秘密の結婚式
葉と葉の間から陽の光が差し込む、シラギリの森の奥にある広場では、蝶がヒラヒラと花から花へと蜜を吸うために羽ばたいている。
蜂たちは花粉団子を足につけながら花の中に入ってはせっせと花の蜜を集めたり花粉団子を大きくしている。
鮮やかな花々が咲き誇る、四季の庭と呼ばれるその場所は、実は精霊界と妖精の国、人の世界の三つの境が交わる場所で、水天に仕える巫女ミアラと精霊王の二人だけしか知らない秘密の場所だ。
ここは数年前、ミアラが水天に捧げるためのハープの練習をするために使っていた所だ。そこに偶然精霊王がやって来て、ハープの手ほどきをしてもらったのがきっかけで、二人は付き合うようになった。
「綺麗だよ、ミアラ」
愛する人にそう囁かれて、ミアラはどこかくすぐったい気持ちになってうつむき、鮮やかなビタミンカラーのガーベラで作ったブーケを握りしめた。
髪にはミアラが密かに持ってきたレースの端切れにカモミールの花を飾った簡単なベールが飾られ、頭にはシロツメクサの花冠が載せられている。淡い水色の巫女服は純白ではないが、ミアラにとっては特別な花嫁衣装である。
精霊王もいつもと変わらない、陽の光のようなジャケットをまとっているが、胸ポケットにブートニアがわりの小さな花を二、三本まとめたものが飾られている。
「ここなら四天に見つからないはずだ。俺たちが夫婦になればもう四天も騒ぐまい」
精霊王と人間のミアラ。二人は恋人同士である。精霊と人間は別の種族で、結ばれることは絶対にないはずだったのだが、二人は運命のいたずらか、惹かれあってしまった。
異種族であり、誰にも許されることがない二人の関係は秘密にするしかなかった。
精霊王は四大元素を司る源の王であり、ただ一人の人間のために存在することなど許されるわけがないからだ。
だから二人は今日、秘密の結婚式を挙げることにしたのだ。
「精霊王……」
ミアラはヴェール越しに眩しそうに精霊王を見上げた。精霊王の白に近い金の髪はキラキラと陽の光を反射している。
ミアラはいつもずっと彼のそばに居たいと思っていた。ハープを教えてもらっている時や、秘密のデートをしている時はこの時間が永遠に続けばいいのにと思っていた。時が過ぎて元の場所へ帰る時は悲しくて、寂しくて涙が止まらない時もあった。
しかしようやくそれも今日で終わるのだ。夫婦となればずっと一緒にいることができる。
彼から約束の指輪をはめてもらえば。
「サシェと呼んでくれ。君の前では、俺は精霊王ではなく一人の存在として、君のためだけに居たい」
ふわりと微笑み、ひざまづいてミアラの左手を取った精霊王ーーーサシェは濃緑の瞳をまっすぐにミアラへと向けた。そしてシロツメクサで作った指輪を、ミアラの細い薬指へと嵌める。
次の瞬間、薬指にはめられたシロツメクサの指輪は一瞬の光ののち、絡み合う蔦を模した金の指輪と変化し、シロツメクサの花の部分は、精霊王のみが持つことを許されている、すべての属性の力を持つ虹色の精霊石が輝いていた。
これで晴れて、ミアラは精霊王サシェの妻となった。
「ミアラ、俺は誓う。俺は君をずっと永遠に、離さない。そのために精霊王の力さえ捨ててしまっても構わない」
「私も誓います。あなたのそばに居られるなら、他にもう何もいらない」
ミアラもまた、誓いの言葉を述べるとシロツメクサの指輪を精霊王の指に通した。すると今度はシンプルな金の指輪となり、精霊王の指を飾った。
「サシェ……これで私たちはずっと一緒に居られるのね……」
ミアラは目にうっすらと涙をためて感慨深げに左手の薬指に輝く指輪を見つめた。
「この力と君を天秤にかけられたとしたら、俺は迷うことなく君を選ぶ。 世界の理よりも何よりも、俺にとっては君が一番なんだ」
「そんな恐ろしいこと、きっと起こらないわ」
「もしも、の話だよ」
少し不機嫌になってしまったミアラへ詫びるように頭を撫でてから、サニィがミアラのベールをゆっくりとあげた。
そしてサシェの顔が近づいて来て、ミアラはゆっくりと目を閉じた。
『許さぬぞ!!!!! 』
唇がふれあいそうな時、怒りに満ちた声が四季の庭に響いた。
「水天……! 」
四季の庭に水柱が立ち、そこから白い髭を蓄えた、藍色の着物姿の老人が現れた。がっしりとした体格の彼は薄茶色の長い髪を後ろに流し、怒りのこもった黒い瞳をミアラと精霊王へ向けている。
精霊王はミアラを抱き寄せ、怒りの主からかばうように前へ出た。
『ミアラ、貴様、わしに仕える巫女でありながら、なんという不届きな……! 』
「水天様……っ! 」
青ざめた顔をしてミアラは平伏した。長い水色の髪は地に流れ、体は小刻みに震えている。
「水天、鎮まれ! 」
『精霊王よ、困りますな。うちの巫女をたぶらかされるとは』
「たぶらかしてなどおらぬ! 俺たちはもう指輪を交わした、夫婦となったのだ!! 」
『夫婦、ですと……? 』
精霊王の言葉に水天が険しい表情でミアラを睨みつけた。 鉾を持つ腕は怒りのためか震えている。
「水天……っ?! やめろ! 」
『愚か者め!身のうちの力に滅ぼされるがよい!』
「ーーーーーーーッ!!!!」
水天が矛を掲げると、ミアラは悲鳴をあげる間も無く水柱の中に閉じ込められた。
そしてそれはみるみる根元から凍っていき、ミアラは驚きと恐怖の表情のまま閉じ込められた。
「ミアラッ!! 」
『二度とそこからは出られると思うな』
そう言って水天は姿を消した。
(サシェ……サシェ……)
ミアラはどんどん冷えていく体と、薄れゆく意識の中で、氷の柱を砕こうとする精霊王を見つめることさえ、とうとうできなくなってしまった。
ーーーー
「お姉ちゃん、朝〜!晴れだよ晴れ!ラジオ体操行こう!ラジオ体操!! 」
甲高い妹の声にハッとして悪夢から目覚めた美玲は、辺りを見回した。いつの間にか窓の外は明るくなっていて、美玲は朝が来ていることをようやく理解した。
昨日はフレイズへのプレゼントを完成させた後、突然精霊石が光り始めたことまで覚えているが、その後のことは全く思い出せなかった。
ベッドにいたということは、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「お姉ちゃん、泣いているの?」
よしよし、とそれまでベッドの脇で跳ねていた妹の舞花が美玲の頭を撫でてくる。
「なんで?」
舞花の言葉に驚いて目元に触れると、また一筋の涙が頰を伝い落ちた。
「本当だ……」
心なしか声も鼻声で、目も泣きはらした時のように少し痛い。とても悲しい夢だったからかなと配そうに見上げる妹に、大丈夫だと告げてその癖っ毛の跳ねる頭を撫でた。
舞花は美玲のベッドからぴょんと降りると、美玲にラジオ体操のカードを手渡した。
「今日久しぶりの晴れだよ!はやく行こう!」
「わかったわかった。着替えてから、ね」
寝癖のついた髪を掻きながらベッドからおりてタンスを開ける美玲の後ろで、舞花は急かすようにカウントダウンを始めている。
「ちょっと、急かさないでよ」
「だって始まっちゃうもん!早く行かないと“かいきんしょう”もらえないじゃん」
「はいはい」
やけにリアルな夢で、もう少し夢のことを考えてみたかったが、カウントダウンをまだ続けている舞花はそれを許してくれそうにもない。美玲は気持ちを切り替えるために「よし」と気合を入れて着替え始めた。