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第三章 襲い来る暴力


 テレビをつければ流れる嫌なニュース。

 100人弱の死者を生み出し、その倍以上の負傷者を出した電車事故。

 狐雲高校のセーラー服に身を包んだその少女は、テレビの前で両親と一緒に撮った最後の写真を握りしめていた。受験に受かった時に撮った写真だ。

 始業式の日に朝は無理だからと、夕方一緒に三人で写真を撮る約束をしていた。

 けど、その約束が果たされることはなかった。

 死んでしまっては、一緒に写真を撮ることも、話をすることも、手をつなぐことも、笑いあうことも、体温を感じあうこともできない。

 涙が頬を伝い、顎から流れ落ちスカートを濡らす。

 辛い。寂しい。悲しい。

 少女は時計を見て、涙を拭う。今日は友達が遊びに来ることになっている。

本当だったら遊びたい気分ではないが、少女は周りに心配させないように学校では強がって、無理に明るく振舞っていた。

 だから、家の中だろうと弱みを見せるわけにはいかない。

 ピーンポーンとチャイムが押され、少女は明るい声でドアを開ける。

一週間ぶりに少女以外の人間がこの家に足を踏み入れた。

 楽しい。

 心は沈んでいても、友達と遊ぶのは嫌なことを少しでも忘れさせてくれた。

 遊びに来てくれた二人の友達のうち、一人がトイレに行った。

 その友達が少女の視界から消えた時、少女は首を傾げた。

 ―――ママ?

 この足音は誰の足音なのだろう。

 ―――それともパパ?

 だんだんと遠ざかっていく足音がなんだか不安になり、少女は涙ぐんで足音を追いかけた。

 突然の少女の行動に驚きの声をあげるもう一人の友達。

 少女はますます混乱した。

 部屋のドアを開き、見えるようになった二人。その二人と、両親の幻覚が重なる。

 呼吸が苦しい。額に汗が浮かぶ。足から力が抜け立っていられなくなる。

 もうろうとする意識の中、少女の友達二人は懸命に少女の名前を呼び続けた。

 その二人の声までが、少女には両親の声に聞こえてしまった。



「・・・・・・やな夢見ちゃったな」

 目を覚ましたなるは腕で涙を拭う。

 なんでこんな嫌なこと思い出したのかな、と考えていると、すぐに分かった。たぶん、同じ過去を持つ光輝の布団で眠ったからだ。

 なるは上体を起こし、ぐっすり寝ている光輝の頬をプニッと指でつつく。

 光輝の布団で寝ていたが、光輝は許してくれてなどいない。光輝が寝たころ合いを見計らって、なるが勝手に入り込んだだけだ。起きれば怒られるだろうが、今日だけは光輝のそばで眠りたかった。

「本当だったら、私がまなちゃん泊めてあげるべきなのにね」

 でもそれはできない。そんなことをすれば、1年前みたいに発作を起こしてしまい、みんなに迷惑をかけてしまうから。

 去年の高校の始業式の日に両親が電車事故で死んで以来、家に誰かを招き入れると両親の幻覚を見て、幻聴を聞いてしまい、なるは激しい発作に襲われてしまう。それ以外の面では周りのみんなのおかげと、何より光輝のおかげで立ち直ることはできた。

 でも、まだ家に誰かを招き入れるのは無理だ。

 姿が見えているうちはまだ大丈夫なのだが、別の部屋に移ったり背中を向けたりすると、その人が両親に見えてきて発作が起きてしまう。

「光輝君。私ね、もう誰かとお別れするのは嫌なの。だから光輝君があの子に告白されたとき、付き合って私から離れるかもってものすごく怖かったの」

 だから断ったって言ってくれた時は、本当に安心できた。

(・・・・・・別の意味でもね)

 頬を赤く染め、布団をかぶり直すと光輝の背中に抱き付く。

「ホントに、光輝君よかったね。元気取り戻せて」

 なるは頬を緩めながらゆっくりと瞼を閉じる。嫌な夢のせいで目を覚ましてしまったが、時間はまだ夜中だ。今度はいい夢みたいなと思いながら、なるは眠りについた。



 土曜日。まなにとって高校生になってから初めての休日だ。

 勝手に光輝の布団で寝たなるは光輝とまなの二人に怒られ、朝食を食べるときは子供みたいに落ち込んでいた。

 その落ち込み様になんだか可哀想になり、光輝は二人に提案を出した。

「どっかに出かけるか? 気分転換にさ」

「行くっ! 光輝君のおごりでね」

 はいはいっ! と手をあげるなるは、さっきまで落ち込んでいたのが嘘のようだ。

「いいですけど、どこに出かけますか? ちゃんと案内してもらわないと、私ははぐれちゃいますから」

 肩を落としながらも、出かけるのは楽しみなのか表情は嬉しそうだ。

「昼飯ぐらいだったら奢ってやるよ。まなはどっか出かけたい場所とかあるか?」

「そうですね」

「私には聞いてくれないの?」

 うーんと顎に手を当てるまなと、不満そうに唇を尖らせるなる。別になるに行きたい場所を聞かなくても、今頃行きたい場所でも考えているはずだ。

「あ、じゃあデパートとかどうですか?」

「いいね。じゃあデパートで決定だね。何買おっかなー。まなちゃんは何買うの?」

「そうですね。やっぱり服です。前村雨先輩と買いに行ったときは間に合わせでしたから」

 まなは今着ている服を引っ張りながら軽くため息をつく。今着ている服も光輝にしてみれば十分似合うと思う。だが、そこはやはり男と女の差というやつなのだろう。

「じゃあ行くか」

「まって光輝君」

 椅子から腰を上げた光輝になるは待ったと手を出す。

「なんだ?」

「集合時間はデパート前に9時。そ、それでいい?」

 なるはもじもじと恥ずかしそうに光輝から顔をそらせながら、うっすらと頬を染める。

「何言ってんだ? 別にこのまま三人で行ったら―――」

 ―――いいだろ。

 そう言おうとしたとき、まながとんとんとテーブルを指先でたたき口を開いた。

「村雨先輩。女の子には譲れないところがあるのですよ。ですよね、夢島先輩」

「う、うん。だからその、光輝君は先に行っててね?」

「そう言う事だったら別にいいか。でも俺だけじゃなくてまなもな」

「・・・・・・光輝君のバカ」

 プイッと不機嫌そうになるは顔を背け、まなはため息をつく。

「村雨先輩はもうちょっと夢島先輩の気持ちに気づいてあげるべきですよ」

「ま、まままままなちゃんっ!? な、なに、にゃにをっ!? 何言ってるの!?」

 ボッとなるは顔を真っ赤にし、噛みまくりながらもまなの口を小さな両手でふさぐ。

 光輝を見て気づいていないのを確認すると、安堵するとともに少し複雑そうな表情をする。

 キリキリとなるに肩を強く握られ、まなは痛そうに顔を歪める。

「まなちゃん、光輝君に絶対に変なこと言わないでよ? 言ったら私怒るからね?」

 殺気を放ちながらニッコリと笑うなるに、まなは若干涙目になりながらコクコクと頷く。解放されたまなはプルプルと震えながらなるから距離をとる。

「わ、笑うなら目も一緒に笑ってください。目笑わないの怖いです。一瞬殺されるのかと思いました」

「私は人殺したりなんかしないよ。別れるのはつらいからね」

「だな」

 寂しそうに表情を暗くしたなるに、光輝は同意するように頷く。

「あ、あの? ・・・・・・も、もうそろそろ行きましょう」

 微妙に暗くなりつつある空気を元に戻すように、まなはそう提案する。時計を見たなるは「わっ!」と驚きの声をあげ、椅子から飛び上がる。

「じゃ、じゃあ9時にデパートでねっ!」

「あ、ああ」

 走って出て行くなるの背中を呆然と光輝は見送り、その隣ではまなが、がんばってくださいと心の中でなるを応援した。



 着替える服がないまなと光輝はすぐに準備が終わり、なるに指定されたとおりに二人はデパートの入り口付近で待機していた。

 なるは光輝の家から出た後光輝が電話しても電源を切っているのか出てくれず、メールの返信もない。

 時間はすでに9時を5分すぎている。たかが5分の遅れだというのに、事故にあってるんじゃないだろうか、変なやつに絡まれてるんじゃないかと不安が募る。

「俺、ちょっとあいつの家に行ってくるな」

「知ってるんですか?」

「・・・・・・」

 前に出した足を引き戻し、光輝は首を振る。

「遅れてるって言ってもまだ5分ですって。それにほら」

 まなはじれったいと思うぐらいゆっくりと腕をあげ、一点を指さす。光輝はそこに視線を向け、思わず目を大きく見開いてしまった。小走りで近づいてきていたのはなるだ。

 光輝が目を見開いたのはなるが来たのに驚いたからとかではない。

「おまたせー。ま、まった?」

「あ、いや。ま、まってはない」

 どもってしまった光輝に、なるはえへへと照れた風に笑う。

「ど、どう、かな。似合ってる?」

「・・・・・・ああ。似合ってるぞ」

 クルッとその場で回ったなるに、光輝は少し反応が遅れて頷く。

「あ、ありがと。えへへ、似合ってるだって」

 嬉しそうに笑うなるにやられたな、と光輝は息を吐く。

 光輝はなるに見惚れてしまっていた。

 一度自分の家にでも帰ったのか、なるは光輝の家を出た時とは違う服に着替えていた。ひらひらとした白いワンピース。ミニのスカートから余すことなく外気にさらす、シミや日焼けの後のない美脚。

 最近家でよくなるの私服は見るが、そのどれもが地味なものばかりだった。だから今日もいつもみたいなやつなんだろうな、と予想していただけあって、オシャレは不意打ちだ。

 おまけによく観察してみれば、なるはうっすらと化粧もしている。

 胸がふだんより少し大きく見えるのは、パッドでも入れているのだろうか。聞けば殺されそうだから絶対に聞くことはできないが。

「お前もオシャレとかするんだな」

「ひどっ! 私もちゃんとした女の子だからね!? オシャレぐらいするよ!」

 でも、と光輝はなるの頬に指を這わせる。突然のことになるは赤面しながら目を大きく見開いた。

「お前は・・・・・・」

 言おうとした言葉が、いざとなれば恥ずかしくて口に出しにくい。

「お前は、も、元々可愛いんだから、化粧とかあんましなくていいだろ。肌にもよくないだろうし」

「あ、ありがと。心配、してくれてるの?」

「まあ、な」

 なんか照れるな、と光輝はごまかすように頬をかく。なるは嬉しそうに微笑みながら両方の頬を抑え、クネクネと身をよじる。

 そこにそろそろ耐えれないと、まながおずおずと手をあげた。

「あの先輩方。いちゃつくのはいいですが、ここ、デパートの入り口です。注目されてますよ」

「「え?」」

 周りを見渡すと、まなの指摘した通り注目の的になっていた。

「・・・・・・行くか」

「う、うん」

 恥ずかしそうにデパートに入って行く二人を追いかけながら、まなはやれやれとため息をつく。

 この前の食堂でもそうだが、いちゃつくと周りが見えなくなるのはどうにかしてほしいものだ、とまなは一人愚痴る。



 まなが服を買い終え、三人は食器を見ていた。

 今までは客用の食器を使っていたが、まなとなるがやっぱり自分用の食器を使いたいと言い始めたのだ。

「やっぱり買うんだったらおそろいがいいよね。まなちゃんどう?」

「ですね。あ、じゃあこれとかどうですか?」

「それもいいけど、こっちはどうかな」

「えー、それなんだか子供っぽいです。夢島先輩なら似合いますけど、私は遠慮したいです」

「それはどういうことかな? 私が子供っぽいって言いたいのかな?」

「あ、あはは」

 動物の絵がプリントされたものを選べば、誰だってなるが子供っぽいと思ってしまう。身長も低いからなおさらだ。なるは少し残念そうにしながら元の場所に食器を戻す。

「光輝君はどれがいいと思う?」

「お前ら二人に似合いそうな食器か。そうだな」

 パッと食器を見渡し、光輝は気になった柄の食器を手に取る。

「これとかどうだ?」

「うん。いいよそれ。まなちゃんもよかったらそれにしない?」

「村雨先輩にしてはセンスありますね。私もこれ気に入りました」

 二人は光輝から食器を受け取り、カチャンと音を鳴らしあって微笑みあう。

 なるとまなが手にしている薔薇の模様が入っている食器は、様々な意味で二人に似ていると光輝は思った。可憐なところも、棘があるところも。

「村雨先輩は買わないのですか?」

「俺は別に今使ってるやつで問題ないからな。それに今日あんま金持ってきてないからな」

「えー。お昼いっぱい奢ってもらおうと思ってたのに」

「・・・・・・ちなみに何食べたいんだ?」

 ぷくーと頬をふくらませるなるに念のために聞いておく。回らない寿司とか言われたら速攻で帰るつもりだ。

「えーとね、まわらな」

「帰るか」

「じょ、冗談だよ。ここのデパートってレストランあるから、そこでいいよ。まなちゃんもそれでいい?」

「はい。いいですよ」

 コクンとまなは頷いた。


 レストランのある階に移動しようとエレベーターに乗り込もうとしたとき、意外な人物がエレベーターに乗っていた。

「雄平か」

「お、光輝か。あと夢島さんと・・・・・・ま、まなさんっ!?」

 まなを見た途端雄平はシャキッと背筋を伸ばす。

「おはようございます。土村先輩もお買い物ですか?」

「は、はい。じゃなくて、おう」

 敬語を使えば無視されるというまなのお願いを雄平は守り、少し遅いながらもため口で返事をする。

 雄平一人しか乗っていなかったエレベーターに三人で乗り込み、なるがボタンを押す。

「ま、まなさんも買いものなのか?」

「ちょうど終わったところです。ほら」

 まなに指さされた光輝はため息をつく。

 二人が買った荷物は、すべて光輝が持っている。なるが持ってと強引に押し付ける形で。

最初まなは遠慮して自分で持つと言ったが、光輝が持つと言えば申し訳なさそうに光輝に荷物を預けた。下着とかも入ってるから純粋に男に渡したくなかっただけなのかもしれないが、今更聞こうにも聞けない。

 そうだ、と思いつき、光輝はまなの衣類が入っている袋を雄平に差し出す。

「お前も持つの手伝ってくれよ」

「なんで俺が荷物持ちなんか?」

 しぶる雄平に光輝は言ってやる。

「これ、まなが買った服入ってるぞ?」

「おっしゃ! 仕方ないな。お前がそこまで言うなら持ってやるよ」

 本音が出てたぞとは指摘しない方がいいのだろう。

 雄平が袋をとろうとしたとき、まなが横から袋を奪い取りうっすらと頬を染める。

「す、すみません。その、し、下着とかも入ってますので、慣れない男の人に渡すのはちょっと恥ずかしいです」

「だ、だよな。は、ははははは・・・・・・おい光輝」

「なんだ?」

「な、慣れないってどういうことなんだよ!? お、お前はまなさんの下着とか服とかいつも見たり触ったりしてるのか!?」

「ば、バカ言うな! まなもちゃんと説明してやれ」

「ええと。土村先輩とはまだあまりお話してないからって意味です。村雨先輩は帰る方向も同じなので、よくお話ししますし」

 なんなら帰る家まで同じである。さすがにそのことを雄平に言うことはできないのだが。

「お前は何買いに来たんだ?」

「ノートだよノート。買い直すの忘れてたからな。ついでに適当にぶらつく予定だな」

 確かに授業の時雄平は使い古しのノート使ってたな、と思い出す。

 ポーンとエレベーターが止まり、雄平が名残惜しそうに降りていく。

「じゃあな光輝、夢島さん。あとま、まなさんも」

「じゃあな」

「バイバイ」

「サヨナラです」

 なるとまなが手をふり、エレベーターが静かに閉まっていく。完全に閉まり切ると、まなは顔をうつむかせる。

「私、土村先輩に嫌われてるんでしょうか」

「なんでそう思うんだ?」

「だって、土村先輩私に接するときお二人と態度違いますよね。目を合わせたりしたらすぐそらされますし、たまに敬語になりますし」

「それは嫌いって言うより・・・・・・」

「なんですか?」

 不安そうに見上げてくるまなに、どう説明しようかと光輝はごまかすように頬をかく。

 それは単に、雄平がまなのことを好きだから緊張しているだけだ。けどさすがにそれをまなに言うわけにはいかないだろう。とりあえずここは適当にごまかすことにした。

「緊張してるんだろ。お前は学年も違うんだから」

「なるほど。でも緊張しなくてもいいのに。可愛い先輩ですね」

 クスッと笑みを漏らし、まなは光輝に荷物を渡す。

 再びポーンと音が鳴り、ゆっくりとエレベーターが開く。

「ついたね」

 我先にとなるが降り、それに続くように光輝とまなが降りる。

「ふわぁー。いい匂い」

 レストランがある階だけあって、降りた瞬間から料理のいい香りが鼻孔をくすぐる。ぐーと言う音がなるのお腹から鳴り響き、恥ずかしそうになるはお腹を押さえる。

「気のせいだから」

 誰も訪ねていないのになるは一人で言い訳をする。

 またぐーと音を鳴らすなるのお腹。今度は言い訳できないと思ったのか、お腹を押さえたままプイッと顔を背ける。

「早く飯でも食うか。俺も腹減ったしな」

「うんうん。光輝君のお財布は私が重くしてあげるから」

「金でもくれるのか?」

「ううん」

 首を振るなるに、光輝とまなは首を傾げる。そんな二人のしぐさを見て、なるは得意げに語る。

「お札使ったらおつりで小銭かえってくるよね? ほら、重くなる」

「ぶ、物理的な意味だったんですね」

 得意気に胸をそらしているなるに光輝はとりあえずチョップをくらわせる。

「・・・・・・なんで私チョップされたの?」

「いや、なんか腹立ったからつい」

「光輝君ひどい。光輝君がおごってくれるって言ったから言っただけなのに」

 むーと頬を膨らませなるは一人先にレストランに足を運ぶ。残された二人はお互いに顔を見合わせて苦笑した。

 立ち止まり、なるは不機嫌そうな顔で手を振ってくる。

 これはチョップしたのは失敗だったかもしれない。デザートを多く注文されないためにはどう機嫌をとったらいいのだろうか。小走りでなるに近づいていくまなを追いかけながら、光輝はそのことを考えることにした。



 なるの機嫌も料理を一口食べると元通りに戻り、デザートを多く注文されることなく昼ごはんも終わり、光輝たちは近くにある映画館で映画を見た。

 二本続けて映画を見て、映画館を後にしたころにはすっかり夕暮れ時だった。

「んー。両方面白かったけど、さすがに二つ続けては疲れるね」

 体を伸ばしたなるの顔色には、確かにほんの少しの疲労が見られる。

「まさか映画で泣くとは思いませんでした。感動ものです」

 グスンとまなはハンカチを取り出し目元の涙を拭き取る。

「・・・・・・」

 そんな二人を見ながら、光輝は無言を貫くことにした。

 始まった時はちゃんと見ていたのだが、途中から完全に眠ってしまっていた。それも二本とも。

「早く帰るか。あんまもたもたしてると完全に日が暮れるしな」

「うん。歩くとちょっと時間かかっちゃうしね」

 歩き始めた光輝となるに、まなはあれ? と首を傾げる。

「あの、電車ってあっちなんじゃないですか?」

 まなが指さした先にあるのは、デパートからも見える駅だ。光輝とまなはこのデパートに来るとき、その駅から電車に降りている。

「・・・・・・ごめん、まなちゃん。電車は、乗りたくないの」

「悪いなまな。こればっかはこいつのわがまま聞いてやってくれ」

 光輝はなるの頭に手をのせながら申し訳なさそうにまなに言う。表情を暗くしているなるは、意図的に駅を視界に入れないようにしていた。

 不思議そうに思いながらもまなは何か事情があることをさとり、「はい」と頷いた。

「ごめんね。まなちゃんも疲れてるはずなのに」

「いいですよ。それより、先輩方は覚悟していてくださいね?」

「覚悟?」

 首を傾げる二人に、まなはにんまりと笑う。なんだかいやな予感がした。

「私が迷わないように、しっかりと案内お願いしますね? でないと、またここに戻ってきちゃいますよ?」

 やっぱりな、と光輝は肩を落とす。もういっそタクシーでも呼んでやろうかなと思ったが、そんなもので金を無駄遣いするのはもったいない。

 コクン。

 手を乗せていたなるの頭が、ゆっくりと船をこぎ始めた。

「・・・・・・おいなる?」

「・・・・・・・・・・・・なに?」

 軽く頭をゆすると、目をこすりながらなるが返事をよこした。

「おまえ眠たいのか?」

「うん、ちょっと眠たいかも」

 光輝の体に寄り添うようになるは体重を預け、ゆっくりと瞼を閉じようとする。

「まてまてまて。これ以上荷物が増えるとさすがにしんどい」

 慌ててなるを引き離し、不機嫌そうに睨まれるがこればかりは譲れない。

なるは小柄で体重も軽いが、人間一人を追うのはしんどいし、女の子を背負うのはできれば遠慮したい。

「なんか、本当に夢島先輩が子供みたいに見えてきました」

 いい子いい子、とまなはなるの頭を撫でるが、対するなるは思いっきりまなのことを睨んでいる。それでも睡魔には勝てないのか、眠たそうに欠伸をする。

「できるだけ頑張れ。限界が来たらタクシーでも呼ぶから」

「うん。その時はおごってあげるね」

 それが寝ぼけて言ってることじゃないといいな、と想いながら光輝は片手で持っていた荷物を両手で持ち直す。

 それにしても、と光輝はなるを見る。

 遊び疲れて眠たくなるなど、本当に子供みたいなやつだ。本人には絶対に言えないが。



 タクシーを使うことなく家にたどり着いたが、晩ご飯も食べる前になるはベッドに寝転がるとすやすや眠ってしまった。起きた時「化粧!」と慌てていたが、眠った時にちゃんとまなが落としてくれていた。

 日曜日は特にどこにも出かけることなく、三人は家で土曜日の疲れを癒した。

 そして迎えた月曜日。

昼休み光輝たちは三人で食堂に向かっていた。雄平は風邪をひき、今日は学校を休んでいる。

「おい」

 突然声をかけてきたのは3年生だ。髪の毛を紫色に染め、ワックスでセットしている。耳にはピアスを開け、制服は着崩している。

「俺によう、ですか?」

「ああ、ちょっとこい。そこの女子二人もまとめてな」

 その3年生は光輝を睨み、続いてなるとまなを睨み付けると、ついてこいと歩き始める。

「光輝君何かしたの? あの人、ちょっと怖いよ」

「悪いことしたなら早く謝ってください。その、私もちょっと怖いです」

 不安そうに二人は光輝を見るが、光輝だって心当たりはない。そもそも、今の3年生とは今日初めて言葉を交わしたばかりだ。

「おい、何してやがる。早く来い」

 光輝たちがまだ立ち止まっていることに気づき、イラつきを隠さずに振り向く。

 何か相手を不快にしていたなら素直に謝るし、ついても行く。けど、理由もわからず喧嘩腰でいられるのはいい気分ではない。

「あの、俺に何か用なんですか? そもそも、先輩は誰ですか?」

「ッチ。そういや名乗ってなかったな」

 舌打ちをしながら先輩は頭を荒々しくかく。

「俺は鳥町竜兎だ」

 鳥町? と光輝は首を傾げる。その名前は、最近どこかで聞いた覚えがある。

「俺はな、お前が振った、鳥町彩の兄だ。これでいいだろ」

 これ以上は後だと言いたげに竜兎は今度こそ背中を向け、早足でどんどん進んでいく。

 光輝はなるとまなに申し訳なさそうに振り向く。

「悪いな、お前らにまで迷惑かけて。本当だったら俺一人の問題なんだけど、」

「いいよ。私たちも呼ばれてるみたいだしついて行ってあげるよ。それに、私も気になるし」

「ですね。行かないで後になって私一人呼ばれても怖いですし。お昼奢ってくださいね?」

「あー、まなちゃんだけずるーい。私も奢ってもらうんだから。もらうッたらもらうんだからね!」



 竜兎に案内されたのは体育館だった。

 中央には既に三人の先客がいて、それぞれ青、黄、赤色に髪の毛を染めて静かに立っていた。

「・・・・・・信号みたい」

 なるがぼそっとそう呟き、あやうく光輝とまなは吹き出しそうになった。しかし、それを光輝もまなも否定できなかった。色もそうだが、並びも左から青黄赤なのだ。

 光輝はひそかにあの三人を、『信号トリオ』と呼ぶことにした。

 竜兎は何も言わずに信号トリオのもとに歩み、何かひそひそと話をして、信号トリオがニヤニヤとなるとまなを舐めまわすように眺める。そのとき、光輝は自分の服が引っ張られている違和感を覚え、そちらを見てみる。光輝の袖をギュッと指でつまんだまなが震えていた。

「怖いのか?」

「すみません。なんだか雰囲気が」

 まなの言いたいことはすぐに理解できた。信号トリオからは穏やかではなく、荒々しい雰囲気が漂っている。

 向こうでは話がついたのか、竜兎が光輝たちに向かって手招きする。

「行くのですか?」

「ここまで来て行かないわけにもいかないだろ」

 まなは震えいてるけどなるは大丈夫かなと、歩き始めると同時に隣を歩くなるを見てみると、お腹が空いたのか小さな手でお腹を押さえていた。

(こっちは大丈夫そうだな。まあ、いざってなったら頼もしいやつだしな)

 信号トリオの前に竜兎が立ち、光輝が前に立つとまなは隠れるように背中に回る。

「なあお前。なんであいつのこと振ったんだ?」

「好きじゃなかったから、です」

 誰、と言われなくてもさっき竜兎の口から出た名前を考えればすぐにわかった。

「あー、敬語やめろ。お前に言われても虫唾が走る。で、好きじゃなかっただと? どういうことだてめぇ」

 竜兎は光輝を睨み付け胸倉をつかむ。光輝の後ろは危ないかもと勘づいたまなは、いち早く三歩後ろに下がった。

「どういうことって、そのまんまだ」

「俺はな、あいつのことを振ったてめぇに無性にイラついてんだよ! あいつがどれほど泣いてたと思う!? あいつがどれほど俺にてめぇの話を聞かせに来たと思う!? 一目惚れだって言ってなぁ、クラブしてるとこ見て惚れ直したっても言ってたんだ!」

「クラブ?」

 光輝は首を傾げるが、忌々し気に語る竜兎の目にはその仕草はうつっていなかった。

「お前の名前だって知ったのも今日の朝だ。あいつは恥ずかしいからって名前だけは教えてくれなかったからな。それになんだおまえは。あいつに忘れられでもしたいのか!?」

「なに言ってんだ? 俺はクラブなんか」

「てめぇは、茶髪に染めてた髪を黒に戻してまで、あいつに見られたくなかったのか!?」

「・・・・・・」

 もう訳が分からなかった。竜兎の言っていることが無茶苦茶すぎた。

 クラブにも所属していないし、髪の毛だって染めたことなどない。生まれてからこの方ずっと黒いままだ。

「だというのにだ。てめぇはなんで他の女をはべらせてる!? しかもそこの1年はあいつと同じクラスじゃねぇか。なんかの嫌がらせか? あいつが木曜からずっと落ち込んでるってのによ!!」

「木曜?」

「っ! それすらてめぇは忘れたってか!? あいつが、」

 竜兎は言葉をそこで言葉を区切り、盛大に舌打ちをする。そこから先を口にするのは躊躇われたのだろうか。

「あいつが人生で初めて、おまえに告白した日だろうが。それをてめぇは振ったんだ! それだけならまだいい。俺が気に食わないのわな、他に女をはべらかせてるこだ!」

 竜兎は光輝を突き飛ばし、まくしたてたせいで息が切れたのか息を荒くする。

「ちょっとまて。木曜だと? 何言ってんだ。俺があいつに告白されたのは」

 あの時のことは今でもまだ覚えている。光輝が彩に告白されたのは、先週の学校最終日。金曜日だ。次の日は土曜でなるとまなと買い物に行ったのだから、一日分の記憶が飛んだりしていない限りそれは間違いないはずだ。

「俺があいつに告白されたのは木曜じゃないぞ」

 その瞬間、竜兎の拳が光輝の腹にめり込んだ。

「っ!? がはっ!」

 突然のことに反応が遅れ、光輝は腹を抑えながら膝をついてしまう。

「光輝君!」

「村雨先輩!」

 心配して駆けつけようとする二人を手で制し、光輝は膝をついたまま竜兎を睨み上げる。

「てめぇのことはよーく分かった。要するにだ。てめぇはあいつの気持ちなんかゴミ以下だってことだな。ふざけんじゃねぇぞ!」

「がっ!!」

 竜兎の蹴りが光輝の頬を捕え、こらえることなどできずに軽く飛ばされ体育館の床を転がる。

「っ! 光輝君! 光輝君!」

 なるはあおむけに倒れている光輝のもとに慌てて駆け寄り、上体を抱き起す。

「心配すんな。受け身はとったって」

「でも鼻血でてるよ! 早く保健室行かなきゃ!」

 心配性だなと思いながら手の甲で鼻から流れる血をこすり取り、なるの肩を叩いて立ち上がる。

「そんなことより、お前はまなのこと見てやってくれ」

「まなちゃん? まなちゃん!?」

 まなを見たなるは驚きで声をあげる。考えてみれば当然のことなのかもしれないが、光輝が血を流したのを見てなるは少なからず冷静さを失っていた。その場で縮こまったまなは、目頭に涙を浮かべて震えていた。

「やってくれたな」

「聞くぞ村雨光輝。お前は、あいつと付き合うつもりはないか?」

「人を殴ったりけったりした後でよくそんなこと聞けたな」

 竜兎はおそらく光輝のことをよく思っていないのだろう。それでも、妹の幸せを少しでも考えてまだ光輝を彩と付きあわせようとしている。

けど、と光輝は思う。本当に彩の幸せを願うなら、こんなやり方では意味がない。むしろ、こんなことで付き合うことになってもぎくしゃくした関係になって、余計に彩のことを傷つける可能性がだってあり得る。

「けど俺の答えは変わらないな。俺は、あいつとは付き合えない」

「・・・・・・そうか」

 竜兎はため息をつき、信号トリオに向き直る。

「お前ら、どうすればいいと思う?」

「「「やっちまおうぜ」」」

 信号トリオの全員が全く同じタイミングで、全く同じセリフを吐いた。

「「「つうかよ。ロリコンに竜兎さんの妹さんを付きあわせるのは可哀想っすよ。ほら。あのちび、小学生みたいですしな」」」

 もう同じ三人まとめて同じ個体なんかじゃないかと思うぐらい、長いセリフも一字一句タイミングも間違うことなくハモっていた。よく聞きとらなければ一人で喋っているようにしか聞こえない。

 それよりも、と光輝の額に嫌な汗が流れる。

「よし。あの女どもはお前らの好きにやれ。殴るもよし、脱がすのもよしだ」

 ただし、と竜兎は指を突き立てる。

「泣かせるなよ?」

「「「がははっ。竜兎さん、それは無茶っすよごっ!?」」」

 何が起きた? と全員の視線が倒れた髪の毛を赤色に染めた信号トリオの一人に注がれる。

 そして理解する間もなく銃声が体育館に響き、青が、続いて黄色に髪の毛を染めた二人が地にひれ伏す。

「なん、だ?」

 竜兎はキョロキョロと、原因を突き止めるために視線をさまよわせる。まなもポカンとこの今の出来事ができずに、口を開いて固まっていた。

「私ね、今もんのすっごく怒ってるの。理由分かるよね? 先輩」

 怒気を含み、殺気まで漂わせたなるはついてもいない血を払うように右手に握った剣を振り払い、煙を飛ばすように左手に握っている銃の銃口に息を吹きかける。

 その瞬間竜兎もまなも、何が起きたのか理解ができた。

 なるが、目にも止まらないスピードで動き、三人にダメージを与えたのだ。

 クリエイトで出現させていた剣と銃をなるは消滅させ、光輝とハイタッチをかわす。

「まなちゃん大丈夫だった?」

「え、あ。は、はい。あの、夢島先輩こそ大丈夫なのですか?」

「うん。でも、今私ものすっごく怒ってるから、変なこと言わないでね。まなちゃんまで斬っちゃうから」

 ニコッと笑うなるにまなはヒッと悲鳴をあげる。今のは冗談でも、場を和ますための言葉でもないことを光輝は良く知っている。ただでさえなるは光輝が殴られ、蹴られたことに怒っていたのだ。そこに、なるに対しては一番の禁句である『小学生みたい』を信号トリオが口にしたのだ。おまけにチビとも。

「ねえ。光輝君に謝ってよ」

 何の装備もなく近づくなるに、竜兎は顔を歪めながら一歩後ろに下がる。今の動きを見て、力ではなるにかなわないことを理解したのだろう。

「おいチビ。まさかとは思うが、お前はポイントが欲しいのか? ははっ。上級生から奪えるポイントは同級生や下級生よりも多いからな。けど残念だなくそチビ。今回のを学校に提出しても、俺とお前の二人が処分されるだけだ」

「ポイント? そんなものいらないよ。ただね、私は光輝君に謝ってほしいだけなの。悪いことしたらごめんなさい。知らない? 知らないなら辞書でもパソコンなりでも使って調べたほうがいいよ?」

 なるが竜兎との距離をゼロにし、無表情で淡々と告げる。

「謝るの? 謝ってくれないなら、あそこに居る人達みたいに・・・・・・あれ?」

 なるが指をさした先には、すでに信号トリオはいなかった。

「っく。はははっ! お前ばかだなホント! あいつらがやられた振りしてたってことにも気づかなかったのかよ。小学生が!」

「っ! っ!?」

 蹴りあげた竜兎の膝がなるの腹をとらえ、なるは竜兎に倒れ掛かる。床に膝をつきそうになったなるの髪の毛を竜兎はつかみ、なるは腹の痛みと髪の毛を引っ張られる痛みで顔を歪める。

「なるっ!」

「夢島先輩!」

「「「おっと。お前らは俺たちが遊んでやるぜ」」」

 すでに起き上がっていた赤と黄がなるに駆け寄ろうとした光輝を床に抑え込み、残った青がまなを羽交い絞めにする。

「いやっ! 離してください!」

「「「うるせぇ! お前から脱がすぞ!」」」

「っ! ・・・・・・」

 こんな時まで同じタイミングで話す信号トリオに、まなは言葉を飲み込み下唇を噛む。

「ふざけんな! まなを離せっ!」

「「「お前もうるさいな!」」」

 振り上げた赤と黄の拳が光輝の体に何度も何度も振り下ろされる。容赦のない一撃が振り下ろされるたび、必死に閉ざした光輝の口から苦悶の声が漏れる。

「なんで、なんでこんなことするの!?」

 あまりの有様になるは涙を流し、悲鳴じみた声をあげる。

「あーあ。俺もホントはこんなことしたくなかったんだけどな。あいつがよぉ、彩と付き合わないって言うだろ? だったらさ、人の前に出れない体にしてやればいいじゃねえか。ついでにあいつの周りからお前らみたいな女も消す」

「さいってい」

「あぁ? てめぇも立場わかってねぇようだな」

 竜兎はなるを突き放す。

なるが信号トリオに攻撃を仕掛けようと足に力を込めた時、竜兎が「待て」と片手を前に出す。それと同時に光輝を殴る赤と黄の手も止まり、なるは警戒しながらも竜兎に振り返る。

「なあ。あいつら解放してほしいか?」

「当たり前のこと聞かないで! 早く解放してよっ!」

「いいぜ。ただし、」

 喜ぶのはまだ早い、となるは自分に言い聞かせる。

「お前が俺の言うことを最後までちゃんと聞いたらな」

「やめろなるっ! そんなやつの言うことなんて聞くな! 俺だったら別に」

「キャアッ! な、何してるんですか!」

「「「おっと悪い悪い。手が滑っちまったよ」」」

 悲鳴を上げたまなを見ると、青がまなのリボンをほどいていた。ほどかれたリボンが床に落ち、今度はセーラー服を脱がせようとしているのか、青がまなのセーラー服を乱暴につかむ。

「ま、まって! 聞くから! 言うことちゃんと聞くから! だから、もう二人には乱暴しない、で」

 屈辱で、恐怖で、自分のふがいなさでまた涙が流れる。もっとちゃんとあの三人を見ていればよかった。光輝たちの近くに居ればよかった、と後悔が今更になって押し寄せてくる。

「ちげぇだろ。『お願いします竜兎様。どうかあのカスな二人に乱暴しないでください』だろ。ほら言ってみろよ」

「なんでそんなこと! 光輝君もまなちゃんもカスじゃない! カスなのは先輩の方! カス竜兎!」

「アァッ!?」

 もう頭に血が上って後先のことなど考えることができなかった。『小学生みたい』、と自分が馬鹿にされるのも許せることではないけど、友達が馬鹿にされるのに比べてよっぽどましだ。

 もう許せない。許すわけにはいかない。なるの目には、既に竜兎以外移っていなかった。光輝と、まなの姿すらも。

 ゲネシスはクリエイトだけではなく、他にもいくつかの特徴がある。その一つが一時的にだが、身体能力を劇的に上げることだ。ただいつでも使えるというわけではなく、感情が高ぶっているときだけ。

 なるの感情は、光輝が竜兎に殴られたときから既に高ぶっている。もちろん怒りによって。

 誰にも聞こえないほど小さく、誰にもとらえられないほど早く口を動かし、なるはさっきと同じように右手に剣を構え、左手ではいつでも引き金を引けるように銃口を竜兎の心臓に向ける。

 狐雲高校の制服は防弾性だ。たとえ胸に弾が当たろうとも、痛みと衝撃があるだけで死にはしない。

 床を蹴ったなるはゲネシスの力でさっきと同じように身体能力を強化。今度はさっきのように手加減などはしない。一撃で終わったと思っても二回、三回と追い打ちをかけるつもりだ。

 剣を振り上げ、竜兎の右腕を狙う。光輝のことを殴った腕を、まずは最初に使えなくしたかった。

 狐雲高校の制服は防弾性能があると同時に、防刃性能もある。

 もしかしたら骨にひびぐらい入るかもしれないが、それならそれでもいい。後のことなど、今はどうだっていい。

とらえたっ! そう思ったとき、竜兎の腕が高速で動き、逆になるの手首を力強く握りしめる。

「っ! だったら!」

 予定とは違う展開だったが、竜兎も彩のことで感情が高ぶっているのだから同じことができても不思議はなかった。なるはまずは自由になろうと竜兎の右腕に銃口と構え引き金を引くが、竜兎の横殴りの拳がなるの左手を叩き、弾は明後日の方向に飛んでいき銃は手から離れ落ちる。

 だがまだだ。

 ゲネシスにとって武器がなくなるのはさして問題ではない。武器がなくなっても、すぐに作り出せばいいだけなのだから。

 なるが高速で口を動かそうとしたとき、「おい」とどすの利いた声で竜兎が声を出す。

「お前度胸あるな。人質がいるってのによ」

「え? ・・・・・・あ」

 背中を嫌な汗が流れる。頭に血が上っていたあまり、完全に忘れていた。しかし一度冷静になれば、嫌な予感だけが脳裏をよぎる。

「本当だったらあの二人には痛い思いさせるとこなんだが・・・・・・まあいい。初回サービスだ。よかったな、おちびちゃん」

 竜兎の挑発にはもう乗らない。もう乗れない。

 戦意がなくなくなったのを見ると、竜兎は念のためになるの剣を奪い去り、つかんでいた左手首を解放する。すぐになるはクリエイトで物質化していた剣と銃のイメージを掻き消した。

「さぁーて、おちびちゃん言うことあるよな? さっきお前は俺に向かって何偉そうなこと言ってたんだっけな?」

「・・・・・・ごめ・・・・・・なさい」

 屈辱だった。光輝の、まなの前で竜兎に頭を下げることがたまらなく悔しい。

「あぁ? なんだって?」

「・・・・・・ごめん、なさい」

 ククッと竜兎は喉の奥で笑い声を漏らし、「じゃあさ」となるに命令を下す。

「脱げよ」

「・・・・・・へ?」

「知ってるだろ? 服を脱ぐって意味だ。そうだな、じゃあまずは上から」

「ま、まって。ぬ、脱ぐ? そ、そんなことできないよ」

 万が一竜兎に無理やり脱がされないためにも、なるはセーラー服を強く握りしめ、スカートをギュッと握る。

「そうか。俺の命令に従えないか。だったら」

 ゴンッ、と鈍い音が体育館に響いた。恐る恐る後ろを見ると、赤が光輝の髪の毛をつかみ、顔面を床に叩き付けた音だった。

 口の中でも切れたのか、光輝の口から血が流れ落ちる。

「やめっ」

「ひゃぁっ! や、やめてください!」

 悲鳴をあげたまなを見ると、青にセーラー服を脱がされ、中に着ていたシャツをさらされる。

「で、どうする? おちびちゃん」

「・・・・・・わかり、ました」

 次逆らえば二人がもっと傷ついてしまうかもしれない。そんなことは絶対に嫌だった。

 なるはセーラー服の裾に手をかけ、光輝を見ると頬を赤く染める。やっぱり、下着を男の人に、特に光輝に見られるのは恥ずかしい。

 悔しそうに歯を噛みしめている光輝とまなを見て、なるはなんだか安心が出来た。二人とも、自分のことを大切に思ってくれてるのだと思えて。

「ああそうだ、シャツ着てるならそっちも脱げ。わかってるな?」

「・・・・・・はい」

 本当は良くない。けど、従うしかない。なるは覚悟を決めて息をゆっくり吐き出し、心の中で光輝に謝りながらシャツごと一気にセーラー服を脱ぎ捨てた。

 しみの一つもない雪のように白い肌。無駄な贅肉が付いていないウエストはほっそりとしている。わずかな膨らみを持つ胸を隠すブラは、少し子供っぽさが含まれている。

 光輝は、竜兎はこんな状況にもかかわらず、一瞬なるのその姿に見惚れてしまっていた。

「こ、これでいい?」

 恥ずかしそうに胸と腹をなるは細い腕で精いっぱい隠そうとする。

「あ、ああ・・・・・・」

「じゃあ、早くまなちゃんと光輝君を」

 竜兎が頷き、なるは安堵の息を吐く。

 ようやく終わってくれた、と。

「じゃあ次はスカートを脱げ」

「お、終わりじゃないの?」

「誰が上を脱ぐだけでいいって言った。上ときたら当然下もに決まってるだろ。それとも」

 竜兎はなるのブラの真ん中をつかみ、危機を感じたなるは体を強張らせる。

「もう一回上の方もとるか?」

 フルフルとなるは首を振り、竜兎は一歩後ろに下がる。

 目に涙を浮かべ、なるはスカートのチャックに手をかける。


 本当なら、光輝はこれ以上なるが恥ずかしい思いをするのをやめさせたい。光輝を取り押さえている赤と黄を振り払って、竜兎に仕返しをしてやりたい。

 けど、下手なことをすればまなが何をされるかわからない。

 このまま見守ればなるが恥ずかしい思いをし、下手に手を出せばまなが同じことをされるかもしれない。おそらくはまなも光輝と同じことを思っているのだろう。

 でももうじっとしているのは限界だ。

 光輝は、まなはお互いにアイコンタクトをとり、抵抗するタイミングを合わせようとする。

 ジーとなるがスカートのチャックを外し、口をきつく結ぶ。

 タイミングは来た。

 信号トリオの拘束の手が、一瞬だがゆるくなったのだ。

「いまだまなっ!」

「わかってます!」

 光輝は高速で口を動かし、イメージした3つの鉄アレイをそれぞれ信号トリオの頭上に出現させる。

「「「痛っ!」」」

 頭に鉄アレイが直撃し、ひるんだすきに光輝は二人から抜け出し、まなは青の顎に頭突きをくらわせる。

「光輝君! まなちゃん!」

 舌打ちをしてつかみに来た竜兎の手をなるはかわし、チャックを元に戻しながら二人のそばに駆け寄る。

「ほら、これでも着とけ」

「あ、ありがと」

 光輝は上着を脱ぎ、なるに放り投げる。

 これでとりあえずは拘束から解き放たれ、三人で固まることができた。だができたのはそれだけ。すぐに竜兎と信号トリオに囲まれてしまった。

「ほぉー。てめぇらいい度胸してるじゃねぇか。この俺をここまでこけにするなんてな」

 ポキポキと竜兎は拳を鳴らし、残った信号トリオはクリエイトで鉄製のバットを作り出す。

「こ、光輝君」

「村雨先輩」

 なるとまなは光輝に寄り添う。

なるからはもう、さっきまでのような戦意を感じられない。光輝に貸してもらった上着で体を必死に隠そうとする姿は、か弱い少女のようだ。

 美少女二人に頼られるのは男として嬉しいところだが、生憎と今は借りられるならなるの力を貸してほしいと光輝は素直に思う。

 それに散々殴られたせいで体の節々が痛み、一人だって相手にできそうにない。それが相手は四人。しかも全員3年生。上級生だ。

 勝算などない。

 でも、と光輝はなるとまなの頭に手を乗せる。

 ちょっとぐらいは、二人の前でカッコいいところを見せてやりたい。

「なぁ先輩。こいつらは見逃してやってくれないか?」

「面白いこと言うやつだな。ダメに決まってるじゃねぇか。特にそこのチビはな」

 竜兎に睨まれ、なるはビクッと体を強張らせる。

「そうかよ」

 交渉の余地もどうやらなさそうだ。光輝はため息をつき、肩の力を抜く。

こうなればもう破れかぶれだ。

「なる、まな。俺が囮になるから、その隙にお前らは誰か人呼んできてくれ。いいな?」

 小声で二人に囁く。

「ま、まって。私も残る。だから、まなちゃんだけでも」

「こいつが一人で体育館から本館までいけると思うか?」

 体育館と、普段授業を受ける本館は少し距離がある。普通道を迷うようなことはないが、まななら十分に可能性がありえてしまう。

「・・・・・・すぐ、すぐ戻ってくるから。だから、光輝君それ以上怪我しないでね。お願いだから」

「ああ」

 涙を拭うなるの頭をやさしくなで、まなの頭も一緒に撫でる。

「村雨先輩は馬鹿ですね。囮役を自分から申し出るなんて」

「まあな」

 顔を見合わせて、三人は苦笑しあった。

 光輝がぶつぶつと何かをつぶやくと、二丁の銃が現れ、光輝は両手で構える。ゆっくりと近づいてきていた信号トリオは歩みを止め、光輝同様ぶつぶつと何かをつぶやきバットを持っていない左手で銃を握る。

「やる気みたいだな。いいぜ、やってやるよ」

 獰猛な笑みを浮かべる竜兎。

 油断しているからなのかまだクリエイトで何も作り出していないが、油断はできない。

 その時。

 光輝の頬を撫でるように、何かが通りすぎた。そして続けざまに体育館に飛んでくる二つの物体。

「ねえ君たち。一体何をしているのかな?」

 ドサッと言う音が三度響き、ポーンポーンとサッカーボールが体育館の床を軽やかに跳ねる。

「・・・・・・霧埼、修也さん」

 入り口を振り返った竜兎は一歩後ろに下がり、襲撃者の名前を口にする。

 信号トリオの誰かにあたったボールのうち一つが修也のもとに転がり、巧みに操り手中に納める。

「名前を呼べなんて一度も行ってないはずだけど? 僕はこう聞いたよね? 一体何をしているのかな? って」

 口元に笑みを浮かばせ、サッカーボールを手の中から落とし竜兎に向かって蹴りつける。

「う、ぐっ」

 サッカーボールが腹に直撃した竜兎はうめき声をあげ、腹を抑えながら膝を折る。

 修也は何の警戒もなく竜兎の横を通り過ぎ、光輝たちの前で立ち止まる。

「大丈夫かい? ・・・・・・君は大丈夫じゃなさそうだね。すぐ保健室に行った方がいいかもしれないよ?」

 光輝の体を見て修也は心配そうに保健室のある方を指さす。

 なるとまなを見た修也は慌てて顔をそらし、三人に背中を向ける。

「鳥町竜兎。君は僕の言ったことを成し遂げれなかった様だね」

「ち、違うんだこれは。そ、そう! あのちびだ! あのちびが俺たちに反抗してっ!?」

 なるを指さす竜兎の顔面に、修也がクリエイトで作り出したサッカーボールがぶち当たる。

「チビ? 彼女には夢島なると言う素晴らしい名前があるのだよ? あだ名とかニックネームは仲がいい証だから僕は推奨するね。でもね」

 竜兎に近寄った修也はその場でしゃがみ込み、竜兎の顎をクイッと持ち上げる。

「バカにするのは良くないな」

 ゴッ!

 修也が竜兎の頬を全力で殴った。鼻血が吹き出し、切れた唇から血が流れる。

「それにあれはどういうことだ。どうして夢島なるさんに手を出している? 僕は、あの邪魔な彼を彼女の前で無様な姿をさらしてこい、って言ったはずなんだけど?」

「それはあのち・・・・・・夢島、なるが俺たちに反抗してきて」

「そりゃするだろうね。でもさ、途中から調子に乗ったんじゃないのかな?」

「・・・・・・」

 立ち上がった修也はやれやれと両手をあげて首を振る。

「君には失望したよ。元からうまくいくとは思わなかったけど、完全に失敗だね。また計画を練り直さなければ」

 ギリッと歯を噛みしめた竜兎は高速で何かをつぶやき、銃をクリエイト。銃口を修也の心臓に向ける。

 引き金を引かれれば回避は不可能な距離だ。

 その時、体育館の入り口から悲鳴にも似た叫びが上がった。

「やめてお兄ちゃん!!」

「・・・・・・彩」

 駆け寄った彩が竜兎の手から銃を弾き飛ばし、パァンと竜兎の頬を叩いた。

「なんでこんなことしてるのよ! バカっ! お兄ちゃんのバカ!」

「なっ! ば、バカって・・・・・・。何だこのバカ妹が! 俺が誰のためにって思って!」

「お兄ちゃんの方が馬鹿っ! なんであの先輩にあたるの!? 意味わかんないわよ!」

「はぁ!? お前あいつに告って振られたんだろ!? そうだろ? 修也さん」

 全員の視線が修也に集まり、だるそうに修也はため息をつく。

「君はもう喋らないでくれ。君たちはもう用済みだ」

「・・・・・・どういうことだよ修也さん」

「修也先輩?」

「妹が妹なら兄も兄だね」

 疲れた風に修也はため息をつきながら、なるの前まで歩み寄る。唐突に顎をクイッと持ち上げられたなるは瞳に戸惑いの色を浮かばせ、修也の手を光輝が払う。

「あんた何やってんだ」

「これは失礼。・・・・・・うん。君はいつ見てもすぐにでも彼女にしたくなるよ」

「え、えと。それはこの前」

「うん。僕は君に告白して振られちゃったね」

 でも、と修也は続ける。

「僕は君をあきらめるつもりはないよ」

 修也の目を見ても、確かにあきらめの色はなくむしろ闘志に燃えている。それを見たなるは乾いた笑い声を漏らした。

 このタイミングでそんな宣言をされても正直困る。かといって他の時に言われても困ることは困るが。

「修也先輩」

「なにかな?」

「ええと、約束の件はどうしたらいいでしょうか」

 恥じらうように彩はツンツンと人差し指と人差し指を合わせながら、上目づかいで修也を見上げる。

 その仕草を見て光輝はある種の違和感を覚えた。

 頬を赤く染めた彩が修也を見る目は、まなが修也を見る目とほとんど同じだった。まるで、恋した相手を見るかのような。

 修也相手ならわからないこともないが、普通そう言った表情は告白する相手にするはずではないのだろうか?

「ああ、あれね。もういいよ」

「じゃ、じゃあ私と」

「うん。さっきも言ったよね? 君たちは用済み。だからあの約束も当然白紙ってわけだね」

 嬉しそうにキラキラと目を輝かせていた彩の表情が曇り始める。

「ま、待ってください!! 私ちゃんと修也先輩に言われた通りあの人に告白もしましたよ!? うまくいったら私と付き合ってくれるって」

 その瞬間、修也と彩を除いた全員が同じことを思った。

 一体どういうことだ? と。

「おい彩。お前今のは一体どういうことだ?」

 彩は竜兎に睨まれ、助けを求めるように修也を見るが、修也は彩から視線をそらせる。

 とても面倒くさそうに。

「君たち兄妹は本当に僕の思惑通りに動いてくれないね。何? 僕のこと嫌いなわけ?」

「違いますっ! 私は・・・・・・修也先輩が好きだから付き合いたくて、だからお願いします! 私にもう一度チャンスを」

「そうか」

 修也は彩に微笑みかけ、きっぱりと言い切る。

「君は一つ勘違いしているようだから言っておいてあげる。あんな約束、信じるとでも思った?」

「で、でもだって・・・・・・修也先輩絶対守るって」

「そもそもさ」

 あきれた、と言った風に修也はため息をつき、なるを見る。修也が彩を見る目と、なるを見る目では明らかに質が違う。好きな相手なのだから当然そうなるのかもしれないが、もっと根 本的に、本質的なところからして修也が二人を見る目は違う。美しい花と、そのへんに生えている雑草ぐらいに。

「僕は好きな人とした付き合うつもりはないんだよ? 確かに僕は君に『じゃまな光輝って2年を夢島なるさんから引き離すために告白してきてくれ。うまくいったら付き合ってあげる』って言った。それは認めよう。守るともいったさ。けど、それすらも僕が嘘ついてるって思わなかったの?」

「だ、だってでも私ちゃんと・・・・・・」

「まだわからないわけ?」

「・・・・・・」

「要するに、君は利用されてたってわけ。もっともほとんど役に立ってくれなかった様だけどね」

 修也は光輝を見て何とも複雑な表情を作る。好きな女の子が他の男のそばに居ると言うのは、面白いことではないのだろう。

「利用? ・・・・・・そんな。じゃあ私は。うっ」

 あふれてきた涙を隠すように彩は両手で目元を抑え、その場にしゃがみ込みおえつを漏らす。ここまで来て、光輝たちはようやく事情が呑み込めてき始めた。

 つまりは光輝が彩に告白されたのも、光輝が竜兎にキレられたのも、元をたどればすべて修也が原因だったというわけだ。もちろんまんまと修也の口車に乗り、人と人との仲を裂こうとした彩にも多少なりとも責任はある。だがそれでも、人の恋心を利用して、自分の欲望をかなえようとした修也を、光輝は許せなかった。

 光輝がクリエイトで銃を作り出すのと、竜兎が銃を作り出すのはほぼ同時のタイミングだった。

「てめぇ。よくも人の妹を利用してくれたな!」

「お前最低だなっ」

 二人は修也に狙いを定め、連続して引き金を引く。銃口から飛び出した二つの弾丸は吸い込まれるように修也の胸に直撃し、修也は後ろに数歩よろめく。殴られたせいでボロボロになっていた光輝は反動に押されよろめくが、なるとまながやさしく抱きとめる。

「謝れよ」

「誰に?」

 おどける修也に竜兎の怒りがマックスにまで上り詰め、銃を放り投げて一気に距離を詰め込む。

 繰り出される怒りの鉄槌。

妹を利用され、自分も利用された怒り。停学になっても別にかまわなかった。それでも、修也を本気で殴りたかった。

 竜兎の拳を修也は頬を掠めるようにかわし、ぶつぶつと何か唱えるとサッカーボールをクリエイトし、サッカーボール越しに竜兎の腹を蹴り飛ばす。

「ぐあぁっ!」

 体をくの字に折り曲げ、竜兎はサッカーボールと一緒に数メートル吹き飛ばされた。

「お兄ちゃん!」

 さっきまでの涙に新たな涙を加え、彩は転びそうになりながらも腹を抑えてもだえ苦しんでいる竜兎のもとに駆け寄る。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

「う、うるせぇ。あんまお兄ちゃんお兄ちゃん連語するなつってんだろうが」

 竜兎は立ち上がったが、足はふらつき今にも倒れそうだ。

「彩に、謝れ。このくそ野郎が」

「謝る? この僕が? 何を言っているんだい。元はと言えば騙された君たち兄妹が悪いんじゃないのかい? 妹は僕と付き合いたいからって人をだます道を選んだ。君は僕の言葉をまんまと信じ、彼が妹を振って傷つけたと誤解した。そして結果的には無関係な人を傷つけた」

「・・・・・・」

 言い返すことが竜兎にはできなかった。修也に言いたいことは山ほどある。彩に謝るまでなら何度だって殴りにかかってやる。

 でも、修也の言っていることは少し正しかった。彩も、竜兎も、修也の手の上で踊らされ、人を傷つけてしまった。

竜兎の闘志が薄れつつあるのを光輝は感じ、一歩足を踏み出した。

「なぁ先輩」

「どうかした?」

「確か、来週全学年総合でのチーム戦ありましたよね。メンバーは自分たちで決めれる」

「ああ、あるね。それがどうかした?」

「それで俺たちと戦ってくれませんかね?」

「別に構わないさ。でもどうして今それを?」

「簡単なことですよ」

 光輝はまだわからないのかと言いたげに鼻で笑い、銃口を修也の額に向ける。

「それで、俺たちがもし勝ったら彩に謝ってくれませんかね。そしてなるもあきらめてほしい」

「・・・・・・そうだね」

 ふむ、と修也は考えるように顎に手を添える。

「いいよ。けど、僕からも条件を出させてもらいたい」

「なんだ?」

 ここですぐにダメだと言えば修也が断るのは目に見えていた。だからとりあえずは修也の条件をのむ。簡単なものなら飲み込み、難しい物なら別のものに変えてもらう。

 光輝がつばを飲み込み、修也は条件を口に出す。

「僕が勝てば夢島なるさん。今度こそ、僕と付き合ってもらうよ」

 予想通り、と言えば予想通りの答えだった。

 全員の視線がなるに集まり、恥ずかしそうに上着をかき寄せる。上半身をきちんと隠せているか、視線が集まると見られてないか不安になるのだろう。

「・・・・・・私、先輩とは付き合いたいと思いません」

 修也は困ったふうに眉を寄せる。

「でも彩ちゃんにはちゃんと謝ってほしい。だから、」

 なるは光輝を見上げ、微笑むとまっすぐ修也を見つめる。

「勝ちます。私はあなたに。・・・・・・ううん、私たちは」

 けど、となるは念を押すように一言付け加える。

「嘘はつかないでください。私たちが勝てば、絶対に彩ちゃんに謝って」

「ほかならぬ君との約束なら仕方ないね」

 しょうがない、と両手をあげて修也は息を吐いた。

「でも君にもちゃんと守ってもらうよ? 僕が勝てば、」

「先輩と付き合う・・・・・・。一か月だけですけど」

 小さな舌をなるはべーとだし、修也は苦笑する。念のための保険に余念がない。

「じゃあその一か月で君を振り向かせないといけないね。来週が楽しみだよ」

「負けないですよ」

「僕もね」

 楽しそうに笑う修也と、無理に笑みを作るなる。

 二人が笑っているのを見ると自然と光輝もつられて笑みを浮かべ、まなもぎこちなく笑みを浮かべる。

「君たちもそれでいいかい?」

「・・・・・・ああ」

 修也に問いかけられ、竜兎は顔を合わせることなく頷く。

「・・・・・・」

 彩は顔をそらしたまま、口を堅く結んでいる。騙されていた、ということがよほどショックだったのだろう。光輝をだましておいて勝手なことだろうが、光輝はそうは思わなかった。騙されたのは確かにムカつくが、それと同じぐらい彩に同情もしていた。

「なあ先輩。条件追加いいか?」

「ああいいさ。このままだと僕の方が圧倒的にいい条件だからね。何でも言ってごらん?」

「俺たちが勝ったら、彩に謝るついでにあいつと付き合ってやれよ。今でもあいつが望んでるんだったら」

「そうきたか」

 困った風に修也は肩をすくめるが、修也もなるに同じ条件を出しているのだから断ることはできない。

「まあいいさ。僕が勝てばいいだけの話だしね。それより、本人はどうなんだい?」

「おい彩。お前まだあいつと付き合いたいと思うか?」

 竜兎に肩を叩かれ、彩は顔をあげる。

 その瞳には迷いの色が浮かび、竜兎を見てから修也を見る。しばらく迷うようなそぶりを見せた後、彩は小さくコクンと頷いた。

 それを見た竜兎は彩の肩を少し強くゆすり始めた。

「おい! お前はあいつに利用されたんだぞ!? なんでそんなやつと」

「わかってる。でも、でも・・・・・・」

 ポロポロと彩は涙をこぼし、笑みを作る。

「だって、これが私の初恋だから」

 はぁと竜兎はため息をつき、ポンと彩の頭を撫でる。

「好きにしろ。それでお前が嬉しいんだったらな」

「うん」

 気持ちよさそうに彩は目を細め、竜兎はやさしい笑みを浮かべる。それは光輝たちが初めて見る竜兎の笑みだった。

 さっきまで荒々しかった竜兎も、結局は最後まで妹のことを思っていただけだったのだ。

「じゃあそろそろ僕は行くよ。君たちはせいぜい頑張ってくれたまえ。ま、僕は負けるつもりはないけどね」

 修也は背中を向け、返事を待つことなく体育館を後にする。

 竜兎と光輝は目が合い、気まずそうに竜兎は視線を逸らした。

 いろいろと問題はまだあるが、とりあえずこの場はしのぐことができた。

 ホッと光輝は安どのため息をつき、

「や、べ・・・・・・」

 力を抜いた途端、体から力が抜け落ち床に倒れ伏せてしまった。

「光輝君っ!?」

 上着を抑えることなど忘れ、下着が見えることもお構いなしになるは光輝の上半身を抱え起こす。

「大丈夫、だ。でも、ちょっと休ませてくれ。さすがに体がだるい」

「しっかり! しっかりして光輝君っ!」

 頬を髪の毛でたたきながらなるは首を振り、涙で頬を濡らす。

 だんだんと瞼が重くなり、光輝はゆっくりと瞼を閉ざしていく。瞼で閉ざされた暗い世界は心を不安にしていくが、なるがかけてくれる声のおかげで、安心して眠れそうだ。



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