは四天の封印を解くこともなかっただろう。
自分のせいだと、ジャニファは呆然とした。
「それは違う……あなたのせいじゃない。全ては私の心が未熟だった、私の責任よ」
そしてトルトはジャニファのほおにそっと触れた。
「聞いて、ジャニファ。水天の言っていたこと……これだけは違う。私は、あなたを疎ましくなんか思っていない!あなたは可愛い、世界でたった一人の大切な妹よ!」
「お姉様!」
ジャニファの目から涙があふれた。
他の誰でもないトルト自身からの言葉に、さんざんトルトを装った水天によって傷付けられたジャニファの心は癒されていった。
「だからお願い……、はや、く……私が水天、を抑えているうちに……この腕を切り落とし杖を取り戻しなさい。そして、その剣で私を貫きなさい!」
「そんな、そんなこと……っ!」
かれんは驚き叫んだ。
だがジャニファには、かれんが感じた以上の、もっとショックな言葉だ。
「いやです、お姉様……お姉様を刺すなんて、無理です、出来ません!」
ジャニファは頭を振り、拒絶する。
「お願いよ、今しか、抑えられないの……!私の体がなくなれば、水天は自由に動けなくなる……私と共にある水天は、私と共に消滅させられるの!」
『ぐうぅ、何を言うこの、消え損ないが……!杖は渡させぬ、お前の体も貫かせぬぞ!』
水天がトルトの口を使い、恨みの言を放つ。
「私は……消え、ない……っ消えてたまるもんですか!意地でも絶対あなたも道連れにします!さあ早く、ジャニファ!」
トルトが絶叫する。
だがジャニファは固まったまま動けずにいる。
「早く、ジャニファ、お願い!」
「無理ですっ!出来ない!出来ない!!そんな、またお姉様を失うなんて……私は……っ!」
「美玲、どうしよう、どうしたらいいの?」
二人のやり取りを見ていられない、とかれんが美玲の腕を引っ張った。
美玲は涙を流しながら拒絶するジャニファに、妹のことを思い出していた。
いつも後ろをついて回ってくる妹はうっとうしいけど、かわいくて。
一緒に遊ぶと楽しくて。
姉妹喧嘩もするけど、いつのまにか仲直りして一緒に遊んだ、そんな毎日のことを。
一番信頼できる、毎日を過ごす一番近くの存在。
トルトにとってジャニファは大切な妹なのだということがわかって、美玲は拳を握った。
ぼんやりしている場合ではない。
「その必要はないよ!」
「美玲?」
「トルトさん、あたしにも妹がいるから、あなたの気持ち、少しはわかるような気がする。でもさ、せっかく仲直りできたんだから、水天をおいだして、これからも二人は仲良くしないと」
美玲はミアラからもらったハープをとりだした。
ずっしりと重く、水精霊石のヒヤリとした感触が美玲の集中力を研ぎ澄ましていく。
「そうですわトルト様、あなたが犠牲になる必要はありませんわ」
ミアラもハープを携え美玲の横に立った。
見上げると、ミアラは凛々しい顔で頷いた。
そして美玲の背後には水皇。その手には同じくハープが抱えられている。
「あたしたちが、あなたから水天を引き離してみせる!」
美玲の言葉に、トルトは涙を流し、頷いた。