子やぎの日常。
《それ》を感じる様になったのは数週間前からだった。
ある日は道端で。またある日は町中で。またある日は学校の授業中。部室や自宅にいたってはずっと《それ》を感じる。
何処にいても感じる《視線》。
それはねっとりと重く体の隅々に纏わり付き肉体はおろか体の中身まで視られている風に感じてしまう程強いもので。俺は日々強くなる視線に恐怖していた。
「悠一。朝だよ、起きて。」
体を揺らされ浅い眠りから目が覚めると弟の健二が制服姿で俺の顔を覗き込んでいた。
健二とは2歳違いの兄弟で歳も近いせいか一般的な兄弟より仲が良いとよく言われる。思春期なのに反抗的な態度はおろか兄である俺にベッタリの甘えただ。外ではしっかり者で通っているらしいが健二は間違いなくブラコンだ。隠れブラコン種族だ。
昔からあまり家に居なかった両親の代わりに世話をしていれば当たり前だと親友に苦笑された。特にそれ自体を悪く感じていないのだが最近は《視線》の事もあり少し健二から距離をとっていた。
そんな俺の態度に寂しさを覚えたのか今朝はドアの鍵を開けてまで室内に潜入して来たのだからびっくりを通り越して関心してしまう。
「悠一、今日はお寝坊さんだね。昨日夜更かしでもしてたの?」
「いや、なんか最近寝つきが悪くてさ。」
最近《視線》が気になり視られているストレスから眠りが浅くなり少し寝不足気味だった。
何処にいても何をしていても感じる《視線》は悠一の私生活をどんどん犯していく。
寝不足や食欲の低下を始めそれ等から伴う集中力・体力面での低下や貧血嘔吐。
そんな症状を周りには隠しながら生活をする。
誰にも相談出来ないし、しない。
誰かに相談すれば自信過剰だと笑われるかもしれない。神経質過ぎだと言われるかもしれない。
もし仮に心配してくれる人がいたとしてもその人を巻き込んで何か事件が起きてしまったら。
そう思うと誰にも相談など出来る筈もない。
「ねぇ、今日は帰り一緒に帰ろうよ。」
「...朝からもう帰りの話?」
「だって、悠一最近すぐ一人でどっか行っちゃうから。」
駄目?と此方を伺う姿は小さい子供そのもの。
身長も体格も俺よりずっと大きいのに言葉つきや態度は昔から変わらない。一人だけの俺の弟。
昔から後ろを付いて回る姿が可愛い大事な弟。
だからこそ弟を巻き込まない様に距離をおいていたのだが健二はそんか俺にモヤモヤしていたのが分かる。健二は基本、我が儘を言わない。理由は俺に嫌われたくないからだ。昔本人がそう言っていた。
そんな事で俺が健二を嫌うわけないのに。
「いいよ。委員会があるから少し遅くなるかもだけど。」
「 !! 」
パッと目を輝かせ笑顔になる健二。
そんな健二に苦笑しながら通学路を歩いていると背中にトンっと小さな衝撃を受けた。
「先輩、お早う御座います!!」
肩越しに振り返ると俺の腰に抱きつきながら挨拶をしてくる後輩、笹木優子の姿があった。長く艶のある髪をツインテールにし先の方を少しだけカールさせている。身長も小さくドレスなど着たら西洋人形の様になる可愛い顔をした可愛い後輩。
「おはよう、優子ちゃん。」
優子とは同じ委員会に所属している。健二とも同じクラスであるためよく話す後輩だ。
優子自体一人っ子らしく兄属性の俺にとてもなついてくれている。
「先輩、今日の委員会一緒に行きませんか?教室までお迎えに行きますよ!!」
「いやいや、優子ちゃんの教室からの方が委員会室近いんだから悪いよ。」
1年の教室と委員会室は同じ3階。片や3年の教室は1階の端っこ。どう考えても大変だ。
俺の答えが不満なのか「えぇ~。」と唇を尖らす優子。そんな優子の頭を軽く撫でながら妥協案を出す。
「じゃあ俺が優子ちゃんを迎えに教室行くよ。」
「本当ですか!?やった~。待ってますね!!」
頬を赤く染め嬉しそうに笑う優子。
その姿を可愛く思っていると。
「 ...っ!!」
感じる。あの《視線》だ。
背筋に冷たい汗が伝うのが分かる。
いつもより粘っこくないがでも間違いなくあの《視線》だ。
「悠一、どうかしたの?」
肩を掴まれはっとした。健二が眉間に皺を寄せながら俺を見ていた。優子も突然黙った俺を心配し不安そうな表情をしている。
年下に心配されなんとも恥ずかしくなる。
この2人に話したら心配してくれるだろう。慰めてくれるだろう。しかしそれでは可愛い2人を巻き込んでしまう。2人は俺が守るべき存在だ。巻き込む事は許されない。
無意識に震える指先に力をいれ何事もない笑みを顔に乗せる。
「悪い。数学の宿題やってないの思い出して絶望してた。」
「...悠一。」
「...先輩。」
上手く騙せたのか2人は苦笑していた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
学校に着き2人と別れ教室に向かう。
教室の扉を開けるとまだクラスメイトは殆んど来ていなかった。教室が1階にある為殆んどの奴等が遅刻寸前で来るのは日常だ。
教室に居る数人に挨拶しながら自分の席に向かうと其処には見馴れた人物が椅子と机を占領していた。
チャラく染めた茶色の髪を太陽の光でキラキラ輝かせながら寝ている人物、木村涼太。
俺の親友で産まれた時からの付き合いである。
「また俺の席で寝てんのかよ。」
涼太は何故か俺の席でいつも寝ている。朝や移動授業・昼休み・放課後等俺が席を離れると決まって涼太は俺の席を占領している。
特に問題はないのだが1度理由を聞いたら「悠一の席、暖かいから。」との事。
涼太は猫なのではないかと疑ってしまう程、奴は日々席を占領している。
「おい、涼太起きろよ。」
肩を軽く揺らす。すると茶色頭がピクッと跳ねゆっくりと体を起こした。
「...おはよう?」
「おはよう、涼太。」
まだ脳が覚醒しきれていないのだろう。涼太の目はトロんとしている。
そんな涼太を椅子から立たせ席に座る。椅子からは涼太の温もりを感じるが如何せん奴の体温は高い。結果下半身から伝わる温もりは、暑い。
それを少し不愉快に思っていると涼太が今度は机に腰掛けてきた。机の半分を占領された。
「顔色悪いけどなんかあった?」
涼太を机からどう引きずり下ろそうか模索していると顎を掴まれ上を向かされる。
目に映ったのは心配そうな瞳をした涼太。
涼太は昔から俺の心配をする際顔を掴み目を覗き込んでくる。初めて見る奴は距離が近いと騒ぐが俺からしてみれば今更どうとも思わない。
「少し寝不足なだけだから大丈夫だよ。」
涼太が必要以上に触るのは俺だけらしい。
涼太の母親は出産後亡くなっている。元々体が弱い人だったと聞いている。父親は妻を亡くした悲しみから涼太をよく1人にした。
俺はそんな涼太の手をいつも握っていた。
「無理しないでヤバければ言えよ?」
「うん、ありがとう。」
最初は俺から握っていた手を握られる様になったのはいつからだっただろうか。
「出席とるから席に着けよー。」
あれから何事もなく時間は過ぎ教室に担任の千葉先生が来て朝のホームルームを始める。
生徒の名前を呼び出席を確認し連絡事項を伝えるいつもと同じ風景。
平和なその空間の中で俺だけが恐怖していた。
また、感じるのだ。
あの粘っこい《視線》を...。
何処からかは分からない。でも確実に視られている。
それは朝より濃厚なもので。
(気持ちが悪い。)
《視線》の気持ち悪さから体が震え冷や汗を感じる。この場から走って逃げ出したい。でもそうすれば皆が不信に思い巻き込んでしまう。
大丈夫。視られているだけだ。
いつも通り無視してれば大丈夫。大丈夫だ。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「悠一、部活行こ。」
あの後、纏わりつく視線を無視しながらなんとかいつも通りの学園生活をおくる事ができた。
授業も終わり教室からはどんどん人が帰っていく。
鞄に荷物を入れている俺に意気揚々と声をかけてくる涼太に返事をしようとするとタイミングよくスマホが揺れる。
画面を見ると今年卒業したOBの柏枝先輩からの着信だった。涼太に手で合図を送り電話を繋ぐ。
「柏枝先輩、お久しぶりです。」
「久しぶり。元気にしてたか?」
柏枝先輩とは同じ部活に所属していた。
明るくムードメーカーな先輩に誘われ涼太と一緒に入部したのが始まり。
先輩は面倒見がよく卒業するまでいろいろお世話になってしまった。卒業後も何かと連絡をくれるとても良い先輩だ。
「でさ、暇だから部活に顔出ししようと思ってるんだけど悠一、今日部活出るよな?」
「先輩が来るなら出たいですけど今日委員会があって部活に間に合うか分からないです。」
俺は美化委員会に所属しているので委員会がある日は殆んど部活に出れない。
部活後に会っても良いのだが今日は健二と帰る約束があるから無理だ。健二は何故か先輩を嫌っている節がある。理由は分からないが態々弟の機嫌を悪くする必要はない。
「じゃあさ...」
「悠一、早くしないと委員会始まっちゃうよ?」
先輩が何かを言う前にスマホをあてた耳の近くで涼太の声が聞こえた。反射的に教室の時計を見ると委員会迄あまり時間がなくなっていた。
まずい。優子ちゃんを迎えに行く約束があるのに。
「ありがとう、涼太。」
涼太にお礼を言い先輩にも軽く謝罪し電話を切る。
電話を切る際、先輩が何かを言っていたが聞き返すより早く涼太が通話を切ってしまった。
後でまた電話しよう。
涼太と教室で別れ急いで3階の教室に向かう。
息を切らせながら優子ちゃんのクラスに着き教室を見渡すが優子ちゃんの姿はない。
時間的に委員会開始時間ぎりぎりだから先に行ってしまったのかもしれない。
仕方なく委員会室に向かう。
委員会室に着いたのは本当にぎりぎりで委員長にねちねち怒られてしまった。
委員会室に優子ちゃんは居た。目が合うとバツの悪そうな顔で頭を下げた。そんな優子ちゃんに軽く手を振り返し苦笑いをした。
「では今回の委員会を終了します。お疲れ様です。」
委員長の言葉を最後に委員会が終わった。
俺は直ぐさま優子ちゃんに話しかける。
「優子ちゃん、迎えに行けなくてごめんね。」
優子ちゃんは無表情に俺を見た後プイっと顔を反らし拗ねた口調で返事をした。
「先輩がいつまで経っても来ないから寂しく1人で来ましたが気にしてませんよ。」
100%拗ねているのが分かる。
優子ちゃんは頬をハムスターみたいに膨らませ視線を合わせようとしてくれない。
思わずその様子に笑いが漏れる。
「本当にごめんね。代わりに優子ちゃんのお願い、1つだけ何でも聞くから許してくれませんか?」
「...何でも聞いてくれるんですか?」
「良いよ、俺に出来る事なら。」
俺の言葉を聞き機嫌が直ったのか優子ちゃんは笑った。
「先輩に見てほしい物があるんで帰る前に手芸部の部室に来てくれませんか?」
「良いけど、お願い事は?」
「それはまた後日にします!!」
笑顔のまま優子ちゃんは荷物を鞄にしまい「用意があるんで先に部室に行ってますね。」と小走りで教室を出ていってしまった。
《お願い事》が余程嬉しかったのか数分前とはえらい差のテンションだ。
笑いを堪えながらスマホを取り出し健二にもう少し遅くなる致を伝えると直ぐ返信が返ってくる。
どうやら涼太と一緒に居るとの事。
自分の居ない処で2人が仲良くしているのを少し寂しく思い返信を止める。
「委員会が終わったのに帰らないのか?」
振り返ると千葉先生が入口に立っていた。
教室にはいつの間にか俺しか居らず教室の前を通った際不思議に感じて声をかけてきたのだろう。
「今から帰りますよ。千葉先生は見回りですか?」
「そう。今週は俺が当番なんだよ。」
めんどくさいと呟きながら俺の方に歩いてくる。
俺の前で立ち止まり腰を屈めながら顔を覗いてくる。
「最近、顔色悪いが何か心配事でもあるのか?」
ついには担任にすら心配されてしまった。
そんなに顔色が悪いのだろうか。元々色白なこともあり少しぐらいバレないと考えていたのだが。
「最近、眠りが浅くて少しだけ寝不足なだけですよ。」
心配された時に言う、言い訳を口にし微笑む。
嘘は言ってない。本当の事も言っていないが。
「体重も少し落ちただろう。」
そう言い手首を握られる。
確かに以前より少しだけ体重も減り肉も落ちた。でもその変化は本人以外気づかない程度のものだ。
《何か》がぞわぞわとする。
理由もなく息が詰まる。
《視線》が全身に纏わりつく。
「...先生、俺帰るんで離してもらって良いですか?」
「.....。」
先生は無言で手を離してくれた。
手首はうっすら赤くなっているが気にしない。
鞄を肩にかけ軽く会釈して教室を出る。
出る直前に見た千葉先生はただ淡々と俺を見詰めていた。
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タンタンっと一定のリズムで階段を下りる。
回りには誰もいない。
いない筈なのにとても近くから感じる《視線》。
纏わり絡み付き俺を捕まえる。
気を抜いたら恐怖で立っていられなくなる。
無意識に噛んだ唇が痛い。
意識を離さない為に握る右手が痛い。
(大丈夫、大丈夫まだ大丈夫。)
唯一の救いは遠くから微かに聞こえる運動部の声。
その声が非現実的な日常から現実に戻してくれる、そんな気がした。
(大丈夫大丈夫!!)
誰でもいい。誰かに会いたかった。
会って話して安心したかった。
纏わりつくモノから逃がしてほしかった。
俺は皆に大丈夫だと心配するなと見栄を張った。
でも、大丈夫じゃあない。大丈夫な筈がない。
いつもいつでも何処からか感じるモノに視られ続ける。起きていても寝ていても家に居ても学校に居ても視られている。
それは日々濃くなり纏わる。
終わりがみえない日々。
どうすれば、楽になるの?
「 見ぃ~つけた。」
俺は、どうすれば良かったのだろう...。
この後キャラ別分岐で一人ずつストーリーが違ってきます。分岐話では残虐行為・暴力行為・グロ表現等が使われていますので苦手な方は注意してください。
キャラ別分岐endは全部で5個です。
全員endは違いますが基本、全員がヤンデレです。