決意の出発
美玲はふと目を覚ました。
あたりは暗く、状況が飲み込めなかった美玲はあたりを見回す。
広間にいたはずなのに、いつのまにか眠ってしまったのか、精霊王の言葉の後の記憶がない。
ただ疲れはなく、頭もスッキリしている。
首を傾げながらも美玲はベッドを降りると、隣にある同じようなベッドにはかれんが眠っているのに気づいた。
美玲たちがいる部屋にはベッドが二台しかなかつたので、市原と志田もどこかの部屋で多分眠っているのだろう。
美玲は視線を窓の外へと移した。
「いまは朝……なのかな」
常に夜である常夜の国だから、朝なのかはわからないけれど。
「フレイズ……」
窓の外には、館の中庭がある。
そこにはハスの池があり、月明かりの下で蓮のうえで眠る妖精たちの姿があった。
その中にはもちろんフレイズもいる。
フレイズが眠ってしまった原因は記憶の書のせいらしい。
風天の力を使いすぎて、普通の妖精と同じく記憶の書の影響を受けるようになったのだろう、と精霊王は言っていた。
(けれどももし、もしかしての話だけど……)
そこから美玲は考えるのをやめた。
期待してしまうけど、それは今考えることではない。
「あたし、最低だな……」
フレイズが呪いにかかることが嬉しいわけがない。
今はフレイズだけでなく、この常夜の国に眠る妖精たちを救うために行動しなければならないときなのだ。
「お腹すいたな……」
ふと思い出したのだが、美玲は昨夜から何も食べていなかった。
食事になる前に眠ってしまったのだから。
かれんはまだ深い眠りにいるようで、起こすのもためらわれた美玲は、身支度を整えるとひとりで広間へ行った。
がらんとしたそこにはまだ誰もきておらず、ミアラだけがいた。
「あら、ミレイちゃんおはよう」
「ミアラおはよう、でも今って朝なの?」
「多分、ね」
ミアラはテーブルの上にあったティーセットからお茶を入れて美玲に渡した。
「ありがとう」
「いまジャニファ様がネフティ様と一緒に食事の支度をしてくださっているわ」
それを聞いて、美玲のお腹が嬉しそうに音を立てた。
ジャニファもネフティも料理が上手だ。
だから美玲はとても楽しみだった。
「昨日はサシェがあなたたちを眠らせてしまったから、なにも食べていなかったわよね、ごめんなさい、考えが至らなくて」
「え、そうだったんだ……」
どうりで記憶が途切れていたわけだ。
「ところでミレイちゃん、水天様と戦う前にあなたに渡しておきたいものがあるの」
「渡したいもの?」
「これよ」
ミアラが差し出したのは水色の小さなハープだ。
「私のと同じ、水精霊石を削り出して作ったハープで、私が練習するときに使っていたものです。水天様の力に対抗するには不可欠のものよ」
「無理だよ、あたし楽器なんて……」
美玲は学校の授業で使ったことがあるカスタネットと鍵盤ハーモニカ、トライアングルくらいの経験しかない。
それに音楽の成績は五段階評価の三。リコーダーは大の苦手。
手が絡まっちゃう。
低いドとかファとかファとかはとくに、指がうまく使えない。
それに、ましてやハープなんて妖精の国に来るまで見たこともない。
「大丈夫、少し弾いてみましょう」
言われた通り、おそるおそる張られた弦を弾いてみる。
ポーンと不思議な、透き通った音が広間に響いた。
「ここと、こことここ。順にゆっくり」
ミアラに言われるまま、三つの音を一定の速さで何度も弾く。
初めはたどたどしい音の流れだったが、慣れてきて段々となんとか旋律に聞こえてくる程度になった。
弾けるようになるとなかなか楽しいものだった。
ドミソの弦をを順に弾くだけの単調なものだったので、これなら美玲も覚えられるし弾けるはずだとミアラは言った。
「今、水天様は妖精の体を乗っ取っていると聞いたわ。その妖精の体から引き離すには、私とウニちゃんそしてミレイちゃんの三人が水の旋律を奏でる必要があるの」
「ええ……でもそんな、急に言われても」
そんな重要なことを、できるかできないかときかれたら、「出来ない」と自信を持っていえるだろう。
初めて扱う楽器を弾くという器用さと度胸を、残念なことに美玲は持っていない。
だがトルトから水天を引き離すにはやるしかないのだ。
「わかった、やってみる」
美玲は決意を込めて顔をあげた。
するとミアラはクスクス笑って美玲の手を握った。
「そんなに固くならなくても大丈夫よ、私もウニちゃんもそばにいるから」
「う、うん……」
とりあえず練習しよう、と弦を弾いていると、かれんと市原、志田たちも広間へやってきた。
ちょうどそこへジャニファが出来上がった料理をワゴンに積み運んできた。
広間はものすごくいい匂いに包まれて、四人は唾をごくりとのみこんだ。
「お前たち、ネフティを見なかったか?」
「ネフティさん?そういえばみてないけど」
「ネフティさんがどうかしたの?」
「シラギリの森へサラダに使うハーブを取りに行ったきり、戻っていないのだ。見なかったか?」
四人は顔を見合わせて首を振った。
「ネフティさんのことだから、珍しい精霊石を見つけて夢中になってるのかも……なんちゃって」
そういって、まさかね、と志田は乾いた笑いをうかべた。
「チッ、手のかかる……」
それもあり得そうだ、と呟いたジャニファはエプロンを脱ぎ捨てると、シラギリの森へと道を開いた。
「あ、待って、私たちもいきます!」
ジャニファの後を追いかけて美玲たちも道へと飛び込んだ。
ミアラの封印が解けたためか、シラギリの森の霧はすっかり晴れて、普通の森になっていた。
だからネフティはすぐに見つけることができた。
ネフティは草むらに生えた小さな木の根元にハーブを入れたカゴを置いて、その隣で寝息を立てていたのだ。
「ネフティ!おいネフティおきろ!」
ところがネフティは、ジャニファがゆすっても叩いても起きなかった。
「待ってくださいジャニファさん、それ以上は……!」
見かねたかれんがジャニファの手を掴み、引き止める。
しかしネフティは、両頬が赤く腫れてもムニャムニャと口を動かし何やら寝言を呟くくらいで目覚める気配がない。
「これは、もしかして……」
水天の呪いか、とその場にいた全員はその場にいた全員は顔をみあわせた。
「こうしてはおれん、戻るぞ」
ジャニファがネフティを担ぎ、常夜国へもどる。
そして無言でネフティをハスの池へと運んで行った。
結局ジャニファは出発の時間まで戻ってこなかった。
「ネフティさんまでのろいにかかるなんてね」
身支度を整えながら四人が話していると、廊下からジャニファとバライダルの会話が聞こえてきた。
「でもどうして、ネフティが……」
『どうやら、水天の呪いは今や妖精全体にかかるようになったみたいだな。おそらく妖精の国を消し、新しく作り替えるつもりなのだろう』
「作り替えるだなんて、そんなこと可能なのですか……?」
『ユンリル殿の魔力を秘めた髪を奪っているのだ。妖精の女王の髪は四天の力に匹敵する魔力を秘めている。世界の一つを作り替えるくらい造作もないことだ』
「それじゃこのままだと妖精の国は消えて無くなるってことなのか?」
とんでもないことが聞こえ、美玲たちも思わず廊下に出た。
そして会話に加わった市原に、バライダルは腰を下ろして視線を合わせた。
『そうならないためにお前たちが止めに行ってくれるのだろう?』
「もちろん、俺たちがそんなことはさせない」
バライダルにポンポンと肩を叩かれて、市原は頷いた。
美玲たちも同じ気持ちだ。
「ですが、シラギリの森へと行った私はなぜ眠らなかったのでしょう……?」
『ジャニファ、我が与えたお前は夜の羽根を持っている。お前は普通の妖精たちとは違う。だから水天の呪いも効かぬのだろうな』
少しの用事でもネフティを妖精の国に行かせたことは間違いだったと、ジャニファは自分の油断が許せなかった。
「くそっ!私が行けば……!」
ジャニファは悔しそうに壁を殴った。
硬い壁で拳も痛いだろうに、ジャニファは怒りで痛みすら感じていないようだ。
「水天め……許さん!!必ず叩き潰してくれる……っ!」
「ジャニファさん……」
「……四人とも、準備はいいな?」
バライダルの声に顔を上げると、廊下の反対側からミアラと精霊王が連れ立って現れた。
『俺は妖精たちを守らなくてはならないから共にいけないが、呼ばれればすぐに行こう』
「え、前にずっと一緒にいるとかいっていたけど……ミアラはそれでいいの?」
「ええ、問題ないわ。呼べばすぐ来てくれるのですもの」
なんてこともないようにミアラは笑った。
『ミレイよ』
「は、はい」
精霊王に手招きして呼ばれ、美玲は何事だろうかとビクビクしながら向かう。
『ミアラに何かあったら迷わず俺を呼べよ。そのためにお前に真名を聞かせたのだから』
「はい……って、アレわざとだったの!?」
驚く美玲に精霊王はニヤリと笑った。
「いや、でも精霊王の真名なんて長くて覚えてないよ……」
『いいから、言ってみよ』
「えーと、サージェントフリーゲンエーヴィヒカイト……え、ウソ」
あの長ったらしい名前をつっかえずに言えるなんて、美玲が一番驚いている。
『な?言えただろう?』
「……いいの?ミアラ以外に真名教えて」
『ミアラも承知の上よ。あの水天が相手なんだ。俺を使える人間は多い方がいいだろう?』
「それはそうなのかもしれないけど……」
『まあ、そんな事態にならないよう願っているがな』
「も〜……」
だがこれほど心強いこともない。
何かあったら精霊王が力を貸してくれるのだ。
「よし、じゃあみんな、行こう!」
志田の声にみんなが頷いた。
水天が乗っ取っている妖精の城に向かうのは、四人とジャニファ、そしてミアラだ。
(必ずこの世界を守るんだ)
決意を胸に、美玲たちは妖精の国へと向かった。