その3。騎士、山姥の謂れを聞く。
少し長くなりました。
女児が襲われるシーン、乱暴な言葉使いのシーンがあります。苦手なかたは、うまいこと飛ばし読みしてください。
不思議。
ライザーは、行軍を除けば実家を出て半年しか経っていない。実家では人手があったから家事をすることはほぼなく、騎士団では自分の身の周りさえできていれば良かった。自身で制服の上衣にアイロンをあてたことだってある。が、外から見えない所はシワだらけのままだった。
「王都で連隊長をしていた程だ。独身寮では体裁が悪いから一軒家を準備してある。そちらから通うように」
余計なことを。とは言わず、降格した自分をもて余している事がありありと分かる支部団長を少々睨んで、ライザーは大人しく引っ越した。
案内されてみれば、築二十年二階有りの庭付き一戸建て。前家主は老夫婦で、丁寧に手入れをしながら住んでいたらしい。
嫁の来手もないのに俺ひとりでどうしろと……?
掃除はできるが炊事は湯を沸かす以外は野外料理しかできない。結局、寝室ひとつに台所を少し、風呂、トイレで事足りるので、未だに家の中は寒々しい。二階など初日にしか上がっていない。玄関に花でも飾ってみるかと血迷う程だ。
そんな我が家の窓が全部開いて、カーテンが風でなびいている。庭では夕べ濡らした服が物干しに掛かっていた。
ただそれだけなのに、ライザーは何とも言えない不思議な感じがした。
「あ!ライザーさん!お帰りなさい」
「! お、おおぉ、ただいま」
ライザーが玄関先でボンヤリしていると、ファニーが二階の窓から手を振っていた。家の陰に馴染んで一瞬どこか分からない。ニュッといつも隠れている手が見えた。白い。細い。
家に入るとなんとなくいつもより明るい。窓が開いているだけで違うものだとライザーが感心しつつ上衣を脱いでいると、ファニーが階段を降りてきた。
「すみません。居留守のはずが天気が良かったので窓を開けちゃいました」
「いや。あの雨の後だ、窓を開けた方がいい。洗濯もさせてしまったな。すまない。ありがとう」
「いいえ!勝手にすみません。実は着替えをすっかり忘れてまして、服をお借りできる内に洗ってしまったんです。夏用は乾きの早い布なので、火を入れてもらっていた暖炉ですぐ乾きました」
ファニーの声の調子は良さそうだ。ライザーは小さくほっとした。
「そうか。風呂は? ちゃんと温まったか?」
「はい! 長湯しちゃいました! ありがとうございました!」
声が物凄く弾んでいる。余計なお世話と言われず良かった。
「飯を買ってきたんだが、半端な時間だな。食べるか?」
きゅう
「ふわあ!アアアアあの、まだ食べてませんので、いただけると嬉しいです……」
随分と可愛らしい腹の虫だとライザーは和む。家の中でもファニーの顔はフードで見えないが真っ赤になっているのだろう。
今は一般的な朝食の時間より二時間経っている。なのに食べていないとは。食材は何かあったはずだ。料理は苦手なのか他所の台所は使うのに躊躇するのか、どちらにしても買ってきて良かったとライザーは結論づけた。
「ん?」
微かに家の中にいい匂いが漂っていた。
ファニーを促し台所へ向かうと、竈に鍋が掛かっている。
「えっと、シチューを作ってみました。と言っても私これしか作れないのですが、せっかくだから一緒に食べようと思って。初めて婆様以外の人に出すので緊張しますが、評価をお願いします」
「あ……ああ」
としか返せなかった。
ファニーがシチューを温め直している姿はオドロオドロしく、ライザーは椅子に掛けながらつい吹き出してしまった。
「待たせて悪かった。引き継ぎに時間をくってしまってな。ついでだからとパン屋の開店時間まで待っていたんだ。ごめんな」
朝まで鬼ごっこなんてするんじゃなかったとライザーは反省した。そのせいで体力を使い切った部下達を仮眠室にぶち込むのに時間をくってしまったのだ。
「いえいえ。お疲れ様でした。どうぞ」
ライザーの分を木の椀に、ファニーの分はカップに分けて向かい合わせに席につく。ライザーも紙に包まれたサンドイッチを開ける。ゆで卵を潰したものと、薄切りの焼いた肉を葉っぱと挟んだもの、茹でた鶏肉を裂いたものと、三種セットを二つあるのを見てファニーが唾を飲んだ。美味そうに見えているようだ。買ってきて良かった。シチューも美味そうだし一人暮らしを始めてから結構まともな朝食だ。
「あの、ライザーさん。サンドイッチ、私の分もどうぞ……」
「ん? 嫌いだったか?」
「とんでもない! 大好きなんですけど、昔から量をたべられないんです。私の食事量って一般女性の半分程なんです。一つの半分を食べればお腹一杯になっちゃいます。だから勿体なくて……」
「なんだ。じゃあどれも食べられるだけ食べるといい。残りは俺が引き受けるから」
「そんな!私の食べかけなんて!?」
「そうか?実家じゃあ食事なんて奪い合いだったからなぁ。気を抜いていると食べかけを取られるし、足りなきゃ取ってたし。騎士団に入って何が感動したって、食事を邪魔されることなく満足に食べられたことだな」
「は~!」
「遠征に行けばそこらの雑草だって食べるんだ。ファニーの食べかけなんて普通の飯だ」
「うぅ、そんな風に言われたら、本当にちょっとずつ食べちゃいますよ……?」
「ハハッ。どうぞどうぞ」
「うぅ、こんな贅沢……でも、いただきます!」
美味しい~!
多分、そう言っている。ファニーの周りに花が飛んでいる。ように見える。
よく咀嚼して、申し訳なさそうにかぶりついたサンドイッチを置き、隣のを手に取ってまた一口。
花を飛ばしながら咀嚼するファニーに笑いを堪えながら、ライザーもシチューを食べた。
「ど、どうですか?」
「うん。美味い。薄味だけど」
「え? これ以上に塩を入れるんですか? あ、体をよく使う職業の人は塩気の強い物を食べるんですよね! 忘れてました、すみません! 塩を足しますね」
「このままでいいよ。サンドイッチが濃い目だから釣り合いが取れてる。ファニーはもう食べなくていいのか?」
「はっ!ライザーさんのサンドイッチが無い! もう食べたんですか!? 早っ!」
「そうか? これでもゆっくり食べたんだけどな」
ふええェェ!
ファニーは変な叫びをしながら、自分のサンドイッチをライザーの方へ寄せた。ライザーはそれらを瞬く間に食べ、鍋に残ったシチューも綺麗に食べ、ファニーが呆然としてる間に洗い物を済ませた。
借りてきた荷車を引き、ライザーとファニーは森の家に来ていた。
何もかもが濡れたり泥が付いたりで、何度も川まで洗いに行った。ライザーはもはや木材と言うのも無理な残骸を集めた。ファニーは小物類と使える薬草の確認をする。ボロとは言え流石は薬師の家。ライザーが思っていた以上にはるかに物があった。だが、それらを収めていたであろう棚も壊れてしまっている。
無事な物を全て荷車に積み終えると気が抜けたのか、ファニーはぼんやりしている。ライザーは荷車に寄りかかってその姿を見ていた。
「私……私も婆様のように、この家で死んでいくんだと思っていました……」
「……うん……」
「私、拾われっ子なんです」
婆様が国境近くまで薬草を探しに出た時に、たまたま。
***
たまたま、子どもの頃に嗅いだ臭いを辿って行くと、盗賊に襲われたらしい隊商があった。戦争の無い国にやっと腰を落ち着けたのに、こういう事をする輩はどこにでもいるのかとうんざりした。自分が住んでいた村はあっという間に地図から消えた。両親の形見は薬師という技術だけ。感謝はしたが、やるせなかった。
辺りを見回すと馬は連れられたのか姿はなく、荷馬車と思われるものが黒炭になっていた。血溜まりがあちこちにある。そこには斬った後に焼いたのか、人だったろう物体が十個程あった。
たまたま見つけたが、もう婆になった自分には一人で埋葬出来ない。せめてもの供養にと一体ずつに向かって祈りをあげた。
帰ったら騎士団に伝えよう。
最後の一人を祈り終えたところで、猫の鳴き声が聞こえた。
弱々しい声を辿って行くと、林の中にも一体の遺体があった。
他のものに比べて火傷の具合が軽いが、背中に大きな傷がある。死因は出血か。その遺体の下に逃げ込んで出られなくなったのだろうか。ドジな猫だ。
とりあえず出してやろうと、軽く祈ってから遺体をひっくり返すと、そこには人間の赤ん坊が泣いていた。産まれて何ヵ月経ったのだろう。黒焦げのおくるみにくるまれて弱々しく泣いている。
放っておけば勝手に死ぬだろう。赤ん坊はどうせ全身火傷だ。助けなければ、助からない。
そう、助ければ、助かる命だ。
まだ。
なぜ、腕に抱いてしまったのか。人嫌いと思っていたが自分に母性があったのか。
軽い。こんなに軽いのに、生きている。
全身火傷だ。いつ完治するか見当もつかない。
でも、拾ってしまった。抱いてしまった。
それからはさっさと家に帰り、とにかくありったけの軟膏を塗った。日々試しながら改良し、乳を分けてもらいに街へ出て、なるべく綺麗な布も安くしてもらい、それはそれは鬼気迫る程に赤ん坊の世話をした。
膿が出なくなり、臭いもおさまり、かさぶたばかりになっても、今度は痒くて泣く子に付きっきり。拾って一年経ってもハイハイがやっと、歯も出てこない。かさぶたが部分的に取れて、斑模様になっている頭には髪の毛も生えない。標準には全く満たないが、それなりに育っている。
ちゃんと、育っている。
この赤ん坊を見た街の住人は化け物と言い、連れてくるのを止めろと怒鳴る。それでも何人かはお下がりの子供服をくれたり、豊作だったからと野菜や果物を分けてくれたり、木材が余っているからと家を補強してくれたり。自分が出来るのは薬を作ることだけだから、お返しはいつも薬。赤ん坊がいるだけで生活はまるっきり変わった。
悪くない。
火傷の熱が引いた、膿がかさぶたになった、かさぶたが綺麗に剥がれた、乳を全部飲んだ、いつもより長く寝た、大人しく起きていられた、あーと言った、首が座った、笑った、ハイハイした、歯が生えた、噛まれた、バーと言った。
一喜一憂だ。
忙しい。激貧になってしまったが悪くない。
陽に当たると皮膚が赤くなり痛がるので、家の外に出る時は黒いローブを着せた。視界が狭くなって嫌がったが無理矢理被せる。仕方なく、自分も黒ローブを着て「お揃い」と言えば、大人しく着てくれた。
五歳になって達者に歩き走るようになっても、他の子より小さいままだ。少しでも成長すると、皮膚が引きつって痛がる。かさぶたが無くなったが、ただれた痕が消えず、塗り薬の臭いもきついので街の子達に石を投げられた。そんな子どもは泣いて謝るまで追い回してやった。まだまだ軟膏を改良しながら塗り込みを続ける。女の子なので顔を念入りにした。
改良版が効いたのか、痕は薄くなり、その一年後には髪の毛と眉毛が生えてきた。産毛が可愛い。鈍い反射の鏡をずっと眺める娘をずっと眺めた。
十歳。跡継ぎのつもり無く育ててきたが、手伝う内に娘はそのつもりになったようだ。うまく友だちが出来なかったのは可哀想だが、歳のわりに我慢強い。自分もいつまで元気か分からない。一人でできる職業なのでこれからの娘の為にと少しずつ仕込んだ。
***
「厳しい時もありましたけど、薬作りを丁寧に教えてもらえたので、婆様の全てを受け継ぐことができました。フフ、免許皆伝らしいですよ?」
「……そうか」
「婆様が山姥と呼ばれるのは、私が十歳の時です。毎年婆様に直接買い付けにくる行商の人が何人かいて、その中の一人にすごく女癖の悪い人がいたんです」
***
その男はこの街に来る度に、いや、他所の街でもそうなのだが、好みの女に声を掛け、手込めにしては捕まるという馬鹿だった。娼館に行けば金を払ってるのだからと無茶を繰り返し、その日とうとう出禁をくらって不貞腐れていた。そうなると仕事をするしかない。さっさと終わらせて次の街で楽しもうとムシャクシャしたまま、森の薬師の所へ向かった。
着いてみれば婆はおらず、黒いローブを着た子どもがいつもの薬を出してきた。
男は、薬師の婆が化け物の子どもを育てているのを知っていたが、子どもと言葉を交わすのは今日が初めてだった。声を聞いて女だと知った。
男は娼館に入れずムシャクシャしていた。婆はいない。黒いローブを剥ぎ取り、斑模様の肌をした女の子を組み敷いた。
「こんな細っこい汚い体じゃ女の悦びを知らないまま死んじまうに決まってる。可哀想だから俺が教えてやるよ」
残っていたシャツを破り、全裸にする為に下着に手を掛けた。
***
「その時ちょうど忘れ物を取りに婆様が帰って来たんです」
それを聞いてライザーは詰めていた息を吐いた。思いもよらない展開に知らずファニーを凝視していた。
「倒れた時に何かに当たったんでしょう。大きな音がしたみたいで、それを聞いた婆様は慌ててました。そして、私を見て、愛用の杖で商人をぶっ飛ばしたんです」
***
本当に壁に当たる程に吹っ飛んだ男に、婆は杖を叩き込み続け、婆とは思えない勢いで蹴りあげて外に追い出した。男はほうほうの体で逃げ出し、婆は脱いだ自分のローブでファニーをくるみ抱きしめた。
ファニーに怪我の無いことを確認すると、ちょっと待っていなさいと薬棚から何かの薬を取りだし、男を追いかけて行った。
何がなんだかわからない内に、婆が「アイツ殺す」と出ていってしまったのでファニーも慌てて後を追った。が、全く姿が見えない。婆様走れたのか!と妙な感心をしてると、ま~て~、と婆の声が聞こえた。街に向かったとわかると、婆のローブにもたつきながら走り出した。
街に逃げ込んだ男は常宿の前で婆に捕まった。
「このゲス野郎が! うちの子に何しようとしたあ!!」
馬乗りになり、婆は拳を男の顔面に叩きつけ、男が鼻血を出したところで一旦手を止めた。
「街の女に相手にされないからって、ついに子どもにまで盛りつきやがって! お前はここで殺す!」
「あ、あんな汚ねえ模様入ったガリガリのガキなんか、この先も誰も相手なんかしねえよ! 俺が女にしてやろうってんだ、感謝されて良いはずだぜ!」
いつもひっそりやって来る薬師が、スカートがまくれるのも躊躇わず追いかけ、馬乗りになって、街で有名なクソ男を殴り付けている。婆と男のやり取りに、割り込もうとした通りすがりの男達が止まる。騒ぎを聞きつけ近くの住人も集まり出した。
「あんなクソガキを相手してやろうってんだ!大人しく差し出せや!鳴くほど悦ばしてやるよ!」
自棄になって叫ぶ男に、婆の形相が段々恐ろしくなり、見物人からは小さな悲鳴が上がった。
「お前に悦ばされるような女はこの街には一人だっていないんだよ! 二度とその姿を見せるな! この短小早漏野郎が!!」
鬼の形相になった婆はポケットから薬を取りだし、男の口に詰め込んだ。全部飲み込むまで口を押さえつけ、飲み込んだのを確認して、やっと男から離れた。
「婆様!」
人垣を抜けた先に、心配顔をした愛娘が息を切らしていた。大きくなったと思ったが、まだまだ自分のローブは娘には大きい。
その事に微笑み、今度は優しく抱きしめた。
「さ、帰ろう。傷の確認をしないとね」
薬師が去ったことにホッとした男が起き上がろうとした途端、下腹が痛み、止める間もなく水の様に糞が出た。
その場にいた誰もが何が起きたか理解できずに呆然としたが、その臭いで我に返ると、誰もが悲鳴をあげ逃げ出した。
あまりの腹痛に自分の糞まみれになりながらも男は動けない。喧嘩を止めに来た騎士も状況が理解できず、オロオロした。誰も何もできずに男を眺め、腹が痛いままとめどなく糞が出ることに恐怖した男が助けてくれと泣き出した。
一連のやり取りを見ていた誰もが男に同情しなかったが、宿の目の前でやられた店主には同情が集まった。
***
「それから婆様は山姥と言われるようになり、怒らせると「七日下剤」を飲まされると噂になり、私に悪さする人もいなくなりました」
「七日下剤……」
「はい。一粒で一週間下り続けるのでそう名付けました。他に三日下剤もありますよ。七日よりは軽めですけど、やっぱり強力です」
軽めに強力って……?とライザーはそっと悩む。
「元々は便秘に悩む女性の為に作ったんです。あれから何故か浮気をした旦那さんを懲らしめる物として人気商品になりました。飲んじゃうとトイレから出られないので、浮気をする暇もないって。娼館からは商売にならないって苦情もちょっとありましたけど」
怒らせないようにしよう。少し心に書き留めたライザーであった。




