その1。騎士、魔女と会う。
今日も何もなく終わりそうだ。
街中の定時巡回。一人の騎士がすれ違う全ての人に避けられながらも仕事をこなす。
この街に隊長として赴任して半年、勤務日は毎日巡回しているが、まだ顔に慣れてくれないのかと騎士は少々凹む。
騎士の地元である王都では厳つい男が山のようにいたが、この温暖な辺境領地ではこの騎士の顔は珍しく凶悪な造りなのだろう。二日前に捕まえた盗賊団は、ヒョロっとした小汚いだけの集団にしか見えなかったようで、部下には隊長の方がよっぽどヤクザらしいですよ!と訳の分からぬ太鼓判を押されてしまった。
商家の次男に生まれたはずが、ガキ大将に始まり、チンピラをまとめあげ、騎士団に所属しながらも裏社会に顔が利くという悪党さながらになってしまったのは、この顔のせいだと思っている。後ろ姿ならば一般人に埋没できる程に体躯は普通なのだ。
子どもの頃は「目付きが悪い」だったのが、騎士団に入った途端の戦争で顔に傷を残してしまい「極道顔」に昇格。家長である父には店番だけはしてくれるなと念を押される始末。
生まれた頃からの顔見知りは問題ないが、初対面では老若男女問わず逃げられる。今年で25歳になるが素人童貞である。兄も姉も伴侶を得て、我が子を抱いている姿にたまに寂しい気分になるが、日々に追われる内に忘れる程度。最近は生涯独り身でも困らないように給料を蓄え始めた。騎士をクビになっても最悪、実家で荷運びくらいはさせてもらえるだろう。
ふと、路地裏に続く途中の業務用荷物がごった返す小路に黒い物体が見えた。
薄暗い小路を用心深く近寄ると、黒い物体は荒い息をして蹲っている人だった。血の匂いも火薬の匂いもしないので、怪我人でも放火魔でもない。おまけに薬物特有の甘い香りもない。ただ具合の悪い人だと判断する。
「おい、大丈夫か?」
そっと声を掛けると、黒い物体はもぞもぞと動き出す。よく見れば全身スッポリと隠れるローブを着ている。フードも深く被っているので怪しさ満載だ。
しかしこの街には、常に黒ローブを纏う人物が一人だけいる。噂は聞いているが本人に会うのは初めてだ。
「あ……だい……」
か細い声で大丈夫と言われたとしても信じられる訳がない。
「とりあえず詰所に行こう。ここよりは休める。吐き気は? 目眩は?」
グッタリしながらも黒ローブは騎士の質問に横に小さく首を振る。
「よし、このまま背負うからな。荷物はこれか?」
ハイ……と、口だけ動かす。スミマセンと息だけ聞こえた。
「これも俺たちの仕事だ。気にしなくていい」
軽すぎる体を背負い、騎士は詰所に向かった。
***
「ありがとうございました。お陰様で今日も無事に過ごせます」
自宅の玄関先で騎士に深々と頭を下げる黒ローブ。声の調子と、深いフードから辛うじて確認できる口元がにこやかなので言葉通りなのだろう。
「動けるようになったようで何よりだ。何かあればまた詰所に来るといい。菓子はあれば出す」
おおおおお恥ずかしい……と黒ローブは俯いた。
黒ローブを詰所の仮眠室に寝かせ、部屋を出た所で部下達に詰め寄られた。
「黒魔女じゃないですか!」「何をやらかして連れてきたんです?!」「ヤツは早く森に帰さないと呪われるらしいですよ!?」「山姥が来る~~っ!!」「いやーーーーっ!」
「……具合が悪そうだから連れてきただけだ」
真っ当な理由を言ってもまったく取り合わない部下達に、黒ローブを家に送り届けるまで自分が相手をするから静かにしろと睨みを利かせることになった。
部下達の常にはないあまりの騒ぎように、黒ローブの通称は黒魔女だったと後から思い出す。が。どんな魔法だろうと息も絶え絶えでは唱えられなかろうと勤務に戻った。
勤務終了の時間が迫ってきたのを理由に仮眠室に声をかける。すぐに返事があったので、そういえばと余っていた差し入れの焼き菓子と白湯を持って部屋に入る。軽いものなら何か食べた方がいいし、甘いものならなお良しだ。
「具合はどうだ? 起きられるようなら食べないか?」
ふあ~お菓子だ~と黒魔女は騎士の方を向くとゆっくり体を起こした。
黒魔女の子どものような言い方に騎士は苦笑し、まずはこれと白湯を渡す。それを飲み干したのをみて菓子も渡すと、黒魔女はベッドから足を降ろし、腰掛けた格好で行儀よく、さして大きくもない菓子を少しずつ、結局一つしか食べなかった。
焼き菓子は三種類の味があるので、残った二つをお土産にとすすめる。黒魔女は恐縮しながらもとても嬉しそうに受け取った。
「美味しかったです。ごちそうさまでした。日焼け防止で怪しい格好ですみません。今日は暖かかったので思っていたより熱が籠ったみたいです。助けていただきましてありがとうございます」
菓子を食べ終えると、立って深々と頭を下げる黒魔女。ふらつくこともないので回復したのだろう。
「いや、こちらも仕事のひとつなので気にしなくていい。差し出がましいが、君を家まで送らせてもらえるとこちらとしてはより安心するのだが。夕暮れが近いから女性の一人歩きは心配だ」
黒魔女の動きが止まる。と、
「ええ~?! ……えっと、正直、助かります。今日はいつもより荷物が重くて、台車を貸してもらえないかと思っていたので。でもお仕事中なのにいいのですか?」
即お断りではない想定外の反応に、騎士は一瞬声が詰まった。
「あ、ああ。今日はもう終わりだ。まあ仕事中でも構わないよ、それが仕事だからな。で、聞いたところ家の方角が同じようだし、荷物くらいは運ぶのを手伝おう。……何なら君を背負っても構わないが?」
いえいえ!と黒魔女は両手を振った。断られるのは慣れているのでここでホッとする自分に呆れる騎士。荷物持ちくらいは部下の誰かにやらせようと考えを巡らせる。隊長権限発動だ。
「背負うなんてそこまでは! ハ~、こんなに女の子扱いされたことがないので変な感じがします。ウフフッ。では、騎士様のお言葉に甘えて荷物をお願いします」
まさかのお願いだった。
騎士の嗜みとしてのお伺いではあったが、断られない事の方が稀で、一瞬息が止まってしまった。しかしすぐに気持ちを切り替える。
ああ、やっぱり女か。背負った時の感じから少年かと迷った。あまりにも細い身体。背負うのに手首を掴んだだけで折ってしまいそうだった。あの程度の荷物で台車を使うなど、体力がないのも倒れた理由の一つだろう。
しかし、女なら女で危機感が足りなくないか? いくら騎士とはいえ男が送ると言うのにもっと拒絶した方が良い。噂から察するに要らん世話かもしれないが、後で注意しておこう。
他にもまだ勤務しているはずの部下が見当たらず、しかし気配のある詰所にまた明日と声をかける。申し送りも済んでいるので、そのまま出た。
しばらくとりとめもなく会話をしながら、騎士はさっきから疑問に思っていた事を黒魔女に聞いてみた。
「そのローブは使い辛くないのか? 見えにくそうで気になる」
キョトンとした雰囲気でこちらを見上げる黒魔女。
「あ、そうか。騎士様とは初めましてでしたね。フードのこの部分は見えやすく編んでもらったので、私からはわりと見えているんですよ。騎士様のお顔の傷も分かります」
黒魔女はフードの上部を指で示す。きっとそこが目の位置なのだろう。それをそぞろに流し、騎士は思わず息を飲んだ。
「あ、失礼しました! 傷の話はよくないですね」
「いや男だし、気にするくらいなら騎士を辞めているよ。そうか、見えていたのか……」
片手で顎を撫でながら思案げに立ち止まってしまった騎士を不思議そうに見上げる黒魔女。
「あの……?」
「自分で言うのも何なんだが、俺の顔が恐くはないのか? ここに赴任してからそういう対応は初めてでな。ちょっと驚いた」
意識がはっきりしてからも黒魔女は怯えを見せていない。騎士団員以外の人間で普通に会話をするなんて、見送りしてくれた家族以来半年ぶりだ。こっちの騎士団員とですら会話らしくなって一月しか経っていない。それほどの強面と自覚はしている。
顔がわからないから、ということならそういう事もあるかもしれない。が。顔を見て普通にしているとは。胆が太いのか、噂通りの変人なのか。
「そういう対応……? 傷が多い方は珍しいですけど、目つきの鋭い方は沢山いますよ?」
……うん……と騎士は一瞬悩む。
「……それが合わさってるから恐いのだろう?」
ため息まじりに答えた。
「ああ! なるほど!」
本気でそう思った様子の黒魔女を、天然か?変人か?と見定め切れない。フードで顔が見えなくてもにこやかな雰囲気が黒魔女から出ている。
騎士は思わず黒魔女をまじまじと見つめてしまった。しかし黒魔女はちっとも怯まない。部下たちならもう涙ぐむか歯がガチガチとなっている目力なのに。
「私、新しい騎士様の噂をたくさん聞いてました。いつでも街中を歩いていて、会う人全てを睨み付けているって。騎士団での訓練も新しい隊長が来てから倍くらいキツくなったとも聞きました」
……報われないな、俺……
昔からだけど、と内心少しだけ落ち込む騎士。
「おかげで、悪いことする人が減りました。スリ、泥棒、放火、食い逃げ、お釣りを誤魔化す店員さん、腐った野菜を隠して売りつける人。犯罪を見逃す騎士。私の知っている困った人たちが、今は真面目に生活してるみたいです」
聞こえた言葉がすぐには理解出来なかった。
今度は呆けて黒魔女を見下ろす。あまり表情に出ないが。
「毎日、毎日、貴方が街を見回ってくれたお陰です。誰もが見逃す道もよく見てくれる。どんなに小さな悲鳴も聞いてくれる。だから、とっても真面目な人なのだろうと思っていました」
頬がうっすらと熱くなった気がする。こんな風に女性に言われたことがなかった。いや、家族以外の女に声をかけられることが無い。でもそんな動揺は乏しい表情に出ない。
この街は平和で、国境が近いといっても隣は情勢の安定した同盟国。表も裏もそれなりの犯罪があった王都に比べると仕事が無く、暇だから巡回ばかりしていた。犯罪が無いなら書類仕事も少ない。かといって一日中訓練をするわけにもいかない。警備の仕事なんて年末年始だけでいいらしい。となると巡回するくらいしか騎士には思い付かなかった。
はじめは赴任先の街並みを早く覚える為だった。覚えてからはこそ泥によく遭遇した。体力は有り余っていたので、それはそれはいたぶりながら追い込みをかけた。トラウマになるほど追いかけたら、もう真面目になるしかないと更正する奴らが増えた。
また、何軒かある賭博屋の一番のぼったくり店舗でイカサマをやり返し、それこそ身ぐるみ剥がす勢いで巻き上げ、逆上したところを遠慮無く建物ごと叩き壊しスッキリしたこともある。
そういう事が悪名として自分に返ってくるのだが、犯罪が減るなら大したことではない。真面目に騎士の仕事はこなしているが、自分を真面目だと思ったことなど一度だってない。
しかし、それらの事を気にするのを通り越した現在、それを認められたのが気恥ずかしい。
いまだ無表情で動揺したままの騎士に、なんと黒魔女は爆弾を落とした。
「今日お世話になって、やっぱり優しい方だと思いました」
騎士は唖然とした。全く顔に出てないが。
優しい。そんなことを言った女は母と姉だけだ。家族補正しかないはずだ。
やっぱりって何だ!? どういう事だ!?
「私は「山姥の娘」ですし、常に全身黒いですからね、よく子どもに泣かれます。大人にだってよく避けられるし、薬を売りに来たって必要以上に話すこともありません。フフッ。今日はもう一年分くらいしゃべってます。婆様が亡くなってから久しぶりのたくさんのおしゃべりなので楽しいです」
西の森の黒魔女。
騎士の目の前の黒ローブの通称である。
騎士団員でさえ関わることを躊躇するものだから、赴任当初は本物の悪い魔女かと思っていた。
いつ事件が起きるかと内心ワクワクしていたが、まったく平和な半年を過ごした。いまや騎士の起こした事の方が事件であり、騎士の方が要注意人物として街に浸透している。
よくよく聞いてみれば、誰も素顔を知らない見た目が不気味な薬師と判明。山姥とは彼女の育ての親の薬師のことで、彼女が魔法を使った姿を誰も見たことがないことは噂からの情報でわかった。
それだけの理由で敬遠されるものか?と騎士は思っていたが、以前遠目に姿を確認した際、頭から足首まで黒いローブに包まれたその様子は確かに見た目が不気味と修正した。あれではだいぶ近寄りがたい。絵本に出てくる悪い魔法使いそのままだ。
ただ、見た目以外に問題はない。見た目が怪しいからという理由では取り調べるまでもないので、今日まで接点のない相手だった。
それなのに、優しいと思った、とは。
騎士の動揺する頭では、やはり女性は菓子に弱いとしか結論が出ない。
だから。
彼女の自宅に着いてあまりのボロ小屋に同情したのもあり、何かあれば頼って構わないと言ってしまった。
勿論それは騎士としては当然のことだが、彼女に興味を持ったことも自覚していた。
無意識に言ったことに、それだけではないことに気付いたことに驚いた。
それだけ普通の会話に飢えていたのかと、騎士は内心苦笑した。
お読みいただきありがとうございます。