第一章 忘れられた鍵
体が動かない。
原因はわかっている。今隣の席の男子に渡されたばかりの腕時計に、神経毒が仕込まれていたのだ。
「毒、か」
辛うじて動く口で村雨光輝は苦々しくそうつぶやく。
「そ、結構強いだろ?」
たいしてその男子、土本雄平は、楽しそうに笑いながら銃口を光輝の胸元に向ける。
しかし騒ぎ声は起きず、それどころか狐雲高校2年B組の教室では、その二人の様子を見て楽しそうに微笑んですらあった。それはクラスメイトだけではなく、当の本人光輝すらもうっすらと口元に笑みを浮かべている。
開け放たれた窓から風が忍び込み、雄平の茶色の髪の毛を揺らした。
「じゃあな。ポイントはもらうけど、文句はないだろ?」
「もらえるもんならな」
余裕そうに見える光輝だが、実のところ余裕などない。体はいまだに毒の影響で動かないし、思考にもほんの少し乱されている。
雄平がトリガーを引こうとした瞬間、一人の少女がB組の教室に入ってきて、二人の様子を見て面白そうに笑顔を咲かせた。
「なになに? バトってるの?」
「そう言うことだ。ちょっと助けてくれないか?」
「オーケー」
「っげ。助っ人登場かよ」
毒の影響で振り向けない光輝の頼みに少女はこっくりとうなずき、雄平は面倒くさそうに顔をしかめる。その少女の登場で教室内は更に活気づき、どっちが勝つかの賭け事まで始まった。
「俺はそうだな、ペアの方に賭けようかな」「私は茶髪の人にするよ。有利そうだし?」「俺もそっちだな。あの娘、ちっちゃいし」
その瞬間、楽しそうだった少女の顔から笑みが消え、唐突にうつむき始めた。
1年の時からよく一緒に居る光輝はやべ、と逃げようとしたが毒のせいで体が動かないことを思いだし、ため息をついた。
(それ、こいつに対しては禁句なんだよな)
「ち、ちっちゃい言わないで! 私もちゃんと今日から高校2年生なんだから!」
むんっ、と少女。夢島なるは腰に手を当てて胸をそらす。
その様子をみた誰しもが同じことを思った。
胸もちっちゃいなぁ、と。
肩までで切りそろえられた、染められていない黒い髪。狐雲高校のセーラー服に身を包み、リボンは二年生の証である赤色。背はすでにわかっている通りちっちゃく、中学生と見間違えるほど。胸も同様にちっちゃい。顔は童顔で、誰が見ても可愛らしい。
「いやいや。君結構ちっちゃいよ」
雄平のその一言でなるの怒りメーターがマックスにまで上がり、プチンと何かが切れるような音が聞こえた気がした。
「あーもー怒った! 怒ったったら怒ったんだから!」
びしっと光輝の背中越しに雄平を指さし、小さな口から八重歯を見えると器用に机の間を縫うをように走る。予想以上の速度、運動能力に雄平は目を見開き、そして顔を引き付かせた。
なるが床を蹴り、飛んだのだ。
「ぐあっ!」
「ぐえっ!」
毒のせいでいまだに動けない光輝の背中になるの蹴りが見事にさく裂し、椅子や机を蹴散らしながら雄平を巻き込み壁に叩き付けた。
しばらく沈黙が訪れ、わぷっとなるが着地に失敗して床に顔をぶつけると、歓声が巻き起こった。
「いつつ。やるなー。仲間ごと蹴るなんて、さすが『恐竜妖精』の二つ名を持つだけのことはあるな」
ポケットから瓶を取り出した雄平はそれを光輝に飲ませ、光輝の腕から腕時計を外して立ち上がった。即効性の解毒薬だったのか、すぐに動けるようになった光輝も立ち上がり、ペタンと床に座り込んでいるなるの頭にチョップを食らわせた。
「痛い!」
「俺の方が痛いからな!? なんで俺を蹴ったんだ? 普通あいつを蹴るだろ」
雄平を指さしながら、光輝は不満を漏らす。
「えー。だって、そっちの方が面白そうだったし」
にこっと、再び笑ったなるにもう一度チョップをくらわせ、光輝は手を差し出す。その手を取り立ち上がったなるは少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、もじもじとスカートの裾をギュッと握る。
「あ、ありがと」
そこでちゃっかり上目遣い気味に見上げるが、既に光輝はなるのことを見ていなかった。
「で、どうすんだよこれ。机散らかして。始業式から怒られるぞ?」
「う、そ、それはその」
光輝の指摘した通り、教室の中は悲惨だった。机が散らかり、椅子も散乱。怪我人がだれ一人いないのが唯一の救いだ。
「おい」
「な、なんかようか?」
こそこそと教室から出て行こうとした雄平の首根っこをつかみ、なるの隣に立たせる。
「なんかようじゃない。とりあえずお前らで片付けろよ」
「わ、私も?」
自分を指さしたなるに光輝は頷く。
当たり前だ。この現象を引き起こした本人なのだから。
「お、俺もか?」
自分を指さした雄平に光輝は頷く。
当たり前だ。元はと言えば、毒など使った上に銃を作り出したのだから。
「それとも」
ぼそっと小さく何かを光輝が呟くと左手に銃が突如として握られ、それを雄平に向ける。なるに対してはいつでもチョップできるように頭の上に手を準備。
「どっちがいい?」
「「や、やらせていただきます」」
しぶしぶ頷いた二人を見て満足げに頷いた光輝は両手をおろす。
が、即座に逃走をはかったなるの頭にチョップをくらわせ、雄平には発砲した。
「ひっ!」
ちょうど教室の前を通った一年が短い悲鳴をあげるとともに顔を真っ青にし、背中を向けて逃げて行った。
背中に着弾した雄平はその場で倒れ伏すが、弾は貫通どころか、雄平の体を傷つけてすらいない。狐雲高校の制服は防弾防刃他もろもろの耐性が付いている制服なのだ。衝撃はあるが、雄平は単純に面白がって倒れているだけなのだろう。
となると問題は、逃げて行った一年だ。
放置していてもいいのだが、光輝は一つ気になることがあった。
(なんで一年がこの階に居るんだよ)
純粋に階を間違っただけなのだろうが、確か登校してきたときもあの一年生はこの階をさまよっていた。
「うう痛いよ、ひどいよ、鬼だよ」
「ほんとうによ。なんで俺だけ撃たれるんだ」
なるは涙目で頭を押さえ、雄平は痛そうに顔をしかめて立ち上がる。制服のおかげで傷つかないが、女の子に銃口を向けるのは少しためらってしまう。
それに、雄平に対しては仕返し的な意味合いもあった。
「つうわけで、二人ともちゃんと直しとけよ。俺はちょっと用事があるからな」
「お前もやれよな。この娘に助け求めたのお前なんだし」
「別にいいよ。用事あるんだったら仕方ないし」
納得いかない、といった表情で雄平はなるにそう言われ、仕方ないかと頷いた。
雄平が机を直し始めるとなるは限界まで背伸びをして、光輝が少し膝を曲げるとその口を光輝の耳元に寄せる。
「ちゃんと案内してあげてね?」
「当たり前だ」
他の誰にも聞こえない小さなやり取りを終了して、光輝は教室から出て行く。
光輝の背中が見えなくなるとなるは小さなため息をつき、「うらやましいな」とつぶやくと重たい机を持ち上げた。
少し歩くとさっきの1年生はすぐに見つかり、光輝の姿を見ると肩を小さく跳ねさせ、また逃げようとし始めた。
「あ、おいまて1年!」
「わ、私ですか?」
周りにいるのが全員2年生だと気づき、その1年生はおずおずと自分を指さす。
少し茶色がかった髪の毛に、わずかに茶色の瞳。まだ顔には幼さを残すが十分に可愛い。1年生の証である青いリボンは、ふくらみを帯びた胸によってわずかに押し出されている。
無視するのも悪いと思ったのか、その1年生は少し怖がりながらも光輝に近づく。
「さっきは悪いな、驚かせて」
「い、いえ。私も驚きすぎただけですし。制服が防弾ってこと忘れてたのも自己責任ですし。私の方こそごめんなさいです」
そんなことを謝られるとは予想していなかったのか、少し意外そうな顔をしながらも1年生は頭を下げた。
けど別に光輝は謝るために追いかけたのではない。
「なんか困ってることとかないか?」
「えっ!? あ、えーと・・・・・・な、無いですよ?」
顔をそらし、その1年生はごまかすようにそう言った。その態度からも声色からも、困っているのは一目瞭然だ。
「お前名前は?」
「名前ですか? 八坂まなです」
「俺は村雨光輝だ。まあ、困ってることとかあったらいつでも言ってくれ・・・・・・たとえば、1年の教室にいけないとか」
その瞬間まなはむっと頬を膨らませ、半眼で光輝を見る。
「村雨先輩わかってて言ってますよね。絶対私のことからかってますよね?」
「ん? 何のことだ?」
あ、やばいと光輝は思った。まなをからかうのが、だんだん楽しくなってきた。
「いいですっ! 何も困ってないですからサヨナラですっ!」
くるっと背中を見せたまなはどんどん一人で歩いていき、角を曲がるとチラッと不安と少しの期待をにじませた表情で顔だけを見せる。
光輝は苦笑するしかなく、もう一度まなに声をかける。
「何してんだ?」
「村雨先輩こそ何の用ですか?」
「俺嫌われてるのか?」
半眼で睨まれ、光輝は頬をかく。おまけに少し、と頷かれてしまった。
さっきのことを考えれば仕方ないとはいえ、もう少し遠回りに返事をしてほしかったものだ。
「で、本当に村雨先輩は何の用なのですか? 私は忙しいのです。早く教室を探さないといけないのです」
「探すのか」
「あ、ち、違います! ば、場所はわかってるんです。ただ行こうとしても同じところをぐるぐる回って、って! 誘導尋問は卑怯です! 村雨先輩は卑怯です! 女の敵です!」
女の敵とか大声で言わないでほしい。それに誘導尋問もした覚えはない。
お前が口を滑らしたんだろと言えばさらに嫌われるのは目に見えているので、その言葉は飲み込む。
「要するに迷ってるってことだろ?」
そういうとまなは顔を赤くし、はいと小さく頷いた。
「わ、私ものすごい方向音痴なんです。来る時も同じ制服を着た人の背中を見ながら歩いてたのに、気がついたら家に戻ってましたし」
「ちょ、ちょっとまて!」
理解ができなかった。
というよりも、それはものすごいというレベルすらも超えている気がする。ある意味神業なのかもしれない。
「後ろをついて行ってたのにどうやったら家に戻るんだ?」
「知らないですよ。そんなのはその時の私に聞いてください! 何十分か前の時間に戻ったら聞けますから! ついでに車に引かれるのもおすすめですよ。今日の先輩のオススメアイテムは棺桶ですから」
「縁起悪いからやめろ」
逆切れしてきたまなの頭にチョップをくらわせ、光輝はため息をついた。
でもその話が本当なら、今までどうやって過ごしてきたのかが逆に気になってしまう。
光輝はどうしようか迷った末、まなの手を握ることにした。
「え、えっ!? な、なんですか村雨先輩!」
「連れて行ってやるよ。こうでもしないとお前はぐれるんだろ?」
「う、中学校の時、友達にも同じこと言われました」
「だろうな」
周りからの視線が恥ずかしいのか、まなは顔を赤くして光輝の後ろに隠れるかのように一歩下がる。それが余計に手に意識させられ、光輝はまなの手の感触を味わう。
女の子らしく小さく、やわらかな手。強く握れば壊れるんじゃないかと不安になってしまい、少し握る力を弱めると、まなが握る力をわずかに強めた。
まなを見ると、自分でもその行動にびっくりしたのか、ほんの少し目が大きく見開かれている。
「・・・・・・行くか」
「・・・・・・はい」
まなを1年の教室まで連れて行くと光輝は自分の教室に戻り、机に突っ伏していた。
なんだか無性に疲れた。
「お疲れ様。面白い1年生だった?」
「面白いって言ったら面白いけど、かかわったら大変そうなやつだな」
なるに声をかけられ、苦笑を漏らして答えて光輝は教室を見渡す。
机は元通りに戻り、平和な光景が広がっていた。
「あの後みんなが協力してくれたの」
嬉しそうになるは笑い、光輝の後ろの席に座る。
もしかして、と光輝は嫌な予感がした。
「そこ、お前の席なのか?」
そう聞くとなるは満面の笑みを浮かべ、「うん!」と頷いた。
ただでさえ隣の雄平が面倒そうなのに、後ろがなるとは先が思いやられる。
(こんなに席替えが待ち遠しいのは初めてだな)
今度は別の意味で机に突っ伏し、光輝は盛大にため息をついた。
始業式のため体育館に移動になり、光輝は1年の教室に向かっていた。
「1年生に用事でもあるの?」
一緒について来たなるは、不思議そうに首を傾げる。
「ちょっと心配事があってな。できれば嫌な予感であってほしかったんだけど」
ため息をつき、光輝は額に手を押し当てる。嫌な予感というのはよく的中するものだ。
視線の先に居るのはまな。残っている1年は数名だけで、まなはあれー? と首をひねっている。朝の話が本当なら、体育館に向かおうとして教室に戻ってきてしまったのだろうか。
「おーい、八坂」
光輝が手をふり、声をかけるとまなが振り向き、トテトテと近づいて来た。よく見れば、わずかに安堵の色がまなの顔には浮かんでいた。
「どうしました?」
「また迷子か?」
「・・・・・・迷子って言わないでください。気づいたら教室に戻ってきちゃっただけです」
「それ迷子だと思うよ」
まなが恥ずかしそうに訂正を求めると、なるがさらに訂正する。光輝もなるに同意だ。
「え、せ、先輩、なのですか?」
ちっちゃな胸の上の赤いリボンを見て、まなは意外そうな顔でなるを頭のてっぺんから足のつま先まで何度も視線を往復させる。
それをどういう意味合いでとったのか、いい方向で考えたのだろうなるは腰に手を当てて胸をそらせた。
「村雨先輩、この可愛い先輩は?」
可愛い、という単語になるは嬉しそうに鼻を鳴らし、さらに胸を張って後ろに倒れそうになっていた。
バカっぽい、との感想を二人は心の中に押しとどめ、顔を見合わせて苦笑する。
「こいつは」
「自分で自己紹介するから! 私は夢島なる。今年からちゃんと2年生だからね!」
「はぁ」
胸に手を当てたなるに、まなは空返事をするしかなかった。
「えーと、私は八坂まなです」
ぺこりとまなは頭を下げ、よしよし、となるの頭を撫で始めた。
えへへ、と嬉しそうになるは頬を緩め、光輝もなるの頭に手をのせる。サラサラとした髪の毛は引っかかることがなく、触っていて気持ちいい。
「って待って二人とも! なでなでしないで! 子供じゃないんだから!」
うがーと、拳を作った両手をあげ、キッとまなと光輝を睨み付ける。
睨まれた光輝は適当にそれを受け流し、まなも先輩に怒られた、と言った風な感じはなく、年下に怒られたかのようだ。
「つうかそろそろ行かないと間に合わないか」
「え? わっ! ほんとだ」
時計をみなくとも、気づけば周りに誰もいなくなっていれば、時間に余裕がないことなど簡単に予想がつく。
まなもまずいと思ったのか、
「は、早くいきましょう。最初の晴れ舞台で遅刻とかシャレにならないです。もし遅刻したら、村雨先輩のせいにしますから!」
「俺のせいかよ」
「うん。光輝君のせいだよ。私は悪くないもんねー」
えへっと笑みを浮かべるなるに、光輝は仕方がないか、と言った風に頭をかく。
そんな二人の様子を見て、まなはほんのりと頬を染める。まるで、色恋沙汰を見たかのように。
「えと、村雨先輩と、夢島先輩って、その、つ、付き合ってるんですか?」
もじもじと胸の前で人差し指と人差し指をツンツンしながら、好奇心を抑えれないと言った感じでまなはそう問う。
顔を見合わせた光輝となるは顔を赤くし、
「付き合ってはない。断じて俺となるは付き合ってなんかないからな」
「そ、そうだよ・・・・・・そう勘違いされるのは恥ずかしいけど、嬉しいけど、光輝君と。えへへ」
「なんか言ったか?」
「な、なななんでもない! 何でもないッたら何でもないからね!」
最後の部分は小さくて、光輝が聞き返すとなるは顔を背けた。
目が合ったまなはニヤニヤと笑い、なるの耳元で小さく応援する。
「頑張ってくださいね」
「な、何をっ!?」
ぼっと顔を赤くしたなるは、うーと唸りながらその場でしゃがみ込み、まなを恨めしそうに睨む。
「ほら早くいくぞ。マジで時間がやばい」
そんななるの手を取り光輝は立ち上がらせながら、ポケットから取り出した携帯で時計を見せる。
集合時間まであと五分だ。
「わ、わっ! 本当に村雨先輩のせいにしますからね!?」
「私も光輝君のせいにするからね! するって言ったらするんだからね!」
「はいはい。とりあえず遅刻しないように全力疾走な。あとなる、八坂と手つないでやってくれ」
「まなちゃんの手を?」
首を傾げながらも、なるは光輝に言われたとおりにまなと手をつなぐ。光輝の言いたいことがまなはわかっているのか、少し不満そうだ。
手をつないだ二人はまるで姉妹みたいで、見ているとなんだか和む。
といっても、身体的な差でまなが姉になってしまうのだが。
「むー。なんかもんのすごく失礼なこと思われた気がする」
頬を膨らませたなるは一瞬光輝を睨んだが、「まいっか」とすぐにどうでもよくなったのか、まなの手を引く。
「ちょ、ちょっと引っ張らないで下さいよ」
「早く早くー。遅い人は置いてくよー」
なるはまなの話など聞いていないのか、ふんふふーん、と下手な鼻歌を歌いながら体育館を目指す。光輝はその背中を追いながら切に願う。
どうか、階段でこけませんように、と。
遅刻することなく始業式は無事に終わり、なるは机の上でぐったりとしていた。
教室に戻ってくるとき、見事というべきなのか、光輝が願ったことと逆のこと、つまりなるは階段でこけたのだ。
幸い怪我はなく、保健室に行くこともなかったのだが、さすがに精神的ダメージが少しはあったらしい。
なにしろ、
「うう。なんで、なんで女子はスカートなの?」
こけた時のことを思い出したのか、なるは顔を赤くしてうーと前の席に座っている光輝を蹴る。
「俺に聞くな。あと蹴るな、うっとうしい」
「うっとうしいって何よ! 誰のせいで私が恥ずかしい思いしてると思ってるのかな?」
羞恥心に混じる怒りが何とも言い難い恐怖を光輝に与える。
そんなに恥ずかしがっているなるを見ていれば、忘れようとしていた時のことを思い出してしまう。
そう。階段でこけて、なるのスカートがめくれた時のことを。
運が良いのか悪いのか、こけた時点で運が悪いのだろうが、見えたのは光輝だけだった。
普段はスカートに隠れた、太ももの奥にある純白のパンツ。
正直、見れたときは嬉しかった。
「ねえ光輝君?」
「な、なんだ?」
「もし思い出したりでもしてたら、私泣いちゃうから。・・・・・・恥ずかしいんだから」
「悪い」
目を涙で潤わせたなるに、光輝は頭を下げる。思いっきり思い出していた身としては、非常に申し訳ない思いになってしまった。
こうしているのもなんだか気まずくなり、光輝は鞄を持つと立ち上がる。
「帰るの?」
「ああ。特に残る用事とかもないしな」
「じゃあ私もそろそろ帰ろっかな。途中まで一緒に帰ろ?」
「別に聞かなくてもいいだろ? 前から一緒に帰ってるんだし」
何をいまさら、と言った感じで光輝がつぶやくと、なるは嬉しそうに頬を赤らめ、「うん」と頷いた。
光輝にはいったい何が嬉しいのかがわからなかった。
靴をはきかえ、校門から出ようとしたとき、あれー? と首を傾げているまなと遭遇した。
「あれ、まなちゃんだ。おー」
「しっ。ちょっと静かにしてろ」
「おーい」とまなに声をかけようとしたなるの口を手でふさぎ、光輝は物陰に隠れる。
そうすると自然と光輝がなるを抱きしめるような構図になり、それに気づいたなるは顔を真っ赤にする。が、光輝はまなを見ていてそのことに気づいていない。
「ぷはぁ。あ、あの光輝君。うれしいのはうれしいけど、その、は、恥ずかしいよう」
光輝の手が口から離れ、なるは恥じらうようにそう言い、首をひねり光輝を見上げる。
「え、わ、悪い」
ようやくなるを抱きしめていることに気づいた光輝は慌ててなるを解放し、解放されたなるは名残惜しそうにしたが、光輝の隣に並んでまなをこっそりとみる。
「ところで、私はなんでお、襲われたの?」
「おい。誤解されそうなことを言うな」
べーと小さな舌を出しているなるにチョップをくらわせ、まなを指さす。
「あいつ方向音痴だっては聞いただろ?」
なるが頷くと、光輝は話を続ける。
「家から学校来ようとしても家に戻ったり、教室にどうやったら戻るかっての、気にならないか?」
「き、気になる」
好奇心に駆られたなるは目をキラキラと光らせる。単純なやつだな、と思いながらも、一番初めに気になった自分が一番単純なのか? と思わずにはいられなかった。
まなが学校に背を向け歩きはじめ、光輝となるは足音を忍ばせこっそりと後を追う。
「こうしてると、忍者ごっこみたいだね」
「まあ、下手したらストーカーになっちまうんだけどな」
「そ、それは考えないようにしようよ。もしかしたらまなちゃんに何かアドバイスしてあげれるかもしれないし」
まなを見失わないようにあとをつけながらくだらない話をしていると、二人は首を傾げた。
視線の先に、狐雲高校がある。
「え、えっと」
「戻ってきた、のか?」
光輝となるは顔を見合わせ、あれー? と首をひねっているまなを見て二人はもう一度顔を見合わせた。
なるはアドバイスできたら、と言っていたが、何一つできそうになかった。
気がつけば、学校に戻ってきていたのだから。
「ちょっと、お話ししすぎちゃったね」
「お前ずっと話しかけてきたからな。おかげで去年どれほど授業中怒られたか」
「ひ、人のせいにしないでよ! 光輝君の方からもたまに話しかけてくれるのに」
今年も怒られるのか? と想像すると頭痛を覚え、光輝は頭を抑える。なんだか、ありえそうで怖い。
「あれ、村雨先輩と夢島先輩。二人とも何してるんですか?」
「あ、やべ」
「見つかっちゃった」
その言葉はまなには聞こえなかったのか、近づいて来たまなは知り合いを見つけれたことで安心したか、胸を撫で下ろした。そんな仕草をされ、尾行していた二人は何とも申し訳ない気持ちになる。
「えと、まなちゃん今帰り?」
「は、はい。帰ろかと思ってたんですけど、また戻ってきちゃいまして」
えへへ、と困った風に頭をかき、はぁとまなは憂鬱そうにため息をつく。
「私、なんでこんなに方向音痴なんでしょうね」
「もう方向音痴ってレベルじゃないと思うよ」
「うう。できればそれだけは言わないでほしかったです」
「あ、ご、ごめん! 悪気はなかったの。ほんとにごめんね?」
がっくりと肩を落としたまなに、なるは慌てて謝る。そして仕返しとばかりなのか、まなは禁句を口にした。
「いいですよ。先輩も中学生みたい、って言われて苦労してそうですし。お互い大変ですよね、何かコンプレックスがあると。あ、でも私はちっちゃいとか、中学生みたいとかは言われたことないですからね? 方向音痴ってことで言われてるだけですから」
ピキッピキピキ。
もしなるから効果音が聞こえれば、そんな音が鳴ったことだろう。
顔をうつむかせ、プルプルと肩を震わせるなるを見て、光輝は数歩後ろに下がる。禁句を一度ならず、二度もまなは言ってしまったのだ。
しかも、「中学生みたい」と、光輝が知る限りでは二番目の禁句を。
ちなみに、なるに対して一番の禁句は、光輝の知る限りでは「小学生みたい」だ。
それを言われたときのなるは今でも覚えている。号泣し、子供みたいに暴れさがした。
「もう怒った怒った怒った!! 怒ったッたら怒ったんだから! ぜぇぇぇぇぇったいに怒ったんだから!」
ビシッとなるは憤怒の形相でまなを指さす。今すぐにでも飛びかかりそうな勢いだ。
まなは訳が分からず、光輝に助けを求めるように視線を向けた。
「そういや腹減ったな。ケーキでも食いに行くか?」
「行くっ! 発案者は光輝君だから、半分はおごってね?」
さっきまでの怒りが嘘だったかのように消え、なるはケーキに思いをはせはじめた。
「な、何したんですか?」
さすがになるの変わりように戸惑いを覚えたのか、まなは光輝にそう聞く。
「あいつケーキが大好きなんだ。大抵の事だったらケーキで怒ってることも忘れるんだよ」
「・・・・・・なんか、夢島先輩がますます子供っぽく見えてきました」
小さくつぶやいたまなに同意し、光輝は無邪気に喜んでいるなるを見る
無邪気に喜ぶなるは普段よりも幼く見え、見ているだけで飽きない。
しかし唐突になるはまなを睨む。
「今の私はね、ケーキおごってくれるならどこかの方向音痴の後輩のこと許してあげるよ?」
「それ絶対私のことですよね!?」
「んー、なんのことだろー。どうしよっかなー」
おどけるなるに、まなは渋い顔になる。もうすでに、どうしなければならないかわかっているのだろう。
「ここはなるに従ったほうがいいぞ。怒らせたら大変だからな」
「うう。少ない小遣いがますます少なく」
「・・・・・・今度なんかおごってやるよ」
自分からケーキを提案したこともあり、財布を開いて表情を曇らせたまなにそっと耳打ちする。なるに聞かれれば、「私も!」と言われかねない。
曇らせていた表情を一気に輝かせ、まなは少し調子に乗る。
「だったらケーキも」
「お前は自分の金で食え」
「えー。村雨先輩ひどいですー」
そういう割には楽しそうなまな。隣には嬉しそうにニコニコしているなる。
両手に花だなと思いながら、光輝は薔薇の花を思い出していた。きれいな花には棘がある、という言葉も一緒に。
ケーキを十分に堪能し、なると別れて光輝とまなは二人で帰路についていた。
まなの家は住所を聞いてみた所、どうやら光輝の通学路の途中にある家のようだ。
「なんで村雨先輩と二人きりなんですか」
「仕方ないだろ。お前一人にしたらあいつに怒られるし、今度はケーキ屋に戻ってるんじゃないかと気が気じゃないからな」
「さすがにそこまでは・・・・・・ないと思いますけど」
自信がないのか、小さな声でまなは唸る。
なるの家は割と離れた場所にあり、なるも一緒にまなを送れば結構な遠回りになってしまう。別にそれでもなるはいいと言っていたが、申し訳ないと思ったまなは断った。
それでも光輝と二人きりというのはあまり快く思っていないのか、まなはずっとムスッとしている。
それがわかっている光輝は内心苦笑しながら、震えた携帯を取り出す。
『ちゃんとまなちゃん送るんだよ!? もしほって行かれたとか聞いたら、君のこと許さないんだから』
『わかってるって』
なるからのメールに返信を送る。
「メアドも交換してるんですね」
「あいつがほとんど無理やりな」
交換というよりも、気がつけばなるのメアドと電話番号がこの携帯に登録されていたのだ。初めて送られてきたときは消そうかと迷ったが、結局は消さずに携帯に残されている。
「お前も交換しとくか?」
「やです」
プイッとそっぽを向かれ、光輝は肩を落とす。さすがに即答は少しばかり傷つく。
「あれ?」
そっぽを向いたまなは歩みを止め、光輝の制服を引っ張る。
「なんだ? 寄り道なら早く済ませてくれよ?」
「そうじゃないです。あれ、あの子」
まなが指をさした場所を見て、光輝はまなの言いたいことがようやくわかった。
道端で、小さな子供が一人声を押し殺して泣いていた。歳はまだ5歳にも満たないだろう女の子だ。
「あの村雨先輩。ちょっと寄り道」
「まああれはほっとけないよな」
まなの言葉を途中で遮り、ポンとまなの頭に手をのせる。あの子をほっとけないのは、光輝も同じだ。
「どうかしたの?」
女の子に近づいたまなはしゃがみ込み、目線を合わせてやさしく声をかける。
「ママ、ままぁ」
「ママとはぐれちゃったの?」
コクンとその女の子は頷き、顔をくしゃくしゃに歪めて今にも声を出して泣きそうになる。
「え、あ、だ、大丈夫! きっと見つかるから! だから泣かないで。ね?」
「ホント?」
「お姉ちゃんに任せて」
ドンッと胸を叩いたまなを見ていて、光輝は猛烈に不安になってきた。
「なんだろうな。お前に任せたら、もっと迷子になる気しかしない」
「だ、大丈夫です。私は方向音痴なだけですから!」
「ほーこーおんち?」
「ええと。道に迷いやすい人? ・・・・・・ごめんね。役立たずなお姉ちゃんで」
「ママアァ―――」
うぇぇんと、とうとう女の子は泣き声を上げ始めた。
「せ、先輩」
光輝を見上げるまなまでもが目に涙を浮かべ、頭痛がした光輝は頭を抑える。どうやら、方向音痴のお姉ちゃんに任せたのが失敗だったようだ。
「さっき言った今度おごるって話やっぱなしな」
「ええっ!? 村雨先輩ひどいです!」
「ひどいのはおまえだろ。小さい子供を余計に泣かせて」
「う。それを言われてしまうと」
言葉に詰まったまなだが、すぐに戦意を取り戻す。一度おごってくれると言われれば、そうそうあきらめはつかないものだ。
「じゃ、じゃあ村雨先輩は何とかできるんですか!?」
そう来たか、と光輝は少し感心した。
「泣き止ませるぐらいだったらな。多分」
そう言った光輝はポジションをまなと交代し、女の子の頭に手をのせる。
「うぇぇん! ママアァ―――」
「よしよし。いい子だから、泣き止もうな?」
よしよし、と頭を撫でてみると一瞬泣き止んだが、すぐにまた泣き始めてしまった。
「村雨先輩ダメじゃないですか」
「うっせ。まあ見てろ」
茶々を入れてきたまなには適当に返事をして、もう一度女の子に向かい直る。ここは少し、まなも驚かせてやろうか。
「魔法見たくないか?」
ピクッ。
魔法という単語に肩を揺らし、ゆっくりと顔をあげた。
「まほー? 見たいっ!」
「じゃあいったん泣き止むか。できるな?」
女の子はごしごしと目元を手の甲で涙を拭き取り、こくんとうなずく。「いい子だな」と光輝が頭を撫でると、女の子は嬉しそうに目を細めた。
その光景を見ていたまなは驚きで目を少し大きく開き、同時にわずかに嫉妬していた。男の人の方が、女の自分よりも子供をあやすのが上手だったのが、なんだかショックだ。
「まほー!」
「あんまりせかすなって。すぐ見せてやるからよ」
早く早く、とせかす女の子に光輝は微笑みかけ、まなに問いかける。
「なあ八坂。お前まだ15か?」
「誕生日はまだです。結構近いですけど。あと、女の子に年齢を聞くのは失礼ですよ?」
首を振り、まなは微笑みと嘆息する。
(じゃあまだだな)
光輝はそう思いながら手のひらを空に向ける。
「花は好きか?」
「好きっ! チューリップ!」
はいはいっと言った感じで女の子は笑顔で手をあげ、光輝はチューリップを思い描く。
最後に触ったのはいつ頃だっただろうか。確か、去年どこかで触ったような。そうだ。なると一緒に帰っているとき、寄り道した先で一緒に触ったのだった。
光輝がぶつぶつと誰にも聞こえないほど小さな声で何かをつぶやくと、手のひらがわずかにひかり、そして。
「まほー!? チューリップだぁ!」
その手には、チューリップが握られていた。
それを女の子に差し出すと、嬉しそうに笑顔を咲かせる。
「おにーちゃんまほー使い?」
「正確には魔法使いじゃないんだけどな」
「んー。わかんなぁい! まほー使いでいいのっ!」
キャッキャと笑う女の子に光輝は笑みを漏らし笑いかけ、ポンと頭に手をのせる。
これぐらいで喜んでくれるのならば、もっとやってあげてもいい。次は何をしてやろうか、と考えていると、近づいてくる人影に気づいた。
光輝がそちらに視線を向けると、女の子もつられるように視線を向ける。
「ままっ!」
タタタッと駆け出し、女の子は女性に抱き付く。女の子の言動からも、この人が母親なのだろう。
「探したのよ? 勝手にどこかに行っちゃうんだから。ダメでしょ?」
「ごめんなさい」
叱られ、シュンと女の子は顔を曇らせた。しかし、母親に会えたのが嬉しいのか、口元は嬉しそうに緩んでいる。後ろで組んだ手に握られたチューリップも、ヒラヒラと揺らしている。
「ありがとうございました。うちの娘と遊んでくださって」
「こちらこそ」
「可愛い、娘さんですね」
「自慢の娘です」
まなが女の子を可愛いと褒め、気をよくした女の子の母親はニッコリとほほ笑む。
「それに、あなたもとてもかわいいですよ。彼氏さんもかっこいいですしね」
「か、彼氏!? こ、こんな人ただの先輩です! 彼氏なんかじゃ絶対にないですから! 冗談抜きで! 村雨先輩と付き合うぐらいなら、私は夢島先輩と付き合います!」
「そこまで否定しなくてもいいだろ」
あと百合に目覚める発言もどうかと思う。そもそも、なるはまなと付き合うことに頷くだろうか、との疑問はとりあえず頭の片隅に追いやった。
「村雨先輩は否定してください! ほら、私が恥ずかしがって否定してるみたいに笑われてるじゃないですか!」
ビシッとまなが指さした先では、女の子の母親がニコニコ笑っていた。
顔を赤くしていては説得力があまりない。
そろそろ助け舟を出そうと、光輝は口を開く。さすがにそろそろまなが可愛そうになってきたし、何より光輝自身少し恥ずかしくなってきた。
「こいつは今日であったばかりの後輩ですよ。帰り道同じぽかったんで、まだ帰り道慣れてないだろうから一緒に帰ってるだけで」
「あら、そうだったんですか」
方向音痴のことも付け足そうかと考えたが、まなの名誉のためにもそれはやめておいた。
「ほら、お礼言いなさい? 遊んでもらったんだから」
「おにーちゃん、おねーちゃんありがとー!」
チューリップを握った手で女の子は大きく手をふり、母親に手を引かれて嬉しそうに歩み始める。
その背中が見えなくなると、帰ろうと光輝は歩こうとしてまなが動かないことに気づいた。
「どうした?」
「村雨先輩、ロリコンなのですか?」
「なっ!? なんでそうなる!」
「冗談です。私が言いたかったのは、先輩はゲネシスなんですね」
「当たり前だろ。じゃなきゃ、狐雲高校に入れないっての」
自分の制服を引っ張りながら、光輝はまなの、狐雲高校のセーラー服を指さす。
「そういうお前だってゲネシスだろ? じゃなきゃ、狐雲に入るどころか、受験を受けることすら許されないからな」
狐雲高校は世界で数少ない、ゲネシスを育成するための教育機関だ。入学条件がゲネシスであることが必須条件で、狐雲高校の生徒ならばゲネシスと一目でわかる。他の学校と違うところはやはり能力の使い方を教えてくれることだ。あとは始業式と入学式をなぜか一緒にやるのもそうだろう。
光輝が歩き始めると、まなもその隣に並び歩き始める。その表情はさっきのようにムッとしたようなものではなかった。
「村雨先輩、そういえば、朝もクリエイトしてましたよね」
「ああ」
光輝がぶつぶつと小さな声で何かをつぶやく。すると、光輝の手に朝雄平に対して使った銃が突如として出現した。
それを見て、まなはさっきは隠していた感嘆の声を小さく上げる。
「銃って複雑なのに、作り出せるなんてすごいですね」
「褒めても何も出ないからな」
「お世辞とかじゃないですよ。素直にすごいと思ったんです」
ムッとまなは頬を膨らませ、少し早く歩く。
すぐに光輝が歩調を合わせたが、まなはそれ以上あげようとはしなかった。もともと光輝を放っておいて自分一人で帰るつもりはなかったのだ。
「だって、ゲネシスがクリエイトするのって、その物をちゃんとイメージしないといけないんですよね?」
「そうだな。まあ、狐雲じゃこの力を使って将来自衛隊とかにはいるやつもいるから、1年のうちから念のためって、全員が覚えさせられるんだよ。種類は何でもいいけどな」
掌で銃をクルクルと弄び、力を抜くように息を吐くと銃も消滅する。
狐雲高校がわざわざ防弾使用の制服を指定しているのも、日常的に銃が使えることが一つの原因だ。そうでなければ万が一の事故で大けがをする可能性も、下手すれば死んでしまうのだから。
それでも怪我人はたまに出るが、無いよりは何百倍もましだろう。
「でも便利そうですよね。教科書とか忘れても、作り出したりしたら」
「それは無理だな」
「なんでですか?」
首を傾げるまなに、光輝は教えてやる。
「さっきお前が言ったろ? ちゃんとイメージする必要があるって」
「はい」
「これはな、もしイメージにちょっとでもミスとかがあったら失敗して何も出ないし、出ても教科書だったらただの紙束になる。文字とか図形を全部覚えるなんて無理だからな」
去年教科書を忘れてクリエイトしようとした、ちっちゃいクラスメイトを思い出した。隣の席だったからよく覚えているが、ページをいくらめくっても真っ白のただの紙束だった。
「じゃあ、ペンとか忘れても・・・・・・同じですよね?」
「だな。要するに、クリエイトでイメージを物体としてこの世に作り出すにはちゃんとしたイメージが必要だ。ペンとかだったら芯の素材をちゃんと理解しないといけないし、物質化もいつまでも続かないからそのうち書いた文字も消えちまうしな」
これも隣のちっちゃい女の子が体験していたな、と過去の記憶を思い出す。テストの前日に気づき、「勉強できない!」と言ったそのちっちゃい女子に、光輝は「どうせ勉強しないだろ」と言うのをこらえるのに大変だった。
「あーあ。私も早くクリエイトできるようになりたいです」
「お前はもうじき使えるようになるんだろ? 16になったら」
「あっ!」
「ど、どうした?」
突然大声をあげたまなに、光輝はビクッと体を震わせた。
「家ですよ! あれ、私の家です。あーよかった。高校から帰るの初めてだったから、無事帰れるか心配だったです」
ホッと安堵の息をつきながら胸を撫で下ろすまなを見て、光輝は言いすぎだろと思った。が、まななら仕方ないかと一緒に安堵する。
「それでは村雨先輩ありがとうございました。おかげで迷うこともなく無事帰ることができました」
「別にいいって。俺もお前と一緒に帰るの楽しかったしな」
「・・・・・・そういうことは、もっと言うべき相手がいると思うのですが」
はぁ、とまなはため息をつき、鞄の中に手を突っ込みゴソゴソと鍵を探すようにあさり、次第にその顔に焦りが浮かぶ。
まさか、と光輝が思っているとまなは鞄を地面におろし、中身をばらまく勢いでくまなく探す。それらの作業が終わり、まなは絶望の眼差しで空を仰ぎ見て、ペタンとその場にお尻から力なく座り込んでしまった。
「お、おい。大丈夫か?」
「・・・・・・もし、今の私が大丈夫だと見えるのなら、先輩には脳みそがないです。ゾンビは灰になって死ぬべきです。そして鍵になってください」
「鍵持って出るの忘れたのか?」
コクンと頷いたまなに「バカだな」と言おうとしたが、目に涙を浮かべているところを見て可哀想になってきた。
光輝はポケットから取り出したハンカチをまなに渡し、ポンポンと頭をやさしく叩く。
「子供じゃ、ないです。そう言うのは、夢島先輩にやってください」
(それ、こいつがなるのこと子供って思ってるんだよな?)
ある意味危険な爆弾を抱え込まされ、光輝はまなの頭から手を離す。
「一回親にでも電話してみたらどうだ?」
「っ! そ、そうですねっ! もしかしたら何か変わるかもしれませんし!」
ガバッと起き上がったまなはスカートから携帯を取り出し、電話帳に登録された母親の文字をタップしてプルプルと携帯を鳴らす。
まなが母親と電話している間ポケーと光輝はまなの家を眺めていた。
「・・・・・・村雨先輩。私、高校初日から大ピンチです」
電話が終わったまなはどんよりと肩を落とし、今にも泣きそうだ。
「と、とりあえず落ち着け。何があったんだよ」
もしかして出てくれなかったのか? と思ったが、ちゃんと通話していたのだからその線はないだろう。
「二人とも、今日から海外出張みたいなんです。数日前から聞かされてたのですが、今の今までその、高校生活に浮かれてしまっていて忘れてました。鍵も一緒です」
「海外出張か。どのぐらいで戻ってくるんだ?」
「一か月です」
「一か月か・・・・・・一か月!?」
海外ならばそれぐらい時間がたっても別に不思議ではないのだろう。だが問題はそこではない。
その一か月の間、まなは言ったいどうするのだろうか。
家の鍵を持って出るのを忘れたのだから、家に入ることもできない。当然海外に出かけている両親に鍵を借りに行くこともできない。
そこで光輝はまなの着ているセーラー服を見てある考えに至った。
「そ、そうだ。お前ゲネシスなんだから、家の鍵作り出せよ。さすがに覚えてるだろ?」
「覚えてますよッ! でも、でもです。ゲネシスは16にならないと、何もできないじゃないですかッ!?」
そうだった、と光輝は頭を抱える。
ゲネシスがクリエイト。イメージを物質化する力は、生まれた時から使えるわけではない。16年の歳月。つまり16歳の誕生日を迎える必要があるのだ。
まなが鍵を精密にイメージしてクリエイトしようとしても、15歳である限り不可能なのだ。
「ど、どうしましょう村雨先輩。私、このまま野宿しないといけないのですか? 嫌ですよ、そんなの」
野宿する自分を想像したのか、まなはポロポロと涙をこぼし、頬を濡らしていく。
「・・・・・・」
自分の胸に顔をうずめてきたまなを見て、光輝はそっとやさしく頭を撫でてやる。
ここは何か声をかけてやるべきなのだろうが、残念ながらその言葉が出てこなかった。
しばらくしてまなは落ち着きを取り戻し、泣いたことを恥じらうように頬を赤く染めていた。
「友達とかいないのか?」
「いますよ! 村雨先輩は、私をボッチだとでも思ってたんですか!?」
「あー、そうじゃなくて」
言い方が悪かったな、と光輝は頭をかく。
「泊めてくれそうなやつとかいないのか?」
「いないです。中学生の時だったらできたんですけど、その子今寮生活なんです。他の人も大体同じだったり、そこまでいい仲じゃない人もいますし、狐雲高校から遠かったりです」
「手詰まりってわけか」
光輝がそうつぶやくと、まなはまた泣きそうになる。
「村雨先輩、寝袋ってどこにありますかね。レーションって美味しいんでしょうか」
目が虚ろだ。高校一年生が本来するべきでない顔になっている。
本格的にダメージ受けてるな、と光輝は思い、どうするかなと考える。
「そうだな。俺の家でも来るか?」
「村雨先輩。この世にはですね、1と1と0の3つで刻まれる数字があるんですよ。知ってましたか? そして今、私はその数字を使う権利を得たと思いました。いいですか? 使ってもいいですか!?」
「ふーん。そんな数字が・・・・・・って! それ警察だろ! やめろ!! 絶対にその数字は使うなよ!?」
110を入力し、通話ボタンを押しかけたまなの携帯を奪い取り、チョップを食らわせようとして光輝は動きを止めた。
まなは拳を握り、顔をうつむけプルプルと肩を震わせていた。まるで、何かに耐えるかのように。
しばらくじっと見守っていると、突然まなは顔をあげた。
「村雨、先輩。野宿は、嫌です」
「・・・・・・」
「です、から・・・・・・し、しばらく泊めていただいても・・・・・・や、やっぱ無理です! 男の人の家に止まるなんて自殺行為です!」
頬を赤く染め、まなはぶんぶんと首を振る。
「お前も気持ちもわかるんだけど、じゃあどうする?」
「うう。初めては好きな人にって思ってたのに」
「おいまて。なんで俺がお前を襲う前提なんだ」
「え、それが目的で私を村雨先輩のおうちに誘ったんじゃないんですか?」
「違う! 断じて違うからな」
キョトンと小首を傾げたまなに全力で否定する。確かにまなは可愛いと光輝は思う。けど、無理やりとか襲うとか、光輝は嫌いだ。
それにだ。こんなこと言ったのもまなを見ていて可哀想だったからであって、よこしまな考えは何一つない。
「冗談です。でも、他人の家。ましてや男の人の家に止まるとなると、緊張というか、やっぱりちょっと怖いんですよ」
申し訳なさそうにまなはそう言うが、光輝はだろうなと頷いてやることしかできなかった。
「その、でも本当にいいんですか? 私がその、村雨先輩のおうちにお邪魔しても」
「ああ。一人暮らしだからな。誰も文句言うやつはいねえよ」
抑えようと思っていても、声色にわずかに寂しさと悲しみが混じってしまい、光輝は内心舌打ちをする。
それに気づいたまなは何かを聞こうとして口を閉ざした。
世の中には、聞いてはいけないことはたくさんあるのだ。特に、人の関係というデリカシーな問題については。
「じゃあ行くか」
「は、はい。でも、もし夜這いされたら速攻で110ですから」
歩いていく光輝の背中を追いかけながら、まなは自分の家をもう一度見返した。
この第二の家から1か月離れることが、なんだかあまり寂しくなかった自分に少し苛立ちを感じてしまっていた。




