竜に眼薬
某所のお題:「池」「目薬」「最弱の学校」でジャンル指定:悲恋で書いたものです。
某所というのを特定しても誰にも言わないでくださいね。
……話全体を悲恋の構成にするのは作者には無理でした。
ずぶずぶと水底の泥を舞い上げながら、巨大で無骨な人影が池に分け入ってゆく。
合金と魔宝玉で出来た全高9メトル、10トーンの巨体が泥に沈み込んでしまうことがないのは、足底の面積を増やす改造が行われているためだ。
今や太ももの半ばまでが水面下に沈みつつ、なおも巨人はざぶざぶと、池に生える水草をかき分けながら歩を進めてゆく。
その胴体の腰の付近、人間で言えば子宮に相当するような部位に、一人の男が内蔵――いや、搭乗していた。
「よーし、浸水は無いな」
ティイクは防水加工を施した巨人の様子を確認すると、更に機体を深みへと進める。
機体各所に配置された29個の”同調同期”の魔宝玉が彼の思念を感じ取り、巨人の体を動かす駆動装置へと伝達していた。
そこへ、”遠隔伝声”の魔宝玉を通して女の声が届く。
『ティイク。ハイロンの調子はどう?』
「順調だ。このまま池の真ん中まで潜って完全潜水状態での試験をやる」
『ふーん』
女、ロッチェは、興味が有るのか無いのか分からない特有のトーンで頷いた。
彼女が発したハイロンという名は、彼が乗る巨人の愛称だ。ティイクはこのハイロンに水中での活動に対応した改装を施し、その実効性を試すため、水中へと向かっているのだ。
『うちがまた負けたから?』
「丁寧に詳細説明しなくていいだろ! そんな状況で夏季長期休学だからって休んでる奴らがおかしいんだ!」
他人ごとのようなロッチェのつぶやきに、ティイクは反論する。
万年最下位とはいえ、サン・ヴェナンダン魔法学校の魔動巨人部は彼の熱意もあり、確実に実力をつけつつあった。最弱の汚名を、過去に葬り去ってみせる。
あとは、機体の性能を高めてゆくだけなのだが……
授業のないこの夏休みは格好の機会だというのに、部員たちは熱意に欠けていた。
『いやぁ、たまに実家に帰るくらいは許してあげようよ……課題もあるし、特に1期生は名門校に入って最初のお土産話とか、家族からせがまれたりしてるみたいだし』
「お前だけは俺の味方だと思ってたのに!」
『あたしたちは実家通いだしすごく近いし』
「あーもう、分かったよ!」
ティイクは池の中心の半分まで進んだ所でロッチェの反論に苛立ち、その心境を反映してしまった巨人が頭を抱えるポーズを取る。
だが、そこでティイクはあることに気づき、それを口に出した。
「……ていうか、この池もしかしてそんなに深くないのか?」
先ほどまでは順調に水深が深まっていったのだが、今ではハイロンは腰のやや下までの高さになった水の中を歩き続けているだけだ。
機体全体に施した防水処理のテストをするのだから、全身が浸かる方が望ましいのだ。
『あー、確かこの池って深いとこでも5メトルくらいしかなかったと思うんだけど』
「早く言えよ……」
『あんまりさっさと入ってくもんだから下半身だけでもすぐにテストしたかったのかなって思って』
「そうかありがとうなこんちくしょう」
そもそも淡水が集積した地形であまり水深の深くないものを池と呼ぶのだから、ドラケ池と呼ばれているここも、最深部であろうとそこまで深くない可能性は想定してしかるべきだったかも知れない。
少しやけになって、彼は呻いた。
「くそ、こうなったら真ん中まで行くぞ」
再びざばざばとハイロンを歩かせ、遂に中央まで来たが、やはり直立したハイロンの全身を沈めるには池は浅すぎたらしい。
ティイクは多少あがいて周辺を歩き回らせてみたが、やはり変わらない。
「………………」
『しゃがんだり泳いだりするしかないね』
「……本当は水中で直立機動させたかったんだけ、うわっ!?」
その時、大岩か何かの固く重厚な物体にハイロンの足が引っかかり、転んで水没する。
水しぶきが上がったのは、恐らく池からやや離れた魔導巨人部のガレージからでも見えたはずだ。
「何だ、今の……」
ふわふわした泥だった他の箇所とは異質な感覚が”同調同期”の宝玉を介して伝わってきて、ティイクは訝った。
ハイロンの足元に、何かある。
「……潜水して水中での視界を試す」
『何があったの?』
「何か硬いものが足に引っかかった……んで、探してみる」
『りょーかい』
ガレージの通信設備では備え付けられた宝玉の作用でハイロンの視界で視ているものを見ることも出来るが、池の水は透明度も低く、ロッチェにとってはあまり強く興味を抱くことも出来まい。
ティイクは水中でハイロンの体勢を立て直し、四つん這いになって周囲を探した。
ハイロンの転倒で巻き起こっていた泥で視界は悪かったが、ティイクは手探りでそれを探し当てた。
機体の右腕と宝玉を通して、ごん、と小さな衝撃が来る。
「これか」
池の底に突き刺さっているやや細長い形状ものらしく、根本が揺れて更に少量の泥が舞った。
『見つかった?』
「ああ、何か……よく分からんけども!」
ハイロンの手にはちょうど、握りやすい太さだ。
機体を立ち上がらせて、物体の形状を明らかにする。
池の水をはねのけて再び上半身を空気に晒したハイロンが持ち上げたのは、長さ5メトルほどの金属棒だった。
全高9メトルの魔動巨人が持つと、畳んだ傘のような長さ。人間の目線で見れば、柱と形容したほうが近い大きさだが。
水と泥の滴る表面をよく見ると、錆びの発生で決して明瞭ではないが、何かの文様が刻んであるようにも見える。
「ん……?」
そして、一方の先端からは、鎖が水面下に伸びていた。
『何だろうね。船の錨かな? ……でもこんな小さな池で錨を使うような船なんて出さないかな』
「……最近の落とし物じゃないだろうし、持ち帰ってみようか」
ティイクはハイロンの腕を使って、錆びついた金属柱から伸びた鎖を引っ張ってみた。こちらも大いに錆びてはいたが、少なくとも多少の負荷がかかった程度でぼろぼろと崩れるようなものでもないらしい。
だが、鎖の伸びる先に何がついていようとハイロンの力で出岸まで引き上げるつもりだったティイクは、予想外の強い反動で機体が引き留められるのに驚き、振り返った。
『どうしたん?』
「何か引っかかってる」
ティイクは機体の両腕に再び命令を入力し、ハイロンは40トーン程度までなら機体の真上に持ち上げることが出来る強大な起重力で鎖を引いた。
「この!」
だが、鎖は動かない。
鎖は鎖で、錆び果てている見た目の割に頑丈に出来ているようだ。
二度、三度と引いても結果は変わらず。
ティイクはハイロンを反転させ、何が引っかかっているのかを探りに行った。
鎖を引っ張りながら辿っていくだけなので、それはすぐに見つかった。
『……古代遺跡か何かかな?』
それは直径3メトルほどの円盤状の物体で、テーブルのように池の底から生えていた。
鎖で繋がれた風呂桶の栓を巨大化すれば、といった形状だが、金属柱と似たような文様が表面にあしらわれているとロッチェが言えば、その通りにも思えてくる。
「こんな小さな池にそんなもんあるのか……」
『小さな池って言うけど、ここってサン・ヴェナンダンが出来た暗黒時代より前からあったらしいよ。ローカルだけど、神話みたいな言い伝えもあるんだって』
彼らの在籍するこの学校が、現代的な教育制度が整うはるか以前から教育組織として続いているのはティイクも知っていた。
ただ、ロッチェが説明した神話の内容というものは、初耳だった。
炎の魔女の時代より更に昔、この地には仲睦まじく暮らす二人の恋人たちがいたという。
名前は伝わっていないが、男は富もあり勇敢で名も知れており、女は盲目だがこれとよく意を通じ、愛しあっていたという。
ある日男は、盲目に効くという眼薬を女に捧げるために、このサン・ヴェナンダン地方の山々を歩きまわって材料を探した。
『「時代を考えれば、眼薬っていってもこういう点眼薬じゃなくて、水で薄めたりして直接眼に塗るっていう感じのだったろうけどね』
ティイクは、ロッチェがたまに眼鏡を外して眼薬を差しているところを知っていた。
「そういやお前、目は大丈夫か」
『大丈夫だよ……そりゃ話題逸らしたのはあたしだけどあんまり脱線させないで』
「俺は悪く無いだろ……」
閑話休題。
そして、眼薬を手に入れた男が家に戻ると、女は彼の外出が不貞を働くためのものなのではないかという疑念に心を曇らせ、本来の姿であった竜に戻って暴れたという。
だが、そこを訪れた旅の剣士が、竜を沈めて窪地の底に閉じ込め、その上に鎮めの石を置いて女を鎮めた。
悲しみに暮れた男は、剣士の助言で女に捧げるつもりだった眼薬で窪地を満たし、ドラケ湖とした。
サン・ヴェナンダン地方に伝わる、比較的知名度の低い民話である。
「何か、悲しいような、すごい話なんだな……」
『まぁ、今じゃこんな狭くなっちゃって、ドラケ池って呼ばれてるけどね。あたし中学の時は古典部だったからさ、そう言うの詳しいんだ』
「てことは、この下には竜女が封印されてて、池は馬鹿でかい眼薬ってことか?」
『うーん……精々、それに見立てた石を沈めたこともあったってとこじゃない?
ロマンチックだけど、こういうのって大昔に水害が多かった地方で生贄を沈めたとか、技術の進んだ国から招かれて来た治水の専門家が解決していきましたっていうのが変形して伝わってることが多いみたいだし』
「…………」
勝手な話だが、ティイクは女というものを押し並べてロマンチストばかりだと思っていたため、神話を否定するような判例を述べるロッチェの声を意外な気持ちで聞いていた。
確かに、常識で考えれば何百年も前の眼薬など、絶対に使用に耐えまいが。
ティイクは好奇心もあって、呟いた。
「……水中起重試験をやるぞ」
『まぁ、古代遺跡ならめっけもんかなぁ。壊しそうなら中止してね、文化保護的な観点から』
「分かってる」
彼の考えていることなど分かっていると言いたげなロッチェの返事を聞き流しながら、ティイクはハイロンの手に持たせていた金属柱を機体の右、池の底の泥に突き刺した。
両腕を自由にすると、そのまま機体をしゃがませて再び水中に没し、円盤状の物体の両端をハイロンに掴ませた。
二対の手の平が、円形の物体の両端をしっかりと把持する。
機体の防水加工も、まだまだ問題ない。
ティイクは、ハイロン防水仕様の水中起重試験を開始した。
「そぉれっ!」
だが、思いの外それは手強い。
足の裏の改造のお陰で膝から下が泥に沈み込むだけで済んだが石で出来ているらしいテーブルはびくともしなかった。
「くそ、マジでか……!」
『そんなに重いの?』
「上がんねえ!」
ハイロンの起重性能は、リーグ戦委員会が公式で算出した数値で39.1トーン。
自分の4倍程度の重さであれば、下から持ち上げて頭上に掲げることが可能なパワーを誇る。
それが、目測ではあるがはいろんと同程度の重さであろう目の前の石の円卓を持ちあげられないというのか。
「ざっけんな、くそ……こうなったら」
『過剰増幅をやる気!?』
ロッチェが珍しく悲鳴を上げる。
ティイクは意地もあって、ハイロンに搭載している秘密の機能を発動した。
「上げてみせろ、ハイロォォンッ!」
ティイクが魔力を込めると、機体を駆動させている”伸縮”と”回転”を司る144個の魔宝玉がその出力を増し、ハイロンの起重力を更に向上させる。
石が、動いた。
「ぬぉりゃあああ!」
だが、ここで誤算が生じた。
過剰増幅で倍近くに高まったハイロンの起重力は、あろうことか石のテーブルを天高く放り投げてしまっていた。
力の込めすぎで、指の関節が壊れていたのだ。
水の尾を引きながら、ティイクはすっ飛んでゆく大石――酒瓶の木栓のような形状をしていた――を眺め、そしてまた機体と一緒に水没した。
「んんん!?」
『ティイク!?』
妙だ。
とんでもない力で、水中に引きずり込まれているような。
激しい振動が襲ってきて、ティイクはいつの間にか、意識を失っていた。
「ティイク……棺の中にはあんたの好きな蛾の幼虫をびっしり入れてあげるからね」
「別に俺は蛾の幼虫とか特に好きでも何でもねーから!?」
「あ、生きてた」
ティイクが不穏な発言に抵抗すべく起き上がると、そこにはいつの間にかロッチェがしゃがんでいた。
彼自身がいるのも、ハイロンの操縦室ではなかった。
そもそも、ここはどこだ。木が茂っているが、
「あれ、ロッチェ……石をぶん投げちゃったあたりから記憶が無いんだけど、今どうなって――」
そこで、ティイクは黙った。彼とロッチェのすぐ近くに、巨大な怪物が佇んでいたのだ。
どれほどの大きさだろうか、幻獣の竜のようにも見える、苔色の羽毛で覆われた巨木のような長大な体躯。
そこからは二対、曲がった馬上槍を思わせる爪が生えた、これまた強靭そうな手指。
そしてその頂上で、黄金の大地とそこに生じた真っ暗な裂け目を思わせる二つの瞳が彼らを見下ろしていた。
思いの外鮮やかな内部を晒す、薄い桃色の巨大な口腔と、その縁に乱立した白い牙。
実物を見たことのないティイクにも間違いないと思わしめる、圧倒的な竜。
「…………!」
悲鳴をあげようにも、それに気づいたか、ロッチェが両手で必死で口と鼻を押さえつけてきた。
かろうじて、自分の悲鳴で更に気が動転する自体は避けられた。
「この人が、あんたを助けてくれたのよ」
「ぷは! ……こ、この、ひと?」
ロッチェの言が飲み込めずにいると、そこに場違いなほど柔らかな、別の女の声が聞こえた。
《ごめんなさい、あなたの乗っていた大鎧、少し壊してしまったわ》
「!!?!?!?」
ティイクは数秒間ほど、その発言の意味を理解出来なかった。
だが、竜がその巨大な手で器用に指さしをした先に、彼の愛器であるハイロンが疲れきったように擱座していた。
「!!」
それでようやく、この竜がそれを話したのだということも理解できた。
竜の言葉は続く。
《でも、あなたが”彼”の作ってくれた眼薬を流し込んでくれて、ようやく世界が見えるようになった。
目が見えないからって、”彼”のことを信じ切れずに暴れてしまったことも、後悔できた。
本当にごめんなさい。本当に、ありがとう》
「……な、何が、何だか……」
「あたしがさっき話した民話、覚えてる?」
ロッチェのヒントで、ティイクは驚愕と共に、それを思い出した。
「マジで!?」
《でも、時代が変わりすぎてしまったみたい。私はこれ以上、ここにはいられない。”彼”に対して償えることをしながら、どこか人の目の届かない所に行くわ。
それじゃあ、二人とも……さようなら。
大切な人を、大切にしてね》
一方的にそこまで言うと、竜は何かの呪文を唱えた素振りもなく、その巨体を無音で空中へと舞い上がらせた。
そしてそのまま、すさまじいまでの速度となって、雲の彼方へと消えてゆく。
ティイクは辛うじて、喉の奥から感想らしき言葉を引きずりだした。
「……どういうことなの」
「だから、あの民話が――」
「それは分かったよ一応! てか、おい、ハイロンがこんな! これじゃ独立戦争で不完全燃焼起こしたみたいじゃねーか! せっかく防水仕様にしたのにひどいだろ!」
「何言ってんのか分かんないんだけど……でもすごい体験しちゃったね」
「あぁ。あー……防水がぼろぼろ……」
疲れきって座り込んだような姿勢で樹木にもたれかかっているハイロンの操縦室の開放ボタンを探しながら、ふと後ろを見る。
ドラケ池はすっかり水を失い、泥溜まりに変わり果てていた。
幻獣が出て、愛機が故障し、そして恐らくこれを調べに王立警察なども来るのだろう。厄介事にも程がある。
ティイクはハイロンの操縦室を開放し、魔宝玉を操作して再起動の手順を開始した。
「水中動作試験完了……! ロッチェ、乗って。乗り心地は……期待するな」
「知ってる」
右腕の宝玉が半分以上活性を失っており、彼はハイロンの姿勢を下げて左手をロッチェの前にゆっくりと差し出した。
それに乗って操縦室の高さまで持ち上げられながら、ロッチェが小さく呟く。
「ホントに目を覚まさないかと思った」
「あぁ……心配かけて……悪かった」
そう言いつつ、眼鏡の奥のその目元が、やや潤んでいるように見える。
厚かましい自意識過剰でなければ、もしや。
「ロッチェ、もしかして……泣いたりしたか」
機嫌を損ねないよう恐る恐る尋ねると、彼女は視線を逸らして口を尖らせる。
「眼薬に決まってんじゃん、バカ」
ロッチェは半眼で懐から眼薬を取り出してみせると、すぐにそれを仕舞って手の平をぱたぱたと振った。
彼は、ハイロンを魔動巨人部のガレージへと向かわせる。
出来るだけ、穏やかに。
はるか西の空を見上げると、竜の引いた雲が伸びていた。