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第二章 危ない発言



 懐かしい夢を見た。

 いつ頃だっただろうか。

 手を引かれ、本当の両親と最後に遊びに行った少し遠くの遊園地。

 楽しかった。うれしかった。また一緒に行きたいと思った。

 けど、少女の夢が叶うことはもう二度とない。

 もう顔も声も思い出せない本当の家族は、誰もいないのだから。



「っ!?」

 目を覚ましたまなは見慣れない天井にびっくりし、上半身を跳ねるように起こしてキョロキョロとあたりを見渡す。

「ああ、村雨先輩の」

 まなはベッドから起き上がり、鏡に映った自分の姿を見て頬をうっすらと赤く染める。

 男一人の家に当然女ものの服などなく、まなが今着ているのは光輝から貸し与えられたシャツだけだ。

 大切なところまではギリギリ隠せている物の、すらりとした白い美脚はさらけ出されている。

(うう、せめてパンツぐらい借りたほうがよかったかも……そ、それはダメ!)

 まなは今、シャツしか身にまとっていない。もしシャツを脱ぎさりでもすれば、生まれたての姿になってしまう。

 光輝はシャツ以外にも貸すと言ってくれたのだが、これ以上は申し訳ないという気持ちと、何より男の人の服を着るのに抵抗があり、丁重にお断りしていた。

 シャツを貸してくれた時のことを思いだし、まなは顔を真っ赤にしてしまう。

 風呂場で着替えがないことに気づいたまなは、バスタオル一枚で光輝のいるリビングに行ってしまった。家だと着替えを忘れた時たまにやる習慣があだとなった。

 あの時の光輝の慌てようは今になってみれば笑えるが、その時のまなもかなり慌ててしまった。

「ぐっすり寝れたか?」

 コンコンとドアがノックされ、まなはその場で軽く飛び上がってしまう。

「は、はい。村雨先輩がベッド貸してくれたおかげで」

 まなはシャツの裾をギュッと押さえ、ゆっくりとドアを開く。

「お、おはようございます」

「おはよ。朝何か食いたいものとかあるか?」

「特にないですね」

 うーん、と顎に細い人差し指を当て、まなは首を振る。

「じゃあ和食でいいな? 適当に味噌汁と焼き魚でいいか」

 まなが頷くのを見ると、光輝はドアを閉めて詰まっていた息を吐き出す。

 昨日も見た姿とはいえ、まなのシャツ一枚姿はいろいろな意味で危険だ。

 パァンと光輝は自分の頬を叩き、朝食の準備に取り掛かる。

 これは早くなるあたりにでも相談して、引き取ってもらう方がいいだろう。でないと、本当にまなの携帯に110の番号が刻まれてしまう。

(まてよ。もしここで変になるに八坂を泊めたこと言ったら)

 嫌な汗が出てきた。光輝は頭を抱え込み、その場にしゃがみ込む。嫌な予感しかしない。

 下手をすればまなの携帯には110ではなく、119の番号が刻まれるかもしれない。もちろん消防ではなく救急の方でだ。



 乾いた下着を穿き、セーラー服を身にまとったまなと一緒に光輝は二人でテーブルを囲んでいた。

 魚の身を飲み込み、まなは眉をひそめる。

「昨日も思ったんですけど、男の人に料理の腕負けてるのはなんかだショックです」

「まあ俺は一人暮らしだからな。コンビニ弁当ばっかり食うわけにはいかないし」

 卵の黄身を潰しながらコップにお茶を注ぎ、光輝は喉を潤わせる。

「そう言えば八坂は」

「あの」

「どうした?」

 箸を止め、お椀の上にきれいに置いたまなに光輝は首を傾げる。

 もうお腹がいっぱいにでもなったのだろうか?

「昨日も言おうと思ったのですけど、できればまなって呼んでほしいです。八坂は、私の名前じゃないので」

「なんでだ? 家族と同じ苗字なんだろ?」

 まなは首を振った。

「先輩知ってますか? ゲネシスは遺伝だってことを」

「ああ」

 その話は有名だ。

 母親か父親のどちらかがゲネシスならば、その子もゲネシスとして生まれてくる。

 逆に、母親も父親もゲネシスでなければ、その子は決してゲネシスとして生まれてはこない。

 だから必然的に狐雲高校に通う生徒の両親は、どちらかが確実にゲネシスだ。

「私の今の両親は二人ともゲネシスじゃないんです」

 だから、光輝にはまなの言ったことが嘘だと思った。

 まながゲネシスである以上、どちらの親もゲネシスじゃないなんてことはあり得ない。

「別に嘘つかなくてもいいぞ?」

「嘘じゃないんです」

 自分の膝に拳を握った手を置き、まなは顔をうつむかせる。言いたくないことなのかまなは何度も口を開くが、言葉を発する前に閉じてしまう。それが一分ほど続き、光輝はテーブル越しにまなの頭を撫でる。

「む、村雨先輩?」

「言いたくないんだったら言わなくてもいいぞ? ちゃんとまなって呼んでやるからよ」

「い、いえ、言わせてください。いつまでも逃げてばっかじゃだめですから。あと、頭撫でないでください」

 顔をあげたまなに軽く手を払われ、光輝は苦笑を漏らす。

 本当に嫌なことなら止めるべきなのだろうが、本人が何かを乗り越えて言おうとしているなら止めるのは野暮だろう。

「私は、養子なんですよ。小さい頃施設に預けられて、今のご夫婦に引き取られたんです」

 そう言うとまなは笑みを見せ、パクッと魚の切り身を口に放り込む。

「お前はどう思ってるんだ? 養子になったこと」

「どうでしょうか。中学校の時それで苛められたこともありました。でも、それでも私は今のご両親のことが好きです。実の娘のように可愛がってくれて、怒るときはちゃんと怒ってくれますし。……それでも、やっぱりちょっと気負いしちゃうんですけどね。だから八坂って呼ばれるのは複雑なんです」

 お茶を飲み、まなは白米を食べる。

 それはいくら光輝が考えたとしてもわからないことだ。光輝も箸を進めようとしたところで、テーブルの上に置いていた携帯が震え始めた。

 連絡主はなるだ。

「夢島先輩ですか?」

「ああ。静かにな?」

「はい」

 こくんと頷き、まなは背筋を伸ばす。

 今下手にまなが家に居ることをなるに知られると、あとあとの説明が面倒になる。

 恐る恐る携帯に出ると、まだ寝起きなのかなるはあくびをしているところだった。

「おはよ」

『ふあぁっ!? で、でたんだったら先に言ってよ! うう、あくび聞かれた。おはよう』

 あくびを聞かれたことが恥ずかしいのか、なるの声は少し元気がなかった。

「で、こんな朝からどうしたんだ?」

『そうそう、まなちゃんのことだけど』

「っ!?」

 ガタゴトッ。

 思わず携帯を落としてしまい、スピーカーにしていたため会話を聞いていたまなも少し慌てる。

 もしかしてばれているのだろうか、と不安が一瞬よぎる。

『? ど、どうかしたの?』

「わ、悪い。携帯落としただけだ」

『ふぅん。壊したら大変だから、大切に扱うんだよ?』

「わかってるって」

 落としたと言っても10センチぐらいなのだから、壊れる心配もない。

 ただ、高鳴ってる心臓がなるに聞こえてるんじゃないかと心配だ。まなの方を見ると、決して声は出さないということなのか両手で口をふさいでいる。

『それで、光輝君はまだおうち?』

「ああ、飯食ってるところだ」

『じゃあ学校行くときちゃんとまなちゃん迎えに行ってあげてね? 迷子になっちゃうと可哀想だから』

「わ、わかった」

 まさか今目の前に居るとは言えない。

 まなは迷子と言われて少しムッとしているが、声を出せない以上文句も言えない。その怒りは光輝に向けられ、テーブルの下ではゲシゲシと光輝の足を蹴っている。

「ま、まあさすがに毎回迷ったりはしないだろ。それでもちゃんと迎えに行くからさ」

『ちゃんとだからね。それだけ言いたかったら、またあとでね。ばいばーい』

 ツーツーと通話が切れ、まなは口から手を離し安堵の息を吐く。

「さっさと食って行くか」

「そうしましょうか」



 四時間目終了のチャイムもなり、光輝は適当になると雄平と会話をしていた。

「ちゃんと来れるかな」

「階段降りるだけだからな。さすがに来れるだろ」

 心配そうに言うなるに、光輝はそういう。正直、光輝も少し心配なところがある。

「なな、お前ら何のこと話してるの」

「八坂まなって後輩が昼休みになったら来ることになってるんだ。俺ら三人で学食行く予定でな」

「ほーな。っておい待て光輝よ。三人ってまさかとは思うが、女子二人と男子一人で食卓を囲むつもりかっ! この裏切り者っ!」

「とりあえず落ちつけ」

 胸倉をつかんできた雄平の手を力任せに振り払い、光輝はため息をつく。

 なるは廊下を見て「まだかなー」と少し心配そうだ。

 何度もしつこく突っかかって来る雄平を無視していると、なるがガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。そちらに視線を向けると、オロオロとまなが教室を覗き込んできていた。

「やっと来たか」

 立ち上がり、まなのもとへ向かおうとすると後ろから肩をつかまれた。「なんだ?」と光輝が後ろを振り向くと、雄平が信じられないとばかりにまなを凝視していた。

「なあ光輝よ。俺は今まで一目惚れってフィクションだって思ってたんだ」

「それがどうした?」

「俺はな、あの娘を見て電気が走ったよ。胸がドキドキして、目が離せない」

 嫌な予感がした。

 雄平が次に言う言葉を、光輝は聞きたくないと思った。

「俺、八坂まなさんに一目惚れ、しちまったよ」

「そうか」

 ポンと雄平の肩に手を置き、光輝はため息をつく。

 まなは可愛いから雄平の気持ちを光輝も理解できないわけではなかった。けど、なんだかあまりいい気分ではなかった。

「俺告白してくるぜ!」

「やめぃ!」

「ごふっ!?」

 駈け出そうとした雄平の腹に拳をめり込ませ、その場にひざまずかせる。

「こ、光輝てめ」

「……」

 無言で腹を抑えている雄平に背中を向け、驚いているなるとまなのもとに近づく。

 告白したところで降られるのは目に見えている。それならば、それを阻止するのも友の役目という物だ。


 食堂に三人で向い、適当にメニューを頼んで丸いテーブルを囲んでいた。

「村雨先輩。さっきの人は良かったんですか?」

「そうだよ。急に殴るんだからびっくりしちゃった」

「大丈夫だろ。加減はしてるし」

 ラーメンをすすりながら光輝は適当に答え、あまり心配していない二人もゆっくりとラーメンをすする。

「ここのラーメン美味しいですね」

「だよね。しかも安いし」

「はい。あ、そういえば村雨先輩。コンビニ弁当ばっかはダメって言ってたのに、カップラーメンは食べるんですね?」

「どういうことだ?」

 光輝は首を傾げ、まなはほら、と人差し指を立てて口を開く。

「だって、昨日の夜見たんですけど、キッチンにカップラーメン結構しまってましたよ? 小腹がすいたから食べようとしたんですけど、勝手に食べるのはあれなので我慢しました」

「別に勝手に食ってもよかったのに」

「じゃあ、今日からはそうさせてもらいます」

 嬉しそうにラーメンをすするまなに光輝は微笑み、ラーメンを再び食べようとしたとき、その人物が視界に入った。

 ギギギ、と恐る恐る首を動かし、隣に座るちっちゃなクラスメイトを見てみる。なるは箸をラーメンに沈め、ポカーンと間抜けなまでに口を開いていた。

「え、ええと。なる? 箸浸かってるぞ?」

「ねえ光輝君? さっきのは一体どういうことなのかな?」

 やばい、と背筋に嫌な汗が流れる。

「カップラーメン? な、ん、で、それが光輝君の家にあるのまなちゃんは知ってるのかな? それに、夜ってどういうことかな?」

 こめかみをピクピクさせながらなるはニッコリとほほ笑む。目だけは笑わずに。

 光輝とまなは目配せで、この場から逃げることにした。しかし、ガシッとなるに腕をつかまれ、あげていた腰を強制的に椅子に座り直される。

「さぁて、光輝君、まなちゃん。教えてくれるよね?」

 もうこれは逃げることも、言い訳するのも無理そうだ。

 光輝は額に手を押し当て時間稼ぎを選んだ。

「……放課後でいいか?」


 すべての授業が終わり、雄平にまなを紹介しろと迫られたのに返事をする間もなくなるに引っ張られ、途中でまなも拾い、光輝とまなは屋上で正座させられていた。

 風が吹くたびに立っているなるのミニスカートが危ないことになっているのだが、言わない方が身のためだ。

「じゃあ、説明してもらおっかな?」

「こ、今度じゃダメか?」

「じゃあ、説明してもらおっかな?」

「あの、村島先輩。私ちょっと用事が」

「じゃあ、説明してもらおっかな?」

 ゲームのNPCみたいに同じことを繰り返すなるに、二人は諦めの色を見せた。

 これはもう、素直に答えるしかないのだろう。二度目の時間稼ぎすら許してもらえずに。

「まな、せめて骨だけは拾って帰ってくれ」

「わかりました。ペットに犬を飼ったらちゃんと村雨先輩の骨をあげますね」

「それはやめてくれ」

 タンッとなるが足音を慣らし、あきらめた二人は昨日からのことをなるに話した。ただ、まなが養子だということだけは伏せて。

 話し終え、なるは無言で腕を組んで目を瞑っていた。

 今なら逃げれそう、という考えは二人の頭に浮かんでこなかった。逃げたところで捕まるのがわかっているのだ。

 何を言われるのだろうかと身構えていると、なるがつぶやいたのは意外な言葉だった。

「シャツ、ベッド、光輝君のおうち。それに部屋。……ずるい!」

「「……へ?」」

 予想していなかったこともあり、光輝とまなは情けない声を出してしまった。

「まなちゃんばっかずーるーいー! 私も光輝君のおうちに泊まりたい部屋に行きたいシャツ貸してもらってクンクン匂い嗅ぎたい一緒に光輝君とねーたーいー!」

「なる……?」

 地団太を踏むなるのことを、光輝は理解ができなかった。

 まなはシャツ一枚の時の自分を思い出したのか、顔を赤くしてスカートをギュッと抑える。

「あれ? ゆ、夢島先輩ッ! 私村雨先輩と一緒になんか寝てませんよ!? それに匂いも嗅いでません! シャツはもらったぐらいです!」

 シャツはまなが直に来たシャツを光輝に着られるのが嫌だと言うから、光輝が仕方なくあげただけだ。

「ずるい! 光輝君私にもシャツちょうだっ!?」

 立ち上がった光輝がなるの頭にチョップをくらわせ、痛そうになるは頭を抑える。割と本気でやってしまい、なるは目に涙を浮かべている。

「痛いっ!」

「お前はちょっと落ち着け。お前の発言はいろいろと危なかったぞ」

「私は光輝君の方がおかしいと思うから! あったばかりの女の子連れ込むなんて。私なんて一回も行ったことないのに。……まなちゃんばっかずるいよ」

「夢島先輩……」

 うつむくなるに、まなは申し訳なさそうに見上げる。

 なんだかかわいそうに思い、光輝はなるの頭をやさしくなでる。

「決めたっ!」

 突然なるがガバッと顔をあげ、ビシッと光輝を指さす。

「私も光輝君の家に住むから!」

「はぁっ!?」

 痛くなってきた頭を押さえ、助けを求めるようにまなを見る。まなはポカンと口を開き、役に立ちそうにない。

「お前何言ってんだよ。こいつは家に入れないからであって」

「住むったら住むの! 絶対に光輝君の家にお泊りするんだから!」

 こうなればなるは意見を曲げないだろう。それでもこればかりは譲るわけにはいかない。

 女の子一人泊めているだけでも大問題だというのに、二人も止めるなど。ましてやクラスメイトの女子を泊めるなど問題外だ。

「ダメだ」

「泊まる」

「ダメ」

「泊まる」

「だ」

「と」

「だ」

 むぐぐ、とお互いににらみ合い、そこでまながおずおずと手をあげる。

「あの。もしよかったらなんですけど、夢島先輩のおうちに泊めてもらうのはダメでしょうか?」

 その瞬間にらみ合っていた二人は力を抜き、なるは明らかにつらそうに表情を暗くした。

 何か言ってはいけないことを言ったとすぐにわかり、まなは手を宙に泳がせる。

「あ、あの。や、やっぱり駄目ですよね。変なこと言ってごめんなさい」

「違うの。違わないけど、まなちゃんのせいじゃないから」

 なるは首を振り、安心させるようにまなに微笑みかける。

「私ね、家には誰も入れたくないの。たとえそれが光輝君だったとしても。だから、ごめん。それは無理なの」

「夢島先輩が謝ることじゃないですよ。私も無理言ってごめんなさい」

 まなは少し残念そうにしながらも首を振る。泊まるのなら、やはり男の家より同じ女の子の家の方がまなも安心できるのだろう。

 光輝は少し考えてからため息をついた。

「なる、俺の家に泊まりたいのか?」

「うん……。でも、もういいよ。光輝君ダメの一点張りだったし。さすがに迷惑はかけられないしね」

 寂しそうに笑うなるの頭に手をのせ、ついでにまなの頭にも手をのせる。

 一人止めるのならば、二人も同じだ。それになるは騒がしいやつだが、ちゃんということを聞かせれば静かになってくれるはず。

「まなが俺の家に泊まってる間だけな。それの方がこいつも安心できるだろうし」

 ポンポンとまなの頭を軽く叩く。

「ほ、ほんとにいいの? 光輝君の家にお泊りしても」

「ダメって言ってほしいのか? もしそうならすぐ言うけど」

 ブンブンとなるは首を振り、顔を赤らめてもじもじとスカートをギュッと握る。

「うぅ。なんか、今になって恥ずかしくなってきたかも」

 そりゃそうだろ、と光輝とまなは心の中で思った。

 さっきのなるの暴走だと思いたい発言は、思い出しただけで悶えるレベルなはずだ。

 まなは一緒に泊まってくれる女の子が増えたことが嬉しいのか、頬を緩めていた。

「じゃあ早く行こ? 光輝君のおうちに」

「待て待て。その前にどっか服売ってるとこに行くぞ」

「光輝君新しい服でも欲しいの?」

「違うって」

 光輝はまなを指さし、昨日のバスタオル姿のまなの姿を記憶の隅に追いやる。

「こいつ着替えどころか下着もないからよ。早いうちに手に入れないとずっとシャツ一枚で風邪ひかせても悪いし」

「あまり寒くないから風邪はひかないと思いますけど。でも替えの下着は欲しいですけどね!」

 顔を真っ赤に染め、まなはスカートをギュッと押さえ胸を隠すように腕で覆い隠す。

「へぇ。下着も穿いてないシャツ一枚の女の子と一夜過ごしたんだ」

「誤解を招く言い方をするな」

 チョップをくらわせようと手刀を落としたが、頭に当たる寸前になるに手首をつかまれてしまった。

「わ、私もそれぐらいだったらやってあげるから。恥ずかしいけど、光輝君が喜んでくれるんだったら私何でもしてあげる! してあげるッたらしてあげるから!」

 首まで真っ赤に染め、上目づかいでなるは光輝を見上げる。

 涙で潤わせた瞳で見られ、一瞬ドキッとした光輝は慌てて二人に背中を向ける。

 今更だが、これで大丈夫なのかと不安になってしまう。



 その不安は見事に的中したと言ってもよかった。

 今光輝の目の前に居るのは、湯上りで白い肌をうっすら赤く火照らせている、バスタオル一枚だけを体に巻いていたなる。

 髪の毛からはまだ濡れており、時々落ちる雫が鎖骨をつたい、ほとんどない胸を濡らす。

「なんでお前はバスタオルなんだ」

「えと。私も今もんのすごく恥ずかしいから、冗談は言わないからね」

 言われて気づいたが、なるは恥ずかしそうに太ももをこすり合わせていた。

「その、着替え持ってくるの忘れちゃったの」

「お前なぁ」

 額に手を当て、光輝は思わずため息をついてしまった。

 まなと服を買いに行った間に、なるには半ば強引に家に準備をさせるために帰らせた。教科書とかをちゃんと持ってきていたから問題ないと思っていたのだが、着替えを忘れるとは間抜けすぎる。

 もしかしたら放課後言っていた風にシャツが欲しいだけなのかもしれないが、今のなるは演技などなく、純粋にものすごく恥ずかしがっている。

 バスタオルをはぎ取れば、そこにはなるのきゃしゃな体があるのだろう。思わずそれを想像してしまい、光輝はつばを飲み込む。

「こ、光輝君。なにか、着る物ない? こんなの、予想以上に恥ずかしすぎるよ」

 目に涙を浮かべ、なるは少し前かがみになる。まながやればできそうな胸の谷間も、なるがやっても胸があることがほんの少し主張される程度だ。

「わかったわかった。何か適当に探してくるから、お前はドライヤーで髪の毛でも乾かしとけ」

「うん。ありがとね」

 光輝が背中を向けると、なるは嬉しそうにもと来た道を引き返す。

「えへへ。光輝君のシャツもらえちゃう」

 その言葉をかすかに聞き取った光輝は苦笑しつつも、なるに希望通りのシャツをプレゼントしてやった。


 そして、なるの暴走はまた始まった。

「一緒に寝る!」

 恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、なるは光輝にそう主張する。

「ダメだ。お前はまなと寝てこい」

「私は光輝君と寝たいの! 光輝君は嫌なの? 女の子だよ? 可愛い女の子と寝れるチャンスなんだよ? シャツ一枚で、下着も何もつけてないクラスメイトの女の子だよ?」

「よけいにダメに決まってるだろうが!」

 自分で可愛いって言うか? と突っ込むのも忘れ、光輝は思わず怒鳴ってしまう。

 ついついなるの太ももと足の付け根のあたりに行ってしまいそうになる視線をさまよわせ、光輝は首を振る。

 一緒の家に居るということだけでお互いに緊張しているのだ。もし同じ布団で寝るなどとなればどうなるかわかったものではない。

 それに、

「まなと一緒に寝てやれ。じゃないとあいつ一人で寂しい思いするだろ?」

「うっ。それ言われると」

 わがままを言いつつも、なるはまなのことをかなり大事に思っている。晩御飯の時もまなの好物を分けてあげていたし、自分も嫌いなまなの嫌いなものをほんの少し食べてあげていた。そのあとデザートを半分ほど奪っていたから、純粋な善意とは言い難いが。

「うん。……あっ! じゃあ、まなちゃんと一緒に三人で寝ようよ」

「あいつが嫌がるだろ」

「うう。じゃあ今度一緒に寝てくれる?」

「考えといてやる」

「やたっ! 約束だからね? 絶対の絶対だからね?」

 小指を出してきたなるの小指に光輝も自分の小指を絡め、なるは嬉しそうに笑う・

「お休み」

「ああ、お休み」

 子供みたいなやつだな、と思いながら小さく手をふってきたなるに手をふりかえす。

 そして床に敷いた布団に倒れ込み、目元を腕で覆い隠す。これから1か月近くこれが続くのだと思うと、気が重くなってしまう。二人とも美少女ということが、余計に悩みの種だ。



 翌日、昼休みまた三人で丸いテーブルを囲んでいると、見知らぬ先輩が近づいて来た。

「やあ。一緒してもいいかな?」

「は、はい」

 なるは少し光輝側に近寄り、その先輩が座りやすいように席を譲る。

 初めて会話する先輩だが、光輝もなるも相手が誰なのかすぐに分かった。高校3年生、サッカー部キャプテンの霧埼修也。髪の毛は茶色に染めているが、チャライという雰囲気は見当たらない。

「わっわっ」とテンパった声の主を見てみると、まなが修也を見て顔を赤くしていた。

 修也の顔は整っていて、女子受けがひどくいい。去年も今の2年生。つまり光輝のクラスメイトの女子が何人か修也に告白したことがあるが、全員を好きな人以外とは付き合わないと振っている。

「夢島なるさんであってる?」

「はい。夢島なるです」

 先輩相手だと緊張するのか、少し早口でなるは答えた。

「わ、私は八坂まなです。よ、よろしくお願いします」

「うん。僕は霧埼修也。1年生だとまだ大変だと思うけど、頑張ってね」

 ニッコリとほほ笑まれ、まなは顔を真っ赤に染める。はたから見てもわかるぐらい、ものすごく嬉しそうだ。

「俺は村雨光輝。な、夢島さんとはクラスメイト、です」

 夢島さんと言ったときなるには軽く睨まれたが、今は許してほしいところだ。

「それで、お前。じゃなくて、先輩は何か用、ですか?」

 敬語はなれないな、と思いながらも、光輝は一応敬語を使っておく。

「うん。と言っても、僕がようあるのは夢島さんだけどね」

「私?」

 チューとフルーツ牛乳をストローで飲んでいたなるは首を傾げる。

「今日の放課後って時間ある?」

「ごめんなさい。今日はあまりないです」

「そっか。あ、でも五分ぐらいならどう? 無理だったら明日でも大丈夫だけど」

 なるはチラッと光輝に視線を向け、光輝は大丈夫と頷く。

「わかりました。じゃあ、五分だけ」

「ありがと。じゃあホームルーム終わったら屋上で。またね、夢島さん」

 手をふる修也に、なるは戸惑いながらも手をふりかえす。

 食堂から修也の姿が見えなくなると、まながなるのほっぺたを引っ張り始めた。

「痛いっ! 痛いよまなちゃん! 苛めなの?」

「痛いってことは、夢じゃないです」

「うぅ。夢って確かめるなら普通自分の頬つねると思うけど……」

 少し赤くなった頬をさすりながら、お返しとばかりになるはまなのほっぺたをギューと割と本気でつねる。

「い、痛いっ! 痛いです!! 本気はダメですって! 力弱めて反対側もつねらないでくださいっ!」

 涙目になりながらなるの手をふりはらい、まなは痛そうに頬をさする。

「カッコいい先輩と会えたからいい日になると思ったのに、なんだか最悪な気分です」

「それまなちゃんのせいでもあるからね」

 もう頬の痛みは引いたのか、なるはまたフルーツジュースを飲み始めた。好きな飲み物なのか嬉しそうだ。

「そう言えばまな」

「なんですか? 村雨先輩」

「あの先輩だけどな、好きなやつとしか付き合わないみたいだぞ」

 そのことを知っている今の2年生と3年生は、修也のことを好きになっても告白はしないようになっている。わざわざ振られに行くようなやつはいないということだ。

 今年も何人かは修也の美貌の餌食になるのかもしれないが、1年生の一人でも知っていれば早く全員がそれに気づくだろう、と光輝は思った。それに、もしかしたらまなのためにもなるかもしれない。

「そうなんですか。でも、私に言ったのは失敗ですね」

「どういうことだ?」

 首を傾げる光輝となるに、まなはいたずらっ子みたいな笑みを浮かべる。

「だって、好きな人が好きな人としか付き合わないのって、つまり私のことを好きになってもらえばいいんですよね?」

 簡単な話ですよね? と面白そうにまなは語る。

「まあがんばれ」

「うん。私、まなちゃんのこと応援するね」

「お、応援? なんで私応援なんてされてるんですか?」

 意味が分からないとばかりに、今度はまなが首を傾げた。

「だって、まなちゃん霧埼先輩に一目惚れしたんだよね?」

「はあっ!? 夢島先輩は馬鹿なのですか!? ひ、一目惚れなんてしてないです!」

「またまたー。照れなくてもいいんだよ? 霧埼先輩カッコいいもんね。私もちょっとドキッとしちゃったし」

 顔を赤くしているまなを見て、面白いものを見つけたとばかりになるはニヤニヤする。

「本当に一目惚れなんてしてないです! た、確かに霧埼先輩はかっこよかったですけど、って! 村雨先輩もニヤニヤしないでください!」

 まなをからかうのは面白いが、目に涙を浮かべられ、さすがに可愛そうになってきた。

 それに、光輝は一つ気になることもあった。

「なるはあの先輩と知り合いなのか?」

「ううん。初めて会うよ? たまに見かけるぐらいで。うーん。私サッカーに興味とかないのになんで呼ばれたんだろ」

 少し不安そうに、なるはフルーツジュースを飲もうとして、ズズッと耳障りな音が紙パックから聞こえてきた。どうやら飲み切ってしまったようだ。

「サッカー部……。マネージャー募集してますかね」

 無意識なのだろうが、まなはそうつぶやいていた。なると光輝は顔を見合わせ、うっとりとしているまなを見て苦笑してしまう。一目ぼれしてないと言っていたが、そんな表情をされれば嫌でも疑ってしまうというものだ。

「してないんじゃないのか?」

「人気ありそうですもんね。今更私が行ったところで……。人の心の中読まないでもらえますか!? 訴えますよ!?」

「まなちゃんまなちゃん」

「なんですか夢島先輩」

「口に出てたよ?」

「……忘れてください」

「うーん。どうしよっかなー」

「忘れてください」

「どうし」

「ベッド」

 言ってはいけなかった単語だったのか、楽しそうに笑っていたなるの顔から血の気が引き、だらだらと汗をかき始めた。

「実は昨日の夜ですね、夢島先輩が村雨先輩のベッドのにお」

「わーわー!! もう忘れちゃったかも! さっきまなちゃんなんて言ってたんだっけなー」

 慌ててなるはまなの口を両手でふさぎ、光輝がわかっていない様子を確認すると安堵の息を吐いた。けど、昨日屋上でのなるの発言と、今のまなの言いかけた言葉でなんとなく予想ができてしまう。できてしまった。

 できれば違うといいな、と思いながら光輝は確認のために聞いてみる。

「俺のベッドの匂い嗅いでた、とか言わないよな?」

「……」

「……」

 なるは羞恥で顔を真っ赤に染めて今にも泣きそうになり、まなは口をふさがれたまま申し訳なさそうな表情になる。

 予想が当たったことはなんとなくうれしいが、内容が内容だけに本当に当たってほしくなかったものだ。

「嫌だよね。人のベッドの匂い嗅ぐ女の子なんて。で、でも嫌いにだけはならないでね? ね?」

 不安そうに見上げてきてなるの前髪を、わしゃわしゃと光輝は撫でまわす。

「趣味は人それぞれだからな。別にベッドの匂い嗅ぐぐらいで嫌いになったりはしないって」

「そ、そんな趣味の人私は無理かも。それに、私そんな変な趣味持ってないから!」

「そうか? じゃあなんでだ?」

「それは光輝君のベッドだから……じゃなくて! 何でもないの! 何でもないッたら何でもないの!」

 ギャーギャー騒ぐなるを見ながらまなはコトンと食器を置き、申し訳なさそうに、口を開いた。

「あの先輩方」

「どうした?」

 これは言ったほうがいいのか少し迷ってしまう。

 けど言わないのは失礼だろうし、何より光輝となると同じテーブルを囲んでいる身として恥ずかしい。

「ここ、食堂です」

 まなに指摘され、光輝となるはそのことを思い出した。

 あたりを見渡してみると、気がつけば注目の的になっていた。あれだけ騒いでいれば仕方がないことなのだろう。

 今更ながらなんだか気恥ずかしくなり、顔を見合わせた三人はそろってうっすらと顔を赤らめた。



 ホームルームが終わり放課後になると、光輝はまなを迎えに1年の教室の前で待機していた。

 なるは修也に呼ばれたとおり、今頃屋上に向かっているはずだ。

 放課後になるがそばにいないことに妙な寂しさを覚えながら、光輝はポケットの中で震えた携帯を取り出しなるからのメールを開く。

『今屋上の前。なんか緊張するよ』

『緊張するなよ。こっちはまながホームルーム終わったら向かうから』

『わかった。私も早く終われるように頑張るね』

 いつもながら早い返信だな、と思いながら光輝はようやく終わったまなのクラスを見ながら携帯をポケットにしまう。

「すみません。お待たせしてしまって」

「いいって別に。じゃあ行くか」

「あ、その前に自動販売機によってもらえませんか? 喉カラカラで死にそうです。ここの体育きつすぎです!」

 まだ運動のせいで体が熱いのか、まなは手団扇で顔を扇ぎながら、胸元にパタパタと風を送る。風が送られるたびにまなの白い肌がのぞき見え、光輝は思わず顔を背ける。

「前も言ったと思うけど、ここから自衛隊に行くやつもいるからな。体育も他の学校よりちょっときついんだ」

「入学前にも聞いてましたけど、予想以上にハードでびっくりしました。私は小さいころから体力はあるほうだからそこまで疲れませんでしたけど」

「方向音痴で迷うからか?」

「うぐっ。で、できればそれは言わないでほしかったところです。それより、早くジュース買いに行きましょう」

「だな。あいつのこと待たせたら何言われるかわかったもんじゃないし」

 いまだに胸元にパタパタと風を送っているまなを横目に見ながら、光輝は先導するように前を歩く。



 ジュースを買い、屋上に向かっているまなは涼しそうにジュースを飲んでいる。

 たいして光輝は肩を落としていた。まなとなるのジュースの代金まで払い、予想以上に出費してしまったのだ。ジュース一本は安いとはいえ、財布が軽くなるのはなんだか心もとない。

(でもま、こいつが喜んでるから別にいいか)

 嬉しそうなまなの横顔を見ながら、光輝は安い出費だと自分に言い聞かせる。

「お、光輝じゃん。どうし……ま、まなさんっ!?」

「は、はひっ!」

 突然名前を呼ばれたまなは変な敬語になり、ジュースをこぼしかけた。

「雄平か。どうした?」

「お、おおおおおまっ!」

 ダッと首根っこをつかまれ、光輝は雄平に廊下を引きずら廊下の角を曲がる。

「俺は雑巾じゃないぞ」

「いやー。綺麗になったなった……。じゃなくてだな光輝。お前なんでまなさんと一緒に居るんだ。殺すぞ」

 そう言いながら振り下ろしてきた雄平の拳を光輝は顔面に突き刺さる前に受け止め、お返しとばかりに拳を振り下ろすが同じように雄平に受け止められる。

「お・ま・え・はッ! 言いながら実行するなッ!」

「いやいや。お前なら受け止めるって信じてたって。なあ、裏切りの友よ」

「何が裏切りっ! あぶねえな!」

 危ういところで雄平の頭突きをかわし、光輝は雄平の手を離す。

「まあお前があいつのこと好きになったのは知ってるけどよ、裏切りはないだろ」

「うっせ! じゃあせめて紹介してくれよ」

「紹介ねえ」

 顎に手を当て、光輝はうーんと唸る。

 紹介するぐらいなら簡単だが、修也に一目惚れしていそうなまなが雄平に興味が惹かれるとはなかなかに思えなかった。

 どうしようかと考えていると、まながピョコッと顔をのぞかせた。

「村雨先輩何してるんですか?」

「まなか」

「はいです。2年生の階で独りぼっちにされるのは心細いですから追いかけてきました」

「文句ならこの馬鹿に言ってくれ」

「えと、こちらの方は?」

 少し遠慮がちに、まなが緊張している雄平を指さす。

「おい。聞かれてるぞ?」

「わ、わかってらい!」

 口調変わってるぞと茶化そうとしたが、光輝は一歩下がって雄平を見守ることにした。

 まなは「えとえと」と緊張しまくっている雄平を見てわずかに首を傾げる。

「あの、もしかして喉乾いてるんですか? もしよかったら飲みます? 私の飲みかけですけど」

「い、いいんですかっ!?」

「はい」

 ニッコリとほほ笑むまなが飲みかけのペットボトルを雄平に差し出し、ピーンと雄平は背筋を伸ばす。恐る恐る雄平がまなからペットボトルを受け取ると、ハァハァと息を荒くして口を近づける。

 その時まながブルッと体を震わせ、雄平の手からペットボトルを奪い返すと隠すように背中に回した。

「ま、まなさん?」

「……ごめんなさい。息荒くして飲まれるのはその……生理的に嫌です。素直に気持ち悪かったです」

 ガーンという効果音が出そうなほど雄平は落ち込み、その場にひざまずく。せっかくのチャンスを無駄にしたな、と思いながら光輝はため息をつく。

「こいつは土村雄平。俺のクラスメイトだ。昨日見ただろ?」

「ああ思い出しました。昨日村雨先輩にお腹殴られてた人。私は」

「八坂まなさん。ですよね」

 今だまなには敬語を使い、雄平はまなを床に手をついたまま見上げる。

「村雨先輩教えたんですか?」

「ああ」

 聞いてきたまなに、光輝は頷き返す。

「あ、そろそろ向かいましょう村雨先輩」

「だな。じゃあな雄平」

「お、おう」

 光輝に対しては空返事をし、雄平は廊下を歩くまなの背中を見つめる。

 するとまながクルッとその場でターンし、前かがみになり雄平と視線を合わせた。

「それでは土村先輩、サヨナラです。もし私が困ってた時があったらその時は助けてくださいね」

 ニコッとまなが微笑み、ボッと雄平が顔を赤くする。

 それを見たまなは不思議そうに首を傾げ、さっきと同じようにクルッとその場でターンし一人で歩いていく。

「どうしたらいいよ光輝。俺、マジでまなさんに惚れちまったよ」

「俺に言うな」

 いつまで座ってんだよと思いながら、光輝はまなの後を追う。一人で先を行くのはいいが、せめて目的地と反対の方むいて歩かないでほしいものだ。



 屋上に向かう最後の階段を上り切ると、ゆっくりと屋上のドアが開きなるが出てきた。

「終わったのか?」

「……うん」

 なるは屋上に一人で佇んでいる修也を見てドアを再び閉じた。まるでしばらくは見たくないと言った風に。

 ちなみに、まなは一瞬見えた修也にうっすらと顔を赤くしていた。

「じゃあ帰るか」

 そう光輝が言うと、なるは首を振った。

「まだ帰らないのか?」

「……ごめん。今日は、一人で帰りたい気分なの」

「わかった。車とかには注意しろよ?」

「うん。光輝君も。まなちゃんもバイバイ」

「はい。サヨナラです」

 小さく手をふってきたなるにまなは手をふりかえし、背中が見えなくなると首を傾げた。

「バイバイって、今日も村雨先輩のおうちに来るんですよね?」

「そこは気にすんなよ」

 珍しいこともあるもんだな、と光輝はなるが降りて行った階段を見ながら思った。

 今まで光輝がなるに一緒に帰ろうと誘ったときは断られたことなどなく、いつも嬉しそうに一緒に帰ってくれた。後々知ったことでは友達と遊ぶ予定があっても、光輝と帰るということでキャンセルしたこともあると、クラスの女子に聞いたこともある。

 なんかあったんだろうな、と思いながら屋上のドアを見ていると、ゆっくりとドアを開き修也が出てきた。

「君か」

「どうも。な、夢島さんなにか迷惑かけ、かけなかったですか?」

「とんでもない。むしろ僕がかけちゃったぐらいだよ」

 首を振りながら修也は自嘲気味に笑う。そして唐突にまっすぐと光輝の瞳を見つめ、わずかな殺気を醸し出す。

「君には負けないよ。たとえ、何を利用しようともね」

 修也はポンと光輝の肩を叩き、返事も待たずに階段を下りていく。

「待てよ」

「何かな?」

 自分でもどうして修也を止めたのかわからなかった。

 けど、これだけは言わずにはいられなかった。

「何かはわかんないけど、俺もあんたに負けるつもりはないからな。です」

「ッフ。そうでなくちゃ面白くないね」

 今度こそ背中越しに手をふってきた修也を見送り、光輝はうっとりとしているまなの頭に手をのせる。

「お前、よっぽどあいつのこと好きなんだな」

「はっ!? ち、違います! 好きなんかじゃ絶対にないですから!」

「どうだかな」

 からかうようにポンポンとまなの頭を叩き、叩かれたまなはむーと頬を膨らませる。否定するのならば、せめて赤くしている頬を隠してほしいものだ。

 光輝は一度屋上に上がり、一人で帰るなるを探す。なるの姿を見つけると同時に屋上を見上げたなると目が合い、逃げるようになるが走って行ってしまった。

 今日の晩御飯はカレーにするか、と光輝はなるに対しては少し卑怯なことを考えながら、帰るぞとまなの肩を叩いた。



 三人でテーブルを囲むのは昨日と同じ光景だが、今日は昨日とは少し違っていた。

 カレーを食べる光輝とまなとは反対に、なるは口によだれを溜めながらも、自分のために用意されたカレーに手を付けていなかった。

 本当なら大好物のカレーを今すぐにでも食べたい。光輝が作ってくれたカレーを、まなの分まで食べてしまいたい。でもなるは食べることができないでいた。

 ただでさえカレーは大好物だというのに、光輝が作ってくれたものだと考えると、食べただけで口がものすごく軽くなってしまう気がする。

「光輝君のいじわる」

「俺がいじわる? 何のことだろうな。俺はただ、屋上で何があったか聞いてるだけなのに」

「それがいじわるなんだと思いますよ」

 まなも屋上でのことが気になるのか、なるに見せつけるようにカレーを口に運ぶ。

 それでもなかなかスプーンをとらないなるをみて、代わりに光輝がなるのスプーンを手にした。

「光輝君?」

 自分の分のカレーを光輝に食べられるんじゃないかと、不安そうになるは光輝を見つめる。

「ほれ。あーん」

「え、えっ!? なにそれっ!」

「あーんだあーん。知らないか? 口開けるんだよ」

「それぐらい知ってるもん。じゃなくて、なんで私があーんされるの?」

 心外とばかりになるは頬を膨らませるが、なんだかうれしそうだ。

「うぅ。でもあーん恥ずかしいかも。……私が光輝君にあーんするのじゃダメ?」

「俺にされるの嫌か?」

「嫌じゃない!」

 なるは胸元でギュっと拳を握り、目を瞑る。言った通り恥ずかしいのか、頬は赤く染まっている。

「ほれ、あーん」

「あ、あーん」

 光輝の言葉を復唱し、なるは小さな口をあーんと開く。

 パクッとなるは光輝にカレーを食べさせてもらい、もぐもぐと粗食する。緊張で強張っていたなるの頬が次第に緩み、美味しそうに頬を抑える。

「うまいか?」

「うん。おいしい」

 目を開いたなるにもう一度「あーん」というと、今度は素直になるは口を開き流れに任せる。

 しばらく食べさせていると、そろそろかなと光輝は口を開く。

「そう言えば、今日屋上で何があったんだ?」

 もぐもぐごぐんと飲み込み、さっきまではかたくなに言わなかったことを、なるはいともたやすく言葉にした。

「えとね、霧埼先輩に告白されちゃった。それよりカレー早く」

 「あーん」と自分で言いながら、早く早くとなるは口を開く。

 光輝はカレーをすくおうとしたまま固まり、まなはスプーンを落として目を見開いていた。

 まな本人は否定しているが、一目ぼれした修也が他の女子。ましてや同居するなるに告白したのだ。

 光輝がどう声をかけようと迷っていると、

「……ごちそうさま。もうお腹いっぱいです」

 まだ半分ほど残っているにもかかわらずまなは席を立ち、リビングから出て行ってしまった。

「あれ? まなちゃん? どうし……ああっ! 光輝君ひどい!」

「お前も好物食ったぐらいで口軽くなりすぎだって」

「あう。だから言いたくなかったのに」

「それは悪い。俺ももうちょっと予想するべきだったな」

 なるにカレーを食べさせながら、光輝は頭をかく。

 こういった経験は当然ながら今までに一度もない。どうすればいいかなど全くと言っていいほどわからない。

「お前はなんて答えたんだ? 付きあうのか?」

「ぶっ! ゲホッゲホッ」

 口に入っていたカレーを少し吹き出し、あわわと慌てて光輝の顔についた米粒をティッシュで拭き取る。

「つ、付き合わないよ。ちゃんと『ごめんなさい』って断ったから。だから、私はまだフリーだよ?」

 フリーを強く強調し、なるはタオルでテーブルも拭いていく。光輝は最後にもう一度ティッシュで自分の顔を拭きながら、なんでそこを強調したんだろうな、と首を傾げた。

「俺ちょっとまなの様子見てくるな。お前は食べ終わったら自分の分の食器は洗っといてくれ」

「私も行くよ」

「お前が行ったらよけいややこしくなるだろ。逆の立場だったらどうだ?」

「逆……嫌だね。付き合わなくっても、君が他の人好きなんて。考えたくもないかも」

「別に俺で考えなくてもよかったんだけどな。まあそう言うことだ」

 ブワッと首まで真っ赤に染め上げ、慌てた様子のなるを不思議に思いながらも、光輝は半ば占領されつつある自分の部屋に向かう。

 光輝の背中が見えなくなると、なるは一人小さくつぶやいていた。

「光輝君のバカ。ちょっとぐらい、私の気持ち気づいてよ」

 この家に居るだけでずっとドキドキしっぱなしの心臓を抑えるように胸を抑え、なるはカレーを一口食べる。もうだいぶ冷めてきているのに暖かい。

 できるなら、夕ご飯は三人で最後までちゃんと食べたかった。



 部屋に入ると、まなは自分の鞄をあさっていた。

「探し物か?」

「はい。体操服ちゃんと持ってきたかなー、って探してたんですけど、教室に忘れてきちゃってました」

「明日はちゃんと持って帰って来いよ?」

「わかってますよ」

 まなはベッドに腰掛け、はぁとため息をつく。

「さっきはごめんなさい。せっかく村雨先輩が作ってくれたのに残しちゃって」

「いいって。それよりお前はもう大丈夫なのか?」

「大丈夫って何のことですか?」

「いや、だからさ」

 首を傾げたまなに、光輝は頬をかく。

 触れられて欲しくないのならば、変に掘り出さない方がいいのだろうか。

「心配するほどのことじゃないですって」

「いやでもさ」

「体操服ちゃんと持って帰ってきたか気になってご飯残しちゃったことが、そんなに心配ですか?」

「まあな……まて。体操服? あの先輩がなるに告白したのにショック受けてたんじゃないのか?」

 そう聞くと、まなは盛大なため息をつくとともにジッと光輝を睨み付ける。

「先輩は勘違いしてるようだからここではっきりと言いますよ」

 ベッドの上でまなは正座をして、光輝の目を真っすぐと見つめる。

「私は一目惚れしちゃうほど安い女じゃないです」

「でも気にはなってるんだろ?」

「そ、それはその……」

 ツンツンと人差し指と人差し指を合わせながら、まなはうっすらと顔を赤くする。

「な、なっちゃいますよ。霧埼先輩カッコいいですし、髪の毛染めてるのにチャライって感じしないですし。が、外見は確かに好みですけど……。なんで私は村雨先輩にこんなこと教えてるんですか?」

「いや、俺に聞かれても」

「でも好きじゃないのは確かです。それに、彼女いる人を好きになるつもりもありませんし」

「あの先輩彼女いるのか?」

 それは初耳だった。

 でも、それだとどうしてなるに告白したのだろうと光輝は疑問に思う。

「え? だって夢島先輩に告白したんですよね?」

「あいつ断ったみたいだぞ?」

「ええっ!? あの人何してるんですか!? 私だったら絶対断らないのに……」

 驚きでまなは目を大きく見開いたが、光輝の顔を見てひとり納得する。光輝にはまだ伝わっていないなるの思いに、まなはすでに気づいていた。

 というよりも、どうして光輝がなるの思いに気づいていないのか、まなは不思議にも思っている。

「夢島先輩どうして断ったんでしょうね?」

 理由など簡単に予想できる。好きな人がいれば、いくら魅力的な人に告白されても断るしかない。まなも今もし修也に告白でもされれば頷くが、他に好きな人ができてしまった後で告白されても絶対に頷かない。

「俺に聞くなよ。あいつが純粋にあの先輩とは付き合いたくなかったってことだろ?」

「……もしかしたら、好きな人いるのかもしれませんよ。案外近いところに」

「あいつが好きなやつ? いやいやいないだろ。見た目もあれだけど、あいつ中身も子供っぽいだろ?」

 それはないだろと光輝は首を振る。なるが誰かを好きになることを、光輝は想像できなかった。

 まなはそんな光輝を見てため息をつく。なんだか、純粋になるのことを応援したくなってきてしまった。

「一番風呂貰いますね? 私は別にショックなんか一つも受けてないので、村雨先輩はご飯ちゃんと食べてください」

「わかった。でも、お前あんま食べてないから腹減ったらいつでも言えよ? 簡単なものなら作ってやるから」

「わかりました」


 光輝が部屋から出て行くと、まなはベッドに倒れ込み枕を抱き寄せる。

 光輝にはあんなこと言ったが、全くショックを受けていないと言えば嘘になる。聞いたときはちょっと。食欲がなくなるぐらいのショックは受けた。

 なるのことが憎いかと聞かれればちょっとだけ憎いし、それ以上に羨ましいと思う。

「……でも、ほっとけないんですよね。村雨先輩も村雨先輩ですよ。あんなにアプローチされてるのに気付かないのって、どこのラブコメ主人公なんですかって話です」

 そういえば光輝のクラスメイトの土村はなるの光輝に対する思いに気づいてるのかな、と思いながらまなは寝間着を用意する。

 光輝に対しては鈍感と思いながらも、まなもまた、土村の気持ちには全くと言っていいほど気づいていなかった。



 翌日、三人に雄平を加えた四人で食堂のテーブルを囲んでいた。

 昨日と同じようにまなと合流するとともに雄平はカチコチに固まってしまい、せっかくまなの隣に光輝の計らいで座らせたのにもかかわらず、一言もまなに話しかけていない。

「まなそのチャーハンうまいか?」

「はい。ここの学食ってどれもおいしんですね。まだラーメンとチャーハンしか食べてないですけど、他のも楽しみです」

「だったら雄平のうどんもらってみたらどうだ?」

「は、はあっ!? こ、光輝てめえ何言って!」

 雄平はまなと自分のうどんを見比べ、うっすらと顔を赤くする。

 光輝たち三人がチャーハンを選んだ中、雄平は光輝にそうしろと言われて一人うどんを頼んでいた。

 まなは雄平のうどんをチラチラ見ながらチャーハンを口に運ぶ。

「まなうどん食いたいか?」

「食べたいですけど、さすがに無理やり食べたりはできませんよ」

 最後にもう一度雄平のうどんを見て、まなは無念を断ち切るように小さくため息をつく。

「え、えとまなさん。俺のでよかったら食べますか?」

「いいんですか?」

「は、はいっ! まなさんが欲しいんだったらもう一つ買ってきますが!」

「そ、それは申し訳ないのでいいです」

 急いで財布を取り出した雄平に若干引きつつも、まなは興味津々とうどんを見つめる。

「ど、どうぞ。まなさんの気が済むまで食べてください」

「……あの土村先輩」

「な、何でしょうかまなさん」

 まなはスプーンを置き、ジッと雄平の目を見つめる。見つめられた雄平は顔を真っ赤に染める。

「私は高校1年生。つまりここに居る先輩方よりも年下で、学年も1つ下なのです」

「は、はい」

「だから敬語はやめてください。普段敬語使ってる人だったらいいんですけど、土村先輩他の人と話すときは敬語じゃないですよね? だからなんだかいやなんです。私にもちゃんとため口を使ってください」

「でもそれは、なんと言いますか」

 まなはため息をつき、トントンとワザといらだっている風にテーブルを叩く。

 そばで見守っていた光輝となるはすぐにそれが分かったが、テンパっている雄平はまなを怒らせたと勘違いしてしまい、余計に混乱してしまう。

「いいですか? 次私に敬語使ったら、私は土村先輩がちゃんと私にため口使ってくれるまで無視します」

 ビクッと雄平は体中に電流でも走ったかのように体を震わせ、ふぅと息を吐く。

「わかった。これでいいです、いいか?」

「はい。じゃあこれでもやもやも一つとれましたから、ラーメン少し貰ってもいいですか?」

「ど、どうぞ」

 おずおずと雄平はラーメンをまなに近づけ、食べようとしたまなはスプーンをもって気づいた。スプーンではラーメンが食べにくい。

 汁だけでも飲んでみたいが、それならいっそ面もちゃんと食べたい。

「あー、やっぱりいいです。スプーンじゃ無理です」

「そ、そうです、だよな。俺もうっかりしてま、してたぜ」

「お前グダグダだな」

「う、うっせ!」

 光輝が茶々を入れると、雄平はテーブルの下で光輝の足を蹴り飛ばす。

「っ……!」

 光輝は漏れそうになったうめき声をかろうじてこらえ、代わりに雄平の足を蹴り返す。

「いたっ! な、なに?」

 つもりだったのだが、運悪く足を延ばしたなるの足を蹴ってしまった。

 光輝と雄平が知らんぷりしているとなるは不思議そうに机の下をのぞき込み、痛そうに足をさすりながら首を傾げた。

「まなちゃん私のこと蹴った?」

「急になんですかっ!? 蹴ってませんよ?」

「んー。じゃあ気のせいかな。どっちでもいいや」

 パクパクと再びチャーハンを食べ始めたなるをみて、光輝は胸を撫で下ろした。

 もし蹴ったことがばれたら何をされるのかわかったものではない。

 まなは相変わらずうどんを食べたそうにしていたが、頭を振ることで頭の中からうどんのことを振りはらう。唯一うどんを食べていた雄平は食べ終わるまでまなに加え、なるにまでチラチラとみられ、居心地が悪そうにしていた。

 ちなみに、その日の晩御飯はなるとまなの要望により、光輝はネットで調べながらうどんを作ることになった。



 そして翌日、光輝は下駄箱を開けたまま訳が分からず硬直していた。

 白い封筒に、開け口にピンクのハートのシール。右下には女の子らしい丸い字で小さく『こうきさんへ』と漢字ではなくひらがなで書かれている。

 誰かの悪戯か? と訝し気に裏返してみる。

『1年C組 鳥町彩』

 知らない名前だった。けど、C組と言えばまなも確かC組だったはずだ。

 まなに誰かと聞いてみようかと考えたが、すぐにやめておこうと光輝は首を振る。もし彩がまなと仲がよかったらどうしようかと不安になる。

(ま、まてまて。そもそもまだ中見てないだろ)

 ハートのシールなど使っているからラブレターかもと思ってしまったが、もしかしたら何か落し物を拾ってくれているだけなのかもしれない。

 シールをはがし、手紙を見ようとしたとき不意に後ろから肩を叩かれた。

「うわっ!」

「きゃっ! か、肩叩いただけなのにびっくりしすぎだよ」

 慌てて手紙を鞄の中に突っ込みながら、光輝は後ろを振り返る。なるがはぁと息を吐きながら胸を抑えていた。

「ど、どうした?」

「それこっちのセリフだよ。まなちゃんと待ってるのに、君なかなか来ないんだもん」

 なるが指さした先では、まなが壁にもたれて眠たそうに欠伸をしていた。

「早く行こ? 遅刻はしないけど、ここだとゆっくりもできないし」

「そうするか。あ、でも俺トイレ行きたいからまな送るのはお前一人に任せていいか?」

「わかった。もし漏らしたら教えてね? 写真撮って笑ってあげるから」

 携帯を構え、パシャッと口で言うなるは悪戯っぽく微笑み、まなの元に戻っていく。

 光輝は二人の姿が見えなくなるとどうしようかな、と頭をかきながら屋上に上がってきていた。

 穏やかな風が頬を撫で、髪の毛をわずかに揺らす。

 光輝は落下防止のためのフェンスに背中を預けて座り込み、鞄からまだ見ぬ彩からの手紙を取り出す。

 読み終えた光輝はため息をつき、「今週は恋愛週間かなんかか?」とつぶやいた。

『初めまして。私は鳥町彩と言います。……と、とりあえず率直に書きますね? 私はこうきさんのことが好きです。今日の放課後、屋上で返事聞かせてもらえますか?』

 手紙を封筒に戻し鞄に入れ直すと、空を仰ぎ見る。

 こういったことは、一体誰に相談するべきなのだろうか。

 それがわからずに授業も半ば呆然と過ごし、ホームルームが終わると光輝は屋上に上がってきていた。

 なるには待っててくれとでも言ったほうがよかったかな、と今更ながらのことを思い、メールを打とうとしたところで扉が開かれた。

 セミロングの綺麗な黒い髪。幼さを残しながらもきれいな顔立ちで白い肌。胸元の1年生の証である青いリボンは、豊かな胸によって押し出されている。

「お前が鳥町彩か?」

「……はい。こうき先輩」

 ゆっくりとドアを閉める彩は落ち着いていて、緊張している自分がなんだかバカバカしくなってきた。

「まあなんていうかその、お前まなと同じクラスなんだな」

「はい。先輩はいつも八坂さんを他の女の子と一緒に連れてきてますが、どちらかと。もしくは二人と付き合っていたりしますか?」

「いや、付き合ってないな」

 光輝が頷くと、彩は複雑な表情を作り、それをごまかすように咳払いした。

「じゃあ、こうき先輩。私と、付き合ってもらえますか? 好きです」

「……」

 髪の毛で表情を隠すように彩はうつむく。

 その瞬間わずかに強い風が吹き、髪の毛の間から彩の表情が光輝の角度からも見ることができた。嫌そうな顔をしていた。一瞬風が吹いたことが嫌なのかと思ったが、なんとなくそうじゃない気がした。

 バサッとドア越しに何かが落ちる音がしてとっさに二人は視線をドアに向ける。わずかに開けられたドアの隙間から、誰かに覗かれていた。

「誰だっ!」

 慌てて光輝が扉をあけ放つが、既に階段を駆け下りていて背中しか見えなかった。

 けどあの小さな背中と、一緒に居たよく見覚えのある横顔。そして残された鞄。光輝は鞄を拾い上げ、失礼に思いながらもカバンの中身を確認する。

「こうき先輩、どうされましたか?」

「いや、何でもねえよ。あと、返事は無理だ。俺は好きなやつとしか付き合わないって決めてるんだよ」

 右手で二つの鞄を持ち、光輝は首を振る。

「そうですか。わかりました。お時間いただいてありがとうございました」

 ぺこりと彩は頭を下げる。

階段を下りながら光輝は携帯を取り出して試しになるに電話をかけてみたが、予想通りというべきなのか出てくれなかった。

「はぁ。どう説明っすかな」

 ため息をつき、光輝は自分の鞄となるの鞄を持ち直し、帰路につく。

 確証などはなに一つないが、なんとなく、家に帰るとなるとまなが待っているような気がしたのだ。



「遅い!」

 家に帰るなり、なるの本気に近い蹴りが飛んできた。ギリギリで蹴りはかわすが、ぶつぶつとなるは小さく呟き、一丁のリボルバータイプの拳銃を両手に構え光輝に向かって発砲。腕に着弾し、受け身も取れずに光輝はよろけて尻餅をついてしまった。

「お前は馬鹿かっ! なにこんな街中で発砲してるんだよ!」

 学校ならば全員が防弾性服を着ているから跳弾してもある程度の安全性はあるが、学校の外に出れば誰しもが防弾性の服を着ているわけではない。それに銃声に耐性がない人は恐怖だってする。

 まなは突然のことに両耳をふさいでしゃがみこみ、子猫のように震えていた。周りに誰もいなかったのがせめてもの救いだ。

 なるは銃を消し去り、ごめんとつぶやき光輝に手を差し出す。なるの手を借りて立ち上がった光輝はなるに鞄を押し付け、まなの手を取って立ち上がらせる。

「なる」

「な、なに?」

 怒られると思ったのか、なるはビクッと体を震わせ顔をうつむかせる。何か一言文句を言おうと思っていた光輝はその仕草に思わずため息が漏れてしまい、なるの頭にポンと手をのせる。

「俺な、屋上で告白された」

「……あんまり、聞きたくなかった」

 下唇を噛み、ギュッと苦しそうになるは胸を抑える。

「でもちゃんと断ったぞ」

「こ、断った? あの子可愛かったのに」

「可愛いからって理由で付き合わないって」

 わしゃわしゃと、光輝はなるの髪の毛を乱すぐらいに頭を撫でる。

「わ、わわわ。わ、わしゃわしゃしないでー」

 目を回すなるから手を離し、光輝は鍵穴に鍵を差し込む。

「お前だってあの先輩とは付き合わなかったんだろ? 外見だけがすべてじゃないってことだ」

 カチャッと鍵が開き、光輝はドアを大きく開きなるとまなに入るよう手で催促する。なるとまなが靴を脱ぎ、光輝も靴を脱ぎ終えると今度は二人の頭に手をのせた。

「それに、俺も好きなやつとしか付き合うつもりはないしな」

「それ別に私に言わなくてもいいですよ? 私は、絶対に村雨先輩に告白なんてしませんから」

 ムスッとまなは光輝の手をふりはらい、一人部屋に戻って行ってしまう。苦笑しながらまなの背中を見送り、無言でうつむいているなるを見る。

「なる?」

「なんかね、安心したの。光輝君がまだ誰とも付き合ってないって思ったら、嬉しくて、なんて言ったらいいのかな。……と、とにかく嬉しいったら嬉しいの!」

 顔をあげたなるは目元に浮かんだ涙をゴシゴシと手の甲で拭き取り、ニコッと無邪気な笑みを浮かべた。光輝は少し荒っぽくなるの頭を撫でながら、自分の顔を抑える。

 その笑顔は正直あまりしてほしくない。無邪気に笑われると普段よりも可愛く見えてしまい、ドキッとして顔が熱くなってくる。

「光輝君は、今好きな女の子っている? ……男の子で好きな人いるとかは絶対に言わないでね?」

「それ冗談でも言いたくないな。好きなやつか……」

 なるの頭に手をのせたまま、光輝は少し考えてみる。

 好きな女の子は、できたことが今までにない。けど、と思いながら光輝はゆっくりとなるの頭を撫でる。

 気持ちよさそうに目を細めるなるを見て、光輝は頬を緩めた。

「好きなやつは今んとこいないな」

 好きなやつはまだいない。でも、

(……さすがに、気になってるやつがいるっては言えないよな。本人には)

 光輝を上目づかいで見上げるなるは、どこか安堵の表情をしていた。

「じゃあ、光輝君はまだ私からは離れないでくれる? 高校生の間は、3年生になった時クラス別々になっても、もし私が留年とかしちゃっても、ずっとずっと一緒に居てくれる?」

「……ああ」

 不安そうに目を涙で潤わせているなるに光輝は頷く。

 どうしてなるが屋上で逃げたのか、帰ってきたとき少し取り乱していたのかなんとなく、光輝は理解することができた。

 大げさだとは思わない。なるは既に別れを経験しているから。

 別れはつらい。

 それを経験した。なると同じ別れを経験した光輝にはよくわかった。

「でも、留年はするなよ?」

「わ、わかってるよ。……留年しちゃったら、二度と光輝君と同じクラスになれないしね」

 ほとんど無意識のうちにそうつぶやいていたなるは自分のつぶやきには気づかず、うがーと光輝の手をふりはらった。

「あといつも言ってるけど、私は子供じゃないよ! ナデナデしすぎ!」

「悪い悪い」

「謝りながらナデナデしないでー」

 怒りながらも嬉しそうに笑うなる。

 この1年で強くなったな、と心の中でなるを褒めながら、光輝はふと思い出した暗い過去を脳裏にしまい込む。

 なるが、光輝が初めて経験した永遠の別れの出来事は、今でも確かな爪跡を残している。



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