スピリタス・カテーナ①
炎帝に他の策を問われたものの水皇は答えが出ない。
いや、水皇にもわかっているのだ。
炎帝の提案が最善だということが。
だがどうしても美玲たちに危険がある方法なので、首を縦に振ることができなかった。
(しかし炎帝のいうとおり、このままでは──)
少しの間沈黙していた水皇はゆっくりと口を開いた。
『少しの時間だけなら──』
『なんだ?』
『短期に決着がつくならば賛成です……あくまでも、あの子たちの負担にならないのならば!」
水皇には苦渋の決断だった。
『ふふ、そなたならそう言うだろうと思ったよ』
まるで全てを見透かしていたような物言いに、水皇はカッとなった。
『あなたのそういうところが……!』
『なんだ、水皇?』
何か言いたいことがあるのか、と炎帝に問いかけられた一瞬の間。
それすら彼女の予測の範囲内だと感じられ、その意地悪な問いかけに水皇は悔しげに唸った。
『──やっぱり好きになれないわ』
『それは残念。妾はそなたのことが大好きなのに』
水皇の声に、炎帝はフッと微笑み、本当に残念そうに言葉を返した。
『冗談はやめて』
『冗談ではないぞ?』
『………』
何を言ってもおちょくられると思った水皇は口をつぐんだ。
『おそらくこの戦いが決したら、いずれにせよカレンたちとはお別れだ。負ければ言わずもがな。勝てばあの子たちは自分達の世界に帰るし、妾たちはおそらく……新たな四天になるだろう』
炎帝の言葉に他の精霊たちは息を呑んだ。
四天は世界を支える柱。
今の四天が消えれば、新たな四天を作らなければ世界の崩壊が始まる。
今は水天だけが三天の分も世界を維持している、とても危うい状況で、精霊たちや妖精たち、美玲たちが考えているよりも、四大精霊が把握している今の状況は最悪と言ってもいいほどのものなのだ。
世界の崩壊は水天が自分から招いたこととはいえ、三界に住むあまねく命がそれに巻き込まれることは間違っている。
『そうか、すっかり忘れていたけど、そうだよね……僕たちは上級精霊になった時、いつかは四天になるってわかっていたもんね』
『ふむ……時は満ちたということじゃな』
『そう、妾たちは勝つしか無いのだよ。そのために力を尽くすべきだ。あの子たちと共に……──では、覚悟は決めたか?水皇』
『聞くまでも無いわ』
もう迷うのも悩むのも終わりだと、水皇がツンとして言い返すと、炎帝はおもしろそうに喉を鳴らして笑った。
精霊同士の会議を終え、まず炎帝が精霊石から姿を現した。
本来であれば要素の濃い空間でしかできないことだが、四天の力を得た今、その枷はない。
『カレン』
「なに?今ちょっと大変なんだけど……」
炎の矢で礫を撃ち落としながらなんとか三天のそばまで行こうと状況を伺っていたかれんは、炎帝からの呼びかけに振り返ることなく、前を向いたままぞんざいに、面倒そうに返した。
「……え?」
しかし少しの間をおいて、かれんは炎帝を見た。
そして二度目の後、三度目と炎帝を何とか振り返る。
「え、まって、炎帝?どうしたの?私、まだあなたを喚んでいないんだけど……」
炎帝が呼び出す前に姿を見せることは今まであったかなかったか、記憶がさだかでないほど少ない。
『大切なことをカレンに伝えねばならぬから出てきたのだ』
「大切なこと?」
驚くかれんをみて、炎帝は面白そうに笑み、首を傾げた。
『妾の力が必要であろう?』
『まあ、そう、だけど……でも今はそれどころじゃなくて……」
はじめの頃はいつもオドオドしていたかれんなのに、今では炎帝に対して一丁前に言い返してくるようになった。
(ほんに、面白い子だこと)
だからこそ炎帝はここでかれんを勝たせたいと強く思った。
『それじゃ、それ。カレンよ、今からそなたが妾の力を自由に使えるようにしよう。そして思う存分炎の力を使い、水天らに勝つがいい!』
「え、いきなり何言って……きゃっ……!」
突然呼び出してもいないのに目の前に姿を現した炎帝に驚いているうちに、炎帝の姿が大きくなり、炎そのものに変化して覆いかぶさってきたかと思うと、熱さも無くそれはすぐにかききえた。
「イ、炎帝……?」
何が起こったのだろうと、不思議そうに辺りを見回すと突然、かれんの内側に闘気がみなぎってきた。
普段の自分からは考えられないくらいギラギラとした戦闘意欲が湧き上がってくる。
両手のひらは熱く、胸の奥は火が燃え盛っているような活力が満ちている。
「これは……!」
まるで自分が炎になったかのように熱気が周囲を包んでいる。
だが、不思議と不快ではないし、痛くもないし恐怖もない。
そしてかれんの黒髪はいつの間にか炎帝と同じ、燃え盛る炎と同じ明るい赤になり、毛先までオレンジ、黄色と変化するグラデーションにいろどられ、腰の辺りまで三つ編みが伸びている。
その長い髪を飾るのはいつもの黄色いリボンではなく、きらめく深紅の炎晶石だ。
炎晶石の中央部は青く光っており、炎がゆらめくように色を変化させながら輝いている。
驚いたことに、耳の上あたりからは牡羊のツノがくるりと姿を表していて、瞳は輝くオレンジに変化した。
衣服も大きく変わり、スカートはふんわりとしたパニエを穿いてボリュームアップし、後ろには獅子の尾を彷彿とさせる、先端に雫型の膨らみがついたリボンがかざられている。
腕と足首にはそれぞれふんだんに炎晶石が散りばめられたブレスレットとアンクレット、それからふわふわとしたシュシュのような飾り。
左足は白いブーツから伸びるリボンが交差されながら編み上げられ、炎晶石で留められている。
普段のかれんであったら、その衣装のかわいらしさに歓声をあげるはずだが……。
「ああ、熱い……熱い……熱い熱い熱い熱い……
燃えてきた……燃えて……キタ───ッ!!うぉおおおおおおお!!」
身を縮めてから伸び上がり、闘気を燃え上がらせながら叫ぶかれんに、美玲たちは驚いた。
「か、かれん?!」
「いきなりどうしたんだ、久瀬……なんかグリルさんみたいなこと言ってるけど」
「久瀬、かっこいいな……」
呆気にとられる美玲と市原とは別に、志田はうっとりとしてつぶやいた。
「えっ?!」
「い、いやなんでも……!」
二人が驚いて聞き返すと、志田は慌てて手を振り、ごまかすように笑う。
「志田、おまえまさか……」
『何、心配あるまいて。カレンは己と一体になった炎帝の気に当てられておるだけじゃ』
「地王!」
市原の言葉を遮り、突然地王が姿を現し説明した。
「炎帝と一体になったって、どういうことだ?」
『言葉通りさ。カレンは一時的に炎帝になったんだよ』
続いて風主も姿を表し、飄々として付け足す。
「え、よくわからないんだけど……?」
風主の言っていることが突拍子もなくて頭が追いつかず、美玲たちは顔を見合わせた。