悲しみを溶かして②
そして、四人は再びミアラの氷の前へと進み儀式を再開した。
先ほどと同じように、四天の力を満遍なく行き渡らせ、美玲はミアラへ語りかける。
(ミアラ、精霊王が迎えに来たよ。だから氷から出ようよ)
──サシェがこちらに……?
ミアラの声が跳ねる。とても嬉しそうに。
その声を聞いたら美玲も嬉しくなってドキドキしてきた。
(会いたいよね、ずっと会いたかったんでしょ?)
──会いたい……でも!
食い気味に答えが返ってきたが、すぐにその言葉は勢いを失ってしまった。
(精霊王はずっと、何度もミアラに話しかけてたんだって。さっきそのことを言ったら、何でお前はミアラと話せるんだって睨まれちゃった)
少しおどけて言うと、クスリ、とミアラが笑った気配がした。
──ほんとに、サシェは以前からここに……?
悲しみと後悔にとらわれたミアラは精霊王が語りかけていたことにはやはり気づいていなかったようだ。
(うん、本当だよ。でも最近は水天のところでミアラを助ける方法を探っていたんだって)
──水天様の……。
途端にミアラの声がくもり、美玲は慌てて言葉を続けた。
(そ、それから風天も言ってた。二人の結婚は罪なんかじゃない、水天が勝手にいってることだって。誰もミアラたちのこと責めないよ。だから、ね?その氷から出よう)
──……しかし……それでは水天様に許されないまま……。
(ねぇ、ミアラ、あたしは子どもだから、まだそう言うのよくわからないんだけど……恋って誰かに許されないと好きになってはいけないことなの?)
ミアラからの返答はない。美玲は言葉を続けた。どうしても聞きたかったから。
(種族が違うだけで、でもお互い好きなのに……どうして?罪とか、悪い事だとかそんな風に言わないでよ!)
──あなたは……なぜそんなふうに怒るの?
ミアラの問いかけに美玲は一瞬言葉に詰まった。
まだ自分の気持ちはよくわかっていないけれど、フレイズに対する、この気持ちが恋なのだとしたら……。
(あたしも、好きな人がいるの。でもその人は妖精で……ミアラの言う通り、種族が違うのに結婚したことが罪だって事なら、あたしのこの気持ちもいけない事なの……?)
──……それはっ。
ミアラが驚きに息をのんだのがわかった。
(あのね、いま、妖精の国は大変なことになっているの。水天が呪いをかけて、種族がちがう相手に恋をした妖精たちを眠りにつかせているの。妖精の女王様も精霊のバライダルと恋人同士になったことで呪われて……ずっと眠ったままで……)
──そんなことが……。
『水の娘、力を借りるぞ』
「え?」
突然精霊王がそういい、答えをきくまもなく美玲の肩に手を置いた。
陽光の精霊というだけあって、触れられた場所からは日差しの暖かさが流れ込んでくる。
(う、眠い……)
五月半ばくらいの、給食が終わった5時間目の窓からさす暖かな日差しに眠気が誘われるような穏やかなのんびりとした感覚に美玲は包まれた。
『ミアラ、聞こえているか?』
──……!
返答はないが、ミアラが驚いた感覚は美玲に伝わった。
『ミアラ、水の娘を通じているが、聞こえるか?』
もう一度、ゆっくり、はっきりと問いかけるように精霊王が言う。
──サシェ……聞こえる、聞こえるわ……あなたの声が!
とても嬉しそうなミアラの声だった。
『ミアラ、俺のせいで苦しめてしまってすまなかった。俺が精霊王であることが障害になるのならば、王の名など喜んで捨てよう。俺は精霊王の座などいらん。ただひとりの精霊としてミアラと共にいたい。ミアラがいなければ、俺にとってこの世界は何の必要性も意味もない……そなたのそばにいられるなら何でもする。だからもう一度、俺の元へ戻って来て欲しい』
精霊王の一人称が変わっていたことに気づいた美玲は驚いた。
──サシェ……でも……だめよ、精霊王は世界の要なのに。私一人のためにそんなことを言わせてしまうなんて……ごめんなさい……どうか私のことはもう……。
『ミアラ、なぜ……!』
別れを匂わすミアラに、精霊王は悲痛な叫びをあげた。
──この子から色々聞いたわ。私のせいで水天様がとんでもないことをしたと。だからもう私たちのことは許されないことなの。私は消えるわ。私がいなくなれば、水天様もあきらめるでしょうし、呪いも消えるでしょう……。
「え、なにそれ意味わかんない」
二人の会話を聞いていた美玲は思わず言葉を挟んだ。
──え?
(好き同士なんだよね?なんであきらめるの?精霊王はミアラが一番大事なんだよ。ミアラもそうなんでしょ?なら別れる必要ないじゃん。水天はうちらが何とかするし!)
『水の娘……』
(妖精の国のひとたちにかけられた呪いを解くためには水天を倒さないといけないから、どのみち戦うことになるって風天も言ってたから)
──でも、そんな危険なこと……!
(大丈夫。四天の力も風天からもらったし、そもそも水天なんか関係ないよ。ミアラ、自分の気持ちに正直になって!)
──私は……私は……!
『頼む、消えるなんて言わないでくれミアラ。どうかそこから出て、再び俺のそばにいてくれ!』
──サシェ……!
『そなたは俺の全てだ。重荷でも何でもない、共にいることこそが俺の幸せなんだ!ミアラ!』
──……っ!
暴風がだんだんと弱まり、ミアラを閉じ込めている氷がどんどん溶けていく。
そしてミアラを閉じ込めていた氷は完全に溶け、拘束から解かれたミアラは前のめりに倒れた。
だが地面にその体がぶつかることはなかった。
精霊王がミアラを抱き止めたからだ。
『ミアラ……』
精霊王の問いかけにミアラは目覚めたばかりのようにゆっくりとまばたきをして、それから精霊王を見上げた。
「サシェ」
軽やかで高く、柔らかな絹のような声だった。
精霊王はきつくミアラを抱きしめ、ミアラもその大きな背に腕を回して力を込めた。
『この時をずっと、ずっとまっていたのだ。再びそなたをこの胸に抱く時を……!』
「サシェ……!」
『今一度願う。我が愛しのミアラよ。俺の妻として、共に時を歩んで欲しい。精霊王の妻としてではなく、この陽光の精霊サージェントフリーゲンエーヴィヒカイトの妻として……』
「はい……永遠に、あなた様と共に歩み、あなた様を愛すると誓います」
そうして、あの夢ではできなかった口づけを二人は交わした。
まるで物語の王子様とお姫様のような二人。
かれんはうっとりと頬に手を当てて見つめているし、志田と市原はほっとしたような顔をしつつも、ほおを赤らめて恥ずかしそうにしている。
美玲はと言うと……。
(あ、精霊王の真名聞いちゃった……どうしよう)
近くにいた美玲にしか聞こえなかったみたいだけど、何だか自分がいけないことをした気分になって落ち着かない。
良かったのかどうか確認しようにも、二人は未だ離れずぎゅっと抱き合っていて二人の世界だ。
(まあいいか。長い名前だったし覚えてないと思うし、聞かなかったことにしよう)
それよりも、熱々の二人を前にどうしたらいいのかわからない四人は居心地が悪くて、精霊王たちをずっと見ているわけにもいかず、キョロキョロとあたりを見回した。
「ほらほら、お子ちゃまたちはこっちこっち」
そんな四人においでおいで、とティンクルとピンクルが手招きした。
四人は言われるがまま二人の元へ向かう。
「すこし二人きりにして差し上げてくださいませ。なにせ、お二人はとても長い間離れ離れでしたから」
幸せそうな二人の姿を振り返り、ピンクルはいった。
ミアラと精霊王は長い時を経てようやく一緒になれるのだ。積もる話もあるのだろう。
「それより、私たちは早く蒼の渚に戻らないといけないの」
かれんが両手を合わせて祈るようにピンクルに言う。
蒼の渚では、ジャニファたちがたった三人で四元騎士団と戦っている。
精霊王の問題が片付いたので、早く戻って加勢したかった。
事情を話すと二人の妖精は少し緊張した顔を見合わせて頷いた。
「わかった、すぐに開くよ……でもボクたちもキミたちと戦った後だから、少し時間がかかるけど」
「なるべく急ぎますから、待っていて下さいね」
ティンクルとピンクルが手を繋ぎ、空中に手のひらを向けてなにやら唱え始めた。
そこへ精霊王とミアラが連れ立ってやってきた。
ミアラも精霊王も幸せそうで、悲しさの気配などどこにもない。
「あなたたちが私を氷から出してくださったのですね。ありがとう」
『俺からも礼をいう。それから──すまなかった。いきなり攻撃したりして……』
「ほんとだよ!それに、俺たちが倒されてたらミアラを助けられなかったんだからな!』
市原の強めの返しに精霊王は苦笑いをして頭をかいた。
ミアラは美玲に気づくと、近づいてきて視線を合わせるためにかがんだ。
ふわりと、美玲がいつも使うシャンプーのフローラルの香りに似た甘い花の香りがする。
整った容貌のミアラを間近で見て、何だか緊張してきた美玲の頬が熱くなった。
「あなたが水の子ですね。あなたの言葉がなかったら、私はきっと、あそこから抜け出せませんでした。ありがとう……それから、あなたたちのお名前を聞いてもいいかしら?」
「あたしは永倉美玲です。あと、この子があたしの大親友の久瀬かれん、こっちが同じクラスの市原騎士と、委員長の志田悟」
順に美玲が紹介していくと、それに合わせてかれんたちもお辞儀をしたり「あ、ども」といったりしている。
「ミレイちゃん、カレンちゃん、ナイトくん、サトルくんですね。ほんとうに……本当に助けてくれてありがとうございます。私、何だか今はとても清々しい気分です。不思議なことですけど」
『ミアラ!!』
精霊石から水皇が飛び出てきて、ミアラに抱きついた。
「あなた、もしかして……私が契約していた水精霊のウニちゃん?」
ミアラの問いかけに、涙ぐんだ水皇は何度も頷いた。
『ええ、ウニよ。あなたがつけてくれた名前。でも今は水皇になったのよ!』
「まぁ、上級精霊に?」
すごいわ、というミアラに、水皇はとても嬉しそうに泳いだ。
『ずっと、まっていたのよ……ずっと……』
「ウニちゃん……心配かけて、ごめんね」
陽の光を浴びて雪原は元の姿を現し始めている。
雪解けの大地に、緑の草が透明な雫をその葉に宿していた。