逃した理由
落ち着き払ったかれんの黒い瞳にジッと見つめられて、志田は落ち着かないように頭をかいた。ツンツンとした毛先はあちこちに向き、寝起きのようにくしゃくしゃだ。
「そんなの覚えてねぇよ!操られていたんだから」
普段のかれんだったら男子に乱暴な口調で言われただけでも半べそをかいていそうなものだが、かれんはベソをかくこともなく困った様子で少し微笑んだだけだった。
「久瀬は覚えているのか?操られていた時のこと」
「はっきりとは……でも、あの人たちは悪い人じゃないよ。志田くんも、紅の泉で見たでしょ?ジャニファさんが私たちを助けてくれるところを」
「見たけど……」
志田は頷いたものの、まだ納得できないように唇を引きむすんで俯いた。
「それにさっきだってバライダルさんは私たちに攻撃してこなかったよ」
「キョウハクはしてきたけどな」
まだ学校で習っていない難しい言葉を言った市原は肩をすくめておどけてみせた。
「それはみんながあの人たちの邪魔をしたからだよ」
「だってあいつらを行かせたら女王様がやばいじゃん」
志田の反論にかれんはそれは違うと首を振った。
「やばくないよ。あの二人は女王様を助けにきたんだもん」
「何でかれんはそんなことわかるの?」
「だって夢で見たから」
「夢?」
予想外のかれんの言葉に、美玲たち三人は思わず首を傾げて顔を見合わせた。
「実はね、これね、私、昨日夢で見たの。私がバライダルさんたちを行かせたのは、あのままだったら女王様が大変なことになるからなの」
本来であればあのままバライダルを足止めして、ジャニファも動けない状態にしていたらユンリルは目覚め、彼女の力を使って四人は元の世界に帰ることができるはずだった。
「大変なことって何だよ」
だがそれはかれんによって阻まれてしまった。市原がため息をつきながら腕を組んでかれんの話の続きを促した。
「女王様がトルトさんに力を奪われて消えちゃうの」
予想もしなかったかれんの答えに、三人は「まさか」と言葉を失い顔を見合わせた。
あれほどユンリルの目覚めを望んでいたトルトが女王を傷つけるとは、三人にはどうしても考えられなかった。
「それに皆、ネフティさんの話を覚えているでしょ?あの話が本当なら、トルトさんには気をつけたほうがいいと思う」
妖精の力の証でもあるジャニファの羽を奪ったことを「ささいなこと」だと言ったトルトに対して、ネフティは心底恐ろしそうに当時のことを語ってくれた。
そのあまりにも残酷な、ジャニファに対するトルトの仕打ちに美玲たちは今と同じく言葉を失ったくらいだ。
「待ってよかれん、トルトさんはどうして女王様の力を奪おうとするの?何のために?」
確かにトルトがジャニファから羽を奪った話は驚いたがユンリルにも同じことをするとは信じたくなかった。あんなにもトルトはユンリルの目覚めを望んでいたのに。
「……まさかだけど、トルトさんは自分が女王になろうとしているとか?」
「えっ?!」
志田のつぶやきに美玲と市原は驚き、同時にこえをあげた。
時代劇やドラマなどではお約束の、部下が上司を失脚させて上に立つという展開だ。
ありうるかもしれない、とかれんの方を見たが、かれんは困った顔して首をかしげた。
「うーん、そこまではわからない。だから、確かめよう」
「確かめるって、かれん?」
「女王様の檻はもう壊れているでしょ?だから女王様はもうすぐ目覚める。でも、その時が一番危ないの」
美玲たちに背を向けたかれんの向こうには、トルトと対峙するジャニファとバライダルの姿が見えた。
「私も初めはただの夢だし、信じるなんておかしいと思った。でも、ここまで全く同じだともう信じるしかないと思ったの」
「かれん……」
「信じられなくてもいい。でも、あそこに行けばきっと私が言っていることが正しいってわかるから」
「あ、まって、かれん!」
駆け出したかれんを追いかけ、美玲たちもまた、薄暗い部屋の中で唯一の光源となっているユンリルの檻へ向かった。