蝉の声とアスファルトの匂い
耳に蝉の鳴き声が聞こえてくる。そして刺すような日の痛みと熱されたアスファルトの匂いを鼻に感じ、美玲は目を開きなくなかった。
妖精の国では感じなかった音と匂いに、目を開いたらここがどこかを認めなければならないからだ。
けれどもいつまでも目を閉じているわけにもいかず、それになによりも暑さに耐えられなくて結局恐る恐る瞼を上げると、やはりそこは学校の前庭で、美玲が帽子を風にあおられ落とした場所だ。
辺りを見回すと、かれんと市原、志田も同じく呆然と辺りを見渡していた。
「ここ、しる小だよね?」
目の前にいたかれんが振り返っていった言葉に、美玲は唇を強くかんだ。
しる小とは、美玲たちが通う詩葉小学校を略して呼ぶ名前だ。
あんなに戻りたかった場所のはずなのに、全然嬉しくない。
驚いたことに服装は全員元の服に戻っていた。妖精の城においてきたままのはずだった麦わら帽子も美玲の手にあった。
だからなのか、ネフティが作ってくれた武器はもっていなかった。
「俺たち、妖精の国の光柱の間にいたよな……?」
自信なさげな志田の言葉に残りの三人は頷いた。
しかし突然、ひやりと冷たい風が吹いたと思ったらポツポツと水滴が当たる感覚がして、うるさく鳴いている蝉の落し物かと見上げると、空から降り注ぐ雨が四人に襲いかかってきた。
最近ニュースでもよく耳にしていたゲリラ豪雨というやつだ。
四人は慌てて玄関ポーチへと避難して空を見上げると、真っ暗なそこには紫の稲光が空を走り、太鼓を乱打したような轟音が響いている。
以前は怖かった雷も、妖精の国でのジャニファとの戦いで慣れたせいか全く怖くなくなった。
前庭は太い水滴が怒り狂ったように叩きつけられて白いしぶきを上げている。
「なあ……俺たち、夢みてたわけじゃないよな……?」
「全員が同じ夢?ありえないだろ」
志田は市原の言葉を笑い、服の裾をタオルがわりにして顔を拭いている。「だよなぁ」と市原もつぶやきながらしかし納得できないように頭を掻くと、濡れた髪から水滴が飛び散る。
かれんがポケットからレースが飾られたハンカチを取り出して濡れた肩や腕を拭いているのを見て、美玲もハンカチを取り出そうとポケットに手を入れた。
「あ……」
すると、かちゃり、と音がしてハンカチにしては硬いものが手に触れた。
まさか思って取り出すと、それはネフティにもらった精霊石のかけらで作ったペンダントと、フレイズからもらった風晶石のブレスレットだった。
それを見た美玲の胸はどきりとした。そして次第に鼓動が早まっていく。
「夢じゃなかった……ねえ、やっぱり夢じゃなかったんだよ!」
光柱の間ではまだ四天とジャニファたちが戦っているかもしれない。
ゲリラ豪雨の雷がジャニファの魔法を思い出させてやけに胸騒ぎだけがする。
「でもどうやって?私たちの精霊石、砕けちゃったじゃない。戻っても戦えないよ」
「精霊石はここにあるよ。ほら、これ!」
美玲が三人にペンダントを見せると、思い出したようにかれんたちも自分のポケットを探り、ペンダントをみつけた。
「でも、どうやって?」
「えぇっと……水皇たちに呼びかけてみる、とか?」
かれんの問いかけに美玲は自信なさげに提案をした。精霊石はそれぞれの上級精霊からもらったもののかけらだ。彼らに届けばもしかしたら妖精の国に行けるかもしれない。
四人はそれぞれペンダントを持って目を閉じで念じた。小さなかけらだが、上級精霊の精霊石だ。きっと道は開けると美玲は思いたかった。
しかしどんなに時間が経っても、妖精の国で感じたような、内側から湧き上がる力も捉えられず、耳に聞こえてくるのはアスファルトに叩きつけられる雨の音だけだ。
「ダメか」
悔しさをにじませた市原の声に、美玲たちも念じるのを諦め、四人はそれぞれの手のひらにあるペンダントを見つめてがっくりと肩を落とした。
強く降り続ける雨は止む気配がなく、荒々しい雷も轟音と共に空を走っている。
「なんだ、お前らこんなところで何してるんだ?」
妖精の国に戻れず、荒れた空のせいで家へ帰るにも帰れず、途方にくれていると、懐かしい声が背後から聞こえてきた。