夜のさなかに
暗闇の支配する妖精の城の奥では、トルト──ではなく、トルトの姿をした水天が水色をしたガラスのインク壺の蓋を閉めていた。
机の上には一冊の記憶の書。
「ミアラが解放されたか」
ふと、ミアラの気配を感じた水天は表情を変えずに記憶の書を閉じ、書棚に戻した。
そしてもう一冊、まだ真新しいページの多い記憶の書を取り出す。
そしてそれを開くと、インク壺につけたペンを取り出し何やら文字を書いていく。
蒼の渚に派遣した四元騎士団も戻らず、先程ミアラの気配が戻ったことで彼らが失敗したことを水天は悟った。
「まぁ良いわ……しかしあのフレイズとかいう妖精……」
ふと、ペンを止めて顔を上げつぶやく。
どこか他の妖精たちとは違う雰囲気をまとっていた。
それに、どこか懐かしく思える容貌。
何故か記憶の書の影響を受けていないような行動も取っていた。
何度か報告と理由をつけて呼び出し探ってみたものの、普通の妖精たちと変わらなかった。
だがようやくわかった。
フレイズという妖精は、妖精だが四天の一柱である風天の力を引き継いでいるのだということに。
風天の力を持っていたからこそ、記憶の書の書き換えの影響も受けなかったのかもしれない。
フレイズは妖精であって妖精ではなかったのだ。
「風天め、こしゃくなことを」
水天自身、風天が抜け出したのは感じていた。だがとっくに消滅したとおもっていたのだ。
それが自分の力を分けて妖精を作り、スパイのようなことをさせるとは。
水天はペンを握る手に力を込めた。
悔しさでへし折ってしまいそうになり、気を落ち着かせる。
「よくもずっと隠し通したものよ」
蒼の渚は水精霊たちの故郷。同じ水の力を司る水天の庭のようなものである。
そこで起きた出来事は遠くに居ても感じることができる。
そこから突然、水天は風天の力を感じたのだ。
四元騎士団団長のベルナールも風精霊と契約しているが、それとは違う大きな気配があの場所に溢れていた。
「風天の分身か……厄介だな」
そうつぶやいてスラスラと再びペンを動かす。
「おや?」
だが違和感を感じてすぐにペンを止め、興味深げに記憶の書を眺めた。
「これはこれは……ふふ、儂が手を下すまでもなかったか……ふ、愚かな。あれは力を失いただの妖精になったか。しかもまどろみに囚われるとは……人の子などに懸想するからだ」
呆れたように、しかしどこか憐れむように言った。
「あとはあの妖精もどきに、ランドラゴンを駆る地の妖精か……」
呟きながら水天は人間界から召喚した子どもたちの周りにいた妖精たちをリストアップしていく。
(待ってください!)
「なんだ」
水天は手を止め内から語りかけてくる声に返答する。
その声はこの体の主、トルトだ。
トルトは水天の封印を解いた張本人だ。少し甘い言葉を囁いたらすぐに乗ってきた、愚かなカタバミの妖精。
(ジャニファとネフティには……私の大切な方々には手を出さない約束ですよね!)
「そんなこと知らぬ」
(言ったではありませんか!私の体を使う代わりに妹と幼馴染には手を出さないと!)
「儂は年寄りだからな、ちと記憶が……」
そういって水天は耳の穴をいじった。
(とぼけないでください!そう言ってジャニファの羽根も奪ったではありませんか!!そっちがその気なら、私の体は返していただきます)
「フン、無駄なことを……あーうるさいことだ。ちと静かにしてくれんか」
(……っ!!!ア……ク、ア……っ)
恨みがましい声を残してそれきりトルトの声は聞こえなくなった。
「全く、かしましいことよ……」
忌々しげに、だか少し楽しそうに呟き扉へと向かう。
「月光の精霊と陽光の精霊が手を組んだか……だが無駄なこと。儂がいる限り、必ずまどろみは罪深き存在を奪う。そう、あるべき世界の形に戻すために……秩序ある世界のために邪魔者はすべて消すのみよ……」
フフ、と笑って水天は部屋を出た。
ジャニファが開いた道を通り、常夜の国に美玲たちはやってきた。
どこに行けばいいかわかるのか、勝手知ったる我が家だといわんばかりに、精霊王はフレイズを担いだままズカズカと暗い廊下を歩いていく。
『邪魔するぞ』
『ち、父上……なぜここに?』
突然の訪問者に驚き、やつれた様子のバライダルはそれでもユンリルを守ろうと、腰に下げた剣に手をかけた。
『まぁ待て』
それを片手で制した精霊王は首を振った。
『俺も手を貸す。ここの妖精たちを守るんだろう?』
『そう……ですが……その妖精は?』
精霊王が担いでいる、バライダルも一度見たことのある妖精の姿に何事だろうかと眉をひそめた。
『もう一人追加ということだ』
ぽんぽんとフレイズの背中を叩きながら言う精霊王に、あまり乱暴に扱わないで欲しいなと美玲は思った。
『そうですか、ではあちらに……ジャニファ、父上を案内してくれ』
まだ精霊王が来たことを理解できないのだろう。
美玲の目には、バライダルの周りには目に見えないはてなマークが浮かんでいるようにみえる。
だが困惑しながらもバライダルに妖精たちが眠るハスの池へと案内するようジャニファに指示を出した。
『一体何があったんだ?どうして父上が?』
精霊王と共に行ったミアラとジャニファを見送ったあと、疲労のため頭が働かないのか、美玲たちに尋ねるバライダルの表情は冴えない。
「実は……」
ネフティがここにくるまでの出来事をバライダルに説明する。
『なるほど、そうか。あの妖精が風天の……それで水天に目をつけられたか。しかしミアラを助け、あの精霊王を味方にできたことは大きいな』
よくやった、と褒められても四人の気持ちは重たいままだ。
「バライダル、たのむよ、フレイズを助けてくれ!」
市原の悲痛な声に、バライダルも辛そうな顔で頷く。
『もちろんだ、案ずるな。しかしあの父上までここにくるとは思わなかったぞ……』
「ごめん、フレイズが危ないって聞いたからミアラたちに助けてってお願いしたの」
それに、ネフティは疲れ切ってランドラゴンを召喚できる状態ではなかったし、体格のいいフレイズを運べるのは精霊王しかいなかったのだ。
『悪かったな、なにしろ緊急事態だったのだから許せ。それよりもバライダル、眠る妖精たちは我らに任せ、お前は少し休め。今にも消えそうだぞ』
『いえ、申し出はありがたいのですが、しかし……』
精霊王はバライダルに近づき、そこで眠る彼が想いを寄せる女王ユンリルを見て、それからバライダルに向かって頭を下げた。
『バライダルすまなかった、俺は間違っていた。お前に諦めろと言ったが、そんな必要はなかったのだな』
『父上……?』
『諦めなければ必ず解決の糸口は見えるということだ。今は俺もこうしてミアラと共にいることができている』
突然協力的になった精霊王の言葉を不思議に思ったバライダルは、チラリとミアラを振り返り『なるほどな』と頷いた。
『あの人の子たちはこの世界にきっと、大きな変化を起こすかもしれない』
『──ええ、我もそう思います。あの子たちならこの状況変えられると……。では、妖精たちのことは父上にお任せします。ただこの方だけは……』
ユンリルが目覚めた時、そばにいるのは自分がいいのだと、バライダルは考えていた。
『そうか、わかった。ならば』
精霊王はバライダルの背に手のひらを当てた。
すると、みるみるうちにバライダルの疲れが取れ、凛々しい雰囲気が戻ってきた。
『月の光も陽光が源。これで大丈夫だろう』
『──あ、ありがとう、ございます……』
バライダルは照れ臭そうに目線を合わせず礼を言う。
二人の間の溝は、そんな簡単には埋まらないようだ。
「それにしても不思議だよね、精霊王とミアラは水天の呪いにかからないのかな」
異種族同士の恋愛を嫌い、呪いをかけていると言うのに、ミアラと精霊王のどちらも眠りにつかない。
『何、簡単なこと。水天の呪いは人と精霊を対象にしてないからだろう。精霊たちが眠りにつけば自然のバランスは大きく崩れてしまう。人とは世界を別にしている。ならばと残るものに呪いをかけたのだろう』
かれんの疑問に、精霊王が淡々と答えた。
「なんと自分勝手な……!」
ジャニファは忌々しそうに拳を壁にぶつけた。
『もっとも、今は記憶の書をいじって無差別的に妖精たちを眠らせている、この状況ではそう思えてならないがな』
なにしろ眠りについている妖精たちの数が多すぎるのだとバライダルが言う。
「妖精も世界を支える存在です。彼らがいなければ植物は育たない……どの存在もなくてはならないものなのに、水天様は……」
ミアラはハープの弦を一つ弾いた。
「それじゃあ、すぐに妖精の国にいって水天を倒そうよ!」
「そうだよ、早くみんなを助けなきゃ!」
立ち上がって言う市原とかれんに、美玲と志田も頷いた。
早く助けたい一心で四人ともそう思っていたのだが。
『まあ待て、お前たちも今は少し休め。これから水天を倒すために力を蓄えておかないと』
本当は今すぐにでも倒しに行きたいけれど、精霊王の言うこともその通りだと思った。
思えば大した休みもなしにここまできた。
蒼の渚で四元騎士団から逃れてティンクルとピンクルたちと戦い、精霊王と戦ってミアラの封印をといて……それからフレイズを回復して……。
目まぐるしい、怒涛の一日だった。
水天への怒りで疲れも感じていなかったのに、その言葉を聞いた途端、四人に疲れがどっと押し寄せてきた。
『ほら、まずは休息だ。休め』
精霊王のその言葉を最後に四人は記憶が途切れた。